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Ⅲ 夏休みだけど、抱きしめて。

【まえがき】

 ルート編、続きです。



 どうぞ。





 

 


「なるほどね。それならよさそうだね」

「はい! よかったです!」

 例によって意気消沈した会長に変わって、再び僕が隣校の生徒会長レイルと話を進めていた。それでも、決して僕の独断で決めることはせず、レイル会長から事項を申告されるたびに僕がルリ会長に再確認するという手筈をとっていた。

 小さく頷いたらオーケーで、小さく首を振ればエヌジーである。

 この面倒なやり取りを僕と代わってくれそうなサクラは、今頃屋上で待っているだろうか。

 今朝方、先日の口約束を確認するのと放課後は遅れてしまうということを伝えたところ、「来るまで待っている」という言葉を貰ったのだ。僕自身の理解不足が招いた事態であることに罪の意識を感じて断りはしたものの、「寝てるからいい」と通されてしまった。

 サクラが、二人きりで、誰もいない場所に、僕と、放課後、エトセトラ……と、色々と困惑を招くワードが目白押しだった。その上、寝て待つほどに緊急で果報は重大な内容なのかと、身構えざるを得ない。

 一晩おいて落ち着いた頭なら、そのモヤモヤを抱えながらでもいくらか会話できた。

「それでは、次なんですけど……」

「あれ? 次って、もう終わりじゃないかい?」

 レイル会長に言われて自分の手元を見てみれば、両校のパンフレットとも最後の一ページを開いていた。最後のページに当たる注意事項は、一番初めに打ち合わせて完成させたのであった。

「あ。本当ですね」

「はははっ。ルートさん、真面目だねぇ」

 聖職者のような澄んだ瞳で真面目だと賞されると、何かばつが悪かった。少しばかり、過大評価が過ぎる気がして、思わず体の前でバタバタと両手を振った。

「い、いえ。そんなことは……」

「ほら。とても謙虚だし。話も上手だと思うよ。僕の質問にもすぐ答えてくれたし、機転も利く。うちの会長補佐に欲しいな」

「なっ、じっ、冗談やめてくださいっ。何も出ないですから……」

「はははっ! 冗談なんかじゃないよ。本当のことさ。あ、でも、うちの学校は途中編入できないから、会長補佐は難しいかな」

「そ、そうなんですか……。あはは……」

 会長が目を伏せる理由が、少しだけわかった気がした。

 寄せられる期待が大きすぎるのだ。それが形として見えるわけではないし、レイル会長の気取らない性格のせいで本質が曖昧に見えてしまう。

 期待の価値というのは、相手によって変動する。

 他校であり、同世代であり、生徒会長であることで、距離感が不安定になる。期待の価値を掴むまでにかかる時間が、さらにその価値を高めていく。顧みれば偉大であることに気付く。下らないことで苦悩する自分が、途轍もなく小さく見えてくる。

 これは確かに、逃げたくなる。

「そうだ! 業務も終わったことだし、雑談でもどうだい?」

「雑談、ですか……? そうですね……」

 何を話すのだろうかという期待よりも、ルリ会長の心拍数への心配が勝った。

 急にお引き取り願うのは失礼にあたるし、僕自身少しだけ興味がある。断る理由は希薄だ。

「僕は賛成です。でも、少しだけ休憩時間を頂けませんか?」

 僕がルリ会長を一瞥したことに気付いたのか、レイル会長も気を遣ってくれた。

「わかった。もちろんいいよ。ちょうど、僕もこの学校を探検してみたかったから」

「ありがとうございます。案内できなくてすみません」

「大丈夫だよ。勝手に色々見て回るから」

 至らない気持ちで頭を下げると、遠慮される。この人に真面目だと言われたことを思い出すと、本当に情けなくなる。

 隣で伏せていた会長を引っ張って、席を立たせる。遠くなった床を追って、会長の体重の一部が僕に掛かってくる。少し重かった。

「どこへ行くんだい?」

「ちょっと外へ出て涼んできます」

 それにしては、外が熱すぎる気もするけれど。

「そう。僕は手伝わない方がいい、よね……?」

「本当に、申し訳ないです……」

「ううん。大丈夫。それじゃ、頑張ってね。僕は向こうの方へ行ってみるよ。一通り終わったらまたここへ戻ってくるから」

 そう言ってレイル会長の背中を見送って、僕は――僕とルリ会長は反対方向に歩き出した。

 行先は屋上辺りにしようと思って会長の腕を引いていたが、会長も察したのか、途中から会長の足は僕よりも先にそちらへ向かっていた。ただ、距離が離れたから緊張が解けただけかもしれないが。



