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Ⅲ 何歳の夏、僕は生まれた?

【まえがき】

 姉妹姉弟が学校に来ると、すごい違和感を感じますよね。

 あんな感じの今章です。

 あと、ちょっと急展開も。



 どうぞ。




 

 



「名前なんて言うのー?」

「リズだよ」

「可愛いー!」

「ありがとー」

「あとで遊ぼうよー」

「うん。いいよ」

 教室に入るなりクラスの女子達に囲まれたリズは、暫くすると応対にも渋みが見え始めた。

 けれど、そこはやはりリズで、終始にこやかにしていた。年上相手であるにもかかわらず物怖じしない様子は、少しだけ僕の自慢であった。

「か、可愛すぎね?」「やばいな……」「誰だよ……」「俺、告るわもう」

 教室の後ろの方でも、何やら始まっていた。こっちは嬉しいやら、恐ろしいやら、複雑だ。

 まあそれでも、誰かが主役に名乗り出ると言う事は無く、主役は僕で決定になったわけだけれど。それはそれで嬉しいことだと思う。おそらく、僕が認められたと言うよりかは、家族だからやましいことは何もないと思われているだけなのだろうが。

 虚空を見つめて、一人、首をぶんぶん横に振る。

 〈いや、やましいことはないけれど〉と心中(しんちゅう)弁明しておかなければ、自分の気持ち的にも色々と負荷がかかってしまいそうだ。それに、何よりも友人の目が痛い。

 僕の肩をポンと叩いて優しい表情をした後、部活に行ってしまったアリスが、非常に――いや、非情に印象深かった。その後ろに隠れていたノアの赤面も、大分意味深だった。あれは、誤解を解くのに時間を要しそうだ。

 とはいえ、このままリズの包囲網を観察しているわけにもいかない。文化祭実行委員兼生徒会副会長という飾りのような大義名分もあるわけだから、少しは責任を果たすべきだろう。


「みんな! そろそろ練習始めよう!」


 クラスメイトの視線が一気に僕に集中する。その数に圧倒されていると、人込みから低い声が聞こえてくる。

「そうだな。役も決まってるわけだし、練習しないとさすがにまずいよな」

「そうだねー」「やろっかー」「合同文化祭で失敗したら、またあの学校と比べられちゃうからね」

 続いて二、三名の女子が口を開いた。そちらの方は、見覚えがあった。

 球技大会の試合中も、終始場の雰囲気を盛り上げてくれていたムードメーカーのグループだ。

 最初に発言した男子含め、彼女たちは、クラスの中での立ち位置としてはかなり上に部類する。なので、彼女たちが何か始めれば、クラスはそれを真似、ついていく。

 副会長としては少し悔しいけれど、それがこのクラスの良い形だとも思える。

 それに、ムードメーカーグループの中の一人の女子とは、球技大会以来それなりに親しかったから、悪い気はしない。試合終了後に呼び出されて、それから、”友達”になったのだ。

「それじゃ、どこからやるー?」「リズちゃんも来たわけだし、さっそくキスシーンを……」「自重しろ」「最初からでいんじゃね?」

「最初だと、あたしら出番なくない?」「そうだねー」「じゃあ、皆出始めるあたりからがいいよね」「そうすると、あの辺かなー」

 ムードメーカーグループの会話を皮切りに、クラスが活気づき始める。

 あまり話をしない人も話に混ざって、強面で敬遠されていた人も楽しそうに談笑していた。

 何だろうか。

 ますます、僕を小さく感じてしまう。


「ふぅっ」


「ぁん……っ!? って、サクラ!?」

 急に、耳にこそばゆい強風が吹いたので、つられて変な声が飛び出た。向かい風の方を向いてみれば、紅茶髪の少女が口をすぼめて笑っているではないか。顔と首筋が熱くなる。

 何か、家から大きな家具が無くなったような違和感はしていたが、サクラがいなかったからだったようだ。あると便利だけど場所をとって、ないと見晴らしはいいけど不便、という感じ。

