Ⅱ 大人と子供、近くて遠い。
【まえがき】
題名「ルートモストマック」の由来が分かったら、「とんちまん」或いは「とんちうーまん」の称号をあげましょう。
なんだか卑猥な響きですね。
鼻血が出てきました。
では本編です。
一日の中で一番楽しい時間はいつ? と聞かれれば、まず『登校』を挙げるだろう。
質問の内容的にも、時間を遡るより進めていく方が早いから、自然的に順番の早い『登校』が思い浮かぶからだ。解答を遅疑するほど深入りする質問ではないという理由もまた一つ。
当然、答えには納得のいく理由がいるわけだけれど、社会的にも道徳的にも生物的にもイレギュラーな説明をするわけにもいかないので、それは心の中だけに留めておきたい。
「ねぇルー? 今日は部活、ある?」
隣を歩く女の子が首を傾げれば、自然、僕の顔は覗き込まれる形となる。
心に留めておきたい感情が、さっそく溢れ出しそうになるのを必死で堰き止めながら、僕は答える。
「な、ないけど。どうしたの?」
逸らした目線の先にあった、青々とした木々の梢が揺れていて、余計に焦る。
でも、その根元にある用水路を滔々と流れる水を見て、少しだけ涼むことができた。
何とかリズの方に向き直って、話を聞こうと務める。
「良かった! 今日、放課後にお買い物に行かない?」
「買い物? またどうして?」
過去を顧みても、放課後、母のおつかい以外の目的でショッピングをした覚えはなかった。
初めてということになるから、その所以も初めてということになる。
最近の初めて、と言えば。
「あ、あのさ? 私、部活が忙しくて昨日の誕生日のお祝いしてあげられなかったでしょ?」
我が家は無宗教だけど――いや、だからなのか、誕生日にかなりの思い入れがあった。
一年に一回、つまり家族合わせて四回訪れることになるのだけど、そのたびに軽いパーティークラスの盛り上がりを見せていた。
参加人数は十人を超えたことはないが、プレゼントの量だけは確実に十人分以上確保されている。洋服なら衣装ケース一つ分くらい、本なら棚が一つ埋まるくらいと、とにかくボリューミーだった。僕達は遠慮しつつも、両手を上げて喜ぶのだった。
「だから、その罪滅ぼしって感じかなぁ……」
例外はあるけれど、貰えるプレゼントには規則性を見出すことができた。
文学者である父は本、母は体を気遣った内容の物、そして妹リズは手料理だった。
リズの料理の味は可もなく不可もない『美味』。
世間で、その味は普通というのかもしれないけれど、キッチンをごちゃごちゃにしながら必死で料理を作る姿を見て、「あんまり上手にできなかったけど……」などと上目遣いで前置きされれば、当然ながらそれは『美味』になるのである。まあ所謂、お世辞である。
「昨日は謝っただけだったし、それじゃおかしいかなって」
「お、おかしくはないと思うよ」
僕はリズの作ってくれる料理が好きだった。いや、それが料理に限ったことではないという自覚もあった。
言ってしまえば、それは両親のプレゼントよりも嬉しかった。
それが今年、人生初の『無し』だった。
でも、大会があったのだから、仕方ないと割り切るしかない。
仕方ない。
仕方、ない……。
「それに全然怒ってないから、謝らないで……」
仕方ないとは理解できても、一年で最高の楽しみが無いという初めての喪失感に対応しきれないのが実際で、僕は昨日、布団の中で泣いて……は、いない。
さすがにそれは恥ずかしすぎるので、虚偽であると弁明しておくけれど、機嫌が悪かったことは認めざるを得ない。
鋭いリズがすぐにそのことに気付いて、また心配してくれた、というわけだ。今回の場合、リズでなくてもわかったかもしれないけど。
「だって、すごく楽しみにしてたでしょ?」
「うっ」
適応力の低い僕は急なジレンマに抗えず、口ごもってしまう。口ごもると言うのはとどのつまり肯定の意味合いを醸す。
……ならいっか。
リズに詰られるのも、また一興なのかもしれない。
いや、それはさすがに変だろうか。
「ほら、やっぱりー!」
二の句が継げない僕を指差して、なんだか楽しそうだ。
僕も思わず笑ってしまうほどに。
「うふふ……。知ってるんだよー、毎年すごく楽しみにしてること。ルー、お母さんとお父さんのプレゼントの時よりも、私の料理食べてる時のが元気だから、お母さんたちすごく悔しそうにしてたんだよー?」
「つ、筒抜けだったの……」
ふふん、と鼻を鳴らして得意な表情をするリズ。
柔らかそうな頬が口角につられて動く。
つつきたい、いや、触れてみたい衝動に駆られて右手が伸びる。