     ***



「会長って、意外と緊張しいですね」

「なんかなー。ダメなんだよなー。先生とか先輩が相手だったら全然イケるんだけど、タメって苦手だなー……。どう接していいのかわからん。まぁ、難しい恋ほど燃えるけどね!! あっはっはっはっは!!」

 ルリ会長の猛り笑いが、校庭中に響き渡る。校庭で部活動い勤しむ男子生徒の何人かが天を仰いで、困惑している。ルリ会長が楽しそうに手を振ると、その生徒たちはにこやかに手を振り返してくれた。気疲れして欄干に凭れていた僕も、自然とつられて手を振ってしまうのだった。

 半ば暮れた黄昏の中で、空しさを感じさせることなく声を響かせられるのは、もはや才能だと思う。

「その勢いのままいけばいいと思うんですけど」

「それができれば苦労はしない。つってね!! ははっ。てか、ルートくん! 普通に会話するのやめてくれるかな! ずるいぞ! なんなんだ! 緊張しないのか!? あんなかっこいいんだぞ!? 完璧じゃぞ!? じゃぞってなんだ、サクラちゃんか! ははははっ!」

 落下防止の柵から身を乗り出す生徒会長が、この世界のどこにいるだろうか。そうやって声を張り上げて、『楽しい』を振りまいて、誰もかれも巻き込んで、全部笑顔に変えてしまえる人なんてきっと、ここにしかいない。青々と茂る屋上庭園の管理者でもある、ルリ生徒会長しか。

 それを曇らせてしまうレイル会長を、僕は好きになれなかった。

「相性悪いんじゃ……」

 そう。言わば、雲と太陽のような。

 全てを照らすのが太陽だとすれば、それはルリ会長の形容だと言って相違はない。その反対となると、雲が妥当に感じる。

 見た目こそ純白で壮大だが、時に雨を降らし雷鳴轟かせる神聖な様は、非の打ちどころの無いレイル会長に合っている気がする。別段、悪く言っているわけではないけれど、雲に隠された内部に何かあるのではと疑念を抱かざるを得ない。聖人だって、人なのだ。

「そんなことはないはずだ! 根拠はないけどな! あ、わかったぞ! ワタシとレイル君の間にルートくんがいたから、自然と逃げてたのかもしれない! ワタシはビビりだからな!」

「全然説得力無いです……。というか、逃げてるじゃないですか……」

「言葉の綾だ! 逃げるっていうか、ルートくんにくっついてたかったんだよ! ワタシはルートくんのことも好きだからな! 別に変な意味はないぞ!」

 とりあえず「ありがとうございます」と口を動かしておいた。情がこもっていないのは、この場合、致し方ないことだ。

「ルートくんに見縊られてしまった。ははははっ!」

「そ、そんなことないですよ。ただ、一人で応対するのって結構大変だなって、そう思っただけです。会長はずっと一人でやってきたんですもんね。すごいです」

 一瞬、きょとんとした表情になったかと思えば、直後、会長は笑いつつ髪の毛を掻き混ぜて照れた。褒められ慣れているはずだけど、それにしてはとてもわかりやすい反応だった。

「ルート君は褒め上手だなー! 頑張れそうな気がしてくるもんなー」

 肩をポンポンと強めに叩かれる。威厳を取り戻そうと必死だったのか、打点がそれなりに痛かった。

 会長はそうやって僕を何度か鼓舞した後、決まりが良くなったのか「ふぅ」と一呼吸おいた。僕もそこで小休止を入れることで、心持ちを白紙に戻せた。

「でもやっぱ、ありがとうだなー、今は。ルートくん、ワタシのこと気遣ってくれたんでしょ?」

 屋上庭園へと訪れた意味は、会長の心を落ち着かせるためだった。それが落ち着いたのであれば、本望だ。そうしないと自分が困ると言うのもあるし、他に方法が思いつかなかったと言うのもあるけれど。

 会長の問いへの答えは、すぐに出てこなかった。そうして僕が沈黙を呈する前に、会長が会話を(かが)った。その瞳は、いつもの会長らしく自信に満ち満ちていて、僕の心を期待と不安で一杯にさせた。

