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〖reason〗Who's "Make"?

【まえがき】

“誰が作ったかなんて。”

 


 そのメイドは、ただ働き同然で執務をこなしていた。

 様相はみすぼらしく、食べている物も賤陋(せんろう)であったため、体も強くはなかった。先の戦争で死んでしまったために身内も無く、住む場所、もとい自分の居場所というのが、その屋敷にしかなかった。メイドも、それを承知で働いていた。

 メイドは来る日も来る日もダメ出しを受け、それでも言い抗う事などできず、それすら受け入れていた。いくら完璧な清掃をしたとしても、それが認められることは一度も無かった。

 何度も何度も同じことを繰り返し、いつしかメイドは自分のことを『そういう役目を持った人形』なのだと思うようになっていった。

 メイドにとって、生きることは不幸の底を歩くのと同じだった。痛くて、寒くて、ひもじくて、辛くて、苦しくて、もう何もかも嫌で。

 そんなある日のこと。

「これからお城の舞踏会に行ってくるから。しっかりと掃除しておきなさい」

 屋敷の主人が言った。中年とまではいかないにせよ、三十路ほどの女性で性格は激しく、耳障りなほど声高だった。

 無論、メイドに発言権と拒否権はないから、頷くことしかできない。そこで涙を流そうものなら、一週間ほど蔵に監禁されることになる。

 白雪の舞うこの季節。あの蔵に閉じ込められれば、凍死の危険だってあった。

「それじゃあ行ってくるわ。帰ってきたらさぞ綺麗になっていることでしょうね!」

 屋敷の主人が言った。

 綺麗になどならないと、メイドは身をもって知っていた。


『自分が汚いから、何をしても綺麗になどなるはずはない』


 そんなことを言われながら十時間も平手を食らえば、嫌でも刷り込まれる。それに、本当に綺麗になったとして、暴力を振るわれることに変わりはないのだ。

 そのために、メイドはいるのだから。



 一日が過ぎて。



 屋敷の主人が外出をすることは、メイドが務めるようになってからも少なからずあった。どこかの財閥が主催するパーティに呼ばれる、ということが何度か。

 主人が外出している間、メイドの心は踊った。

 一夜限りの舞踏会さながらに。

 でも、今回は違った。

 一日経っても帰ってこないということは、今まで一度たりともなかった。

 そうしてメイドの心に芽生えたのが『心配』ではないということは、言うまでもない。



 また一日が過ぎて。



 メイドはその夜、心を決めた。

 手にした自由を、視界に入った一筋の光を、逃がしたくはなかったから。これを逃したら、きっと一生不幸のままだろうと、心のどこかでそう思ったから。

 そんなのは当然だった。

 ここで執務を続けてしまえば、それは差し伸べられた手を払いのけて、不幸を受け入れるということだ。

 そう。それはきっと、神様がメイドに与えた報酬なのだ。今までずっと積み上げてきた、『綺麗』を形にした、何かしらの報いであるのだ。

 メイドは覚悟した。

 自由を追うことで、本当に自分の居場所がなくなってしまうと言う事実も、確かにあったから。生かされている現状が無くなれば、メイドは死ぬしかなくなる。

 メイドは、それでも構わなかった。

 手にしていた掃除用具を捨てて、寝泊まりしている屋根裏から謁見用のフリルを取り出して精一杯のおめかしをして、玄関の重い扉を開けた。靴は、ずっと使われていなかった主人のローファーを拝借した。メイドは思い切り走ったことが無いから、表の外出門までは早歩きで行った。

 そして、メイドの手によって門は開かれる。

 その先に広がっているのは広大な樹林だ。

 メイドは走り出した。覚束ない足取りのメイドから、光を求め奔る少女になってゆく。

 樹林の先に何があるかも、この世界がどこまで広がっているのかも、自分が何者なのかもわからない。それがメイドだった。

 でも、メイドは笑っていた。

 とても嬉しそうに。泣きながら。


 ――まだ、笑えたんだ。



 二時間ほど経ったのだと思う。



 樹林は延々と続いて、進んだのか戻ったのかもわからないままに夜は更けていった。

 でも、メイドは足を止めようとはしなかった。そうすることで求める光に近づけなくとも、少なくとも過去からは離れると思ったからだ。


  “信じられるものなど、自分以外に無い”


