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ルートモストマック  作者: うさブルー
   四章《それでも続けるということ。》
95/165

Ⅵ 産地直送、スパイスを添えて。

【まえがき】

 ちょっと熱情的だった今章に、ようやっと冷房が。

 良心ほど厄介なものはないですね。



 どうぞ。




 

 


 二日目。



 朝食が無いことに気付いたのは、すでに太陽が空に昇りきった後だった。相変わらず時間はわからないままであったが、それがすでに朝食ではないということは、何となくわかった。

 全員でモールに買い出しに行って献立を決め、食事を作っていたら、昼食かどうかすら怪しい日の位置になっていた。例のごとく、誰かさんと誰かさんが進行を妨げるので、そういう結果になった。

 さっき、その誰かさんに時間を聞いたら、午後三時くらいだと思うと言われた。

 そこからおやつタイムを挟んだから、現在時刻は午後三時半くらいだろうか。

 頼りが太陽の位置と気温くらいなので、そうと言われればそんな感じがするし、四時半と言われればそうとも言えそうである。

 現地人顔負けであろうアナログな合宿をしているなと、呆れてツッコむ気力も無くなる。

 それはもしかすると、全員がそう思っているかもしれない。

「ルリお姉さーん。これどうやんのー」

「おう。今行くぞー。……んで、この公式は展開するとこれと同じになるわけよー。オッケーかな、アリスちゃん」

「なるほど。そう言えばそうだったわね。助かったわ。要するに、この問題はさっき教えたやつの応用よ」

「わかった。それならできるかも。やってみる……」

「のう、のあよ。こっからどうしたらよいんじゃ。輪郭は描けたが、陰影と言われてものぅ」

「あ。それなら、先に黒く見えてるところに影を落とすといいですよ。そしたら、次にそれを指で撫でて光源と逆方向に伸ばすんです」

 一部、ベクトルが違う気がするが、一日目とは打って変わって各々が集中しているようだった。

 一日経てば、この独特な雰囲気にもなれるものなのだろうか。

 なかなかその輪に入れない僕は、いまだに青い海と太陽のコントラストに猜疑心を抱いていた。無関係の美術科目にせよ、サクラが落ち着いて椅子に座っていることが特に。

 こうして紙面上に並んだ見慣れた数列が、心の拠り所となるとは思いもしない。

 そういうわけもあってか、席順は同じはずなのに居心地はかなり違った。

「…………」

 リズがルリ会長に、ルリ会長がアリスに、アリスがノアに、ノアがサクラに、アレンがサクラに。時折、矢印の向きは変わって、その度それは学年や学校の垣根を超えた。

 数列にも似た矢印を線で結べば、何か法則性が見えてくるだろうか。

 僕は自分のノートにこの空間の間取りを書いてみた。キッチン、木の棚、ベランダ、窓、それから席順もしっかり模倣して、最後に自分を書き足した。

 分かったのは法則性ではなく、みんなと僕との距離だけだった。


「ルートさんも美術ですか?」


 そんな中、アレンから矢印が飛んできて、漸く、僕にも線が繋がる。

「あ、いや、ちょっとね。うちと似てるなと思って。間取り」

「あ。そうなんですか。へえ。間取り図、すごい上手ですね」

「あ。うん。ありがとう」

 アレンが僕のことを見てくれているのだと思うと、自然と安心する反面、少し気恥ずかしくもある。