「じゃあ、ワタシ戻るね。ルートくんはもう少しここにいる?」

「そうします」

「そっかー。じゃあ、レイル君と二人きり、堪能してきます。よろしく!」

「が、頑張ってください……?」

 何かよろしくされたが、いささか難義であった。

 会長の背中に手を振って、屋上出入り口のドアが閉じる時に出る重い音を聞く。なんだか、この音を聞くと無性に空しくなる。寂寥感とでも言うのだろうか。『世界に一人だけ取り残された感覚』を再確認するようで、得も言われぬ感情が芽生える。僕以外の誰にも、到底理解できないであろう感情が。

 妄想は急速に拡大していくが、日が暮れるスピードには到底叶いそうもない。

 気付けば辺りは暗くなり、それまで明るみに出ていたすべてのものは、余熱でもって存在を知らしめ、庭園の樹林の影はすっかりと闇に変わって、そこにいた。桜の幼木の影になっていた自分の姿も少しばかり曖昧になってきて、孤独である今を把持しようと、自然、足運びは開けたベンチへと迷い無い。

 そろそろ月明りが太陽の代わりをしようかという時だろうか、雲ではなくて月でもよかったかなと、ひっそり反省する自分がベンチに座っていた。

「やっと終わったかのぅ」

「待たせちゃってごめんね。サクラ」

 ある程度は予測していたので、さして驚きはしなかった。それでも、まさか一番小さい木の中から出てくるとは思わなかったので、少し面白かった。同じくらいの背丈の木に、どうやって忍んでいたのか謎であるが、それがサクラだと言えば頷くしかないのだ。

 僕が少しずれると、サクラは肩やスカートについていた木の葉を払って、空いた場所に仰々しくどっかりと座った。

 それから、数秒の沈黙があった。元々サクラの言葉を待つ立場であるからか、特に居心地が悪いと言うことはなかった。

「昨日は悪かったのぅ」

 切り出しはそれだった。

 いくつか立てていた推測のどれとも合わなかったので、思わず首を傾げてしまう。

「背中じゃ」

「あ、ああ……。あれは、その、僕もごめん……」

 罪悪感と羞恥心が同時に襲ってきて、今すぐにでも顔を覆いたくなる。きょろきょろと庭園を見渡しても、入れそうな穴は見当たらなかった。

「いいんじゃ。あれはわしが変な事を誘うから悪かったのじゃ。ま、本当は背中が目的ではなかったのじゃが、あれはあれでいいもんじゃったぞ。ぬふふ」

「な、ならよかった」

 昨日背中に触った時と言い、こういう話をしている時と言い、サクラはいつもとは少しだけ雰囲気が違くなる。何もかも楽しもうとするのではなくて、一つのことに集中して周りが見えなくなる感じか。一生懸命と言い換えたりできるだろうか。……違うか。

 気分が乗ったのか、サクラは会話の流れに乗って、体を密着させてきた。もしかしたら、また背中を摩って欲しいとでも言うのだろうか。

「どうしたんじゃ急に見つめて」

「あ。ごめん。今度は何してくるつもりだろって思って」

「むふふっ。自己紹介、でもするかのぅ?」

 このタイミングで自己紹介という言葉を引用するあたり、サクラはやはり賢いのだと思える。上手く心を抉ってくるというか。

 珍しく授業中に席に着いているかと思えば熟睡しているし、日頃からの天真爛漫な振る舞いを見ていると心配になるのだが、先々月にあった中間考査の結果は、赤点どころか高得点も高得点。その時僕は、エレメンタリー以来の全教科満点の答案を目撃したのだった。

 魔法は使っていないと言っていたが、嘘をつく必要は無いし、何故か信憑性もあった。それは多分、こういう時に発揮される頭の回転の速さのせいなのだと思う。

 サクラは僕の耳元に口を近づけて言う。吐息が耳に触れて、背中に悪寒が走る。


「『願いの夢』の話をしたいんじゃろ?」


 どことも知れぬところから汗が噴き出し、それが涼しい夕凪に撫でられて悪寒に変わる。絶え間ない風の流れは、涼しさを超越した寒ささえ感じさせる。今、きっと、背中を触られるよりも嫌な汗をかいているだろう。

