第四章 わたしの罪は消えない
第四章 わたしの罪は消えない
翌日も純子は面会時間の最初から、病院へとやってきた。
すでに母親も来ていて、ベッドの横のいすに腰掛けている。昨日と服が違うので、昨夜は帰ったのだろう。
何をするわけでもなく、会話もない。ただ静かに座っているだけだ。空気が重い。
「愛理のお母さん。テレビ置いてもらったらどうですか。そのほうが愛理も気がまぎれたりとか、テレビの話題をきっかけに記憶戻ることもあるんじゃありません?」
「そうね。すぐにお医者様に相談してみるわ」
重たい空気の重圧から逃れる方法に母親はすぐに飛びついて、早速手配に出て行った。
「愛理。痛みはだいぶマシになった?」
「まだ痛い。それに医者が鎮痛剤の量を減らしたんだ」
「そのほうがいいとお医者さんが判断したからでしょ。痛み止めにいつまでも頼ってるのは良くないとか。体に悪いとか。ところで、トイレはちゃんとできた?」
「ト、トイレ……」
顔を赤らめる。
「何かあったの?」
「それが…… やっぱり言えない」
「言いなさいよ。ちゃんとしたアドバイスがほしいならね。どんなことでも、怒ったりしないし、ちゃんと教えてあげるから」
純子に促されて、愛理は躊躇いがちに話し始めた。
「トイレに入ったけど、恥ずかしくて、なかなかできなくて、それに力の入れ具合みたいなのもわからなかったから、すっごく時間かかって、看護婦さんに探されたんだ。詳しくは知らないけど、病院中探し回られたみたいで…… それでトイレで座ってるところを、見つけてもらったんだ」
「最後のつながりが変な気がするけど…… 自分で出たんじゃないの?」
「それが、その。拭いてるうちに変な気持ちになって、それで、ちょっと触って遊んじゃったんだ。それで遊びつかれたところを、見つけてもらったんだ。気分悪くなったってごまかしたけど……」
「イッたの? 最後までイッたのね!」
「さっきは怒らないって言ったじゃないか…… 顔怖いよ」
「ゴ、ゴメン」
「こっちこそゴメン。軽蔑するよな。硬派気取ってたのに、女になったとたんこれじゃ。あ、このこと、双海さんには絶対内緒にしてくれよ」
もう聞いちゃったよ。と純子は思う。
「もちろん、もうあなたの身体だから、やってもいいのよ。急に異性の体になれば、好奇心が沸いていろんなことをやりたくなるのは良くわかるわ。ホントの愛理だって、啓太君の体で好き勝手やったんだから。でも、あなたは今ケガ人なのよ。体力だって弱ってるのに。そんなことして何かあったらどうするの?」
「これからは気をつけるよ。ところでさ、なんでその双海さんは会いに来てくれないんだ。ボクになってるんだろ?」
純子は言葉に詰まる。けど今は誤魔化さなければならない。
「会いにこれない理由があるのよ」
「なんだよそれ」
そういったが愛理はそれ以上追求しない。純子は胸を撫で下ろす。
「ほかに困ったことはなかった?」
「病院のご飯はおいしくない」
「それって、女の子になって困ったことじゃないじゃない。まぁいいわ、後で何か差し入れしてあげる」
純子は笑顔で言った。
テレビが病室に届くのを待って、純子は一度病院を後にした。何か差し入れを買いにいくためだ。
愛理は早速テレビを見ている。手持ち無沙汰は解決するだろうが、母と娘の会話は、この様子じゃ期待できないなと感じた。
病院から十分ほど歩いたところにスーパーがあったので純子はそこに入った。
菓子パンとかケーキとかも考えたが満腹でご飯が食べれなくなっても困るなと思い、イチゴをひとパックだけにした。
病院に帰ると純子の知らない男性が二人来ていた。
病室の前で対応する。
「あぁ、純子さん、待ってたのよ。こちら、警察の方」
愛理の母親が、二人をそう紹介した。
「お待ちしてました。見てほしいものがありまして」
「わたしで、いいんですか?」
「もちろん、本来は愛理さんに、見ていただきたかったんですが。記憶喪失とうかがったので」
「そ、そうなんです」
「それで、事故のとき一緒にいたあなたなら、わかるかと思いまして」
交通課の刑事は、大きな紙袋からいくつかのものを取り出した。
「事故現場に落ちていたものが、愛理さんのものかを確認していただきたくて」
「あ、それ、愛理のケータイ!」
「それは良かった。暗証番号がかかってたので、確認がとれなかったもので」
受け取ったケータイは、電源は入るものの、外側にも画面にもひびが入っていた。そのとき説明を受けなかったが、受信機能も壊れていた。
「それとカバンには、持ち主を確認できるものがなかったので」
「わたしも、この子の持ち物を全部知ってるわけじゃないから、わからなくて」
母親が言う。
「それも愛理のですけど、財布は入ってなかったですか?」
「入ってなかったというか、別に落ちていたよ。きっと事故のとき落ちたんでしょう。それはお母さんに確認取って、もう渡してあります」
大きな袋から最後に出たのが、手提げの紙袋だ。
「それも愛理が持ってました」
純子は受け取った紙袋の中を見た。
「これ、愛理には見せましたか?」
「ケータイ以外は見せてないよ。ケータイを覚えてないくらいだから、ほかのもわからないだろうと思って」
「お母さんも、これの話は今はしないであげてください。誰のお墓参りに行くつもりだったかを知ると……思い出すと、きっととっても悲しむから」
二度、悲しむ…… いや正しくは苦しむだろう。
「これ、わたしがもらっていいですか?」
「ええ」
母親が了承する。
純子は折れた線香とろうそくと萎れかけた花束が入った紙袋を受け取った。
純子は病院の帰り道、電車で二駅のところにある稲本家の菩提寺に来ていた。啓太の墓がある。
葬式のときも、翌年の一周忌も、純子は幼馴染として、この墓地に参っていた。
去年の法事の後、みんなで参ったとき、墓の前に置かれていた花束。
「あれは愛理だったんだ。家族よりも先に、墓参りを…… 違う、事故の日もそうだ。入れ替わった日に来てたのよ。啓太君にとっては入れ替わった日が、自分の命日だったのね」
純子は啓太が買った萎れた花束を、墓前に供えた。
そして、自分の買った花を添える。
ロウソクと線香をあげて、手を合わした。
「純子。ごめんね。今年はわたしで。……でもどうして今年はわたしを誘ったのかな……」
教えてくれなかったから理由は分からない。でも、吹っ切りたいと言っていた。
「わたしから見ればとっくに愛理は吹っ切れてるように見えるのに……」
そして気がついた。
「そっか吹っ切れてないのは、わたしだから。それで誘ってくれたんだ。でも、無理だよ。わたしの罪は消えないもの」
もう一度、純子は手を合わせた。