 褒められた間取り図ばかりを見て考察していると、斜め横からも矢印が飛んできた。

「あら。あなた、随分と自信があるのね」

 アリスの鋭い指摘はある程度のベクトルを持って、僕にぶつかった。

 流れるように視線が僕に集まったところで、アリスが続けた。

「どっかの誰かと同じで」

 アリスの視線を追いかけるように、皆の視線が僕の二つ隣へと移っていく。

 相変わらず凄まじい発言力だ。

「なんでみんなわしを見るんじゃ。わしは、ちゃんと勉強しておるぞ」

「言っておくけど、一年生に美術のテストはないわよ」

 ノアに勉強を教えている身上、そのノアの邪魔をするサクラはアリスにとって目の上のたん瘤なのだろう。今日の口調は、いつにも増して刃先が鋭利に感じる。

 落ち着かせようと、ルリ会長が遠くから口を挟む。

「まあまあアリスちゃん。絵を描いて公式覚えるって人もいるから。そんなに怒らないであげて」

「そうじゃそうじゃー」

 それが果たしてフォローなのか、怪しいところな気がしないでもない。

「へぇ。進法を覚えるのに、裸婦画ねぇ……」

「なんじゃ。もちーふはちゃんとるーとじゃぞ」

「えっ」

 ぎょっとして立ち上がり、サクラの後ろから絵を覗いてみれば、そこには確かに僕がいた。おまけに僕は全裸で、どこかで見たことのあるソファに横に寝かされていた。

 完全にとばっちりである。

「ちょ、ちょっと、これは……っ! サ、サクラっ」

 途轍もなく上手いのが逆に仇となって、異様な艶めかしさがそこにはあった。まじまじと鏡を見たことはないけど、頭の先から爪先の縷々に至るまで、その絵には不自然な点が一つも無い気がする。

 これは、明らかに公の場に出していいものではない。

 そう思って、没収しようと手を伸ばしたは良かったものの、リズが掠めるほうが早かった。

「わぁ。すごーい。ホントだー。はだかだー。ちゃんとおへその下に小さいほくろついてるしー」

「ノアも、見てみたい……かも」

「その次ワタシなー。アレンくんは最後でな」

「えっ? いいんですか。やった!」

 利便性を重視してか、追いかける僕から遠ざかってか、サクラの絵は見事に机の中心部に掲示された。みんながそれを囲む形となっているから、僕もなす術がない。

「うわあぁぁぁぁ個人情報っ!!」

 ハイエナに集られる食肉の気分だと言ったらわかりやすいか。……分かりづらいか。

 一人、満腹気なハイエナが輪からはみ出して、僕に言う。

「別にいいじゃない。絵だし。まぁ、でも、確かにこれは、ちょっと……エロ――」

「あああああ! もう見てもいいから、それ以上言わないでください……」

「なんじゃ。わしが描いたんじゃぞ」

 今度は不服そうな人が出てきて、どうももっともらしいことを宣っているようだった。

 しかし、こればかりは被写体兼被害者である僕に分がある。

「そ、そんなの僕、描いていいって言ってないよっ」

「ダメとも聞いとらんのじゃ。それに、お主は海を描く時に、海に確認するのかの?」

「いや、僕は海じゃないし……」

 問題はそこじゃないのだと、僕の口は止まらない。

「それに、半裸くらいならまだ許したかもだけど、本気で全裸だなんて……。何かを失った気分だよっ。というか、なんでほくろまで知ってるのっ!? そんなの、お母さんとリズくらいしか知らないはずなんだけど!?」

