Ⅰ The Summer Wars
【まえがき】
アリス編です。
アリス×ノアは定番化していますが、今章はそれ以外の珍しい組み合わせになります。
お楽しみに。
文化祭の準備も半ば、カシミーヤ上級学校は夏の長期休暇に入った。俗に言う夏休みというやつだ。
当然、夏休みの間は授業が無いので、今この時期に学校にいる学生は、部活動か文化祭準備かの二つに一つになる。後者には強制力がないので、それで学校に来ている人は、心底文化祭を盛り上げようとしている見上げたやつらか、本当の本当に暇なやつらだということになる。まったく、ご苦労な事だ。
でも、そういう人たちがいるからこそ文化祭は成り立っていると言える。そう考えると、こんな白昼堂々、仄暗い氷の上で重石を滑らせているだけのあたしには、心から文化祭を楽しむ権利などありはしないのだろう。
適材適所と、先生方は巧い言葉を使うけれど、今日みたいな晴天の日に「暇だから」と言って文化祭の準備を手伝っている根無し草と、あたしはさして変わらないのだと思う。もしくは、それ以上に無益かもしれない。
「が、頑張ってー。アリスーっ」
こうしてあたしを応援してくれる一人のギャラリーに応えるためだけに、あたしは重たいストーンを投げているのだから。
カーリングというのは、冬に本格化するスポーツだ。だから、こういう夏場の練習は力を入れづらい。それは設備の整ったアカデミーであっても、ミドルと変わらなかった。
結果を残している手前、他の部の活動中に休むわけにもいかない。
それは部員の誰もが思うことである。
この場合の適材適所を言うならば、カーリング部総出で文化祭の準備をした方がよっぽど学校のためであり、有意義な時間を過ごすことができるから自分のためでもあるわけで。
「休憩ー!」
顧問の先生の掛け声のもと、部員たちはアイスリンクの方々に散っていく。
ミドル時代と比べて倍ほど長くなった休憩時間では、顔を洗いに外に出る者もいるし、飲み物を飲みに部室に戻る者もいる。個人練習をしている方が、圧倒的に厄介者扱いされる。けれど、そういう人は試合になると輝くから、部員たちから嫌われることもなかったりする。
そうやって、暑いんだか寒いんだかよくわからない雰囲気があたしの周りにはあった。
あたしは例によって、ノアの元へ足を滑らす。
「お疲れさま、です……」
タオルを手渡す時、ノアはいつも片言の敬語を喋る。何故に敬語なのかは、つい先日の練習の時にノアの葛藤が伝わってきたからわかるが、大した理由でもなかった。
無理をしているようだったのでやめるよう促したが、首を横に振った。だからあたしは、カーリング部唯一のマネージャーとして威厳を保ちたいのだと思うことにしたのだった。
手渡されたタオルで軽く顔を拭って、ノアに返した。
「ありがと」
「うん……」
さて、休憩時間がまだ残っている。
進んで自己練習に励んでもいいけど、今日は正直気乗りしない。週末だからというのもあるかもしれないが、確かな理由は別にあった。
このままアイスリンクの縁に座って休むのが本来の休憩なのだろうけど、そうできなくなる理由があった。
「なんじゃ、のあ。今日はたおるの匂い嗅がんのか?」
「い、言わないでーっ……!」
「ぬっはっはは」
「あはは」
どこで入手したのか、一丁前にカーリング部のユニフォームを着て部活に忍び込んでいる少女がいた。顧問含め部員全員が侵入に気付いていたから、正確には忍び込めていないが、何故か黙認されていた。
ノアが喜ぶからと言って、早い段階から排除しないでいたあたしにもいくらか非はあるのだと思う。それに、思いの外部員から人気のあるそいつを、公衆の面前で怒鳴り散らしても、また色々と面倒そうなので仕方がないというのもあった。
「あんたって年中暇よね」
「なんじゃよ。あたかもそれが悪みたいに」
「暇人は悪よ」
「よう言う。そうやって忙しい忙しい言うとって、いざ本当に暇になったらどうするんじゃ。どうせ、なにもせず一日を消化するんじゃろ? それこそ悪じゃろ。じゃが、わしはやることがたくさんあるぞ! わしは暇に慣れとるからな」
「あんたの論理って、一周回って気持ちがいいわよね」
「そうじゃろ? ぬははは」