 今まで一体どこで息を潜めていたのだろうか。

「やっぱり良い反応するのう」

「びっくりするからやめてよ……。というかサクラ、今までどこに行ってたの?」

「いや、ちょいと盗聴器をな」

「と、盗聴器?」

 何かの隠語だろうか。文化祭とは無縁だし悪い予感しかしないので、触れないでおく。

「それよりサクラ。これから練習やるから、暫くどこにもいかないでね」

「わかったのじゃ。けど、わしが王様役というのは、未だに納得いかんのじゃ」

 サクラは目を細めながらそう言うが、準備運動に肩を回す様は満更でもなさそうだった。

 というのも、クラスメイトからの精力的な推薦があったからだろう。

 国王イコール黒幕というブラフを掲示しておいて、最後は結局のところ黒ローブの魔女が主犯格であると言う結末で、国王は物語が終わるまで何も知らない。怪しい匂いを漂わせておきながら、本当は何も知らないという間の抜けた設定が、皆どこかしっくり来たらしかった。

「ん? お主、今良くない事を考えておったじゃろ」

「そ、そんなことないよ。さぁ、サクラは髭を付けて待ってて」

「ふぅん……」

 サクラはポケットから付け髭を取り出すと、ものぐさに鼻の下に白い毛玉を生やした。満たされた仏頂面で大人しくしている様は、まさに無害の王様だった。

 王様が話すと、その度に白髭が揺れて滑稽だ。

「というか、誰も衣装なぞ着ておらんではないか。なんでわしだけ付けんといかんのじゃ」

 苦言を呈してはいるが、以前、付け髭をした姿を「可愛い」と褒められたからか、語勢は本気ではない。サクラは案外、褒め言葉に弱かったりする。

「でも、似合ってると思うよ。僕も」

「そ、そうかのう。ん、まぁ、るーとがそう言うなら、付けといてやるのじゃ」

 ご満悦の王様は、また不満を繕ってクラスメイトたちの輪の中に消えて行った。「ふぉっふぉっふぉ」とか「ぬはははっ」とか色々と、それらしいセリフが聞こえ始めた。

 暫くすると、サクラの周りには人だかりができていた。

「サクラって本当すごいなぁ……」

 周囲を期待させる魅力と、それに応えられるだけの力を持っているのだ。言い換えれば、サクラは相手が誰であっても、自分を輝かせるための材料にできてしまうということだろうか。それは、相手の良い所をいち早く察知できると言う事でもあるわけだ。

 僕にそれが無いかと言えば、極微ではあるものの皆無ではない。

 けれど、それ以前の問題なのだと思う。

『人間、誰もが磨けば光る原石だ』とは昔からよく言われるけれど、僕の場合は、磨いても仕方がない曇り硝子(ガラス)なのだから。


「ルー」


「わっ! ……なんだ、リズか」

「何それ。失礼かも」

 アカデミーの教室にリズがいるという事実に加えて、昨日久しぶりに二人で眠ったということもあったから、会話する時の緊張が倍増する。ダイニングのソファとは言え、密着していたし、何やら、聞かれていたらひっくり返りそうな恥ずかしいことを言い放った覚えもある。

 視線は当然のように窓の外へと逃避して、積乱雲の大きさなどという非常にどうでもいい情報が、余計に頭に雪崩れ込んできた。ちなみに、結構大きいと思う。

「……ま、いいや。それよりもさ、衣装ってどんな感じなの?」

「あ。衣装はね、毎年劇で使ってる物が倉庫にあったから、それをリメイクして使う予定」

「どんな感じなの? 派手? 地味?」

「結構派手かな。だから、劇の雰囲気に合わせて、少し大人しめに作るよ」

「え? ルーがやるの?」

「ま、まぁ。うん……」

「手伝う?」

「あ、うん。お願いしたいかな」

「わかった。じゃ、早く練習やっちゃお」

 僕は二度頷いていた。過剰な一回は、〈リズと話すのっていつもこんな感じだよね……?〉と、自分に。

 リズも続いて頷くと、僕が立っていたところの一番近くの席に座った。アリスの席だ。

 リズの視線は黒板の方を捉えたり、クラスメイトの誰かを目で追ったりしていた。不安そうな様子はなく、逆に楽しんでいる様子だった。

 僕は、黒板の上の時計を見て一人、不安になった。

 ちょうど二十秒後に、短針が十四時を指しそうだった。予定では、セリフ合わせが終わっている時刻だ。

 もし僕がシンデレラだったら、それはもう色々と手遅れだっただろう。



     ***



「だいたい形になってきたね」

 夕焼けが教室の壁の色をオレンジに塗り替え、それがそのまま大炎上のシーンのセットのようだった。けれど、セットを用意して練習するには、まだ早いということを実感しただけというのが実情だ。

