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第八章 まだまだ他人

     第八章 まだまだ他人


 道のりは愛理も分かっていたが、記憶喪失を装っていることもあって、目的地だけ告げて案内は千鶴たちに任せていた。

 そこは、お寺の敷地内にある広い墓地だ。

 千鶴は何も言わなかったが、純子に連絡を取り教えてもらったのだ。愛理の母親も知らない。まして、千鶴たちも知るはずがなかった。おそらく、愛理もそれは理解しているだろう。

 直接純子に頼まなかったのは、純子に会いたくなかったこともあるが、ここへ純子を連れてきたくなかったからだ。

 純子は、本当の純子と啓太の身体を殺したのだ。愛理はそう思うと、どんな理由があっても、ここへは来てほしくなかった。

 千鶴は、あたりをグルグルと見回している。

 墓地のどの辺りに、啓太の家の墓があるのかは聞いていた。しかし、初めてくる墓地では、よく分からなかった。

 それで、方角とかいろいろ確認してもたもたしていると、愛理が二人から離れて、すすっと一人で歩きはじめた。

 「愛理」

 里穂が声を掛ける。

 「二人ともそこにいて」

 愛理は迷うことなく、一点目指してゆっくりと歩いていく。

 「どうして場所が分かるの?」

 「思い出したのかな」

 二人は言って、顔を見合わせた。

 愛理は啓太の墓がそこにあると思い出したわけではなかった。

 啓太が中学に入った年、啓太の祖父が亡くなり、そのときここに埋葬に来た記憶があった。ただその場所を見つけただけに過ぎなかった。

 

 愛理がたどり着いた場所には、稲本家の墓があった。墓石にそう刻んである。

 墓石の前には、墓用とは思えない花束が二つ置いてある。夏の日差しですでに萎れていた。それを純子が供えたのだとは愛理は知らない。

 愛理は墓石の横の霊標を見た。

 四年前に亡くなった祖父の戒名の横に、新たに刻まれた文字。『啓』を含む戒名に続いて、二年前の日付と、『啓太』の名前そして十四歳とあった。

 純子は、啓太の身体は死んだと言った。

 しかし、愛理にはまだどこか疑う心があった。

 それを確かめたかったのだ。

 本当は啓太の家に直接行って確かめたかったが、そういうわけにもいかずここを選んだ。

 もう充分だった。

 自分の本当の肉体はもう何処にもないんだ。

 そして幼馴染だった純子はもういないんだ。

 実感としてとらえたとたん、寂しさが込み上げた。悲しみも苦しみも混じっている。複雑な感情だった。

 体を支える力が抜け愛理は、崩れ落ちるように墓石に倒れこんだ。

 「あぁ、あぁぁぁ……」

 墓石に抱きつくようにして、愛理は大声で泣いた。

 声の限りに、愛理は泣いていた。

 崩れる愛理を見た二人が、駆けつけたが、そんな愛理にどう接していいのか分からず、愛理の泣くに任せていた。

 「もらい泣きしちゃうよ」

 隣で里穂も涙を拭う。

 「なんで里穂まで泣いてるのよ」

 「辛いよ」

 里穂がつぶやく。

 「なんで愛理は二回も泣かなくちゃいけないの? だって、記憶なくす前にも、この人が死んだときに愛理泣いたんでしょ。どうしてまた泣かなくちゃいけないの? 辛すぎるよぉ。わーーん」

 里穂も大声で泣き出した。

 たっぷり五分ほど泣いた愛理の泣き声が、落ち着いてきたのをみて、千鶴は愛理にハンカチを差し出した。

 しゃくりあげながら愛理は、ハンカチを受け取る。

 愛理は流れた涙を拭う。しかし、涙はまだあふれ出てきていた。

 千鶴は愛理を墓地の巻石に座らせ、落ち着くのを待った。

 それからさらに五分ほどが過ぎた。

 「落ち着いた?」

 愛理はうなずいた。

 「もういい?」

 再びうなずく愛理。声はまだ出なかった。

 千鶴は愛理を立たせ、スカートの汚れを払った。

 「じゃぁ、行こうか」

 千鶴は愛理の手を取り、歩き出した。

 黙ったまま愛理は、引かれるままに歩き出した。


 三人は、近くの喫茶店に入った。

 愛理がつば広の帽子を取ろうとするのを、千鶴は制した。

 「包帯見えるでしょ」

 「いいよ、邪魔だし」

 愛理は帽子を横に置く。

 帽子を取った愛理の顔に光が当たり、よく見えるようになった。

 好奇の眼が少なからず愛理に注がれているのを、千鶴は感じた。

 泣き腫らした目で、頭に包帯を巻いているのは、酷い姿だった。かわいい愛理が台無しだ。

 「顔拭きなさいよ。涙が乾いた後がついてるわよ」

 言われて、愛理はお絞りで顔を拭った。

 頼んだジュースが出されると、里穂が一番に口を付ける。

 「いっぱい泣いたから、喉カラカラだよ」

 言ってもう一口飲んだ。

 「なんかうらやましいな。愛理にこんなに泣いてもらえる人って。女ながらにそう思ってしまうよ。一体どんな子? 啓太クンって子のことは、思い出したんでしょ?」

 千鶴が尋ねた。

 しばらく悩んで愛理は首を横に振った。

 「思い出してないのに泣いたの?」

 里穂が不思議そうに声を上げる。

 「違うよ。啓太のことは覚えていたんだ。忘れていなかったんだ。忘れていたのは、啓太が死んだということなんだ。うぅ、う……」

 愛理は嗚咽を漏らす。

 「あ、ご、ゴメンなさい。もう泣かないで。話し変えましょ。そうそう、あれ、あれよ」

 覚えていたということが引っかかったが、刺激してまた泣かれてはいけないと思い、そのことはひとまず置くことにした。そして話題を変えようとするが、記憶のない愛理とあわせられそうな話が浮かばない。