「こう言いたいんでしょ? 『暇人は暇だから本当に暇になっても大丈夫だし、暇じゃなくなっても元々暇だから大丈夫』。違うかしら」
「その通りじゃ! さすが頭が良いのう!」
「でも、その論理を通すと、『暇人に選択肢はない』ってことになるわね」
「な、なんでじゃ」
「あら、当然でしょ? あれをやりたいとかこれをやりたいとか、そうやって何かをしたらそれは『暇』ではなくなるんじゃないかしら? つまり、矛盾した論理ということね」
「め、めんどくさいやつじゃのう! 暇人は正義なんじゃっ!」
「そうね。じゃあ、暇人に告ぐわ。文化祭の準備を手伝いなさい」
「あれは暇じゃから嫌なんじゃーっ!」
「暇は正義なんでしょ?」
サクラが頭を抱えて地団太を踏み出したあたりで、ノアがくすっと笑った。
それをサクラが咎めて、「だって、面白いんだもん」とノアが言うのが一連の流れになっていた。そういう欲ばかりで中身の無い討論は、本当に下らない。下らなくてどうでもよくて、自然と笑えて来る。
あたしとサクラ、そこにノアを交えたその絡みを高みから見るのが、ここ最近カーリング部の休憩時間の使い方である。見物では決してないのだけれど、別段怒られたりしないだけマシかと割り切ることにしていた。
あたしは寒い方が好きだから、あまり暑くなりたくはないのだけれど。
「くっ。わしの力を見縊りおって……」
「変な力使うのはやめなさいよ」
「ノアも、それはやめたほうがいい、って思う……」
サクラは嘘と冗談しか言わないけれど、その【魔法】は本物のようだから。
あたしたちのクラスを同じにしたり、瞬間的に長距離を移動したり、近い未来を予知したり。今のところはそれくらいしか見ていないけれど、実世界に及ぼす影響の大きさはどれもが途轍もない。
その片鱗だけでも、使うことは控えて欲しいというのが、あたしとノアの本心だった。
快楽主義のそいつには、あまり伝わっていないみたいだったけれど。
「ぬうぅぅ……!」
「もしやったら。わかってるわよね?」
「アリス、笑顔が怖い……」
もう少しプレッシャーをかけておきたかったが、ノアに言われてしまったので、仮面は早々に外す。
すると、早速だった。
「こうなったら勝負じゃー!」
中途半端に脅迫をしたおかげで、サクラに変なスイッチが入ってしまった。こうなると止まらないのは、ルートやノアなんかとよく似ていたりする。あたしの周りには、そんな人間ばかりだ。そういう友を持つということは、あたしもその類なのかもしれないけれど。
一つ、諦念の溜息を吐いておく。毒は溜め込むとよくない。
「はぁ……。なにで勝負するのよ」
「そんなの石投げに決まっておるじゃろ!」
「カーリングであたしに勝てると思ってるのかしら」
人生をかける程ではないにせよ、競技歴はかなりのものだから、ある程度の自負はあった。初心者に負けるほど、あたしは弱くない。
初心者だと、そもそもリンクに上がれないという問題だってある。年功序列ルールとかではなくて、紛れもなく実力、そしてセンス的に。
「あんた、滑ったことある?」
「ん? わしは滑らんぞ!」
「話じゃなくて」
「氷か? 初めてではないはずじゃが、もう何年も前のことじゃからな……。忘れとるかもしれん。教えてくれんか」
「その時点であたしの勝ちじゃないかしら?」
「そんなことないのじゃ! わしは成長が早いからのう。正々堂々勝負じゃっ!」
「……ったく、仕方ないわね」
こうなると何をしでかすかわからないのがサクラという人物だ。あたしとしては面倒ごとなど真っ平ごめんだ。
どうせ、部外者の立ち入りを顧問が許すわけなどないから、勝負は始まる前に終わっているようなものだけれど。
あたしたち三人が戯れていたあたりから階段を五、六段登ったところに先生はいた。この茶番を楽しみにしている部員たち同様、終始、あたしたちの様子を伺っていたみたいで、話は早かった。
「全然いいよ」
「はっ?」
「いいよいいよ」
「本当にいいんですか先生。絶対荒らしますよ、あいつ」
「そんなに荒らせるようなものはないけどなー」
氷上で何かを荒らすという意味ではなくて、雰囲気どうこうの話である。
しかし、ここの顧問の先生の性格を考えると、それも上手く伝わらないはずだ。