 早いと言えば時間経過で、練習に打ち込んでいるとやけに時間は早く進んだ。

 ただ、詰め込んだ感は否めないにせよ、今日できることはできたし、有意義であったと思える。

 途中、家の用事があるからという理由で十名ほど帰宅してしまったから完璧だとは言い難いが、それなりにやれたのではないだろうか。

 クラスメイトのうち元気がある人達は、そんな僕の言葉に同意してくれていた。

 皆、形になってきたと言う自覚が出てくると、何かを演じる羞恥心も無くなっていくようで、少しばかり演技に熱が入っている人も見受けられた。町民Cが白熱の演技をしだした時はさすがにどうかと思ったが、場は和んだわけだし、それはそれで良かった。

 時計の針は、ちょうど十九時を指している。

 今は、談笑と反省を半々、各々でしていた。

 グループごとに別々の話をしているようではあったが、一部の話題が揃うと自然に全員が輪になって話すようになっていた。

 生徒会副会長であり劇の脚本を書いた人間でもあった僕は、取りまとめ役としてその光景を傍から見て、愉悦にどっぷりと浸っていた。

「あんた今、凄い顔してるわよ」

「えっ!? あ、アリスっ。おかえり!」

「ノアもいるよ」

「お、おかえりノアさん」

 自分の席に座っていたから、後ろ側のドアから教室に入ってきた二人に気が付かなかった。というよりかは、浮かれていて周囲の状況把握が疎かになっていただけか。

 アリスは僕の隣のサクラの席に腰を落ち着けると、クラスをぐるりと見渡す。ノアはいつも通り自分の席に着いて、きょろきょろするアリスを見ていた。目の前にアリスが座っている珍しい光景を堪能しているのだろう。

