Ⅴ きっとずっと同じ、春。
【まえがき】
第二章での目的は『ルートの自立』というとても大きなものが一つあるだけであります。
思春期という難しい心理状態にある高校生は、『進路』と『自立』で苦悩することになります。その中でさらに、『恋愛』とか『出会い』といった人間関係も混ざってきて、とても忙しいです。そういう心理の変化を、自分の経験を交えながら表現していけたらと思います。
では、本編です。
「それじゃあね」
にこやかな笑顔で手を振るサクラの瞳を通して、一週間前の懐古的な情景を見る。それは、しみじみと眺めていた二人の先輩――桜の木の姉妹に近いものを、その潤んだ瞳に感じてしまったから。わずかばかりの物悲しさは、"回顧"という漠然としない感情の一面を捉えただけに過ぎない。そしてきっと、彼女の脳裏に想起されているのは、これからのアカデミー生活の充実を期待する白さではなく、ほんのワンシーン前に飲み込んだ敗北の苦渋の黒さに相違ない。
僕の口調は、そんな彼女の心の内を知ってか知らでか、とても朗々と場違いな彩りを放ってしまっていた。
「またのぅ」
彼女は、鮮やかな僕の言葉に対して、とても淡い白で、きっちりと返答した。続けて、余計な色がこぼれてしまわぬようにと、校舎の方に向き直ってしまった。
目が合わせられない状況を噛みしめると、罪悪感に駆られた。
余計なものが何一つ無いこの景色が、異様に怖かった。
〈また、何か失敗してしまっただろうか?〉
そんなことを考えていると、僕の口は勝手に彼女を呼び止めようとしていた。
さよならの黒を、先に塗っていたのは僕だったはずなのに。
「サクラ!」
「なんじゃ」と振り返った時には、すでにいつも通りの明るい表情に戻っている。
ほんの一瞬の落差が生んだ衝撃に、僕はそこはかとなく戸惑う。
でも、僕の心の中心は潰れずに原形をとどめていてくれた。
「もしも、さ」
「もしも?」
彼女は軽く首を傾げ、僕の言葉の続きを待っている。
その瞳は、希望一色で染められて煌々と輝き、円い。円い世界を纏うよう、円い。
周囲を染め上げる灯火の色に焼かれぬように、僕はただ、"今の僕"が使える絵の具で背景を塗る。
彼女は、校舎のクリーム色を下地に、ただただ明るく微笑んでいる。
「世界をやり直せたら、何がしたい?」
僕が塗りつぶした背景に、風に舞う花びらが足され、奥行きが出る。それによって、僕とサクラの間にある距離を感じ、僕は少し暗くなる。ただ、鮮やかな花色のアクセントは、蛇足と見做すにはとても惜しい。
距離感とか空間の使い方が美を極める上でのポイントだと、ミドル時代の美術教科の先生が言っていたことを思い出す。
僕は、一概にそうは言えないのだと心の中で反論を述べながらも、素直な気持ちを勇んで訴えていた。
――美しい。
本当に、その一言に尽きると思った。
でも。
「……」
サクラは能面のような不気味な笑みを作ったまま、何も言わなかった。
僕の色が気に食わなかったのだろうか。それとも、塗る場所を間違えてしまったのだろうか。感性は人それぞれだということも、確か言われていた。もしかすれば、僕の『美しい』は、サクラにとっての『醜い』なのかもしれないのだ。
〈……サクラ?〉
ただ、その表情は、僕が塗りあげた背景の色と、その上を舞う花びらの色に、ぴったりとはまっている気がした。
一枚の絵画が出来上がってしまいそうな眼前の時間経過を、彼女は笑顔でもって破りさる。
「ぬははは! お主は面白いことを言うのぅ!」
空中で止まっていたように見えた花びらも、その破顔一笑によって、再び踊りだす。
絵画の中の空間が流れ出したようで、僕は気づかれぬよう焦った。
「お、面白かった?」
彼女は、うんうん頷きながら質問に答える。
「そうじゃな。わしは、もう一度、お主と遊びたいかのぅ」
「ど、どうして僕なの……?」
「お主のことが、特別気に入っておるからじゃ」
――特別。
ただ気に入ったのではなく、特別だ。
もしかしたら好きになってしまうとか、これは愛の告白であるとか、色々と妄想は広がっていくけれど、僕はその事実に、そこまで驚きはしなかった。
なぜなら僕もまた、彼女のことを特別視していたから。
「あ、ありがとう」
屈託のない光で、僕を導いてくれる彼女なら――彼女のためなら、自分の『願い』を消化してしまうのも悪くはないと思った。
『願いの夢』を見る前ではなく、一週間ほど前に時間を巻き戻せば、『願い』の力を消滅させることができるはずなのだ。
