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Ⅱ 彼女が、夜更かししていたら。

【まえがき】

 結構ラブコメラブコメしてる話が多いですね。今章は。


 どうぞ。




 

  


「た、大変そうだね。部活」

 年上であるわけだし、僕が切り出さなければと思った。

 とっさに動いた口は、割に相手の服装の乱れをしっかり洞察していた。

 リズは昔からこういうずぼらなところがあるから、見てくれる人がいないとだらしがなくなるのだ。前はアリスがいたからちゃんとしていたようだったけれど。

「そうだよ。アリスお姉ちゃんもいないし、全然つまんなーい」

 リズはそう言いながら、シャツの襟をつまんで換気する。

 馴染み深い石鹸の香りが漂ってきて、少しだけ懐かしくなる。同時に妄想が拡大していくのも、紛う事なき事実。

 いつもと何かが違っていて、でもそれが必然に僕の心を掴む。僕は、そんな汗ばんだような甘酸っぱい香りがすごく好きになってしまった。

 内心、〈もっと気温上がれば〉などと邪心を抱きつつも、歩き慣れた道を歩き慣れた人と歩いた。

「…………」

「…………」

 間がもたなかった。

 二人が別々の制服を着て、この見慣れた帰宅道を歩くと言うのは、何とも形容しがたい感情になる。少なくとも、変わったことを実感しているのは僕だろうから、リズはそんな感情を抱いてはいないのかもしれないが。

 それでも、沈黙に沈黙で答えるのは、何ともリズらしくなかった。どうやら、何かしらの異変を感じ取っているのだと思う。雰囲気の変化とでも言うのだろうか。

 この道を歩く時に、今までどんな話をしていたのか、全く思い出せない。

 若干、息苦しくなってくるが、日中に温められた地面から出てくる放射熱のせいだと思いたい。

 暫くの間、会話が無かった。

 その間のもどかしさを一気に解放するかのように、突然、リズが僕の左腕にしがみついてきた。リズは少しばかり震えていて、心なしか体温が高かった。

「えっ? ど、どうかしたの?」

「な、なんでもないからっ。気にしないで! うん!」

 気にせざるを得ないぞと周囲を見渡せば、目前に竹藪があった。

 私有の藪に道路を敷設したという経緯があって登下校の道になっているけれど、本数もさることながらかなりの背丈があって、本格的な藪となっていた。

 ここ数年でこうなったというわけは無くて、記憶をエレメンタリーより前に遡れば、小さな竹林がそこにある。振り返ると、僕たちと一緒に育ったような感じがして、僕はこの場所が結構好きだったりする。

 夕方という時間帯も相俟って、藪の中はほとんど真っ暗だった。進むほど暗くなっていくので、目が慣れるのに時間は必要ないが、どこからどこまでが舗装されているのかは注視しないとわからないレベルだった。

 そうやって成長する度に藪は暗くなっていくけれど、僕たちは果たしてどうだろうか。

「リ、リズ……」

「どうしたの、ルー」

「腕、ちょっと痛いかも……」

「大丈夫大丈夫! 気のせいだよっ!」

「あっ……。そんなに強く掴まないで……っ!」

 リズはこういう暗がりだとか暗所全般に苦手意識を持っていた。そして僕は、下心を隠すのが下手くそだった。

 二人ともあまり成長していないようだ。

 暗くないだけマシなのかもしれないけれど、それとなく気恥ずかしく思う。

「…………」

「…………」

 また、沈黙が訪れた。

 でも今度は、ぎゃあぎゃあというような鳥か何かの鳴き声が聞こえるから、変に息苦しくはなかった。

 いくら規模が大きいとは言っても、竹藪は五分歩けば抜けられる。

 息苦しくない闇の中にいるうちに、布石をうっておきたかった。

 鎮まらない鼓動を隠すように深呼吸して、それから口を開いた。


「そっ」


 息を吸って吐いたら、また吸わなければいけないことを忘れた。肺に残っていた酸素の残量は、その一文字だけを告げて藪に消えて行った。

 次の言葉を紡ぐための充填は、リズの返しに追いつかなかった。

「そ?」

 せっかく息苦しくなかったというのに、勝手に息苦しくなる。

 吸って吐いての循環を誤らないように、一拍二拍おこうと思ったが、リズの心配は休符を挟まずやってきた。

「そば? そば食べたいの?」

「あ、いや……うん……」

 この状況で、唐突にそばが食べたい発言をするなんてどんなひねくれだろうと、心の中でツッコむ。脈絡が無さすぎて面白かった。リズがそれを言うと、可愛らしく感じてしまうけど。