 そういう固い意志が見せた幻影だろうか。

 ふと、メイドの前方に見えてきたのは、樹林の中に存在するには異質な物体。それは黒々としていて大きく、人型をしていた。

 それが動き出すとは誰も予想できない。

「お腹は空いていないかい?」

 突然のことで腰を抜かしたメイドは、すぐに応対できずに後退した。

 するとどうだろう。

 黒い物体が少しずつメイドに近づいていくではないか。

 まただ。

「お腹は空いていないかい?」

 使い古されてしわがれたような、それでいて作られたばかりのように真新しい響きだった。

 恐る恐る上目を使ってみれば、そこにあったのは黒いローブからひょっこりと飛び出した女性の顔だった。表情は読み取れず、笑っているとも怒っているともとれた。

 お化けではないとわかって安心したメイドは、腰のごみを払って、その女性と視線の高さを合わせた。何せ低かったから。

 メイドが凝視していると、また女性が言った。

「お腹は空いていないかい?」

 そればかりだった。

 無視して歩こうにも、ゆっくりと後ろを尾行()けられるような気がして不穏でならなかった。答えるまでどこまでもついてくるような、そんな。

 メイドは少しだけ考えた。

 “今日”という日のことを。決心の日である今日のことを。

 なぜかはわからないが、その女性は悪い人ではない気がしてきた。今まで生きてきて、そんな優しい言葉をかけてもらったことが無いから、錯覚かもしれなかったが。

 女性の言葉通りに空腹だったメイドにとって、選択肢は二つに一つだった。

 メイドが大きく頷くと、女性の表情が笑顔に変わった。その笑顔は少し不自然なくらい、メイドの心を落ち着かせた。

「これをお食べ」

 違うことを話したかと思えば、ローブの中腹あたりから白くて細長い腕が出てきた。その手には赤々とした球体が収められていて、仄かに甘い匂いを漂わせていた。

「リンゴだよ。知らないかい?」

 メイドは頷く。

 何度か見たことはあって、食べられるものだとは知っていたが、名前までは知らなかった。知らないことを知れたというのも含めて、メイドは嬉しそうに笑った。

 メイドはそのリンゴを受け取って、じっと見つめた。

 大層赤かった。赤くて、良い匂いがした。良い匂いがして、食べてみたくなった。食べてみたくなったが、食べなかった。食べられなかった。

「おや? 食べないのかい?」

 メイドは頷いた。

 メイドが今まで食べてきたものは、調理の過程で出た食材の端や縁。良い時で、主人が机に食べ零した料理だった。端材も食べ零しも無ければ、庭に生えていた草花を食したりもした。どちらにせよ、結局は戻してしまったのだが。

 だから、メイドは誰も手を付けていない食べ物を食べられなかった。自分に食べられるために、そのリンゴは赤く色づいたわけではないのだと、知ってしまっていたから。

 メイドが俯くと、漆黒のローブから出た白い腕が伸びた。リンゴと同じく甘い匂いを漂わせた御手は、そのままメイドの髪を梳いた。印象と行為がかけ離れ過ぎていて、沈黙した。樹林の呻きが聞こえる程に。

「可哀想に……。命令が無ければ食べることもできないなんて」

「…………」

 まさにその通りだった。

 こうして屋敷を抜け出した今も、忘れろと命令された声を思い出すことはなかった。

 そんなメイドに、ローブの女性は言った。

「あの屋敷を抜け出したのは、お前の意志だろう?」

 思い出せ、と。

「食べろとは言わない。だが、食べるのなら、一つ頼みを聞いてはくれないか」

 メイドは目で答えた。

「ここから南に歩いたところに大きなお城がある。今、そこでは舞踏会が執り行われている」

 今行われていると聞いて、メイドはハッとした。

 主人が帰ってこなかったのは当然として、舞踏会がそこまで長い間開催されているものではないはずだからだ。基本的に何かの記念であったりとか季節の節目であったりとか、短期間で限定的に行うものはずだ、ということ。

 お城で何かが起きていると言うのは自明だった。

 ローブの女性は続けた。

「その主催である王に、それと同じリンゴを食べさせてあげて欲しい」

 そう言って、もう一方の腕を出した。手には、やはり赤々としたリンゴが握られていて、甘い香りを漂わせていた。

 メイドはそれを受け取って、息を飲んだ。

 そのリンゴが何を意味するのか、何となく分かったから。

 それでも、メイドは首を横に振ろうとはしなかった。思い出し得る笑顔の限り、ただただ頷くことに努めた。あるいはローブの女性の微笑みを真似たのかもしれない。

 でも、それが空腹だったからなのか、はたまたメイドの意志なのか、それは判然としなかった。きっと、メイド自身にもわからなかったのだと思う。

「頼んだよ」

 ローブの女性の言葉に背中を押されて、メイドは歩き出した。覚えたての方角、南へ向かって。着実に、でも確実に。

 メイドは立ち止まり、振り返る。そこに女性の姿はなく、あったのは木の枝に引っかかって風に靡く黒色の布きれだけ。聞こえるのは古された優しい声などではなく、不規則に頬を切り裂く冷えた風の戦ぎ。

 そんな樹林に飛び込んで、メイドはまた一つ自分の意志を刻む。

 手にした赤い木の実に思い切り齧り付いて、噛み砕いて、飲んで。それを繰り返した。回数はと言えば、今までにしてきた執務の積み重ねと比べれば塵のようなものだった。

 しかし、そうして生かされた幾数年をいくら思っても、リンゴの一齧り一齧りの方が、遥かに有意義だった。生きていた。生かされているのではなく、自分で。そう感じていた。

 食べ終えて、思い出す。


「ありがとう」


 その声は誰もいない樹林に、空ろに響いてすぐ消えたが、メイドの意志は確かにメイド自身に刻まれた。

 根拠はないが、確かに、誰かの耳には届いているのだろう。冷たい風に乗ってでも、物言わぬ木々を伝ってでも、静かに眠る小動物の生き方に倣ってでも。それこそ誰も聞いていなくたって。

 メイドの表情は、何となくそう思わせるようだった。



 そしてまた、歩き出した。光を求めて。

 リンゴを片手に、メイドは歩き出したのだ。



     □■□■



 これは、誰のための物語でもない。

 ただそこにあって、時間とともに縷々と刻まれ、滔々と流れた一つの話。

 誰かが幸せになって、誰かが不幸になる。

 それだけのお話。



 Author: Loote=Q=Ueer



 

【あとがき】

 書き直して書き直して、また書き直して。

 出来上がる、物語。


 

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