「相変わらず大人気ね。あの子は」

「うん。そうだね」

 黒板前の教卓の周りにできた人だかりを指差して、アリスは小さく笑う。

 正直なところ、笑っていられる状況でもないから、返した笑みには苦みが混じってしまう。

 アリスがそれを見逃すはずも無く。

「複雑そうな顔ね」

「ま、まぁ、そりゃね。誰かに変な事されたりしないかは、不安だけど」

「ふふっ。いっそのこと『リズは俺のものだ。触れたら殺す』くらい言ってみれば?」

「なっ!? そんなこと言えるわけないって……!」

 そんな僕の心配を、アリスは鼻で笑ってくれる。そこまで割り切られると、僕の方もかえって清々しい。ネチネチと陰で笑われるより、百倍マシだ。

「でも言いたい、と」

「そ、そんなんじゃないって!」

「ルート、汗すごい……」

「ち、違うよ! そう! これは涙! 涙だから!」

「ルート、泣いてるの……? ノア、相談、乗るよ……?」

「あ、ありがとう……! ああ、泣きたくなってきた……」

 アリスが声を殺して笑い出したあたりで、途中からずっと行方不明だったサクラが教室に帰ってきた。今度は前のドアから入ってきたので、すぐに気付けた。

「練習、終わったんじゃな」

 サクラは自分の席がアリスに占領されているのを一瞥してから、僕の机に凭れるようにしゃがみ込んだ。ふわりと木の香が漂ってくる。

「もしかしてサクラ、昼寝してた?」

「うむ。眠かったから寝てたんじゃ」

 悪びれる様子など全くなく、然も当然のことのように頷いた。そうまでされると叱る気も起きない。アリスと言いサクラと言い、色々と割り切り過ぎではないだろうか。

 少し強気に尋ねる。暖簾に腕押しというやつかもしれないが。

「まだ一回しか練習してないけど、大丈夫なの?」

「余裕じゃ。まだ時間はあるのじゃ」

「その余裕は一体どこから来るのよ」

「ぽてんしゃる、じゃな」

 小胸を叩いて、サクラは言った。ポテンシャルを直訳すれば、この場合はきっと、魔法のことになるのだろうけれど、サクラが諭したいことは別にありそうだ。

 誇らしげに胸を張るサクラは、色々小さかった。

 あはは、と社交辞令を交えていると、後ろの席から不安が飛んできた。

「ノア、自信ないかも……」

「あ。そうだよね……」

 それもそのはずだ。部活で練習に参加できていないアリスやノアからすれば、サクラの不真面目な一回も笑ってはいられないのだ。サクラは何故か笑っているのだけれど。

「それなら、今からやればよいじゃろ」

「え? いいの?」

 ノアはわりと乗り気に目を大きくしていた。ノアの瞳は、物欲しそうな子犬のようにアリスと僕とを行ったり来たりしている。演技の練習という名目で合法的に、魔女アリスに頭を撫でてもらえるからだろうか。いや、それくらい合法だけど。

 一方、目配せされた魔女アリスはと言えば、「はぁぁ」と大きな溜息を前提して、怠そうに一蹴するのだった。

「そんなのいいわよ、めんどくさいから」

「え……。ノア、自信……ない…………」

 賛同を得られなくて余程ショックだったのか、演技の練習ができなそうで落胆しているのか、ノアは泣きそうな震え声でそう言って俯いてしまった。

 まるでそうなることがわかっていたかのように、アリスはノアの頭を優しく撫でた。ノアが俯くと、ちょうどいい角度になるというのがまた、計算されているように美しかった。アリスなら感覚を共有していなくてもやってのけそうだけれど。