「ルーって、ほんとそういう変なの、好きだよね」

「す、好きだけど……」

 〈まぁいっか〉と内心諦めて沈黙を呼び込もうとすると、勘付いたのか、リズが会話を続ける。

「うそうそ。冗談だよ。ほんとはなんて言おうとしたの? もしかして、添い寝してくれー、とか?」

「いや、違うよ!」

 そんなこと、大いにして欲しいけれども。

「なんか、真っ向から否定されると傷つくなぁ」

「でも、本当に違ってなくても違くないとは言えないし……。それに、あんまり正しくないかもってさ……」


 〈だけど、これが『間違っている』のかもしれないから〉


 そんなことを思ったりもして。

 そういう僕の疑心暗鬼をかき消すのは、いつも周囲の人の勢いだったりもして。

「ま、まぁそうだけど……。ふふっ! ルーってわかりやすいよね!」

「そ、そうかな……。リズだって、言いながらドキドキしてるよね」

「はっ。してないよ。してない。そんなの、暗いからちょっと興奮してるだけだって」

 そうやって左腕に密着しているせいで、鼓動がダイレクトに伝わってきていた。

 添い寝だとか、好きだとか、息苦しい沈黙だとか、僕の心臓が高鳴ると、その度にリズの拍動も早まった。その逆に、リズの脈拍が早くなれば、僕の鼓動も早くなっている気がした。順番を見いだせる程冷静になれないし、距離が距離だけに混同する。そんな同期が心地よくもあるのだけれど。

 道端から何か小動物でも飛び出してこないかな、などと少しだけ期待しながら歩く。もしそんなことが起これば、二人して高揚してどうにかなってしまいそうだ。

 スキップしたくなる気持ちを抑えると、今度は顔がニヤけそうだった。

「あ。ルー、なんか邪な事考えてるでしょ」

「別に考えてないよっ!」

「ニヤけてるよー? あ。さっきの、添い寝とか想像してたんでしょ?」

「し、してないよっ!」

「でも、してみたいでしょー?」

「してみ……って、こらっ」

「あはははは!」

 何だか、この軽快なやり取りが懐かしく感じた。

 真っ暗な竹藪にいるからなのか、懐かしく感じる程にリズとの時間が無かったのか、はたまた両方なのか、わからない。わからないけれど、それでよかった。

 僕の中にあった感情が、一切変わっていなかったことを少しだけ誇りに思えたから。

 沈黙の竹藪を抜けると、自然とリズが離れた。

 代わりにやってきた涼しさを、空しさと勘違いする前に。


 ――今度は僕から。


 そう言わんばかりに、僕は口を開いた。

「あ、あのさ。リズ」

「ん? なに?」

 僕が思う主役(ヒロイン)は、そこにいたのだ。

 ずっと昔から。隣に。



「劇とか、興味ある?」



     ****



 感想を交えた近況を延々――つもる話、と僕たち若人が言っていいのか怪しいが、そういう話を家に着くまでしていた。

 家に着いてからは、いつも通りに夕飯を食べて、いつも通りにリズの後に入浴して、いつも通りに居間で夕涼みをして、いつも通りに自室に帰った。驚くほど、自分の中にある『いつも通り』が変わっていなくて、ちょっと笑えた。

 このところ、生徒会で僕が遅かったり、大会でリズが遅かったりで、同じ空間にいられる時間があまりなかった。そのせいで、どこか”家”とか“家族”という当たり前の枠組みが有耶無耶に、希薄になりつつあったのだ。

 それで今日漸く、安心できた。

 こういう時間もたまには必要だなと、部屋でゆっくりと深い呼吸をしながら、しみじみ感じた。久々に、布団がフカフカだとも思えた。毎週末干しているのは知っているけれど、それをこうして体感している暇がなかったのだ。

 リズがいると、どこか心にゆとりができる気がする。

 でも、あまりに近すぎてもいいものではないのだ。

 妹とはいえ、心底愛おしくて緊張してしまい、いつも通りではいられなくなるからだ。

 そう思うと、俄かに背中が汗ばむのだ。

 夏だからという建前は、数週間後に控えた劇が形になっていくごとに、風化して薄っぺらくなっていくことだろう。そうしてすっかり浮き彫りになれば、後に残るのは劇のラストを飾るあのシーンか。