 まず第一に、詳細に心が読まれたことに対して、怯えた。アリスのように自分の意志で言わせたりしないサクラの場合、心の中が丸々読み上げられるような感覚にとらわれるのだ。

 乱れる呼吸を気取られぬよう、密かに息を止めて答える。

「あ、ち、ちょっとだけ、気になって……。サクラのこと……」

 サクラは少しばかり驚いた表情になって、互いの二の腕がぴったりとくっついた元の体勢に戻った。そうして小さく笑うと、僕の肩に頭を凭れかけてきた。

「んふふ、そうか。どんなことじゃ? 背中ぷれいに免じてなんでも教えてやるぞ」

「あ、うん。ありがとう。眠れないほど気になってるわけでもないし、答えたくなかったら全然答えなくてもいいからね」

「それはつまり、気になり過ぎて眠れないし、今すぐにでも答えが欲しいということかのう?」

「いやいや、全然! そんなことないよ!」

 あわよくば知れればという心意気でいる手前、複雑だ。でも、深層心理は確かにそう言っていて、否定はできない。そんなにわかりやすい表情をしていただろうか。

「そんな遠慮せんでよい。わしとお主の仲じゃろ」

 改めて身を寄せられて気付くのは、心拍数でも読み取られたのではないかということ。気になるのは、そのあたりの範疇だと言うこと。

 僕から距離をいくら離そうが、サクラ側でコントロールできてしまうのなら、確かに距離は無意味なのかもしれない。身も心も。

 そういう風に体よく考えついてはじめて、僕は一歩踏み込める。

「それじゃあ、サクラの魔法についてなんだけど……。具体的にはどんなことができるの? 初めて見た時は瞬間移動みたいなことしてたし、この前はセミプロの会長にチェスで勝ってたし、テストは全教科百点だし、どこからどこまでが魔法なのか曖昧で……」

「そうじゃのぅ。魔法と一口に言うても、その形は自分で大体こんとろーるできるんじゃよ。魔法を使うための源のような何かが、わしらの中に満遍なくあってな? 例えば、そうじゃな……。わしらが皆、食材を持っておるとしよう。人参でも茄子でも何でもよいぞ」

 何となく自分の好きな食べ物が浮かぶ。

 実際自己紹介も悪くないな、と心の中で密かに笑う。

「さあ、お主はその食材をどう調理するんじゃ?」

「え? あ……なるほど、そういうことか」

「そういうことじゃ。つまり、わしはその調理法を知っとるわけじゃ。瞬間移動じゃったり、先読みじゃったり、物質生成じゃったり、わしはたくさんのレシピを編み出したんじゃ」

 それならば、サクラの満点が嘘でないことも納得できる。

 全ての問いに対する答えを探るためのレシピを編み出すくらいなら、数字の概念ごと書き換えでもしてしまうだろうから。小物料理のレシピを練るよりも、大きなご馳走に試行錯誤する方がサクラの性にも合っていると思うし。

「ついでに聞くけど、先読みってことは人の心を読んだりできるの?」

「それは無理じゃ。先読みは、実は感覚神経を活性化しておるだけなんじゃ。それで心拍数とか虹彩の動きとか息遣いを観察してー……ってことじゃ。心を読むのじゃったら、ありすのが百万倍得意じゃろ。ぬははっ!」

「まぁ、確かに……」

 しかし、そうなのであれば尚のこと疑問が浮き彫りになる。

「ねえ、サクラ。もう一つ聞いてもいい?」

「なんじゃ?」

「どうして魔法が使いたかったの?」

 漠然としすぎていて、難しい質問だっただろうか。言いたくないのであれば、強制して聞き出すつもりもない。

 けれど、どうにも腑に落ちない。サクラが、というよりかは誰もが、魔法を使いたいと思う前に、ある思いが先行してしまうと思うのだ。

 魔法とはいわば『手段』であり、人々が欲する『結果』ではない。空を飛びたいと願うならば、『空を飛ぶ魔法』というのは手段にあたる。空を飛びたいのであれば『空を飛びたい』と願うことが最短で確実なのだから、その『手段』に付加される価値があるはずなのだ。

