〖surely〗ルーと!
【まえがき】
リズ編です。
抒情的で私は好きです。書くのも見るのも。
どうぞ。
小鳥の囀りが聞こえる時、人々は大抵、自分のベッドにいる。一週間前の続きだろうが、昨日の続きだろうが、そういうものだ。
夜通し天体観測をしたり、極地で生活したりすれば、それは例外に当たるけど。
そうでなければ、ほとんどの人は自分のベッドで、この清々しい朝の声を聞くことになる。
今日の私は、ほとんどじゃない方の人だった。
「…………」
「おーい。起きてよー」
小鳥たちの声を邪魔しない程度の小声で、囁く。言葉の意味よりも、吐息で耳元を擽る意味合いが強い。
朝特有の小気味のいい鳥の声は、割に元気で、加減された私の声など、すぐに打ち消されてしまう。
けど、このまま無理やりに起こすのは、なんだか悔しい。小鳥に負けたみたいで。
もう少し、悪戯をして様子を見よう。
「寝相いいなぁ。ルー」
私というイレギュラーを布団に抱えても、寝ながらにして柔軟に対応していた。潜り込んだら、自然と場所を空けてくれたし、その後も私が布団からはみ出ないように調整してくれた。起きてるのかと思えば、脈絡のない寝言を言い出すので、無意識らしかった。
いつも起きてる時間にはまだ早いから起きないのかな。
私の初の試みとしてはありがたいけど、なかなかどうして。
これでは、成功なのか失敗なのか、わからない。
「あ。そろそろ起きないとまずいかも」
私が思う成功のビジョンを見るには、少しばかり時間が足りない。でも、揺すって起こしたら、何の面白みも無い。抱き癖があるとかキス癖があるとか、そういう収穫があれば、今日のところは諦めてあげようとは思ったけれど、完璧な寝相で……って、私は何を期待してるんだろ。
まぁ、いいや。
このままここに寝ていよう。眠いし。
大事なのは周囲からの評価じゃなくて、自分に蓄積されるモノなんだ。遅刻したって何したって、どうせみんな忘れちゃうんだし。
何より眠いし。
「おやすみー」
朝独特の小鳥たちの鳴き声を聞きながら、私はまた目を閉じた。真っ黒になった視界には、何分後かの成功のビジョンが浮かび上がってきた。
こうして思わずニヤけてしまうのは、久しぶりの「おやすみ」を、久しぶりのこのベッドで、久しぶりにルーに言えたからだった。
寝癖は私の方が悪い自信がある。むしろ自信しかない。
色々面白いことをしてやろうと思う。
こうして、また、私の今週は始まる。
今日の私の目覚ましは、隣で眠る人の絶叫だったりする。
*****
「ごめんってばー」
「ま、全くもう。本当にびっくりするからやめてよ」
朝食を仏頂面で食べるルーなんて久しぶりに見た。あと、運動着のルーも。
今日は本当に収穫が多い。添い寝をした甲斐があるというものだ。
あれ。本来の目的、何だっけ。
「あらあら? ルートが怒るなんて珍しいわね。なにがあったのかしら?」
お父さんの分のトーストを食卓へと運んできたお母さんが、にこやかに問うてくる。何でもお見通しなその笑顔が、私の怖いものの筆頭だったりする。嘘です。ごめんなさい。
「なんでもなーい」と言う私の冷静に、「なな、なんでもないよ!」と、ルーの焦燥が被さってくる。でも、その顔には『なんでもなくない』と書いてあった。
母の表情を覗き込めば、自然、ため息が出る。
ふと目が合って、額に汗が滲む。
「リズがなにかしたのね? うふふふ。若いっていいわねぇ……」
お母さんは微笑みながらそう言うと、髪を解きながらキッチンの方へ行ってしまった。洗い物をしながら、ニヤニヤしているに違いない。
私は、隣であたふたしているルーの脇腹を軽くつまんで、こっそり言う。
「ばれちゃったじゃんっ」
「えっ? だ、だって、そんなの……リ、リズが悪いんだよっ」
同じく小声で口応えしてくる。
つまんだ部分を引っ張って、私は負けない。
「ルー、ぷにぷに」
人間、これだけ年を重ねれば、柔らかくて当然なのは知っている。知っていてやっている。私だから許されることも知っている。良くないことだって知っている。
でも、私はする。しなきゃいけない。ルーの言う“あの時”を、悲しいものにしてしまったのは、他でもない私なのだから。
「きっと運動不足だよ」
