Ⅰ 僕という名の、終着点。
【まえがき】
もう少しだけ、ルート編が続きます。
本編です、どうぞ。
僕は昨日で十五歳になった。
それはごくごく自然な時間の流れだけれど、平々凡々で順風満帆な日常生活を送れない人たちもいるのだから、この時間感覚の余裕は幸せを意味している。夏休み明けの初日と言うこともあって、頭が鈍っているだけかもしれないけれど。
ただ、何をもって満たされていると定義するかは人それぞれだから、哲学者でもない僕が口を出すのは器に合ってないというものだろう。
リビングに差し込む温かで平穏な日光にも、特別の感情を抱くことはない。
「おはようお母さん」
「あら、おはよう。リズは?」
「多分、まだ寝てるんじゃないかな」
僕には、当然のように両親がいる。加えて、大事な妹もいる。それを一括りにして、家族と呼ぶのである。そこに犬や猫などのペットを数える人もいるだろう。
大事なのは数や質ではなく、その存在だ。
存在しない人は不幸なのか、と聞かれたら僕は「わからない」と答えるしかない。けれど、いなくても幸せな人もいる、ということは知っている。
〈じゃあ『本当の家族ではない』という条件を付けたらどうだろうか〉
ふと湧いた邪な思考回路に、内心驚く。
けれど、向かいの椅子に座る父が読んでいた本のタイトル【Maybe a Family】を見ると、回路の発生源が確認できたようで少しホッとした。
「今日の朝ごはんは……って、母さん。目玉焼きは二つにしてって――」
「わかってますよ」
父はいつも、朝食のおまけに本を読むのではなく、読書の片手間に朝食を食べている。それなのに難癖をつけるというのはどうも図々しい気がするのだが、それに対して母が怒りを表したのを見たことはない。母の返答に付加された屈託のない笑顔を見るに、我慢しているということもなさそうだった。
僕も席に着いてから、朝の雑談という意味合いで気軽に尋ねてみる。
「ねえお母さん。なんでお父さんだけ二つなの?」
「そ、それは……」
一瞬、卵を割る母の手が止まる。同時にコーヒーを飲んでいた父の動きも止まったから、時が止まったようにも感じられた。
どうやら聞いてはいけない何かがあるようだった。
果たしてそれは、大人限定の事実なのか二人だけの約束事なのか。どちらにせよ、今、知ることは出来ないだろう。
〈沈黙が、つらい……!〉
深く介入してまで知りたい情報ではないことに気付いて、空気を悪くしてしまったことを少し後悔する。
止まっていた時は、母によって動き出す。
「秘密よ、ヒ・ミ・ツ」
このところ三十路がどうこう言っていたはずの母は、唇を人差し指で塞いで見せた。
どのくらいの年齢の人まで、その動作を不自然なく使えるのか僕は全く知らないけれど、母はまだまだ余裕だと思った。
コーヒーと補色の関係にあるくらい白い肌は、家の中だけでなく街中でも良く映える。一緒に買い物に行くと、目線を集めているのがよくわかる。
コーヒー園を一人で切り盛りしている身上、コーヒーの成分が肌に良い効果をもたらしているのかもしれない。
「ヒ、ヒミツ?」
「そうよ。ヒミツよ」
母は再び、唇に人差し指をあてて軽くウインクして見せた。
母は結構……いや、かなりの楽天家で、自分が注目を浴びているということにあまり頓着していないようだった。
その人目をあまり気にしていない性格は、妹のリズに遺伝したようで、彼女もまた頻繁に傍若無人の素振りをしていた。
「あら、リズ。おはよう」
「うん、おはよー。うん、おはよー……」
寝ぼけたまま顔を洗ったのか、前髪が少し濡れている。寝癖もまだほとんど直ってないし、何より眠そうだった。挨拶を二度するあたり、母とのやりとりも反射でやっているのかもしれない。この通りである。
こんなあられもない姿を誰かにに見られたら、と思うと僕は気が気ではない。
もう一度言おう。
僕は気が気ではない。残念ながらリズではなく。
リズは半寝のまま、僕の隣の席に座った。ふわりと漂ってきた芳香に、僕は意識してしまわないよう、必死でコーヒーの芳香で上書きしようと試みた。
「あ。ルー、おはよー」
「う、うん。おはよう」
緊張のせいで乾きそうな口の中を潤そうとコーヒーを啜るけど、今度はその熱さが頭を混乱させそうだった。
自分から話をすることもできず、それでいて目も合わせられずたじろいで、意気地の無い人みたいになってしまう。まあ実際、意気地なしと言われることはあった。
でも、相手が妹だと意気地云々と話は変わる。
「そぉだ……ルー、昨日は――」
「き、昨日は部活の大会お疲れさまっ。昨日のパーティー、楽しめなくて残念だったねっ。プレゼントのことは気にしてないから、うん、大丈夫だよっ。だから謝らないで!」
伝えたいことをすべて伝えなければと焦るあまり、僕はそう口走っていた。
言い放った後、脳で一つ一つ処理が行われると、恥を晒していたことがわかってくる。
「え、あぁ……、ん?」
妹がどんな表情をしているか想像するのも怖くて、間を稼ぐのに、とりあえず両親の表情を拝む。
自分の置かれた状況が、自然と理解できてしまう顔をしていた。
すると、感じていた羞恥心が倍に膨れ上がって、一気に心を満たして、死にたくなってきた。
「ちち、違うんだよ! 別にプレゼントが欲しいわけじゃなかったんだよ! 僕は本当にリズに無理をしてほしくなくて……って、お母さん笑ってないで、信じて!」
言い訳も虚しく、誤解されてしまった。
……誤解なのか?
「わかったよ、ルー」
母も父も僕も、リズを見る。
注目を一手に集めて、リズは自信ありげに目を見開く。少し遅めの起床になるのだろうか。
その一声、その動作で、僕にとる嫌な空間は、リズ色に支配される。
僕はリズに導かれるように、「何が?」と尋ねた。
「プレゼントを欲しいということが」
「全然わかってないよ!?」