〈止まれ〉と指示を出しても、指先は暴れる馬の様に言うことを聞いてくれない。
そんな駄馬を制したのは、穏やかで優しい声と視線だった。
「でもありがとね。楽しみにしてくれて」
純粋なその言葉に、自分の中の不純が浄化されていくように感じた。
周囲を見渡せば制服姿の人が目立つ。危うく公衆の面前で触れ合うところだった。
家族と言うことは周知の事実であっても、公然の場での接触は感心されないはずだ。いや、公然でなくてもだけど。
「それでなんだけど……」
「あ、うん……」
心を押し殺すのに必死で、話をするまで意識が回らなくない。
話の主導権はリズに握られてしまう。
リズは最初の話題を再確認するように重ねて問う。
「どうかな……? 今日の放課後、一緒にショッピングモール……」
ショッピングモールとは、所謂大きなお店である。
放課後におつかいに行くことはたまにあるけれど、それは所謂小さなお店。大きなお店は小さい方と違って、カフェや飲食店が付設されているのだ。
大きな方に行こうと言うのはつまり、そのカフェや飲食店で食事を取ろうという意味にもとれる。
ご飯を作って待っていてくれる両親のことを考えると、自然と口が動いた。
「母さんたちには言ったの?」
「ん? 言ってないよ? どうして?」
「どうしてって……。だって――」
「あー、もしかして一緒にご飯食べに行っちゃおうとか思ってた?」
図星である。
目に見えて、確実に一歩、身を引く。
舗装されていない自然道の傍、雨水に流れを生む目的で掘られた溝に、足をとられて躓く。疾うに梅雨は明けていたので、慌てて手をついた先は固い土だった。
「どぅぉあ!!」
出過ぎた真似をした反動がやってきた。
僕は起き上がりながら、ズボンの砂を払いつつ、心配に及ばないということを伝えた。
「ごめんごめん。そんなに反応するとは思わなくて……」
「ううん。大丈夫だから、続けて」
若干、眉が下がっているのが気になったけれど、リズは本題に入ってくれた。
「本当は一緒にプレゼント選ぼうと思ってたんだけど、ルーがご飯食べたいなら私はご飯でもいいよ。それに、今日はお母さん忙しくて夕飯作れないらしいしね」
「あ、そうなんだ」
「そうだよー。シスコンなルーのためだもん。それくらいは、ね?」
「リ、リズッ!」
「あははっ! ごめんごめん」
こういう小悪魔的なところもリズのチャームポイントである。
怒ることができないから、治らない。治らないから、繰り返す。繰り返すから、心配。
リズの魅力は、そんな負のスパイラルのリスクすら軽く凌駕してしまうのだ。
「別に『遠い方』でもいいんだよー。この前部活の友達と行ったパスタのお店が美味しかったってだけで、変な意味はないからねっ」
確かに、夕飯が遅れるのなら、夕飯を作り始める前に帰宅することができるから、モールで食事をとっても問題はない。『遠い方』でも余裕をもって帰宅できるだろう。
「う、うーん……」
リズの言う『遠い方』というのは、大きいお店からさらに歩いたところにある、さらに大きなお店のことである。
この国には二つしかショッピングモールが無いから、ショッピングモールを呼ぶときは大概、『遠い方』という修飾語を片方に補って簡単に区別することができる。
この区別の仕方は国民の誰もが使うけれど、ではなぜ『遠い方』ばかりを呼称して言うのか。
その理由は立地意外に、思春期特有のものがあった。
「さ、さすがにそれは良くないんじゃないかな……」
「そ、そうかな。私、妹だし別に関係ないと思うけど」
いや、妹だからまずかった。
言ったことがないから確かなことは言えないけれど、『遠い方』にはホテル街というアダルティなスポットがあって、カップルが一夜を共にする決め手によく使われるらしい。
『遠い方』という呼び名も、男子生徒たちの「彼女とのデートか。どっちに行くんだ?」「遠い方だ」という会話の中の隠語から誕生したという説まである。
それはあくまで噂なのだが、判断材料としては十分に力を発揮する。良くない風評の立っている場所には行きたくないのは当たり前なのだ。
だが、今回の場合は善悪よりも、道徳とか倫理とか、そういった個人の心理に基づいた判断が必要だと思うのだ。
「リ、リズはどっちに行きたいの?」
「わ、私じゃなくてルーが決めて。せっかくの誕生日なんだしさ」
決断を委ねられてしまった。
なんだろうか、非常に悩んでしまう。
「うぅーーーーん……」
この国では、国王の意向により近親婚が認可されている。それは習わずとも自ずとわかるこの国の常識である。