だから、私はルーの黒い部分掠めるような発言を重ねる。これで嫌われてしまったのなら、それはきっと、必然たる天罰なんだと思う。
いっそ、私は天罰を受けたい。言っておくけど、私はどエムではない。
天罰を受けて、すべてがチャラに、ゼロに――元通りになるのなら、私は甘んじて罰を受け入れようと思うのだ。
そういう考えもあってか、私はこのところ、意識的にルーの心に触れていた。それも、逆撫でするように。
それなのに。
「ちょっ、リズっ……く、くすぐったい……よ」
どうして、そんな眼をするの。私の心を洗い流すような碧と翠の愚直で、純粋に受け止めてしまうの。そうして目を逸らして、私を引き込むの。
これじゃあ、黒に染まる私の覚悟が、無意味になっちゃう。
けど、そういう潔白な瞳こそ、ルーのいいところだし、私が思う好きなところでもある。
じゃあ、私はどうして欲しいんだ、というのが結論だったりする。
迷いの果てに、私はルーの柔らかい贅肉から手を離す。銀色のスプーンを持って、温くなったコーンポタージュを一口啜る。唇越しに感じるスプーンは冷たくて、生暖かいルーのお腹が恋しくなる。こんなのは、コーンポタージュが温いせいだ。
ぬるま湯みたいな私の気持ちを温めるよう、ルーはいつも熱い。
「ま、まぁ確かに、これじゃあね」
「うんうん」
「さすがに、お父さんみたいになるのは嫌だな」
「うんうん」
ルー、私、お母さん、とスタイル抜群家系のウチの中で言ったら、お父さんは確実にふくよかな部類になる。本ばっか読んでると、ああなる。
「ま、でも、そんなに食べないから大丈夫かな」
「えー。いつもみたいに、アリスお姉ちゃんにバカにされるよー」
「それはそうかもだけど……アリスだしなぁ」
なんだ、その『アリスのことなら何でも知ってるよ』的な言い回しは。ちょっと腹立つな。
「ま、いいや。ルーって、服、割となんでも似合うからね」
「そ、そうかな? ……あ」
一瞬、自分の衣服を確認したと思うと、言下に「ありがとう」と言い足して、わざとらしく笑顔になる。
運動着というキーワードから、色々と連想したんだ。すごい発想の転換……じゃなくて。少し詰め寄り過ぎたみたい。
二の句が継げないでいると、キッチンから戻ってきた母が、話題をリセットしてくれた。
「ルート、急がなくても大丈夫なの?」
「あ!」
お母さんの催促を皮切りに、ルーはご飯を食べるスピードが急上昇する。
お母さんはそれを見て薄く笑いながら、朝食の席に着く。
「やっぱりねぇ。イベントがある時は大体待ち合わせしてるから、もしやと思ったけど」
「時間は、あと……十分しかない!」
「でも、珍しいわね。ルートが何か忘れるなんて」
お母さんは微笑んだまま、私の方を見てくる。
なんだよ。一週間経てば、皆だって忘れ物するじゃないか。
……なんてことを目で反論していると、早々にルーが席を立った。
「そ、それじゃ、行ってきます!」
「ルー、鞄は?」
「あ! あはは、ありがとう……」
小走りを始めた瞬間に呼び止めたから、ブレーキの時の慣性がすごかった。靴下を履いているせいもあって、良く滑った。
そしてまた、「行ってきます」と、気を取り直す。
「ルー、お弁当は?」
「あ! あはは、ありがとう……」
また、慣性がすごい。ルーは焦ると面白い。
私は決して、おちょくっているわけじゃない。お母さんだって笑っている。お父さんだって、またコーヒーの水面を揺らしている。
顔を真っ赤にしたルーは「今度こそ」と、意気込む。
「それじゃ、行ってくるね」
私は、気は引けたが、それでも言わなければと思って、言う。
「ルー、寝癖」
「嘘っ。……あ、本当だ。じゃ、じゃあ、直してくるね……」
「じゃあ、私がかっこよくしてあげるー」
気付けば、私も食べ終わっていた。
ルーは割と食べるのが遅いから、追いついてしまうのも無理はない……はず。
そういうことにしておこう。
私も席を立って、遠慮するルーの背中を押して洗面所まで歩いていく。居間を後にする時、お母さんの「くすくすっ」という小さな笑い声が聞こえた。
日常の中に潜む、こういう軽微な変化を楽しんでいるんだろう。特に、ルーに関しては、本当に楽しみにしていると思う。