「実は風呂を覗いてたのじゃ」

「え」

 刹那、背筋が凍りついた。

 そして、リゾートにはミスマッチな感覚だと、知った。

「冗談じゃ」

「あ……よかったー……」

 何か汗のような露結のような、よくわからないものが体表からぶわっと噴き出してくる。

 サウナ上がりの水風呂に入った時のような、体が勘違いしている感じに近いと思う。

 色々と聞きそびれていることが多い気もするけれど、頓着する余裕はなかった。

「と、とにかくっ。その絵は没収っ!」

 僕は輪に切り込んでいって、自分の絵を強引に取り上げた。破いたらサクラに悪いと思ったので、とりあえず絵の描いてある方を内側に、丸めて筒状にしておいた。

 僕が保管するなりどこかに隠すなりするとは思うが、この作品は残ることに変わりはない。

 アーティストの強大さというのはこういうことかと、身に染みる思いである。

 その強大さは、往々にして作者が理解していなかったりする。

「ふん。なんじゃあ。わしがてすとに落ちたらるーとのせいじゃからな。その時は、責任をとってもらうのじゃ」

「いや、別のやり方で勉強しようよ……」

「わしにはこれしかないんじゃ」

 言った下から「今日の気分的に」と聞こえた気がするけれど、サクラに関してそこは大前提だと思うので、別段気に留めなかった。

 サクラと口論するのは暖簾に腕押しに構図が似るので、ここは一つ試してみよう。

 僕が受けた辱めの分だけは、取り戻せればと思う。

「じゃあ少し聞くけど、僕の顔は進法のどの辺?」

「そうじゃのう。第二項くらいかのう」

「第二項……」

 僕たちの教科書の括りは、項ではなく章だったはずだけれど。

 理由はよくわからないが、もしかしたら、サクラはそう呼んでいるのかもしれない。

「二だと、どれくらいだろう。十二進法とかわかる?」

 続けて尋ねてみれば、多少被せ気味に返してきた。

「時計のことじゃろ。あと、暦の月もじゃな」

「そ、そうだね。じゃあ、七進法は?」

「週間のことじゃな」

 何となくこうなるとはわかっていたけれど、少し悔しい。

 僕のヌードがみんなに安く買われてしまったような、脱いでないのに脱がされてそれをひけらかされたような、そんな空しい喪失感に囚われる。

 リズのように明るく振舞うのなら、「減るもんじゃない」というところなのだけど。自分をもっと大切にして、とも言われたし、どっちもどっちである。

 でも、今できることはせいぜい、良い隠し場所を模索することだろうと思う。

「はぁ……。わかったよ……。とりあえず今は返すけど、絶対その辺に置いとかないでね。捨てるなら、僕が処分するから」

「わかったのじゃー!」

 その底抜けに明るい朗かな声色を聞くと、残りの三日間という期間がやけに長く感じられる。でも、もしかしたらそれは、たった今勉強をしているから、時間が長く感じられているだけなのだとも思えた。

 ふと外を見れば日は暮れていて、あながちそんなこともないようだったけれど。

 〈数学が僕なら理科はアリスだろうか〉なんて密かな期待は、伸びた影と夜の帳との間に上手く隠せたと思う。

 ほっと胸をなで下ろすと、それをまた逆撫でするかの如くサクラが閃く。

「そう言えば、七進法で思い出したのじゃ」

 自然、ドキリドキリと鼓動が速まる。

 瞬間的に静寂に包まれた居間は、どこか昨日の静寂を想起させた。

 構えているのは僕だけではないようで、ルリ会長とアレンは顔がにこやかな笑みのまま能面のように固まっていた。ノアはアリスに密着して、アリスはポーカーフェイスで静観しつつも肩に力が入っているような気はした。リズは髪の毛で遊びだした。

 僕は立ったままで、サクラの横顔を見ていた。

 そのままであればよかったのだが、なかなかどうして。

 恐怖である。あるいは、畏怖である。

 サクラは僕の方を一番に見て、言うのだった。



「しるばーうぃーく、伸ばしておいたのじゃ」



 誰も微動だにしなくて、まるで沈黙という光景が具現化して目に見えているようだった。

 それはそうと、だ。

 七進法となんの関係があるのかわからないけれど、どうやら伸びたらしい。

 それは一体、僕のどの辺に書いてあるのだろう。伸びると言えば、身長だろうか。

「じゃから、十日間になるのじゃ。たぶん」

 なるほど、それは五進法ということになるだろうか。

 五進法と言えば、指。僕の指に書いてあったのか。なるほどなるほど。

「安心するのじゃ。時間はちゃんと五日間じゃ。十日分、ゆっくり時間が経つのじゃ」

 言われた途端、吸う空気が重くなった気がした。当然ながら呼気もそうなるので、居間に占める空気はたちまちに重量化していった。

 誰も言葉を発せないというのも、そのせいだとすれば合点がいく。

 ともすれば僕たちは、やはり、とんでもない場所に来てしまったことになる。

 五日が十日になる国とは一体どこなのだろうか。そういう言葉の綾ならまだしも、サクラにはそんな洒落たことをする生態はない。もっとストレートな自己表現をするはずだ。

 いやしかし、サクラの言う通りなのであれば、僕たちは現在進行形で歪曲時空を体感していることになる。逆に冗談なのであれば、僕たちは倍のシルバーウィークを謳歌させられてしまうことになる。

 まずい。このままでは、良識ある人間に戻れなくなってしまう。

 そう思って目を動かせば、見識の広いアレンもアリスもすっかり黙ってしまっていた。この重い空気にやられているようだった。

 思い切りのいいリズも、底力のあるノアも、頼れる生徒会長も、完全に固まっていた。

 サクラが軒昂と語るうち、僕は金縛りにも似た感覚に見舞われた。それなのに、しっかりと海は揺れていて、本当に時間がゆっくりになってしまったようだった。

 手遅れになる――その時だった。



 ぐぅぅぅぅ。



 風船と風船を擦り合わせたような、どこか間の抜けた音が鳴った。

 どこからともなく聞こえてきたそれは、居間中に蔓延した重空気を吸い込んでいくかのように良く響いた。余程、力の込められた音なのだろう。

 僕もつられて鳴りそう(・・・・)だった。


「よし。メシにしよう」



 満場一致の点頭から、何かの公式を閃きそうだった。



 

【あとがき】

 この間を感じていただければ、あなたもリゾートに行けます。



 次回は、ちょっとだけ胸がきゅって締まるお話を。

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