あたしの知り合いの妹様に似ているかということはないけれど、学生としてアカデミーに編入してもそこまで問題は無さそうな浮ついた見た目。同じユニフォームを着て、髪の毛を一つにまとめて縛っていると、少しばかり茶目っ気が出過ぎていた。そんな外見に見合った緩い声色で、間延びした口調。どれをとっても、色んな意味で不安要素だらけだった。
ここで許可を出してしまうくらいだし。
「いいじゃない。教えてあげて? ね?」
「ね……って」
「サクラちゃんだっけ、あの子。よく見に来てくれるし、もしかしたら興味もってくれるかもだからさ。ほら」
「だから、なんですけどね」
興味を持つ持たないの前に、サクラにはおそらく天賦の才が備わっている。あれは【魔法】よりも恐ろしいあいつの力だ。天才というよりは、順応性や環境適応能力が異常に高いと言った方が正しいかもしれない。
全ての『できない』は、あいつの前だと『楽しい』に変わってしまう。
サクラを見ていると自然とそう思えてきて、できないでいる自分が嫌いになってしまいそうだった。泣くほどに苦悩して手に入れた『好き』を、一瞬で滅茶苦茶にされそうで、腹が立つのだ。
その腹いせにこそ、あたしの言葉は服毒した。
階段を下りてサクラにオッケーを出すことが、どれだけ辛かったか。サクラと勝負することが、台風や地震と生身で戦うような感覚と似ていることに、誰が気付くのか。
そんなのは、あたし以外にいなかった。
十五分後。
「ルールは簡単よ。ストーンを一投ずつ投げて、その得点を競うわ。ブラシングは自分でやること。投げ終わったストーンは回収。一対一だから、弾き出したりはしないルールよ」
「わかったのじゃ」
前言通り、サクラの成長は途轍もなく早かった。
最初くらいはぎこちないのだろうと思っていたら、ごく普通に滑ってのけた。初心者は立っていることすらままならないのだけれど、そんな気配など微塵も感じさせなかった。あたしが教えたのはブレーキくらいのもので、あとは本人が勝手に「思い出した」らしかった。
そうなると本当に、『正々堂々』な気がしてくるから不思議だ。
「のう。ありすよ」
「何よ」
「何か賭けんか?」
サクラは、そうでもしないとあたしが本気を出さないことに、完全に気付いていた。それも、負けを覚悟でとかではなくて、本当に正々堂々を望んで。
「随分となめられたものね」
「ぬははっ。よいではないか」
「何を賭けるつもりよ。そこも対等じゃなきゃ意味がないわ」
「そうじゃのぅ。わしが負けたら、幼気なこのぼでぃを――」
「要らないわ」
「釣れないのう」
「あんたがあたしの体を触りたいだけでしょ?」
「なんじゃ? もう負けた時の話をしておるのか?」
「うるさいわね!」
甘ったるい花の香りを漂わせているのも、話に熱が入ってなくて生暖かいのも、本当に調子が狂う。中途半端に謎で、中途半端ではない部分は大体がどうでもいい。いつもお気楽で、面倒そうなことは一切やらずに逃げ出す。
あたしとは何一つ交わらなそうなのに。こいつはこうして、あたしという氷の一部の、すぐ隣にいる。
「そうね。じゃあ、あたしが勝ったら、あんたのこと教えなさい」
「き、急にどうしたんじゃ」
「いいわね? 何一つ隠さず話してもらうわ。あたしが嘘だと思ったら、即刻おしおきよ」
「ひっ。それは拷問じゃろ! わしは、うけは嫌なのじゃっ」
本当は、そうして相手のことを知って、それから勝負をするのだろう。
でも、あたしとサクラの場合は、『交わり過ぎていた』。いつの間にかそうなっていたわけだけれど、そういうスタートを切ったのは確かな事だ。だから拗れた、と言えるのかもしれない。それがこうして、『拷問』などと呼ばれる羽目になっている所以であり、あたしがそいつを嫌いになれない理由でもあるのだと思う。
だから、知ろうと思った。順番はどうあれ、サクラという人を。
ただ、それだけのこと。
五分後。
「アリスー、頑張ってー」
たった一人の声援のためにでなく、今回限りは自分のために勝負しよう。
余計なものまで見えてしまいそうなギャラリーには目をやらず、あたしはその少女だけを視界にとらえた。
「のあはわしの応援はしてくれぬのじゃな」
「負けるとわかっている方の応援なんか、普通しないわ」
「おぬしと世界一強いやつが戦ってもかのう?」
「そうね。ノアに応援されれば、あたしは勝つわ」