 サクラが言うようなことを僕が進んでやるつもりはないけれど、吹き込まれたリズが積極的な姿勢をとれば、やらなくてはいけなくなる気がしないでもない。「しようよ」と言われればするけれど、「してよ」と言われたら躊躇う。そこがあやふやなのは、僕自身の気持ちが整理しきれていないからに他ならない。

 やはり、リズに主役を任せようという試みはよくないだろうか。生徒会的にも。いや、学校的にも。もはや、世間的にも。そして、僕的にも。

 でも、リズはオーケーしてくれた。

 何をやっても飲み込みは早いし、機転も利く。要領もいいから、台本だってすぐ覚えられてしまうだろう。エレメンタリーの頃、発表会か何かで主役を演じていたこともあった。なにより、街の有名人であるリズなら、主役にも相応しいと思う。

 ただ、大事なのはそこではなかった。


 〈本当に、僕が主役でいいのか?〉


 主役という枠組みに収まりきらない魅力をもっているリズなら、確かにステージ上でも映えるだろう。つまりそれは、対をなす役割である僕も、同じだけ輝かなければ劇は成り立たなくなると言う事にもなり得る。

 だから、互いが互いを引き立て合っているアリスとノアを主役に抜擢したのだから。

 では、僕はリズを引き立てることができるのだろうか。『好き』などという漠然とした感情だけで、僕はリズに何かを伝えることができるのだろうか。そして、リズはそれに応えてくれるだろうか。

 それはまるで、キスをする前の、告白を、しているようではないか。

 息がつまる。

 肺に溜まった空気は、いやに太陽の匂いがした。こういう時ばかりは、サクラの生き方が羨ましくなる。

 こういう時、サクラだったらどうしてしまうだろう。

 アカデミー生になって新しい視点を手にした僕は、一人でそんなことを想像した。

 それは、それは、空しかった。空しくてどうしようもなかった。

 こんな気持ちになる時は、決まって昔の夢を見る。

 初めは空を飛んでいる。着地の方法を覚えて地上に降りられるようになると、僕はヒーローになった。空の飛び方を忘れなかったおかげだ。暫くは、誰しもが僕を称える。翼があれば、困っている人を助けたりできるからだ。しかし、また暫くすると、金縛りでもないのに身動きが取れなくなって、色々な人にもみくちゃにされてしまう。今まで優しく接してくれていた人たちが、僕の翼を()いで、最後には丸めて捨てられてしまうのだ。

 僕にしかわからない、皮肉な夢だった。

 やはり、夏の夜に良い思い出など無い。眠るに眠れないではないか。

 ならば。



     ***



「あ。ルー」

「え? リズ?」

 居間で冷えたミルクか何かを飲みながら、本でも読んで眠気の到来を待とうかとやってきたら、ソファに先客がいた。

 その人は僕が着ているのと似た柄の寝間着に身を包んで、コップ片手にこちらを見ていた。

 対する僕が手に持っていたのは、下らない都市伝説を下らなくないように必死に語る一冊の本だった。

「ルーも眠れないの?」

「少し暑くて」

 主に頭の中が。

 だからこうして、僕が一番読まなそうな本を本棚から抜いてきたわけだ。熱中もせず字の羅列だけ見ていればじきに冷めて、そのうち睡魔はやってくるはずだと踏んだのである。

 うちの居間には年中通してソファがある。年中同じソファかというとそういうこともなくて、春夏用のメッシュ生地のものと秋冬用のウール生地のものが、交替で物置から出されるシステムになっている。

 今はもちろん夏用のソファだけれど、メッシュ生地にも限界はある。蒸れてくると、逆に居心地が悪くなったりするのだ。

 そういう理由で、僕は食事をするテーブル備え付けの木製椅子に、腰かけた訳だけれど。

 背後に座られるということに抵抗があるのか、リズは体を捻ってこちらを向くと、背もたれ部分に肘を付いて手招きしてきた。

「ねぇルー。こっち座らないの?」

「あ、いや、うん……今行く」

 リズに招かれれば、そこが多少暑くとも行くしかない。

 のっそりと立ち上がった僕は、気取られぬよう足早に、リズの左隣に移動した。少し仰々し過ぎるくらいに自由落下で腰を下ろすと、ぼふっとソファから空気が出て、埃とリズの匂いがあたりに蔓延した。

