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第五章 一人にしてください

     第五章 一人にしてください


 次の日はさくらんぼを買って、純子は病院を訪れた。昼からのことだ。

 愛理はテレビを見ていた。

 母親はいなかった。

 「今日、お母さんは?」

 「今日は家の用事するから、遅くなるって」

 「そうなんだ。何かしてほしいことはない?」

 純子が尋ねると、愛理は首を傾げてしばらく考える。

 「いいよ別に。自由に動けるし」

 「体拭いてあげようか。お風呂まだ入れないんでしょ?」

 「えっ、い、いいよ」

 と言ってるにもかかわらず、純子はドアを閉めて、カーテンを降ろす。

 「言っちゃ悪いけど、ちょっと臭いよ。やっぱ、女の子の体だから最低限のことはしないと」

 「ホントにいいって」

 「お願い。やらせてほしいの。今は覚えてないでしょうけど、わたしはあなたにいっぱい謝らなければならないことがあるの。お詫びのひとつとして、体を拭かせてほしいの」

 「何だよ、謝らなければならないことって?」

 「ケガが治ったら話すから」

 純子はタオルを絞る。

 「テキトーふかしてるんじゃないだろうな」

 「さぁ、脱いで」

 純子は愛理のパジャマを脱がしにかかる。

 「やっぱ、いいよ」

 脱がされそうになるパジャマを、愛理は押さえた。

 「もう、男らしくなさい!」

 純子は無理やりパジャマを脱がせた。下着も無理やり剥ぎ取る。

 右の腰辺りに、車がぶつかった後が、青紫色になって残っているのが見えた。

 「かわいそう」

 純子がつぶやく。

 「触らないで。まだ痛いから」

 純子はうなずいて、まず首筋から背中にかけて拭き始める。

 「どう、気持ちいい?」

 「う、うん」

 「じゃぁ、次は前ね」

 「前は自分で拭けるよ」

 「ついでだから。さぁ」

 「見るなよ」

 愛理は胸を隠す。

 「女の子同士で隠さなくても」

 「ボクにこんなのついてるのを見られるのが、恥ずかしいんだって」

 「こんなの、言うな! それにしても大きくなったわね。やっぱ成長期だもんね」

 しげしげと純子は愛理の胸を見つめる。

 「見るなって言ってるだろ。拭かせてやってるんだから、とっとと拭けよ」

 「はいはい」

 胸を拭いた後、腕を上げさせて、純子は見た。

 「ぁあ ワキ剃ってない」

 「えっ ホントだ。はえてる。女ってワキ毛、はえるんだ!」

 「当たり前じゃないの。毎日剃るか、永久脱毛するかしないといけないのよ」

 「女って、はえないのかと思ってた…… 大変なんだ」

 「そんなこと他の人には言わないでよ。男の子ってバレちゃうと大変なことになるんだから」

 「わかったよ」

 「深刻さが足りないな。顔笑ってるわよ」

 「だってくすぐったいんだから…… そんなふうに触るなよ…… 」

 「じゃあこうしてやる」

 純子は自分の身体だったからこそ分かるツボを突っついた。

 「にゃっ! な、何するんだよ」

 顔を真っ赤にして、愛理は抗議する。

 しかし、純子は愛理に抱きついた。

 「うれしいの。生きててくれて。あの時死んでしまったと思って、怖かったの。とっても怖かった。たとえ、このまま記憶が戻らなくても、構わない。二年前と同じように、もう一度女の子を始めればいいんだから」