「大丈夫よノア。あなたが出るところは、首謀のあたしと話してる場面だけなんだから、家でも練習できるわ」

「あ。そっか……」

 安心するやらがっかりするやら、ノアは微妙な表情をしていた。

 出会った頃よりも遥かに表情が豊かになって、魅力も増している。情報通の会長から聞いた話によると、『小さくて黒髪の一年生』には隠れファンがいるのだとか。

 それを聞いて以来、僕は簡単にノアの頭を撫でられなくなった。アリスほどの人物ならまだしも、僕はファンを敵に回したら勝てそうもないから。

 逆に、アリスに撫でられるノアを見ていると落ち着いたりするけれど。

 そういうわけで、僕は満足だったりするわけなのだが、皆が皆そうだとは限らない。

「えぇー、やるのじゃー。見たいのじゃー」

 サクラが僕の机の上に顔を擦りつけて、駄々をこね始めた。思ったことをすぐ口に出す忌憚の無さはいつも通りだけれど、今日はイマイチ合理性欠ける。大方まだ眠いのだろう。

 振り乱れるサクラの髪の毛を直そうと手を伸ばそうとすると、それよりも先に、アリスがサクラの頭をがっしりと鷲掴みにした。

「いたっ。痛いのじゃぁ……。やめるのじゃー!」

「あんまり騒がないでくれるかしら」

「べ、別に騒いでないのじゃ。……くぅっ! お主、握力どんだけあるんじゃ……。まるで……」

「まるで、なにかしら?」

「ゴリっ、()い!! 割れるのじゃぁ!! ああああああ!!」

 僕の机の上では、紅茶色の毛玉がすらりとした剛腕と格闘していた。

 止めるべきか迷っていると、クラスメイトに取り囲まれていたリズが戻ってきた。

「ねぇルー。……って、あー! アリスお姉ちゃんが何か楽しそうなことしてるー」

「別に楽しくわないわよ。こんなの」

「そうなの? じゃ、いいや……って、あれっ? その人、ルーじゃないの? 似てる人?」

 アリスにいじられるのは確かに、僕の役割のような雰囲気はあったけれど、紅茶色の毛玉に間違われるとはなかなか心外だ。

 僕と間違えられたその毛玉は、「違うのじゃぁ……」と呻いていた。

「のじゃ? なにそれ?」

「この毛玉の口癖よ。そして、この毛玉は鷲掴みにされると喜ぶという特性があるわ」

「て、適当言うでないっ」

「あら。本当のことじゃない。おまけにビンタが大好物なのよね」

 いくらなんでも、それは詰め込み過ぎだと思う。

 そうやって平然と虚偽を吹聴する時のアリスの顔はいつも、酷く笑顔だったりする。

「ふぅん……。そういう人なんだぁ……。えっと、桜さん……だっけ?」

 リズは赤い毛玉を見下ろして、少し残念がって言った。

 毛玉は、遂に手を出してアリスの腕に抵抗しながら苦言を呈していた。

「ご、誤解じゃぞ小娘。んんー……っ!! 顔が見えん! これ、ありすっ! いい加減やめんかっ!」

「はいはい。わかったわよ。そろそろ蒸れてきたし、離すわ」

 そうしてサクラが顔を上げれば、リズと初対面と言う事になるだろう。なんとも喜劇的な初対面だ。加えて、乱れに乱れたぼさぼさ髪であったが、サクラにとってはさしたる問題ではないだろうか。

 オープンな性格を極めたサクラとアイドル的存在のリズであるから、自己紹介は不要になる。

「お主……」

「なにー?」

 一度目を合わせたかと思えば、二人とも何かに頷いて、すぐに話し始めた。軽い会釈なのかもしれないけれど、僕にしてみれば、二人の間に何か通ずるものがあったのだと思えた。

 サクラとリズが対面していると、どことなく雰囲気が近いことがわかる。

 サクラは奇天烈だから印象浅く感じてしまうけれど、快活で穏やかな物腰。それを自分でわかっているかのように、髪の毛は長めのショートで赤みを帯びた茶で、人の目を引き付ける力もある。それでいて服装に乱れはないから掴みどころを失う。そこから一度声を発してしまえば、すべてが吹き飛んで、それは『サクラ』という無二の存在に変貌するのだ。

 それはリズも似ていて、リズが一声発すると、やはり『リズ』という無二の存在になる。一目見ただけでは、抜け目のない可憐な女の子というくらいにしかわからないだろう。

 うちに秘めている太陽のような温かさというか、柔らかい部分が、よく似ているのかもしれない。

 サクラの第一印象が『妹に似ている』だったから、やっぱりなと納得できる。

 一つだけ違いを挙げるとするなら、受動的か能動的か。それくらいだろう。

 先に近づいたのは、紅茶色の太陽だった。

「お主、誰かに似ておるな……」

「ルーじゃないかな。私、妹だから」

「むふふっ。そうかそうか」

 サクラは、にやけながらこちらに視線を飛ばしてくる。

 嫌な予感しかしないけれど、「どうしたの?」と聞いてみれば、俄かに毛玉にしてやりたくなった。

「るー、か……。ぬふっ」

 どきりとして周囲を見渡したが、誰も聞いていないようだった。一息ついてから、声を抑えてリズに訴えた。

「リ、リズっ! 学校では、あんまり言わないでって……」

「私の学校、ここじゃないもんねー」

「うっ。そうだった……」

 こういう時、リズは変に鋭い。

「のう、るー。わしもるーって呼んでよいか?」

「ノアも……」

「ノアさんまでっ!? 恥ずかしいから、や、やめて……!」

「あほらしいわね」

 その後、「はははは」と一笑あって、話は落ち着いたけれど、どこまでが笑える冗談なのか微妙だった。

 それから次の話題が出るまで、そう長くはかからなかった。似たような話を続けるのがあまり好きではないリズがいると、アリスにいじられ続けなくて済む。

「そうそう。私はルーに聞きたいことがあったんだよ」

「僕に?」

 そう言えば、リズがこちらに来る時に、僕の名前を呼んでいたような。

「どうしたの?」と尋ねてみれば、リズは意気揚々ととんでもないことを提案してくれた。


「私、歌なんてどうかなって思ったの」


「えっ? 歌?」

 さすがに驚きを隠せない。

 シンデレラと白雪姫を足して二で割ったような話のどこに、歌要素があるのだろうか。

 首を傾げていると、リズがものぐさながらに説明し始めた。

「そう。歌。んと……最後のさ、私とルーが抱き合うシーンあるでしょ」

「へぁ、うんっ、そう。だ、抱き合うねっ!」

 思わず舌を噛んで、言葉に詰まる。危うく、色々と良くないものを噴き出してしまうところだった。僕が妥協に妥協を重ねて書いた脚本ではあるけれど、リズがそれを言うのは少しばかり刺激が強い。