 サクラがその価値をどう見ているか、気になってしまったわけだ。多少踏み込んだ疑問であることは理解している。

 願わくはその答えが、らしい(・・・)ものであることを祈って。

 唸りつつも「そうじゃのぅ」と考えていたサクラから、二の腕を通して閃きが伝わってくる。巧く表現できる言葉が見つかったのだろうか。

「簡単じゃよ?」

「うん」

「面白そうだったからじゃ」

「そっか。そうだよね。サクラだもんね」

「なんじゃそれ? わしゃ、ばかにされとるのか」

「ち、違うよ!」

 色々な意味で焦って、さっと身を引き首を振る。

 すぐさま距離を詰めてきたサクラは、ふふっと鼻で笑って、また磁石のように僕の左腕にくっついてきた。

「わしは悪用なぞせんぞ。性に合わんのもあるが、そんなことに魔法を使わなくとも、わしはわしの力で欲しいものを手に入れられると思うのじゃ。わしは結果よりも、そこに行きつくまでの道のりが大事じゃと思うんじゃ」

 サクラが言葉を発する度に、心地の良い振動が腕を伝って脳を刺激した。どうして心地がいいのか、流れてきた刺激に従って考えると、〈一人じゃないからだ〉とわかった。サクラも同じものを求めて密着してくるのだろう。

 僕がサクラの言葉に頷けば、理解や同調の想いすらも全部伝わって、サクラの声はさらに柔らかくなる。その循環が、僕に懐かしさを感じさせた。

「努力は嫌いじゃが、欲しいものを求めているうちに、それが勝手に努力になっていると思うのじゃ。欲しいものを求めることは楽しいことじゃから、気付かないのかもしれんのう」

 庭園の中心のベンチに座って、屋上のフェンス越しの空を遠くに見る。夏の涼しい夕風も、肌を炙る夕日も全部、時間の経過を僕に知らせるためだけに存在しているように思えた。ゆっくりと、時折眠ったように静止して、サクラが語るから。

「そうして求めておれば、気付かぬうちに手に入れておるものなのじゃ。『願い』というものは。じゃから、わしがあの夢に思うのは、結果より道のりじゃ。楽しいことがしたいというのは、簡単そうに見えて奥が深い。終わりなんてないのじゃ。のあのように一途な恋情があれば、辿り着くところも見えてくるんじゃろうがなぁ……」

 サクラが吐露する厳しい現実は、周囲の時を早める。雲は風に吹かれて靉靆として靡くし、水は低い場所へ流れ溜まる。そういう自然の摂理のようなもの全てが、早送りに見えてくる。

 それが僕の虹彩を通して像を結ぶ速さを超えるまで、いつもそう長くはかからない。

 暑くも寒くもなく、居心地良くも居心地悪くも無い。それはまるで、時が止まるような瞬間で。世界はまた、いつかどこかで見た絵のように、静寂の彼方へと意識を運ぶ。

「わしはおぬしも欲しかったんじゃが」

 再び世界が動き出すまで、どれぐらいの時間があっただろうか。



「ずっと……」



 何かの拍子に目を覚ますと、今までのことが夢のように、世界は動いていた。夢を見ている時と情景が全く変わらなかったから、目を覚ますと言うよりか、我に返ると言う方が正しいかもしれない。

 隣に座っていた少女は、半分だけ動いていた。

「サクラ。おーい……。サクラ……。…………寝てる」

 いつの間に眠ってしまったのだろう。僕とサクラ、どっちが先に眠ったのだろう。

 それがさしたる問題ではない事に気付いた瞬間、僕の額から嫌な汗が噴き出して止まらなくなる。

「会長、一人で大丈夫かな……」

 ルリ会長は期待を裏切らない人だから、おそらくまた失意しているだろう。間に僕を介すればフォローもできるが、一対一では話が違う。相手校が相手校だけに、失礼があっては本校の存続に関わるかもしれないと先生が言っていた気がする。

 いくら紳士で聖人な会長であっても、目を合わせずに何かぼそぼそと呟くだけの生徒会長と対等に会話をしてくれるとは思えない。

 とどのつまり、こうしてはいられない。

「とりあえず、時間を確認しないと……。この暗さじゃ、多分手遅れだけど……って、離れないっ!?」

 我に返る前の記憶を掘り起こすと、密着していたようだったので不自然は無い。けれど、こうまで寝相が悪い――抱き癖があるとは思わない。胴回りの一番柔らかいところを、がっちりとロックしてくるあたり、昔のリズを彷彿とさせる。