 「……寒いからパジャマ着ていい?」

 愛理は、そんな純子を突き放すこともできず、そう言った。

 「ごめんなさい。あと少し拭いてしまうから」

 残りのところを純子は優しく拭いた。

 そして、下着を着て、パジャマに袖を通そうとしたときだった。

 病室のドアが勢いよく開けられた。

 「愛理ぃ、ケガ大丈夫。……」

 「だめじゃない。里穂。病院なんだから静かにしないと。……あらぁ、お邪魔だったかしら」

 パジャマのボタンを止めようとして、下着を見せたままになっている愛理を、乱入者の二人は、誤解しようとした。

 「今は、身体を拭いてあげてただけだけど……」

 「なーんだ、いけないことするのかと思った」

 先に飛び込んできた里穂がボソッとつぶやいた。

 「そんなことは……」

 二人は顔を赤くする。

 「わたし、中学の時の同級生の山方純子です。お二人は?」

 「わたしたち、高校の同級生です。わたしは加藤千鶴で、この子は木村里穂です」

 「でも、元気そうでよかった。包帯ぐるぐる巻きでミイラみたいだったらどうしようと思ったもの。それにしても、連絡してくれたらもっと早くお見舞いにきたのに。昨日のお出かけの約束、三十分してもこないから、どうしたのかなって、メールしても返事ないし、ケータイかけても圏外だし、家にかけても誰もでないし。てっきりすっぽかされたと思って、愛理なのに酷いって二人で怒ってしまったよ。で、今朝もぉ一度おうちに掛けてみたら、事故で入院っていうからもぉびっくりしちゃった。連絡もくれないくらいだから、面会謝絶なのかなぁって思ったら、そうじゃないっていうから、もぉ早速いかなくちゃ、って感じで、飛んできたのよ。でさぁ、もう、身体は大丈夫なの?」

 「里穂、包帯巻いてるの見えるでしょう?」

 「頭以外のところよ。車にぶつかったんでしょ。退院したら、いっぱい行くところあるんだから。ミクちゃん喫茶店のバイト始めたって話したよね。そこは見に行かなきゃだめでしょ。他においしいケーキ屋さんも見つけてあるんだし。そうそう、今年はプールじゃなくて海に行くって約束したよね。絶対行くんだから。ということで、デパートに水着買いに行かなきゃだめじゃない。おしゃれな服も買わなくちゃいけないじゃない。ねぇねぇ、退院はいつ? 元気そうだからすぐに退院できるんでしょ?」