 「そうだ。愛理が退院したら、お祝いしなくちゃいけないね」

 「そうそれよ」

 里穂の話に乗る。

 「快気祝い。クラスのみんな集めて、盛大にやろうよ」

 千鶴は笑顔で言うが、愛理の表情は暗かった。

 「いいよ。みんな集まってくれても、誰だかわからないし。悪いよ」

 「あぁ……」

 千鶴は声を漏らす。

 「お医者さん言ってたじゃん。今までどおりの生活をしろって。団結力のあるわたしたちのクラスでは、退院祝いにみんなが集まるのはいつものことなの」

 「里穂。それ強引。でも愛理、みんながお祝いしたがってるのよ。元気な愛理の顔が見たいのよ。わたし、みんなにはね、病院に来ないであげてって言ってるの。病院の名前も内緒にして。ややこしいときだったから。勝手なことだったらごめんなさい」

 「ううん。それでよかったよ」

 「そのせいで、わたしはメール攻めよ。見て」

 千鶴は自分のケータイの画面を愛理に見せる。

 知らない名前が、愛理の病状を尋ねるメールばかりだ。

 「記憶がないことは、話してるから。愛理がみんなのこと分からなくても、誰も文句言わないから。退院祝いの時にまだ戻ってなかったら、自己紹介させるから。みんな愛理の元気な姿見るだけで、充分なんだよ。見せてあげてよ」

 愛理は、千鶴の気持ちがうれしく思えた。

 事故の後目覚めてから、みんなに『愛理』と呼ばれていたが、愛理自身その人間が自分のことだという実感はなかった。ただ、自分の知らない愛理という存在がいて、この二年間、この体で過ごしていたんだ。自分とは別の人間だという感じがしていた。

 しかし、今日自分の肉体の死を実感し、この二年間自分はこの体で過ごしていたんだということを理解して、別の存在だった『愛理』が『自分』に重なったような気がしていた。

 まだ思い出せないもう一人の自分を慕っていてくれる友達がいる。それをとてもうれしいことだと感じていた。

 愛理はうなずいた。

 「じゃぁ、早速計画立てないといけないわね。やっぱり、みんなの集まりやすい終業式の後がいいわね」

 「終業式?」

 「来週の月曜日よ」

 「それまでに退院できるかな?」

 「大丈夫よ。もうこんなに元気なんだから」

 「うーん」

 退院が延長されたのを知っている愛理は、少し心配だった。

 「場所は、ミクちゃんの喫茶店!」

 里穂が提案する。

 「それはいいかもね」

 話は、とんとん拍子に進んでいった。


 病院まで戻ってきたとき、時刻は五時近かった。

 「もうここでいいよ」

 「ダメダメ。お医者さんに引き渡すまでが、わたしたちの仕事なんだから」

 「なんか、護送された犯人みたいな言い方だな」

 「じゃあ、連行するから」

 笑って千鶴が言った。

 ナースセンターで愛理が帰ったことを知らせると、看護師が精神科の医者を呼び出した。

 三人は先に病室へ向かった。

 しばらくして、病室に綿里先生がやってきた。

 愛理の笑顔を見て、安心した様子だ。

 「問題はなかった?」

 「特には」

 千鶴が報告する。あえて、啓太のことを覚えていたという話は伏せていた。愛理自身医者に伏せているのだったら、言わないほうがいいと思ったからだ。

 他にもいくつか愛理の様子を聞かれて、ふたりで答えた。

 「じゃあ、わたしたち帰るね」

 「今日はホントありがとう」

 「気にしないで親友なんだから。じゃあね」

 二人は、病室を後にした。

 しばらく歩いたところで、里穂が口を開いた。

 「そういえば今日主治医の先生、海もプールもしばらくだめだって言ってたよね。傷口にばい菌入ると大変だからって。治るころにはクラゲがいっぱいだよ。一緒に海に行きたかったのに。残念だなぁ」

 「あなたは海と愛理とどっちが大事なのよ? 今度言ったらグーで殴るわよ」

 千鶴は拳を振り上げる。

 「ひゃぁ、ごめんなさい」

 里穂は頭を覆う。

 千鶴は立ち止まっていた。

 「今日もわたしたちの名前、一度も呼んでくれなかったね」

 千鶴は寂しそうにつぶやいた。

 「そうだったね」

 「友達のように接してくれてるけど、純子さんとは違って、まだまだ他人なのね」

 千鶴は、ゆっくりと歩き出した。


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