 噛んだ舌の傷の深さを口の中で密かに確かめつつ、その痛みで正気を保つことにする。

「その後、エンディングのための場面転換があるでしょ」

「うん。あるね」

「場面転換してる間を語りで繋ぐんでしょ」

「うん。そうだよ」

 いくら照明を落とすとは言え、セットの搬出は多少のノイズが出る。それをカモフラージュする意味合いというのが大きい。薄らと転換の様子が見えてしまうのもいただけないので、暗幕も垂らすことにした。確かに、何も見えず何も聞こえない空間という演出も無くはないが、客層が広いのでできるだけ万人受けする方を選択したいのはあった。

 そうすると、なるほど。

 その間を、語りではなく歌で埋めると言う事か。

 なるほど、という表情していたのだろう、リズが途中で話を区切って「あ。わかった?」と聞いてきた。

「大体、何となくね。でもそれだと、暗幕垂らすのは不自然かもね」

「無くていいんじゃないかな。暗幕」

「それだと、セットを片付けてるのが薄っすら見えちゃうんだ」

「逆に見えた方が良くない? 段々、場所が変わっていく感じとか出るかもだし」

「あ。なるほど」

 これは二人でする話ではないなと思って周りを見てみれば、クラスメイト達は僕たちの話を聞いているようだった。

 それもそのはず。さっきも、男子が「あの子の歌声を聞けるぞ!」などと大喜びしていた。おかげで傾聴の呼びかけをする手間が省けた。

 顔色を伺った限りでは、反対意見は無さそうだった。むしろ賛同の方が多かった。

 はっきり言ってしまえば、僕的には気乗りしないけれど、リズの言うことにも確かに一理ある。語りを入れる部分は、最後まで悩んだ挙句に消去法で選んだものだったし、繋ぎとしてのエッセンスくらいに考えていたが、見直すべきかもしれない。

 しかし、やりたいやりたくない以前に、練習する時間があるのかという問題がある。このクラスだけでやるならまだしも、劇は学年単位でやるものなのだから。

「そうすると、劇の練習は少なくともあと一週間くらいで完璧にしておかないと。歌の方にまで手が回らないかもしれないよね」

 自問自答してみるも、答えは僕より先にリズが出した。

「うーん。まぁ、何とかなるでしょ!」

 論拠こそ無いけれど、そんなことをリズが呼びかけたら、本当に何とかなってしまいそうだった。学年全体の士気を上げるくらい、リズならやってのけそうだ。サクラも乗り気なようだし、心強い。

 そうなると、問題はぐんと少なくなる。

「歌は何を歌えばいいんだろう。作曲とか、さすがに僕には無理だし……」

「それなら大丈夫だよ! アリスお姉ちゃんが作れると思うんだ!」

「はぁっ?」

 不機嫌そうな疑問符に、教室にいた誰もが固唾を飲んだ。

 それを和らげるように、リズは物腰柔らかく下手に言った。

「アリスお姉ちゃんって、すごくピアノが上手なんだ。だから、できないかなぁ……って」

「弾くのと作るのでは勝手が違うわ。それに、歌詞なんて作れないわよ、あたし」

「それは私とルーが考えるけど……。やっぱり難しいかなぁ……」

 〈僕なの!?〉とびっくりしたけれど、僕に断る理由はない。逆に断る理由のあるアリスは、リズに上目遣いをされてとても迷惑そうな表情をしている。リズを煙たがっていると言うよりは、クラスメイト達の視線を気にしているのだろう。

