Ⅲ 失った過去の日は、春。
メジャーなスポーツは野球部、陸上部、テニス部、バレー部、バスケ部、水泳部(休部中)に至るまで、すべてを見学し終えた。
ほとんどの部活は見ているだけではなく体験入部であったため、大分疲労が溜まった。困憊した体には、マイナースポーツのゆっくりとした動作も応えた。
アリスとノアが所属する予定のカーリング部を始め、爽やか系スポーツのラクロス部、自称スポーツのクイズ研究部、和テイストな謎スポーツの居合道部、エトセトラ。マイナースポーツも、メジャーに負けず劣らず、本格的な活動をしていた。
無論、見学は運動部に留まることはない。
ただ文化部の場合、見学や体験入部というよりは邪魔しにいっただけのような気もした。
静寂の中、落ち着いて本を読んでいた先輩方が露骨にしていた苦い顔はとても印象に残っている。音楽部も似たようなもので。
結局所属できる部活は原則一つまでとされていることを、ついさっき彼女の口から聴いて肩を落とすのは言うまでもない。早く言って欲しかった。
「はぁ、はぁ……。やっと終わった……。疲れた……」
「どうしたのじゃ? サッカー部の見学がまだじゃぞ?」
つま先がグラウンドの反対を捉えて利かなかったので、そのまま校舎の方へと帰ろうとした時だった。
制服の裾を抓まれたので、振り返って言い訳をする。
「い、いいんだよ。サッカー部には入らないから」
背景のグラウンドにピントが合わないように、目の前の少女へと視線を集中させる。
すると、僕の逃げの一言を追いかけるように詰められた瞳が煌々と、視界を独占している事に気付く。
こんなにも近くにいるのに、彼女の真っ直ぐな瞳は僕よりもずっと奥の方を捉えている気がする。不安とか違和感とは違う、もっと確かな『孤独』が、そこにはある気がした。
僕の距離感覚の怠惰など知る由もなく、彼女は瞳だけでなく体も、じりじりと寄せてくる。
「でも、さっきからおぬしは、そっちの方ばっかり見ておったぞ」
「そ、そんなことは……」
一歩、また一歩と歩み寄られて、彼女との適正な距離感をいまだ把握していない僕は、一挙に大股で後退するしかない。
そして、離れすぎてしまったことに気付く頃にはもう、彼女が近づいていて。
「何でもよい。ホレ、いくぞ」
「ちょ、ちょっと」
されるがまま、僕は彼女に導かれてグラウンドへと足を向かわせる。
彼女というベクトルが無ければ、僕は多分、そこへ一生涯近づくことはなかったと思う。
「見学したいのじゃー!」
なぜだろう。快活に叫ぶ彼女の横顔は、笑っているようにも泣いているようにも見えた。
徐々に上がっていくスピードでランダムに跳ねる髪の毛は、夕暮れに焼かれて映える影と光のコントラストのせいで古めかしく感じる。年季という差異が、地の色を自然と思い起こさせて、それが彼女の魅力だったと気付く。
「走るのじゃ!」
鼓舞するような一喝で、僕の中の郷愁は振り払われる。
そしてそれは、確かな記憶へと変遷していく。
〈すごく、綺麗だな……〉
超速で流れる風景に、僕は舞い香る花びらを見た気がした。
***
「ほい、ほい、っとな。……やっぱり教えられたようには出来ん。難しいのぅ」
掛け声と同時に浮沈するボールが、滑稽だった。随分と長い間、ボールは宙を舞っていた。
リフティングと呼ばれるそのテクニックは、長く続けられれば続けられるほど良い。リフティングは、細やかな爪先の使い方と、膝を始めとする体全体をクッションのように駆使する感覚的な能力を必要とする。
「ううん。初めてなのに、すごく上手だと思うよ」
初めてトライしたにも関わらず、その出来栄えは、とても感心する。
世間では『素質がある』と言ったりするかもしれない。
でも、やり遂げた彼女にあまり嬉しそうな様子はなく、どちらかと言えば、結果に満足していないような、そんな感じもする。
ボールを足で踏み転がしつつ、彼女は首を傾げて、
「そうかのぅ? ホレ、お前さんもやってみい」
ボールをこちらに渡してくる。
勢いの調整されたそのボールは、ちょうど僕の目の前――一番蹴りやすい位置で停止した。
でも、僕は触れずに言った。
「い、いいよ僕は……」
「ブランクなら、気にせんでもよいぞ」
「え? どうして?」
〈どうして、ブランクだとわかったのだろう?〉
「なんとなく……、口ぶりからじゃ。ホレホレ、早ぅ」
パンパン! と二度、景気の良い拍手が鳴る。その音を集合の合図と受け取ったのか、部活動に努めていた生徒の何人かが、こちらを注目する。
期待の眼差しを向けられて、ここで断っては悪いという気持ちが芽生えてくる。脅迫観念と分っていても、僕には正当性を周囲へと示唆する力などなかった。
「わ、わかったよ……」
意を決した僕は、幾数年ぶりに、白と黒のそれに触る。
何故か緊張する。
ああ。それは見られているからか。
ヒット、リフト、トゥー、クロス、インサイド……。
〈ねぇ。君は、僕に使われても幸せなの?〉
期待されて手に入れた“罪悪感”を盾にして、僕は意識すべてを足先に集中させ無心を装う。
***
「なんじゃ? どうして入らんのじゃ。お主、ちょー楽しそうにしておったぞ」
「だって、僕がやっても、結局意味ないし……」
漸く許された帰宅に胸を撫で下ろす暇もなく、彼女が尋ねてきた。
疲れ切っていたこともあって、返答は適当に投げる。でもそれは、かなり本心に近い所から放たれていた。
