第十三章 もう少しなのかな
第十三章 もう少しなのかな
喫茶「メモリーズ」は、数人のアルバイトを雇うだけあってかなり広いスペースを持っていた。
入り口には「愛理の退院祝いのために本日貸切」のウェルカムボードが出されている。クラスの誰かが書いたのは明らかだ。
店内は普段はない飾り付けが、いたるところに施されていた。
ゆっくり歩いてきた愛理たちが到着したときは、クラスのみんなはもうほとんどそろっていた。
少し遅れて、教室の掃除班が到着する。
「全員そろった?」
「田中がまだです」
「あいつは、クラブだって」
報告が飛ぶ。
「何だって! ケータイ分かる人呼び出して、二学期から席はないよって伝えて」
良美が男子に命令する。
「なにもそこまで」
愛理は真に受けて、良美の腕を引っ張る。
「来ない人はほっといて、始めよっか」
全員にジュース類が配られる。そして、みんなでつまめるような食べ物やケーキが、用意が出来た順に出されてゆく。
「まずは、愛理の退院を祝して、そして、早く記憶が戻ることを願って、カンパーイ!」
良美がひとり仕切って、進行してゆく。
「じゃあ、自己紹介の時間をとります。時間ないから名前のほかは一言だけでお願いね。名札は必ずつけること。じゃあまずはわたしから。名前は五十嵐良美。クラスいちの元気な女の子です」
「お調子者でーす」
茶々が入る。
そんな感じで、一人ひとり、愛理の前に出てきて自己紹介をしてゆく。
全員が自己紹介を終えると、次は思い出話が始まった。
愛理には覚えていないことばかりだったが、自分のことだと思って聞くと、恥ずかしくなる話ばかりだった。
「それにしても去年のプール、愛理の水着には度肝抜かれたよね。まさかスクール水着だなんて。今度は絶対ビキニ着せたいよね。今年はやっぱ海にするんでしょ」
誰かが言った。
愛理の横に座る里穂は愛理に上目遣いをしてから言う。
「海行きたいけど……イタッ!」
「海の話したら殴るって言ったでしょ」
里穂の頭を叩いたのは、千鶴だ。
「ちょっと、かわいそうじゃないか」
愛理が里穂をかばう。
「今年の夏は泳いだらいけないって、言われてるの知ってるのに、未練たらしく言うのがいけないって言ってるの。里穂を甘やかさないで。愛理はいつも里穂には甘いんだから……」
「『いつも』なんだ」
笑顔で愛理はつぶやいた。記憶を失う前の自分に近づいていることが、今はうれしかった。
「里穂。海行こうよ。ボクは泳げないけど、水辺までなら行けるんだから」
話題に気が行っていて、誰も愛理が友達の名前を呼んだことには気付いてなった。
「じゃぁ快気祝い第二弾『愛理と海辺に集う会』発足しまーす!」
良美が早速仕切っている。
「それにしても、愛理のしゃべり方、男の子っぽくてかわいいね」
誰かが言った他愛のない一言だ。
「それ、禁止ワード」
千鶴がツッコむ。
「千鶴。もういいって、悪く言ってるんじゃないんだから。でもやっぱり『わたし』って言うべきなのかな」
それは、愛理にとってまだ少し抵抗のある言葉だった。
「ねぇねぇ。傷はもう治ったの? 十針も縫ったって本当?」
「触るとまだ痛いし、消毒は毎日やってるよ。見る?」
愛理は髪の毛を掻き揚げる。
「きゃ、ひどーい」
「愛理何してるのよ。見せるもんじゃないでしょ」
「いいよ。減るもんじゃないし」
千鶴の言葉に、愛理は笑って抗う。
「あたしにも見せて」
「こっちもー」
というリクエストに応えて、愛理はみんなの間を歩いてゆく。
入り口近くまで来たときだった。
扉が開いて入ってきたのは、田中だった。
「裕一郎……」
愛理は思わずその名を呼んでいた。
静まり返る。
教室にもいたが、あの時は女子に囲まれ、愛理は裕一郎に気付いてなかった。
同じクラスに、啓太としての友達がいたなんて。
それよりもだ、今は記憶喪失の愛理だ。それがいきなり男子を下の名前で呼ぶなんてありえない。
しかし、出てしまった言葉はもう、引っ込めることは出来ない。
「……クン」
慌ててそれだけ言い足して、下の名前呼び捨て状態だけは、回避した。
言った愛理は立ち尽くしている。
呼ばれた裕一郎も、呆然と立ち尽くす。
「えーっ!」
静まり返っていた場内が、驚きに沸き返る。
「愛理、記憶戻ったの?」
誰かのその言葉に、愛理は応える余裕はなかった。
「……」
言葉が出ない愛理。
「退院おめでとうな」
ぶっきらぼうな言い方で裕一郎が言う。
「ありがとう」
ようやく言葉が出た。
「ボクなんで名前知ってたんだろうね」
とぼけてそういう愛理。
もちろん、啓太として、裕一郎のことをよく知っていたから、名前が飛び出したのだ。中学のとき二人とも野球部に所属し、クラブ以外でも一緒に遊ぶことが多かった。しかし、愛理としては高校での記憶が戻ったのならともかく、戻ってない今は、中学のときの記憶が少しあるで通さなければいけないが、中学時代の本当の愛理として裕一郎をどれだけ知っていたのか、今の愛理には全く分からないことだった。
「そんなこと知るか」
相変わらず、無愛想な裕一郎。
千鶴は、二人の様子が心配になって、愛理のそばにやってきた。