 また頭が熱くなったのは、何かに感染したからか。

「落ち着きないね。ルー」

「そ、そんなことないよ。リズだって、前はこんなことしなかったじゃないか……」

「こんなことってー?」

「い、一緒に座ろうとか……、そういうさ……」

 リズは、そうすると僕が喜ぶことを知っているから、僕の機嫌を損ねた時にそんな提案をしてくることもあった。けれど、今は別に機嫌が悪いわけではない。悩みの種の一つがリズのおかげでなくなったわけだし、むしろ上機嫌なくらいだ。

 でも確かに、リズの言う通り、僕の方も落ち着きがなかった。

「も、もう。そういうこと、すぐに口に出さないでよっ」

「リズが聞いてきたんじゃないか」

「そうだけどさぁ……。ルー、いつもならそこであたふたするじゃん」

「そ、そうかもしれないけど……。今そんなこと言われてもな……」

 どこかそそっかしいというか、何というか。

 互いが互いの触れ合い方を忘れてしまったような、そんな浮遊感が漂っている。

「…………」

「…………」

 時計の針が時を刻む音が、やけに大きく聞こえた。風はなく、雨も降っていない。深夜、僕たち二人だけが部屋にいるからだった。僕の心音にしてはゆったりとしていたから、それが刻時だとはわかった。

 僕の決心は、二十二回、刻時の音を聞いた瞬間に。


「そうだ!」「ねえねえ」


 見事に被ってしまった。しかも、リズの声ばかりを聞いていたから、自分で自分が何と言ったのかわからなかった。

 とりあえず、リズに譲ろうと思う。


「リズ、先どうぞ」「ルーいいよ」


 まただ。

 もしかしたら、リズも自分が何と言ったのかわからなかったのではないだろうか。

 それでは何か。

 今の沈黙には、全く何の意味も無いということになるではないか。無理矢理に意味を持たせるのならば、二人きりという事実をひっそり心に反芻する時間になるかもしれないが。

「…………」

「…………」

 自分の刻時が早くなる度に、時間経過は遅くなっていく。どんどん時間はゆっくりになっていく。このまま時が止まってしまえば、ここで眠ってしまえるのかもしれない。

 けれど、今微睡んでは、せっかくの邂逅が勿体ない。ならば、この沈黙を続けたい。

 もはや、終着点のある会話よりも、終わりの無い沈黙の方を、僕は願う。

「…………」

「……ん?」

 リズの優しい匂いと、温かくて柔らかい重さが、ふわりと僕のところへやってきた。

「リ、リズ?」

「…………」

 リズが言うのなら、もう沈黙は要らないというのに。もどかしくてならない。

 右肩に掛かるリズの体重に、僕の心臓は圧し潰されそうになる。そんなにくっついたら、僕の時間が止まってしまうかもしれない。

 できるだけ時計の音を聞くように留意すると、僕の方に凭れる人の息遣いの方が余計に耳に入ってきて逆効果だった。心臓がパンクしそうとは、まさにこのことか。

「どど、どうしたのリズっ」

「…………すぅ」

「あれ? 眠っちゃったの?」

 思えば、リズも部活で疲れているのだった。

 学年も上がって頼られるようになると、色々と大変なことも増えるだろう。けれど、それは僕の背負えないものだし、何よりもリズ自身の誇りとしてリズが背負うべきものだと思う。そうして、色々なものを背負うことが、リズを何倍も輝かせるだろう。何かに立ち向かう力を、与えてくれるだろう。

 それに対して、僕がリズと同じ第二学年の時は、空っぽだったと言ってもいい。

 今だって、正直、枠組みを作ってもらわなければ、何も判断することはできない。それくらい、僕は今までずっと逃げてきた。

 それを踏まえての決心が生徒会であり、その証としての文化祭なのだ。

 これを成功させることこそが、僕が“僕”として漸く何かを背負えたという事実に繋がるのである。大々的に豪語するくらいしなければ、またどこかに逃げ道を作ってしまうかもしれないから、僕は自分自身に強く言い聞かせることにしていた。

 そして今できることは、せっかく見つけた主役を、いかに輝かせるか。いかに応援するか。いかにして、対等に並ぶか。

 それは、相手のことを――リズのことをよく知っている僕だからこそ、できることなのかもしれない。他の人に任せられるかと言ったら、確かにそれは不安だし。

 思えば、記憶の中にいるリズは、いつも僕のことを応援してくれていた。

 怪我をした時も、過ちを犯してしまった時も、辛く苦しい時も、泣いてしまった時も、絶望の淵に立たされた”あの時”も。どんな時だってリズは僕の隣にいて、僕を鼓舞していてくれたではないか。