 暫く、皆でアイコンタクトをとる時間があって、それから直にアリスの深い溜息が教室に響き渡った。

「はぁぁ……。わかったわよ。やるだけやってみるわ。適当に……」

「やった! ありがとー! アリスお姉ちゃん!」

 抱きつかれたアリスは面倒そうにしていたが、クラスメイトは湧いていた。ただ、アリスも温度差があるかと言えばそうでもなく、満更でもない様子だった。

 その中で、一人だけ氷点下を誇っていた人物がいたけれど。

「歌詞、ノアやるから……。アリスと……」

 小さな声だったが、とても透き通っていて良く通った。リズの耳にも届いたようだ。

「えと……ノ、ノ、ノ……ノア……じゃなくて、ノエルさん!」

「ノアっ! あっ……。ノア……、です」

 ノアがむきになって声を張るところを初めて見た気がする。大きな声を出しても、鈴の音のような声は全く濁らなかった。雑味が無いと言うか、無駄な響きが全くない感じか。わざわざ怒らせてすらその声を聞きたくなるようだ。ノアを見ているといたたまれなくてそんなことはできそうもないし、何よりもアリスに怒られそうだから、やりはしないけれど。

「そう。ノアさんだ! 歌詞、やってくれるの?」

「あ、うん……。やる……」

「そっかー。ありがと!」

「うん……」

 相性が良いのか悪いのか、ノアは委縮してどんどん小さくなっていく。やはり、ノアにとっての光はアリスだけなのかもしれない。初対面で話ができたのはノアの成長もあるし、リズの人当たりの良さもあるだろう。見ていて微笑ましかった。

「それじゃルー。あとは何かある?」

「そうだなぁ……」

 そうか。

 これで、僕が歌わなくてもいい理由は無くなってしまったわけか。

 主役二人が歌わないと言う展開であれば、農家たちの牧歌で十分成り立つが、今回は訳が違う。クライマックスのシーンの後、エンディングに向かって、主役二人が城を飛び出して旅に出るという壮大な展開だ。

 合唱にするにしろ、当然、主役は歌うべき存在なのだろう。もはや、独唱でも成り立ってしまうくらいだ。

 歌にすると言い出したのも主役を担うリズでああるわけだし、主役が歌わない手はもうないと言っても過言ではない。

 けれど、僕はできれば歌いたくはない。というより、歌えない。歌っていいのか、わからない。どうして僕が歌うのか、意味が解らない。僕が歌って、誰かが喜ぶというのだろうか。僕だけが、傷つくのではないだろうか。

 誰だって損得を考えて役を演じているわけではない。

 けれど、この劇の主人公は僕だ。僕が作り出した”僕”なのだ。

 その”僕”が僕であると言う事を、本当に僕が歌ってもいいのだろうか。

 いや、いいはずなんてない。

「ありえ、ない……」

 本当のお姫様ではないリズが僕にとるお姫様であるように、リズにとる”僕”は本当の僕であってはならないのだ。

 そう。『間違っている』のだ。

 でも、そんな矛盾した持論を持っている限り――リズがそれを認めていてくれる限り、僕は、僕と”僕”との狭間を彷徨うことを許可される。不当と正当の判決を、際限なく遅らせることが可能になる。

 今までずっとそうしてきたのだ。”あの時”から、ずっと。

 だから、僕は歌えない。歌わない。歌う事から、逃げたい。

 それはきっと、自分の気持ちに目を背けることにはならない。

「ルー?」

 ああ。

「な、なんでもないよ。こっちの話」

 ああ。何でもなくない。

 お姫様から、逃げたい。



 

【あとがき】

 文化祭って、準備してる時が一番楽しいんですよね。

 やってる時は色々忙しくてあまり楽しくなかったりで。

 でも、それも総じて文化祭。

 みんな、あの面倒ごとに向かっていろいろめんどくさい準備をせかせか楽しむわけです。みんな根はマゾなんでしょうかね。わたしはちょっかいを出してその邪魔をするのが好きですね。

「邪魔ばっかしてないで手伝え」って、どこの変態ですかね。



 それでは、文化祭の完成まで何悶着か有りそうですが、みんなで待ちましょう。

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