「確か二人とも同じ中学よね」
千鶴の言葉は、愛理の助け舟となる。
「それでかな? 中学のときのことは少しだけ覚えてることがあるんだけど」
「中三のときは、同じクラスだったからな」
変わらず、ぶっきらぼうな裕一郎。
このままでは、険悪な状況に陥りかねないと思った千鶴は、とりあえず二人を引き離そうと考えた。
「二人ともこんなところに立ってないで、席着いて。田中君は何飲むの?」
愛理は暗い表情で、うなずき、自分の席へと戻った。
まだ聞きたいことがあった。
中学三年のとき同じクラスだったということは、純子とも同じクラスということだ。
入れ替わってすぐの愛理や純子を知っている。
裕一郎に聞けば、入れ替わったときの二人の様子が分かるかもしれない。
純子が、隠してるかもしれない何か。
それを知りたかったが、今この場所でそれを聞くことができないのもわかっていた。
愛理は遠くにみんなの話し声を聞いていた。
「名前で呼ぶなんて、深い中だったのかな」
「でも、田中クンの態度は、むしろ仲悪そうな感じよね」
「つき合ってたけど別れたってやつじゃない?」
「でも、田中クンと愛理が付き合ってたなんて。ショックぅ。だって不釣合いじゃない」
確かに裕一郎は、三段階評価なら上から二番目だが、四段階評価ですると下から二番目という位置づけだ。一般人が絵になるカップルを思い描くと、美女は美男子と付き合うべきなのだ。その点からすると、愛理と裕一郎は不釣合いという見解が大多数を占めるのは間違いなかった。
「なんか元気なくなったね。どうしたの?」
千鶴が心配して声を掛ける。
「田中クンて、ボクのこと嫌いなのかな?」
「さあ。でも確かに、他の男子みたいに愛理と親しくなろうとするようなことはしてなかったわね。けど、それは愛理だって似たようなもんだったよ。ぎこちない感じだったというか。中学のとき何かあったんじゃない? あ、でも今は深く考えないほうがいいよ」
千鶴は愛理がまた泣いたり暴れたりしないか心配になって、話を変えようとした。
「ところで、純子さんには連絡取った? 謝れとまでは言わないから、話できる状態にはしとこうよ」
「分かったよ。後で連絡する。あぁ、ケータイに番号まだ入れてないや。番号教えて。持ってるんでしょ」
愛理はカバンから携帯電話を取り出した。
千鶴が番号を伝えるより早く、その携帯電話を見つけた一人が叫ぶ。
「愛理。新しいケータイ、もう買ってるんじゃない!」
「番号は、一緒? メアドは?」
「わたしの番号も、登録して」
「まだ使い方がよく分からなくて」
その後、アドレス帳に登録する作業に追われて、愛理は疲れてしまった。
お開きになった後、ミク他片付け部隊を残して喫茶店を後にした。
カラオケに誘われたが、愛理は断って帰ることにした。
「なんか、疲れちゃったみたいで」
「大丈夫? 家まで送ろうか」
「いいよ。あ、でも駅までは頼もうかな……」
そう言って愛理は照れ笑いをする。
何人かと一緒に、愛理たちは駅へと向かった。
「愛理を疑うわけじゃないけど、純子さんへは電話してくれるわよね」
千鶴が小声で言う。
「えっ、う、うん」
あいまいな返事をする愛理。
「やっぱり、今あたしが掛けるね」
「わかった、掛けるよ、自分で」
愛理はしぶしぶといった感じで、携帯電話を取り出すと、さっき登録した純子の番号を呼び出し、コールした。
『……電源が入ってないか、電波の……』
「圏外みたい」
電話の音声を千鶴にも聞かせる愛理。
「うれしそうに言わないでくれる。約束して、帰ったらちゃんと純子さんに電話すること。わかった」
「うん」
重たい返事を愛理はする。
「千鶴ぅ、また愛理いじめてるの?」
良美が横から、二人のことを覗き込む。
「人聞き悪いこと言わないでよ」
「でも、泣かしたって聞いたよ、里穂から」
「里穂なんてこと言うのよ」
言葉と一緒に手が出る、千鶴。
「イターいぃ」
里穂が頭を抱えて逃げる。
「ねぇ、千鶴って、ひょっとして凶暴?」
愛理は良美に尋ねる。ただし、仕返しとばかりに他の子たちにも聞こえる声で。
「愛理まで、そんなこといわないでよ」
「ゴメン、ゴメン」
「そうそう、服とか水着、あさって買いに行くからね。待ち合わせの時間とか場所は、また連絡するから」
良美が愛理に告げる。
まもなく、駅に到着する。
「本当に大丈夫?」
「家に着いたらメールするよ。みんな、今日はホントにありがとう。じゃあ」
言うとくるりと振り返る。
髪の毛が、ふわっと広がり、再び背中でまとまる。
それはみんなが見慣れた、別れ際のくるりと振り返る仕草だった。
「もう少しなのかな」
千鶴はつぶやいた。
一時間後、愛理は家にたどり着き、メールをしようと、携帯電話を取り出した。
『今つきました。道を二回も間違えました。疲れました』
メールを送り終えた愛理は、下腹部をさする。
「食べすぎ? 飲みすぎかなぁ?」
啓太のときのような、勢いで飲み食いしたことを、少し反省した。
愛理はそのまま、トイレにこもった。
「でないや」
しばらくしてつぶやいた。