何度繰り返しても同じことしかしないルーを見ていると、少しだけ不安になるから。もしかしたら、何かを隠しているんじゃないかなって。今までも、そういうことがなかったわけではないけれど、ルーは本当に変わらない。良い意味でも、そうでない意味でも。
だから、こうやって少しだけいつもと違うことがあると、私も嬉しくなる。それが本当に微々たる変化だとしても、私は嬉しい。
そして、ちょっと応援したくなってしまう。
文字通り、背中を押したくなってしまう。
「じゃ、ここに座ってー」
「う、うん……」
洗面所の鏡の前に椅子を置いて、そこへルーを座らせる。
少し急いでいるのもあってか、ルーはどことなく落ち着かない様子。
私はその後ろに立って、髪の毛をいじり始める。手始めに、速乾性のトリートメントを寝癖の矯正にして、ぴっちりと整えてやる。私なりに、ちょっと変化を加えて。
「あ。もう直ったね」
「あ、本当だ……って、後ろ髪のところ変な風にしたでしょ!? なんだか違和感がすごいんだけど!?」
「あ。気付いたー? あはははっ」
私の欲する変化が、必ずしもルーの求めるものであるとは限らない。けど、その中に一つくらいは、共通の望みがあったっていいと、私は思う。
私だって人並みには勘が働く。
だから、ルーが何を望んでいるのかわかる。ルー、わかりやすいから。
「はい、できた」
「ありがとう……って、また! しかも、サイドテールっ」
「あははははっ! かわいー!」
私はルーの柔らかい髪を弄びながら、一つ思い、また悩む。そういう意味では、アリスお姉ちゃんから聞いてしまった事実を、私はまだ受け止め切れていないのかもしれない。
ルーの表情が焦燥のそれに変わっていくごとに、昨日のアリスお姉ちゃんからの電話が鮮明に思い起こされていく。
「はい、なおったよ」
「こ、今度は大丈夫だよね…………うん、大丈夫。普通だ」
今、目の前であたふたしているルーの口から、『ふつう』なんて言葉が聞けるとは思わなかった。ちょっかい出してよかったなと、しみじみ思う。
でもやっぱり、鏡に映る姿がいつも通りになってしまっていて、なんだか少し悔しい。
「ありがと――って、わっ! ちょっ!」
私はルーの髪の毛をもじゃもじゃと、手荒く撫でまわす。さらさらなせいで、私の手の動きの軌跡通りに、髪型が変わる。今度は、前髪が揃い過ぎていて面白かった。
でも、ルーがすぐに戻してしまって、また面白くない。
「き、急にどうしたの……?」
「…………」
「リズ……?」
鏡越しにじゃなくて、今度は直接私の方を覗き込んでくる。
そんな眼で見られても、何も答えられない。私だって、自分が何をしているのか理解できてないのだから。すべては気分なのだ。
だからこれもまた、気分だ。
「ねぇルー」
「どうしたの?」
「部活、入らなくてよかったの?」
一瞬、目をパチリとさせたけれど、ルーはすぐにいつもの優しい面持ちになって、応えた。なんていうか。ものすごく頑なに感じた。語勢も、その表情も。
「いいんだ」
「いいの?」
「うん。後悔はしないよ。絶対」
「そうなんだ」
ルーは絶対と言った。絶対など存在しないこの世界で。
プラスもマイナスも無いということ。それが絶対。
繰り返し繰り返し繰り返し、何度も同じ物語を紡ぐこの世界で、変わらないことなど不可能なはずなのに。逆に、人は変化を求めて生きているというのに。
私は聞いてみたくなる。
「ね、ねぇ。もしかして、怒ってる?」
「ん? 怒ってないよ。それより、ありがとうかな。寝癖直ったし」
今までずっと、変わっているように見えていたけれど、やっぱり変わっていなかった。
私がまだ小さい頃に、ルーを絶望に追いやって、それでルーは変わってしまったのだと思っていた。
けれど、やっぱり変わってなかった。
“あの時”のルーは、まだ生きている。
これなら、少しばかり安心して送り出せる。
「ルー、時間」
「あ。……あと、二分しかないっ!! 走らないとっ!!」
――また、アリスに怒られてしまうから。
いつも通りルーはそう言って、駆け足で洗面所を出ていった。
一人になった洗面所の鏡には、やはり、私一人だけが写っていた。ため息が出る程の存在感を漂わせて、椅子だけが私の前にあった。私はそこに座って、自分の顔を覗き込んだ。
私の瞳の中には、補いきれない隙間が、ひっそりと存在していた。