 でもそれは、僕だって同じだ。

 僕も、ずっとリズの隣にいたのだから。

 リズの激励を聞いて、僕は笑い、リズも笑う。そんな簡単なやり取りが僕は大好きで、リズはそれを知っていた。それだけのことだけれど、僕にはリズを笑顔にする自信があった。

 それが、それだけが僕の誇りで、ただ一つ逃げなかったことだ。


 ――リズにだけは笑っていて欲しい。


 そんなことは、何かに願わなくても叶えられる。現実に向き合って、次へと進んでいけば確実に、誰かを幸せにできる。リズを喜ばせることができる。

 必要な事は、一歩を踏み出す小さな勇気と、誰も遅れないようにと待つための足踏み。それだけなのだ。そう教えてくれたのは、他でもない。

「ありがとう。リズ」

 寝ているのをいいことに、久しぶりにリズの髪の毛に触れた。前からこんなに柔らかかっただろうか。それに、これほど良い匂いがしたものだろうか。身震いする。

 寝ているからなのか、ノアほどの反応はないけれど、リズの表情が和らいだ気がする。乗じて、僕の声の大きさは漸減する。でも、言葉は紡いでいく。

「リズが主役をやってくれるなんて、夢みたいだよ」

 でもそれは、決して叶わないものではなく、夢というには惜しい。

 そうとわかっているからこそ、僕は文化祭に招かれたのかもしれない。

 言うなれば、これは一連の夢を見ているだけだということ。

 こんな最高な夢、二度と覚めなくていい。現実であれば、僕はまた歩き出せるはず。逃げ場どころか、今あるのは進路だけだ。

 今まで恐れていた脇道すら、リズと二人なら明るい近道に早変わりしそうだ。サクラのように謎を楽しむのではなく、すべて照らして解明するのがリズだから。

 僕は、ただそれについていくだけ。時々、リズの手を取って歩いたりして。

「リズ。いつも味方でいてくれてありがとう」

 リズは僕が失意した後からずっと、責任を背負い続けていたのかもしれない。そうなる前の関係を思い出せないくらいに、リズの負担は僕の習慣になっていた。

 でも、僕が逃げることをやめなかったから、根本の解決には至らなくて。負担を軽くしようと磨り減らした僕の想いも、結局は無駄になって。

 だから、僕とリズの間にある笑顔なんて、負担の結晶のようなものなのだ。

 それを解消する方法は、きっと、いつもそばにあった。弱い所を知られることを恐れて、ただただ目を背けていただけで。

 でも、アカデミーに入ってから密な春を過ごして、僕は少しだけ変われたのだと思う。

 自分自身の意志ではない部分もまだたくさんあるから、誇れるものではないけれど、これから誇れるように生きていければいい。

「僕が生徒会に入ったのはね。何か変えられるかも、って思ったからなんだ。すごく小さいかもしれないけど、この世界に……間違いなんてないんだって、誰かに聞いて欲しくて……」

 生徒会は成り行きかもしれないが、正直、形などなんでもよかった。

 とにかく僕は、僕の心を、誰かに理解してもらいたかった。それが、すべての償いになれば。なんて妄想をしつつ。

「全部、リズのおかげだよ」

 僕を一番理解してくれたから。

「リズ……」

 だからこそ僕も、逃げずに立ち向かいたい。

 最初で最後の、一度限りのこの世界で。

 リズの気持ちにだけは。



「好きだよ」



 そうしてまた、時計の針は時を刻みだす。でもそれは、今から世界が始まったということではない。世界は確かに存在して、僕がそれに気づいただけの話。

 それと、同じことなのだと思う。

「…………」

 チク、タク、と時計が刻時する度に、僕はリズの髪を梳いた。本物のお姫様の匂いがした。僕はできるだけ優しく、それを続けた。『自分と同じ』を、心に反芻して。

 まるで、『世界が幸せでいっぱいになった』ようだった。

 それで僕が眠れるわけはなく、それこそ、魔女の林檎が欲しくなったけれど。



 

【あとがき】

 うっひゃあどきどきするぞ。




 次回もルート編でしょうか。

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