もう一度僕と遊ぶという、彼女の純真無垢を叶えるのなら、代償もそこまで重くはないと思える。
少なくとも、アリスとリズの時のように、二十二人もの人間の命を天秤にかけなければいけないような事態にはならないと思うのだ。
「いきなりどうしたというんじゃ? もしかして、部活に入らなかったことを後悔しておるのか?」
「い、いや、違うけど。ただ……」
「ただ、なんじゃ?」
ただ。
ただ僕は。
彼女と僕との間にある距離が、ずっと変わらない自然が、絵として成立してしまう空間の在り方が、異様に怖かった。
会って間もない彼女に対して、離れたくないとまでは言わない。
けれど僕は、彼女にもっと近づきたいのだ――もっと仲良くなりたいのだ。"友達"になりたいのだ。
それが、今までできなかった、自分から手を差し伸べるということなのだと思うから。
だから、この恐怖を乗り越えることはきっと、その第一歩を踏み出すために必要なこと。
〈サクラのために世界をやり直そう〉
僕は首を軽く横に振って、怪訝な表情で答えを待つ彼女の期待を煽る。
「ううん。なんでもないよ」
「なんじゃ。気になるのじゃー」
「全然、大したことじゃないよ……」
「そうなのかのぅ」
「そうだよ」
会った時と比べれば、物理的な距離は確実に縮まったと思う。でも、精神的な距離は違った。
遠くも近くもない、この絶妙な距離感が、サクラと僕の関係を比喩しているようだ。
だからこそ、この美しさを目の当たりにできているのだと思うと、得も言われぬ憂愁を感じる。
「そうじゃ。お主、さっき『やり直せたら何をしたい』とか言っておったな?」
「い、言ったけど」
「もう一つあったのじゃ!」
「な、なにかな?」
僕と遊ぶこと。それに追加で出される『願い』は何だろうか。もしくは、願いは。
「球技大会で優勝したいのじゃ!」
「あ、なるほど……」
「今回はルートが体調不良だったからのぅ。今度こそは頼むのじゃ!」
もう少し近くにいたら、きっと肩をポンと叩かれていたことだろう。
幸いにも、サクラは未だ一枚絵の中央でモデルを務めている。
「そ、そう……。そんなに優勝したかったんだ……」
「そりゃそうじゃろ! 優勝クラスには、一年間の体育館優先使用権が与えられるのじゃからのぅ!」
「あはは……。でもきっと、僕が出ても、二三年生に負けちゃうよ……」
「いぃや。やってみないとわからんのじゃ! まだ、一度も試したことがないことを、決めつけてはいかんのじゃ!」
「そ、そうだね」
「そうなのじゃ! お主がいれば、きっとイケると思うのじゃ!」
強い口振りによる肯定は、僕の過去を覗かれているようで、何となく不安になった。
でも、良かった。
〈バレなかった……〉
僕の体調不良が仮病だったことも、僕が全国大会でMVP受賞を棄権したことも、サクラが笑ってくれないのが怖いことも。
逃げきれて、心底ホッとする。
一つ腑に落ちない点を挙げるのならば、まるでその場所がすべての始まりなのだと訴えるかのように、サクラが一歩も動かなかったことだろうか。でも、それがつまり、僕が見た美しい絵のカラクリなのかもしれなかった。
だとすれば、僕が背景を染め上げたのは間違いだった。でも、やり直せば、その過ちも正せる。
それはきっと、迂回であって逃亡じゃないはずだ。
「そんなことよりさ――
やり直した先の世界で、きっとまた、僕は彼女と出会うだろう。
そして、きっとその時に感じるのは、初々しさではないはずだ。
でも、大丈夫。
新しさに付随して生まれる、必要な不安や不可欠な期待がなくても、僕は知っているから。
彼女のことを。
何よりも、懐かしさを。
――これからもよろしくね、サクラ」
僕の言葉に、彼女は何も言わず、いつも通りの朗らかな笑顔で、頷いた。
春風に踊る腕が、宙を舞う髪が、密かに廻る奥行きが、何もかもすべてが。
目の前でまた。
生きた絵のように、美しかった。
【あとがき】
サクラというキャラを書くにあたっては「地に足がつかない」ということに、特に注意しました。あまりにふわふわしすぎると、思考が読めず、どこかへ行ってしまうぶっ飛んだキャラになってしまうので……。
芯のあるふわふわ感と、漂うミステリアスを表現できていればいいなと、思いますね。
ルートとリズの言う“あの時”については、今しばらく明かさないでおこうかと思いますので、色々と思考を巡らせていただけると幸いでございます。
次回は、ルート編からちょっと離れて、ノア編かアリス編あたりにいってみたいと思います。