 「まだ分からないけど……」

 里穂の勢いにのまれて、応える愛理。

 「でも、きっとすぐに退院できるよ。そうしたら、いっぱい遊ぼうね。来年は受験なんだから。高二の夏は大切なんだから」

 子供っぽく甘えるような感じの里穂に、愛理は言葉が詰まる。

 「……ゴメン」

 愛理は顔を伏せる。

 自分を慕って楽しそうに話しかける彼女のことが分からないことが、申し訳なかった。

 「どうしたの?」

 千鶴が尋ねる。

 「ひょっとして、聞いてないんですか?」

 純子が聞き返した。

 「何を?」

 「愛理、事故のせいで記憶がないんです。自分のことも分からないくらい」

 「そんな……」

 「うそぉ! 愛理ぃ、わたしたちのことも分からないの?」

 里穂の言葉に、愛理はうなずいた。

 「かわいそう……」

 「そんなのないよぉ。大切な高二の夏休みに自分が分からないなんて……グスン」

 里穂は涙ぐんでいる。

 「ゴメン」

 「どうして愛理が謝るの。悪くないのにぃ……」

 里穂が言う。

 「愛理が記憶取り戻すまで、全力で協力するわ。ねぇ、わたしたちになにができるかな」

 千鶴が尋ねる。

 「そうねぇ、高校に入ってからの愛理がどんなだったかを話してあげて。なにか思い出すかもしれないし」

 「えぇ? そんなのいいよ」

 純子の提案に、愛理は嫌そうに言った。

 自分が男だと思ってる愛理にとって、女として過ごしてきた日々を聞かされるのは、恥ずかしいに違いなかった。

 「じゃぁ、まず入学式の時の話からいくね」

 さっき涙ぐんでいた里穂が、もう笑顔になっている。

 「クラス分けの発表見てね。自分の名前がないって困ってたのよ。それを千鶴が見つけて声かけたのよね」

 里穂が千鶴に目配せする。

 「名前聞いてわたしがクラス分け表を見たら、ちゃんと名前あるのよ。でね、なんで名前見つけられなかったか分かる?」

 愛理と純子は首を横に振る。

 「それはね、五十音順に前から見ていって、男子の『ふ』のところまでしか見ないで名前がないって言ってたのよ。テンネン? とか思っちゃった」

 言って千鶴は、ゴメンと愛理に言う。

 「ホント。中学の時はどうしてたのかって、びっくりしちゃったよぉ」

 里穂が、笑いながら言う。

 純子と愛理はその理由が分かるので、妙に納得してしまった。

 「そうかと思えば、結構しっかりしているし、成績もいいし。今年は委員長してるしね。面倒見も良くて、みんなに慕われてるって感じで、非の打ち所がないって感じよね」

 「ふーん」

 と生返事をしたのは、愛理だ。

 「あなたのことでしょ」

 話はつづく。

 ……

 愛理は、覚えていない思い出話を延々と聞かされていた。

 両手で顔を抑えている。指の間から見える顔は真っ赤だ。

 赤裸々な女子の話になって中学生の啓太の心では、耐え切れなかった。

 「でね、いつもかわいくない白の下着しかしてないんだから。まるで子供用なのよ。こんなかわいいのにもったいないじゃん。だから、無理やりデパートの下着売り場に連れてって、選ばせようとしたら、どうしたと思う?」

 「そんな話、もういいよ」

 愛理は今度は耳を塞いでいる。

 「嫌がったんじゃない」

 純子が答える。

 「さすがぁ。中学のときもそうだったの? もう嫌がって、嫌がって、結局試着はさせられなかったのよ。セクシーな下着姿見たかったのに」

 楽しそうに里穂が話す。

 「愛理って本当に不思議なくらい恥ずかしがりやさんよね。体育の着替えなんか、いつもみんなに背中向けて、パパッと着替えてすぐ出て行くし、人の着替え見るのも恥ずかしいって感じだよね。そんな恥ずかしがりやの性格って、記憶なくっても変わってないのね」

 千鶴は、愛理の恥ずかしがる様子にそう話した。純子と愛理は鋭いって感心する。

 そのとき、病室がノックされた。

 母親が立っている。

 「愛理。お友達?」

 「高校の」

 愛理は短く答える。

 「今朝の電話の子かしら?」

 「クラスメイトの加藤と、この子は木村です」

 母親は少し考える。

 「お二人にも一緒に聞いてもらおうかしら」

 母親が病室に入ってきて、続いて精神科の綿里先生が続く。

 「これからの生活についての注意みたいなことを話しておこうと思いまして。とくに一緒に過ごすことの多い、お友達にも聞いてもらっておいたほうがいいこともあるので、聞いてもらっていいかな?」

 医者は愛理に、同意を求めた。

 うなずくのを確認して続ける。

 「退院に関しては、主治医の井上先生が判断しますが、傷がふさがればすぐにでも退院できるでしょう。それで、退院後というか、これから記憶がちゃんと戻るまでの間、いろいろと注意してほしいんだ。

 ひとつは、ひとりで出歩いたりしない。突然精神状態が不安定になることもあるからね。必ず誰かに付き添ってもらうんだ。

 もうひとつは、無理に思い出そうとしない。特にいやなことはね。

 それから、気持ちを楽に持って、今までどおりの生活をすること。同じように生活して、元のリズムが戻ると、記憶が戻りやすくなるからね」

 「わたしたちは、愛理が普段どおりの生活ができるようにサポートしてあげればいいのね」

 「頑張ります!」

 千鶴の言葉に、里穂が合わせる。

 「それって、でも外傷性の記憶喪失じゃなくて、心因性の方ですよね。確か解離性障害。愛理はそっちなんですか?」

 「詳しいね」

 「愛理が記憶喪失と分かって、いろいろ調べたんです」

 純子は答えた。

 「愛理さんの症状は頭部外傷性の逆行性全健忘と思われていたのですが、MRI検査による脳の損傷が見られません。可能性としては心因性の場合もあります。

 意識が戻ったとき、自分の年齢を十四歳と思っていたそうですね。それからお母さんの話では、中学時代は……失礼ですが少々乱暴な性格だったそうで、そういう性格が意識が戻ってから現れていたそうですね」