でも、だからと言って近親婚を選択した者たちへの風当たりは優しくはならないのは世の常で、特に身内からのバッシングが激しいと、ニュースや噂で耳にしたことがある。
そんな逆風の中でも、互いの愛を繋ぎ続けられる人だけが、近親婚の道を行くことができるのだろう。
「…………」
いきなり結婚の話を持ってきたのは、色香のする『遠い方』の話が出て連想されたからであって、僕がどう思っているかとかは全くの無関係だ。
僕の望みは、妹からのプレゼントを貰うことであって、妹とそういう関係になることではないのだから。『遠い方』か、『近い方』か、今はただそれだけ。
「どっちだろ……」
「どっちがいいかなぁ……?」
気持ち上目で顔を覗き込んでくる妹の目には、僕の下心が丸見えになっているかもしれない。
だけどそれは、全力で否定しなければならないことだ。
だって、僕には――
「じゃ、じゃあ……近い方で」
――そんな資格なんて、ありはしないのだから。
***
徒歩およそ十分。
学校が近づくにつれ、周囲を行く制服姿の割合が増加してくる。
すると、顔の広さ以前に、見た目、成績、エトセトラ……と、有名人であるリズは、声をかけられる頻度が上がっていく。
その中には当然男子生徒もいるから、僕は警戒をしなくてはいけない。
律儀に挨拶を返すリズを注意するわけにもいかないのだから。
〈僕のために笑ってほしいから、今は笑わないでいて欲しい〉
僕の気持ちを変えることでしか解決できないジレンマが、再び僕を悩ませる。
さらに徒歩五分で、学校へ到着する。
約二十分の登校道は一日で一番短くて、一番濃い……気がする。
まぁ、それはいいとして。
学校の校門はシックなレンガ造りで、校舎は高級感のある白壁で統一されている。まさに『学校』と言う佇まいのここは、義務教育の三ステップ目【中級学校】にあたる。
僕の暮らすこの国には義務教育というシステムがあって、一ステップ目【幼園】に五歳から二年の間所属して道徳と常識を教わり、それから二ステップ目【初級学校】で六年間、三ステップ目のここで三年間勉学に励まなければいけないのだ。さらに、進学の道を選択すれば【上級学校】に三年間、そして学者の道を歩む者は【学術学校】に所属することができるようになっている。
戦争に無縁であるとは言い切れないけれど、この国は比較的平和な方だと思う。そのおかげもあって、医学や天文学の研究にも力を入れることができているのだろう。
ただ、戦争地域ではないから楽な人生かと言えばそうでもなく、平和だからこその辛さもある。
毎日、生きるのに精いっぱいな暮らしを強要されている人たちを悪く言うつもりはないのだけれど、彼ら彼女らの「勉強したい!」という言葉を耳にする度に、僕は複雑な気持ちになってしまうことが多々あるのだ。
ミドルのレベルでは、将来の貢献度というか有望性というか、そういうものの差は顕著ではないという話を先生からよくされる。
でも、それに続く文句「だからこそ中学の内に勉強して良いアカデミーに入るのだ」は耳に胼胝ができるほど聞いている気がする。多分それだけ大切なことなのだろう。
人生の分岐点で迷わないように今から努力するということを言いたいのだろうけど、ああも頭ごなしに言われると素直に受け止められないのが条理でもある。
そして、聞かなければいけない人ほど話を聞いていないのも条理かもしれなかった。
「ルー? 大丈夫? 話聞いてた?」
既に上履きに履き替えたリズが、一段高いところから尋ねてくる。
僕もすぐに靴を履き替えて、
「ごめん。聞いてなかった」
あちこちで鳴る、靴が下駄箱に飛び込む喧噪を言い訳に、素直に申告する。
「まったくもぅ。いーい?」
いつもの待ち合わせ場所――中庭で待っていてくれ、という言伝だったのだけれど、肝心の理由を聞き逃してしまった。
リズの背景にいた男子生徒がリズを見ているのが視界に入ったせいだった。
人生の岐路に立たされている自覚なんか全然なくて、僕は妹のことばかり考えている。
いや。
自分のことばかり考えている、が正しいかもしれない。
今、本当に必要な自覚がない。
あるのは困惑や迷走に溺れた、僕の我儘な『願い』だけで。
【あとがき】
何だか専門用語のような単語が続出していましたね。申し訳ありません。
質問していただければすべてお答えしたいと思っています。感想欄かトゥイッターの方にお願いします。
え? タイトルの意味ですか?
いやいや、それはまだ教えませんよ。
るーともすとまっく……。
ルートも、スト、マック
ああ、マック食べたい。