「思い出に浸っている場合じゃない……。どうしようこれ……」

「るー」

「わっ。びっくりしたー……」

 そんな呼び方をするのは、リズくらいのもの。その上、学校でそう呼ばれることもあまりないので、かなりドキッとした。

 そんなことよりも、早く抜け出さなくてはいけない。学校の存続がかかっているのだ。

 無理くり手を解くのが一番手っ取り早いが、過去そうして、穏便に事が済んだことはない気がする。そうやって起こされたリズが、不機嫌でないことなどありはしなかった。魔法が使えるサクラが相手の場合、駄々をこねるのでは済まされなくなるかもしれない。

 誰かに言伝を頼もうにも放課後に屋上を訪れるのは、園芸部くらいのものだし、活動時間の昼休みはとうに過ぎてしまっている。万に一つ誰かが来たとして、その人が生徒会役員である確率などたかが知れている。

「起きて、サクラ。僕、ちょっと行かなきゃいけないんだ。サクラー。おーい……サクラー……」

 とうとう、機嫌を損ねない程度の声量で名前を呼び続けるしかなくなってしまったようだ。

 サクラの寝息を感じながら、サクラの名前を呼び続ける。時折、気恥ずかしさを感じて、ルリ会長の名前を混ぜてみる。二人とも、羨ましいくらい可愛らしい名前だ。

 それも飽きて、今度は友人の名前を呼んでみた。生徒会とは無関係だけれど、アリスが迎えに来てくれれば色々と何とかなりそうな気がしてしまう。ノアさんはあたふたしてしまいそうだけれど、アリスに意志が通じているのだから問題はない。

 流れでリズの名前も呼んでみる。かなり恥ずかしかった。さすがに、父と母は呼ばないことにする。

 さて、一通り点呼したところで、僕は悲しくなった。

 こうして一五年もの間この世界で生きてきて、僕が名前を呼べる人が容易に数えられるほどしかいない自分の世間知らずさに、である。

 エレメンタリー時代の友人や、それより前の幼少期に知り合った人たち。大人であったり、僕と同じ子供だったり。決して忘れたわけではないけれど、こうして何かを求めている今、僕はその人たちの名前を呼ぶことができなかったのだ。そして僕は、その人たちに何の情も抱けなかったのだ。

 背景ばかりで中身の無い思い出ばかりが想起されて、心の底に溜まってゆく。溜まったものは、必ずどこかへ溢れ出る。それが溜息なのだと、暗がりに毒づく。風化して削れることすらない空っぽの思いも、そうしていっしょくたに流せればよかったのに。

「レイル会長……」

 比較的記憶に新しいその名前を呼んだ、その瞬間だった。


「呼んだかな?」


 背後から声が聞こえた。

 サクラにロックされていて振り向くことができないけれど、この柔らかい声は紛れもないあの人だ。あの人ならきっと、僕が振り向かずとも視界に入ってきてくれるだろう。

 そして姿を現したのは、よりにもよって今一番来てはいけない人だった。

 空耳だとか人違いだとか、そう言った類の期待は抱いていなかったが、それでも言葉は喪失した。自責や弁明がごちゃ混ぜになって相殺されたのだと思う。

「あ……」

「僕を呼んでいたみたいだけれど、どうしたんだい?」

 どこから弁解すべきか、判然としない。僕は、上昇していく心拍を抑える術を、あのフェンスを飛び越える以外に知らない。

「仲が良いんだね」

「あ、いえ、僕は……」

 呼んでいません、という答えが出遅れていることに気付いて、とっさに引っ込める。それは口ごもることと同義である。言葉に詰まるとはこのことだ。

 怒ったり恨んだりしないのが聖人だから、レイル会長を聖人会長だと称していた僕にとって、わずかに曇ったその表情ですら恐怖だった。

「サクラさん、って言ったけ? その子。いつも眠っているね」

「あ、はい。そうですよね……」

 僕の中でのサクラのイメージは、元気よく遊んでよく眠る和少女であるから、「いつも眠っている」では語弊があるけれど。今はそんなことを訂正している場合ではない。

 僕が今訂正すべきは、こうして暗くなるまで休憩を延長してしまった過去である。レイル会長に出向かれてしまっては、弁明の余地などないのだから。

 漸く、最悪の事態を実感し始め僕に追い打ちをかけるように、レイル会長が一歩を歩み寄ってくる。物音に反応したのか、その一歩が踏み込まれたとほぼ同時に、僕の胴を抱き締めていたサクラの腕が、ぎゅっと一層強くなる。