 「あ、それわたしも感じました」

 千鶴だ。

 「言葉遣いが、愛理らしくなくて、すこし乱暴だなって」

 「そうですか。それから、乱暴な性格が治まったきっかけが二年ほど前のお友達の死亡だそうですね。そういう点を踏まえると、二年前の出来事を忘れたいという思いがあるのかもしれません。日常的にその出来事がストレスとなっていて、事故をきっかけに、お友達の死を忘れようとしたのかもしれません」

 純子は医者の口から啓太の名前が出るかと心配したが、綿里先生が知るはずもないし、母親にも愛理は名前など話していないはずだ。聞いたことがあっても覚えてはいないだろう。

 純子は胸をなでおろす。

 「それって、たしか啓太クンよね。いつも生徒手帳に写真はさんでる」

 純子の思わぬところから名前が飛び出した。

 里穂だ。

 純子は愛理の方を見る。

 全身の毛が逆立っていくのが見えた。

 「死んだって……本当なのか……純子! 言ってくれよ!」

 愛理は純子の襟首につかみかかって、激しく体を揺さぶった。

 純子はうなずいた。

 「どうして、どうして死んだんだよ」

 愛理は、無抵抗な純子の体を激しく揺さぶる。

 「愛理、怖い」

 里穂がつぶやいた。

 その言葉で、愛理は自分がしていたことに気付く。

 女の子に乱暴するなんて。

 愛理は、純子の襟から手を放した。

 しかし、その動揺は消えたわけではない。自分が死んでいたというショック、隠されていたというショック。愛理は自分の心をコントロールできなくなっていた。

 「記憶が戻ったのか?」

 綿里先生が尋ねるが、愛理は応えない。

 「愛理、思い出したの?」

 母親だ。

 「わたしたちのこと分かる?」

 千鶴が尋ねる。

 「分からない。分からないよ!」

 愛理が叫ぶ。

 「出てってくれ! 一人にしてくれ!」

 「落ち着きなさい」

 綿里先生がなだめようとするが、愛理は枕を振り回し始めた。

 「出てってくれって言ってるだろ!」

 愛理は涙が溢れる両目を閉じたまま、狂ったように枕を振り回す。

 「手伝ってください」

 綿里先生は母親に言うと、愛理の振り回す枕を受け止めた。

 そのまま枕を愛理に押し付ける。

 とにかく愛理を押さえ込むのだと理解した純子は医者と一緒に愛理を押さえつけた。母親も加わる。

 そして押さえつけられている愛理に、医者は懐から取り出した注射をした。

 しばらくして愛理の暴れるのが治まった。

 「落ち着いて、眠くなるから、そしたら眠るんだ。いいね」

 医者は優しく愛理に、話しかける。

 「一人にしてください」

 溢れる涙もふけずに愛理は、震える声で訴えた。

 「一人にしてあげるから、眠るんだ」

 ナースコールで呼んだ看護師がくると、カーテンを引いて、外から様子を見ておくように告げ、母親らを連れて病室の外にでた。

 「愛理は記憶が戻ったんでしょうか?」

 母親が尋ねる。

 「一部は戻ったのかもしれませんが、全てではないでしょう」

 「ごめんなさい。わたしが名前出してしまったばっかりに」

 「責任を感じることはないよ。いいから今日はもう帰りなさい」

 綿里先生は里穂と千鶴、そして、純子に言った。

 啓太が死んだことを、愛理は知ってしまった。しかし、愛理は本当の愛理が啓太の身体で死んだのだと誤解しているはずだ。死んだ理由も分かっていないだろう。

 純子は愛理にすぐにでも話さなければならないと思ったが今は話せないのも分かっていた。

 「愛理が目を覚まして、わたしのことを呼んだら、何時でも来ますから電話してください」

 純子はそう告げると、千鶴や里穂と一緒に、病院を後にした。


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