そのセリフがあまりに空虚だったので、言って少し恥じた。
涼しい顔で氷上に佇むそいつが、ひどく大きく見える。半ば太陽のように、そいつはどっしりと構えていて、振る舞いには少しの隙も無い。かつてのミドル時代に、他校の生徒から『氷の魔女』なんて呼ばれて誇っていた自分は、どれだけ小さかったことか。
「まぁいいわ。さっさと始めましょう」
「後攻がいいのじゃ」
「いいわよ。別に有利不利はないから」
「同時にはできんのか? いっぱいあるじゃろ?」
「さすがに、遊びでレーン使いたくないわ。どうせ、あんたは掃除しないでしょ」
「せんのう。まあ、それなら仕方ないのじゃ」
こういう時に素直だと、人生損も少なそうだ。
「どの石を使えばよいのじゃ? これか? これは重いのう。こっちは……持ちやすいのじゃ。これにするのじゃ」
サクラがおもむろに持ち上げたのは、部長のストーンだった。
ストーンは個人購入もできるが、一般的には学校側で複数個仕入れる。単価が高くて個人ではとても購入できたものではないからだ。だから、ストーンに目印か何かを入れておいて、それをマイストーンとして部活で使うのが定石であった。そうすることで、コストも抑えられるし、何より練習で同じストーンを集中して使うため、扱いに慣れることができるのだ。
他人が使うことは多くはないが、そこそこある。
けれど、あたしのように自分用のを持っていたり、持ち手部分に若干のカスタムをしたりしている人は、あまり貸したがらない。
部長は後者であった。
「それは部長のだからダメよ」
「部長? 部長どれじゃ」
きょろきょろと辺りを見回すので、小声で呟いてやった。
「出入り口近くの席の方よ」
サクラが何をするかは何となくわかっていたし、結果も何となく見えていた。
「ぅおーい! これ、使ってよいかーっ?」
建物内に響き渡るその声は、屋上で叫んだりするどこぞの生徒会長を彷彿とさせた。
部長はあまり大声を出す方ではないから、手合図か何かで返答するだろう。だからきっと、そのうちサクラがこっちを向いて、「大丈夫みたいじゃぞ」とか言いながら、したり顔をするに違いない。
「ふっふっふ。大丈夫みたいじゃぞ」
「そう。良かったわね。あんたって、偉い人に好かれるわよね」
「どうしたんじゃ、急に褒めて。そういう作戦か?」
「そうね。そうかもしれないわ」
「まぁ、そんなものは効かんがのう! じゃ、早速やるのじゃ! 早う投げろ!」
「はいはい」
あたしは、ルーティンワークの一環のように溜息をついて、開始位置についた。
正直なところ、勝敗はどうでもよかった。どうせ、お互いに真実は明かさないのだろうし。わかるのはせいぜい好きな食べ物くらいだろう。
そんなのは、きっとサクラだってわかっているのだ。わかっているはずなのに、こうしてあたしと関わりたがるのは、彼女が太陽のように寛大であるから。
氷上に浮かぶ太陽は、それはそれは熱くて大きく見えるものだ。リンクが削れてできた氷の粒が、その光を受けて乱反射するのが、また、超自然的に綺麗で、魅せられる。あたしにはできないな、と素直に思った。
それでいい。
彼女について知ることは、何か知ってはいけない何かを知るような、そんな危うさを感じるから。サクラの正体は人の形をした高圧の蒸気だ、なんてことは考えたくも無いし、面白くない。面白くないというのはサクラ自身が一番嫌うことだ。それに、仮にそんなことになったりしたら、きまりが悪すぎる。あたしに関わろうとしていたサクラが、とても可哀想に見えてくる。
まぁ、言ってしまえば、あたしの持っている秘密を明かすくらいでは、到底、対等には及ばないのだろう。
極論、サクラとの付き合い方なんて、多分、もうわかっていたのだ。
「早う投げんか!」
「うるさいわね。黙って見てなさいよ」
全く。もう、暑いのか寒いのかわからない。
まぁ、夏に氷の上にいたら当然か。
【あとがき】
今章は良い意味で、三人の性格が出た章だと思います。
ルートの話題も、本人も全く登場しませんが、いつもと雰囲気が変わりませんでしょうか?
ルートがいるといないとでは、やっぱり物語全体の雰囲気も変わってくるものなのです。改めて主人公補正というものを痛感した今章でした。
次回は、順番的にリズ編でしょうか。