 その微動を見ていたのか、レイル会長は一歩近づいたところで止まり、それ以上は踏み込んで来なかった。遠いと言うには近すぎ、近いと言うには遠すぎる、微妙な距離で停止し、僕たちを凝視した。僕を(・・)ではなく、僕たちを(・・・・)だった。

 その視線は、贖罪の念で無防備になった僕の心に、ひりひりと沁みた。その言葉に、僕は死線を彷徨うような心地になった。


「もしかして、付き合っていたりするのかい?」


 一文字一文字、槍の雨のように脳天を直撃した。意味を理解するころには、幾分か出遅れているのだろうけど、レイル会長は待っていてくれた。

「そそそそ、そんなことはっ……」

 手をバタバタと横に振りながら、首も左右に激しく振る。全力で否定するという意味合いよりも、顔を隠すためにやった行動だった。

 荒ぶる視界の中、かろうじて見えたレイル会長は、少し物憂げに息を吐いていた。

「ま。それは、そうだよね」

 なんだろうか。そうやって、まるで当然のことのように肯定されると、少しだけ悔しくなる。何が正しいのかなんてわからない議題に、唐突に理不尽な『正解』を出されたような気持ちになる。

 異議申し立てをできる立場にないし、あったとしてもできていたかわからない。

 こういう時、僕はいつも傍聴しているから。


「なんじゃ。残念じゃのう」


 その言葉は、誰よりも億劫で幼かったけれど、この空間で最も僕に届いた。物理的にも、精神的にも。

「サクラ!? 起きてたの!?」

「お主が興奮するから起きてもうたのじゃ」

「語弊のある言い方しないでっ!?」

「なんじゃ。ホントじゃろ。わしに抱きつかれてどきどきしておったくせに」

「ちょっ、違っ……っていうか、起きてるなら離してっ……」

「わしが寝てたらいいのかのぅ?」

「そういう意味じゃっ……はっ!」

 往年のサクラ節を回避しつつ、レイル会長の方へと視線をやってみる。

 今一番してほしくない微笑みを、僕に向けていた。顔から熱が引いていく。

 語られるサクラ節は、対抗するように熱く降り荒ぶ。

「意地悪言うでない。わしらはもう、イッセンを越えたカンケイじゃろぅ?」

「誤解だからね!」

「なんじゃなんじゃ。背中(ばっく)もしたじゃろー?」

「なっ。違います! 違いますから! サクラは冗談が好きなんです!」

 慌てて弁明を織り交ぜる。大きく身振り手振りを交えながら、必死に。

「苦労するね。ルートさんも」

「は、はいっ。そうなんです! だから――」

 何か伝わったかとホッとしている暇もなく、サクラ節が聖人会長までをも襲う。

「なんじゃ。おぬしは。まだおったのか」

「こ、こらっ!」

「わしはるーと――んっ!?」

「し、失礼しました! この子はこういう子なんです!」

 自分でも何を言っているのかよくわからないが、そう言うしかなかった。

 サクラの口を多少強めに塞いで謝罪に努めていると、手先に鈍痛がやってきた。

「痛っ!! か、噛むの!?」

 まさかとは思ったが、そこはさすがサクラだった。

 少し湿った手がどかされると、サクラはまた話し始めた。でも今度は僕に向かって、

「わしは、るーとに話があって呼んだんじゃ」

 それも微毒を含ませて。

生徒会長(そやつ)が、とんでもなくアブナイやつじゃとな」

「え?」

 二の腕を通して、サクラの鼓動がわずかに早くなるのがわかる。わずかであろうと、その変化は僕に大きな恐怖を抱かせた。尚もレイル会長を捉えていたサクラの視線は、わずかなりとも動きはしなかったけれど。

 サクラに注目していたから、レイル会長の声に少し驚く。鼓膜を効率よく震わせる透き通った声質が、今ばかりは強引に耳に突き刺さってくるかのように感じられた。

「確かに、そう感じる人も世の中にはいるかもしれないね。否定はしないよ。でも、ルートさんもいるから、一応言っておくよ。心外だな」

 聖人会長という呼称を撤回したくなるほど、その言葉には恐ろしく説得力がなかった。レイル会長の信憑性がないというよりかは、サクラが嘘をついているように思えないと言うのが正しい。

