Ⅲ 僕の友達、飴と鞭。
昼休みになってすぐに職員室へと向かったので、教室に戻ってくると、緊張の抜けきった感じがよくわかった。
部活動の有無を確かめるべく厳格たる場所へ出向いていた僕は、時期と言い笑い声のボリュームと言い、その温度差に思わず笑ってしまいそうになる。
「あら。なんだか楽しそうね」
「ぉわあ! アリス、驚かさないでよ!」
教室の入り口で微笑していた僕の背後にいたのは、親友のアリスだった。いた、というよりかは出現した感じだったので、だいぶ心臓に悪かった。
仰々しく腕を組んで目を細めるあたり、通行の邪魔になっていたかもしれない。そう推測した僕は「ご、ごめん」と早々謝罪をして、窓際にある自分の席まで急いだ。
「それで? なんであんなにニヤニヤしていたのよ。あたしにもらったキーホルダーがそんなに嬉しかったのかしら?」
そう言えばアリスは僕の後ろの席だった。夏休みという長いブランクのおかげで、他人の席はさすがに曖昧になっていた。
数秒前に謝罪していたという関係上、アリスの問いに対する答えが著しく端的になってしまう。
「違うよ」
「即答なのね」
アリスが「はぁ……」と溜息をついて首を垂れると、さらさらのブロンドヘアーが不意に耳の後ろから降りてきて、ふわりふわりと宙を舞う。太陽の光を受けて輝きながら踊る毛先と、その憂いを帯びた表情の対称性がとても魅力的に見えて、目が離せなくなる。
「な、なによっ」
「プレゼント、すごく嬉しかったよ」
先刻の誤解を解くために放った言葉が、アリスの顔から憂いを奪っていく。対称性が消滅していくのと同時に、顔が赤らんできて今度は相称性に富む。
「こらっ。は、恥ずかしいからやめないさいよっ」
アリスは僕の頬を結構強く抓って、「それで――」と話題を戻す。
痛みのおかげで、僕の目にハートが宿ることはなかった。
「どうして嬉しそうだったのかしら。もしかして、部活が休みだったから、とかかしら?」
「ど、どうしてそれを……」
どうして、部活が休みだと僕の愉悦に繋がる、という今日限定の思考回路を把握しているかが聞きたかった。
けれど、質問に関してアリスはいつも同じ返答をするのだった。
「アリス情報網を舐めないことね」
そのブロンドには、勝ち誇った表情が一番よく似合っていた。
***
放課後になると、担当の場所の清掃をしてから部活動、というスケジュールがこの学校では自然、というか普通だった。
部活動に所属することが半分強制なので、学校の思い通りに動いているみたいで癪だ。別にこの学校が嫌いなわけじゃなく、言われたことを言われた通りにこなすと言う行為なら、からくり人形でもできるからだ。
「ねえ。リズはまだなのかしら」
「うん。日直の仕事だけだから、もう少しだと思うよ」
紆余曲折あって、アリスも僕の誕生会(仮)に来てくれることになった。そのために、待ち合わせ場所となっている中庭のベンチで一緒に待つことになった。
リズと二人で『遠い方』に行くことにわずかばかりの後ろめたさを感じていた僕にとって、この展開は嬉しい限りだ。
ただ、それよりも今は、アリスという人気者と二人で中庭にいることにハラハラ、ドキドキしていた。
アリスは所謂『完璧超人』というやつで、学校ではかなりの人気があるのだ。アリスの前の席の僕は、しょっちゅう「また告られたわ」とか「好きですとか言われたわ」とかそういう愚痴の様なものを聞かされているので、モテ具合の証人としての能力は申し分ないと思う。
中庭というオープンなフィールドにいると、東西南北すべての校舎から見られることになる。それは“見つけやすい”という理由で探す側にとっては好都合だけど、待つ側にとってみれば、“観察される昆虫の気持ちが痛いほどわかる”、自然相対的な不都合があった。
「アリス姫が中庭で日向ぼっこしてるぞ!」「本当だ! 姫様だ!」「いつ見ても可愛いよなー、姫はー」
「あ、アリス様がいるわ!」「今日も凛としていてカッコいいわね!」「素敵! でも、隣にいるのは誰かしら?」
校舎のあちこちから聞こえて、音を拾うのに耳が忙しい。中庭という箱の様な空間だと、音の反響が際立って、処理にも疲れる。
わかるのは、アリスの人気が性別不問であることぐらいか。やっぱり、アリスはすごい。
「アリスってさ――」
「結構、迷惑してるのよ」
「え?」
褒めようとした僕の言葉を遮って、アリスがさらりと断言する。
周囲に聞こえないようにとトーンの低くなった声に、僕は一種の恐怖を覚える。高所から下を見下ろした時の、足が竦む感じと似ている。
アリスは蒔いてしまった恐怖の種を拾っていくよう、追って言い添えた。
「『好きです』って言われるのは、別にいいのよ。好きでいてくれるのはとても嬉しいの。だけど、将来何人もの人と付き合うわけにはいかないじゃない?」
この国では重婚と同性婚が認められていない。優秀な家柄を継続する狙いなのか、近親婚は認められているけれど、当のアリスには兄弟がいない。
当然、一人の人を愛さなくてはいけないのだから、アリスの言うことには大いに理解がある。
納得の意を、首を縦に振って示すと、優しく柔らかな微笑みをくれた。
「最後には一人の人を選ばなくちゃいけないのよ。それで選ばれなかった人の気持ちを無下にするのはよくないでしょ?」
家柄の良いアリスは、お金目当てで求婚されることがよくあると言う話を以前に聞いた。
それが何を意味するのか、僕にはまったくわからなかったけど、アリスの真剣さは痛いほど伝わってきた。
「だからあたしは、あたしに告白してくる人たちに言いたいのよ」
短い言葉なのか、長い言葉なのか。平和なのか、それとも残酷なのか。そんなことがどうでもよくなるくらい、アリスの目には力があった。
僕は息を飲んで、ただただ聞くだけだ。しみじみと感想を言うつもりもなかった。
「あなたのことを好きな人もいるのよ? ってね」
その言葉はアリスにしか言えない、とても贅沢な言葉なのかもしれない。
けれど、そのレベルを僕たちのような平民に落としたとしてもきっと、同じく成り立つと思う。
自分の中を検索して見つかった『好き』という気持ちを、もう一度見つめ直したい。
〈僕の好きな人……。僕を好きな人……〉
何かを好きになる気持ちは確かに自由なのかもしれない。
でもそれが、俗に言う『恋愛』として成り立つためには、ある程度の正しさが必要になる。
正しさは、相手から一方的に浴びせられる理不尽ででもなければ、自ら発する合理性の無い身勝手でもない。
何人もの人がいる中で一人を選択する、ということはそれ以外を捨てることに等しいのだから。
進まなかった道は、二度と進めない。それが摂理。
だから、その気持ちには、絶対の価値が生まれる。
だからこそ、その告白の価値をもう一度考え直してほしい、ということなのではないだろうか。
「まぁ冗談だけど」
「アリス!」
ジョークにしては、暗い表情だなあと、僕は思った。
【あとがき】
人気者の友達を持つと辛い、とよく耳にしますが、本当でしょうか。
その人気の度合いにもよりますが、おこぼれくらいはいただける気がします。