ルーのように綺麗な碧緑でないことに、改めて落胆する。
このまま鏡を見ていてもしょうがない。ナルシストだと思われてしまう。
自分の身支度を適当に済ませ、椅子から立ち上がると、廊下の方から足音が聞こえた。どうやら、こちらに近づいてきているようだった。そして、急いでいるっぽかった。
見慣れた人物が登場して、少し身構えたのが恥ずかしい。
「あれ? 遅刻しちゃわないの?」
「あ、うん……それは、大丈夫……」
一度外に出てから走って戻ってきたのか、心なしか息が切れている。
「忘れ物?」
「う、うーん……、そんな感じかな……」
「手伝う?」
「ううん。大丈夫……」
ルーは二度三度深呼吸して、息を整える。
そして、物を探す素振りも見せずに、私の方へ近づいてくる。
「な、なになに。どうしたの」
立ち退いたりしなかったから、距離は一瞬にして縮まる。
別段焦りはしない。思うことは、ただ一つ。ルーの身長伸びたなぁ、と。
「なんだか最近、リズが変わったなぁと思って」
「え? 何言ってるの?」
変わったのはそっちでしょ? と首を傾げようとすると、頭を押さえつけられる。押さえつけられるというか、これは……撫でられてる!? 私がルーに!? ……まぁ、昔はそんなこともしてたっけ。
私は抵抗することなく、大人しくルーの話を聞いていた。
「何でもないんだ。ただ、ちょっとね……。久しぶりにこうしたくなっちゃったってだけだよ」
「ふぅん。そぅ」
「あ。嫌だった?」
「嫌じゃないよ、別に。ちょっと、変な感じするけど」
懐かしいような。それでいて新しいような。特殊性癖の発見のような。あ、一番最後のは無しで。
とにかく、不思議な感覚だった。ルーに触られている部分だけが変に生温かくて、そこだけ世界から浮いているようだった。この古された世界から抜け出せるような、不審な解放感さえあった。
あと、なんか悔しかった。
ふと横眼で鏡を覗けば、無表情の私がいた。色々な感情が溢れて、互いに打ち消しあったのかも。よくわからないけれど、多分、悪い表情ではないと思う。
鏡の奥の反転した時計を見て、考えて、私はまたルーに言う。
「ルー、時間」
「あ。あと……って、もう間に合わないや……」
「あーあ」
「まぁ、仕方ないよ。でも、待ち合わせ時間早めにしたから、大丈夫だよ。アリスには叱られるけど、学校には遅れないはず」
「言い訳ってゆうんだよ、それ」
「あはは……」
「…………」
「はははは……」
「ねぇ。いつまでやるの」
いい加減、私の頭も温まってくる。そう、生っぽく。
でも。
「あっ。ごめん!」
こうして離れていくと、すぐに恋しくなってしまう。物足りない感じが、ホントにすごい。いつまでやったら満たされるか、試したくなる。ルーが行ってしまうのが、心底寂しい。
素直に伝えたら、ルーはここにいてくれるだろうか。腹に潜めていたら、いつか気付いてくれるだろうか。
そんなことを願っていたら、ルーはまた、私に背を向け歩き出していた。
忘れ物はいいの? そういうこじつけはちゃんと用意してある。
だから、私は呼び止めた。
「ルー」
私の――私だけの呼び名に、“ルート”は応えてくれる。答えてくれる。
私は何を投げかけよう。
そんなのは決まっていた。とうの昔から、そう決めていた。
ルーを絶望に追いやった私にできること。
そんなのは、一つしかない。
「応援しにいくから!」
一瞬、目を白黒させていたけれど、それはすぐに靴下の慣性に流れて見えなくなった。
私が見た今週最後のルーの表情は、多分、試合中のそれとイコールで結ばれるのだと思う。
変化を求めて変化してきた私は、その価値が少しだけ羨ましかった。
でも、こうして共通の望みを持てることが、嬉しかった。
さぁ。
終末――週末の始まりだ。
△▲△▲
また、終わらない一週間が始まる。ルーのベッドの中から。
ルーはいつも、気付いたらびっくりしてくれる。それが面白くて。
笑っていて気付いた。
あれ? 私、変わってないかも?
【あとがき】
世界がこういうものだったら、楽しいと感じますか?
戦争は無くなると思いますか?
答えは簡単。
「今と同じになる」です。
雨、プール、海、水道、川、湖。
すべて水で、同じものです。
そういうことです。