 僕は殊更に言葉を添加せず、サクラの言葉を待った。

「僕のどこがそんなに気に食わないんだい?」

「…………」

「治せることであれば、最大限努力するよ」

「嘘臭いのう」

「嘘じゃない、っていうしかないよ。僕は」

「お主。普通じゃないじゃろ」

 レイル会長が首を傾げるのと同時に、僕も思わず首を傾げた。

 哲学的なことを言っているのか、感覚的な事を言っているのか、全く掴めない。すでに「普通でない」サクラが「普通でない」と指摘することが、果たして形式として正しいことなのか、それすらもわからない。

 しかし、それは「普通でない」からこそ知っている「普通でない」なのかもしれない。それなら、一度きりの人生を生きていない僕にも、その断片くらいは理解できているのかもしれない。

 踏まえれば、サクラの言葉の意味はつまり、『願いの夢』に絡んだ言葉に聞こえなくもない。

「普通じゃない、か……」

「レ、レイル会長?」

 レイル会長は天を仰いで、まるで独り言のように呟いた。

 荒唐無稽な行動だったので、少し不安になる。視線がこちらに向いていないと、何となく安心できない。そんな思いから、レイル会長の名前を口に出していた。

 力の無い僕の呼名で、わずかな心情の変化すらも伝わったようだ。サクラがまた腰に抱きついてくる。何も言わずに。

「それは、僕を恐れているのかな?」

「違うわ。いちゃいちゃしとるんじゃ」

 反論するサクラのセリフには覇気が全くなく、自然、説得力も抜けていた。凄んだ割に声量も心許なくて、腰骨を通して伝わってきた振動が発声によるものでないとすぐわかった。僕が言えた義理ではないけれど、サクラは嘘が下手なのかもしれない。

 焦りとともに感じたのは、守らなくてはいけないという使命だった。

「ふぅん……そっか。それじゃ、仕方ないね。僕はもう行くよ」

「そうじゃそうじゃ。早う行くのじゃ」

「サ、サクラ!」

「ルートさん。僕は大丈夫だから、あまり気を遣わないで」

「あ、いえ……」

「それから、今日の会合は楽しかったよ。ルリさんともちゃんと話せたし」

「そ、それはなによりでした……」

「どうせお主が何かしたんじゃろっ」

 ぶつぶつと会話を切るように、サクラの横槍が刺された。でも、勢いがないせいで、すべて空を切っている気がする。槍だから、核心を突けていない感じだろうか。

 的外れな小言は、無視される形となって会話が繋がる。

「それじゃ、サクラさんの気に障るみたいだから、僕はもう行くね。次に会えるのは多分、本番の少し前のリハーサルの時だと思う。夏休みの最後の方かな。それまで、文化祭の準備頑張ってね。僕たちの方も、色々と手続きを頑張ってみるよ」

「は、はいっ。ありがとうございますっ!」

 僕が受け答えすると、サクラが「ぬう」と唸った。何となく睨まれているのがわかったので、レイル会長の方を向いたままでいた。

「それじゃあ、ルリさんにもよろしく」

「はい。今日はお疲れさまでした」

 僕がそういう頃には、レイル会長はいつもの柔らかい笑顔に戻っていた。これで背景が夕焼けであれば、哀愁があったのだろうけれど、今はほとんど暗闇だった。仄暗い空間の中で月明りに照らされ浮かぶその背中は、何とも不気味だった。レイル会長の微笑みを見た直後としては、妥当な落差だと言えるだろうか。

 そして、小さくなっていくその背中を目で追う。暗闇のせいで距離感が把握できない。視界から消えはしたが、もしかしたら、そこまで離れていなかったのかもしれない。

 その声は『願いの夢』のように、僕の頭に直接響いたのだった。



「僕は間違いだと思う」



 翌週、長い長い夏休みが始まった。

 それまで、僕とサクラは一言も話さなかった。



 

【あとがき】

 もうお気づきの方もいると思いますが、今章のサブタイトルは、夏定番映画のパロディになっております。意味はあったりなかったりいつも通りの感じですが、一応映画の内容を踏まえて選んではいます。


 この終わり方だと、次回は難しそうな雰囲気がします。

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