「そんなことはないじゃろ。下手くそなわしがやっては無意味かも知れんが」
彼女は歩きながらピョンとジャンプしつつ、そんなことを放言する。
ボールが無いから、ただ楽しそうにスキップをしているように見えなくもない。
表情さえ明るければ。
僕がサッカー部の先輩方にした対応が、彼女の気に障ったのかもしれない。
「そんなことはないよ! すごく上手だった!」
「じゃあ、先輩らに感心されるほど上手なお主は、もっと価値があるのではないかの?」
「…………」
フォローして和ませるつもりが、言葉の綾で巧みに返されてしまう。
二の句が告げない僕はまた、逃げの沈黙で白を切っていた。
「わーかったのじゃ。わしはこれ以上何も言わん。今日楽しかったのならそれでよし、なのじゃ! それに、部活で全部決まるわけはない。ただ、楽しかったじゃろ? とな」
彼女はそう言って、笑って終わることを求めた。
求められたら、答える。
「うん、楽しかったよ。……今日はありがとう」
悲しみを知った末に、漸く知ることができたことだった。
リズのように、誰かに手を差し伸べられるようにはなりたいけれど、今の僕に、今以上のことは出来ない。
「そんな辛気臭い顔はやめんか。これから楽しくなるというに」
「あ、ごめん。……これからってもしかして、まだどこか回るの? もう七時くらいになるけど……」
「ああ。そういう意味ではのうてのぅ。来週末の球技大会じゃよー!」
彼女は僕の手を引くように、そしてどこか良い場所へ導くように、爽やかに明るく振る舞う。空を指差すその仕草がまた、その明朗さを助ける。
この輝きの助けになれる日は、来るのだろうか。
「き、球技大会?」
「そうじゃ。クラスの親交を深めるため行われる、クラス対抗男女混合サッカー大会のことじゃ! 優勝すると、なんと一年間、体育館の優先使用権がクラスに与えられるのじゃ!」
「そ、そうなんだ。でも、それだとサッカー部がいるクラス有利じゃない? 逆に女子は不利な気がするし」
「その点は大丈夫じゃ。サッカー部以外の得点は二倍にして、さらに女子なら三倍になるという変則ルールがあるからの」
「なるほど」
ゴール前に女子を配置して、サッカー部がその女子をアシストすれば得点は容易だろう。ただ、そんな月並みな作戦では、既に球技大会を二度経験している三年生には敵わないとも思う。
そう考えると、意外と道理の立ったルールであるようだ。
それを理解してか否でか、腕を組んで頷く彼女はとても強気で勝気だ。
「そうすると、わしらのクラスも優勝を狙うには十分なわけじゃ。サッカー部ではないが、経験者のお主がいれば、もう得点フィーバーじゃ! 無双じゃ! ファンタジスタじゃ!」
「そ、そんなの無理だよ……。僕なんて……」
「これこれ、そう言ってくれるな。少なくとも、わしは期待しておるのじゃからな。他ならぬお前さんにのぅ」
彼女は、『僕に』という部分を何度も付け足し、語気を強める。
それはまるで、僕が彼女にとっての『特別』であるよう。
息を飲んで、次に吐いたのは「期待か……」という複雑な溜息だった。
そんな複雑さなど知る由もない彼女は、絡みついていた何かをいっしょくたに刈り取る。
「ぬははっ! そう、期待じゃよ。お前さんならやれる、と信じておるのじゃ。そして、今度こそ優勝じゃ!」
「今度こそ?」
「ああ。ちょっと昔に、試合に負けてしもうての。今度こそ勝ちたいのじゃ」
「そうなんだ……」
何となく、彼女がどういう人か分かった気がする。
「そうじゃ。だから次は、きっと優勝じゃ。わしも頑張るから、おぬしも、のぅ?」
いつの間にか、僕らの帰り支度は済んでいて、歩きながらしていた会話も立ち話になっていた。今日の午後で募った二人の経験が、別れることの悲しさと空しさを僕に覚えさせた。
「う、うん……」
「よぉし! 優勝じゃ優勝!」
容姿風貌はとても可憐。独特な色遣いの中には、一見不必要に感じられるものもある。しかし、それもまた愛らしさを一層引き立てている幹であるということに気が付けば、捨てられないチャームポイントへと変貌する。
丸くて大きな瞳は、花びら。輝きを受けて光る派手さを、散りゆく最期に寓される儚さが、絶妙な加減でもって抑えられて均衡を保つ。そのバランスがやけに心地よくて、ずっと感じていたいと思ってしまう。
「ん? どうしたんじゃ? なんかついとったか?」
「ううん。ただ……」
鈴の音のように澄んでいながらも、底の無い沼に沈んでいくような深みのある落ち着いた声は、梢から洩れる日。対称に、忙しい所作から見ることのできる成熟したあどけなさは、風に揺られ生きる枝葉。
今、僕が感じているこの香りは、彼女のものか。
それとも、僕たちを優しく見守る二人の先輩のものか。
はたまた、同じ香りなのか。
「ただ、どうしたんじゃ?」
ただ、この懐かしさは、確かに彼女のものだ。
「サクラって、この桜みたいだな……って」
【あとがき】
色々な部活がある中で、一つだけ選ぶ。
それは、人生のミニチュアver.のようなものなのではないでしょうか。
それまで磨いてきた技術を磨いたり、新しいことを見つけたり……。
とても貴重な体験をできます。
そう考えると、無限の選択肢があるともいえる『帰宅部』って、意外と羨ましい部活だったりします。




