Ⅱ 拒否権はない、ただの我儘。
友人の家を訪れて門前払いを喰らうことが、こんなにも空しく悲しいものだとは。
もしかしたら、昔からずっと同じく接してくれていたアリスと同様、アリスの家も変わらずにそこにあってくれるかもしれない――などという一抹の期待は、見上げんばかりに聳える巨大な門と、それを管理統括するメイド数人の存在によって、僕たち同様、軽く払われてしまった。
アリスの体調はもう大丈夫だということ、僕たちを拒否する理由が一人になりたいからだということ、それだけが僕たちのメンタルの崩壊を防いでくれたのだった。
『一人になりたい』
つい昨日、アリスの気持ちを知った僕は、何となくその意味を理解することが出来た。
迷いや悩みの中には、思い抱いていることが無駄なものも多い。
それを整理するために、一人の時間が必要になるのだ。
僕は、その一人の時間が長すぎたのかもしれない。
必要か不必要かという選定ばかりに時間を割いて、本当に必要なものを選択することができていなかった。それは、部屋を片付ける時に要るか要らないかを決めるのと少し似ているかもしれない。
僕の場合、整理整頓の時間をとり過ぎていた、というわけだ。
だから昨日、アリスの協力を得て、すぐに一つの答えを掴むことができたのだろう。
片付いている状態ならば、不必要なものを見つけることもたやすいから。
でも、そうでない人もいる。
『アリスお姉ちゃんに何かしてあげたい!』
整理整頓をしないタイプのリズは、いつでも直球だ。
それは悪いことではないけれど、今、落花狼藉に抵抗のない者が何かを助長しても、部屋は散らかるばかりだ。
ただ、その言い分には一理ある。
友人が悩んでいるのを知りながら何もしないでいるというのは、もどかしくてならない。
直接的ではないにせよ、何かしら相手の助けになることを――早く悩みが解決されるように策を講じることを、僕もまた望んでいるのだ。
僕一人でできることをやってみたい、という思いも強くある。
でもそれだと、価値観の押し付けにしかならない。
だから。
そうだな。
これは、キスをしようとした罰にしよう。
そして、僕の心の蟠りを解消してくれたお礼にしよう。
***
『そういえば、友達がこの道を行った団地のあたりに住んでる、ってアリス先輩が言ってたんだ』
アリスの家から帰る途中、リズがそんなことを言っていた。
いつも通る分岐路周辺だったのと、昨日すれ違った黒髪の子がそちらの方へ走り去っていったのを思い出して、僕は居ても立ってもいられなかった。
家に帰って夕食を食べてすぐ、学校に忘れ物をしたことにして僕は家を出た。
雪が降っていなかったことが幸いしたのか、すぐに戻る旨を伝えると両親も外出を認めてくれた。
「この道、初めてだな……」
学校へ向かうでも、アリスの家へ向かうでも、来た道を引き返すのでもない、明かりの無い暗い道を進んで行く。
手がかりは、ノアという名前の黒髪の少女と、団地に住んでいることだけ。
見つからなければ無駄で終わってしまうこの行為でさえも、何もできずに呆然としている自分を想像すれば、苦痛ではなかった。
しばらく直進すると、明かりが見えてきた。
外から見上げただけでも軽く五十世帯は暮らせるほどの建物が、道に沿ってずらりと並んでいる。すべてが同じタイプの建物というわけではないらしく、奥に行くほどに建物は小さくなっている。
石造、木造、……と並んでいれば、そのサイズが遠近感の問題ではないことはすぐにわかった。
まるで、ヒエラルキーが可視化されてしまっているようだ。
「この団地のどこかにノアさんがいる……」
両親にすぐ戻ると言ってしまった手前、そんなことに一喜一憂している暇はない。
でも、手がかりの少なさ故に、どこから手を付けていいか見当もつかない。
とりあえず周囲を見渡してみる。
目の前に見えるのは、おそらくこの団地で最も高級な部類に入る木造の建物。その影から覗く建物は、おそらくその次に高級なのだろう。その影、その影、と繰り返していくと、僕の家と変わりないくらいの小さい建物が見えてくる。一番小さい代わりとでも言うように、道路を挟んだ向かい側の土地には公園がある。
「アリスの友達なら、自然に考えてここだよね」
高級感のある木造の建物を見上げる。
ほとんどの部屋に明かりが灯っていて、その中の温かい団欒の風景がイメージできる。
黒髪はこの国ではとても珍しく、有名人の家系であることが多いのだ。
それならここに住んでいてもおかしくはないし、何よりあのアリスの友達なのだ。
「あ……」
一瞬、酷いことを考えてしまったと悔いた。
けれど、それが本当のアリスなのだ。
僕はそれを知った上で、アリスと友達でいたい。
一人、首を横に振って、そう改めた。
「ただのお金持ちじゃない。アリスはアリスなんだ」
偏見を捨ててもう一度考えてみよう。
今、僕にできることはそれくらいしかないのだから。
〈明日はノアさんの誕生日なんだよね。仲直りできないままじゃ絶対にダメだ!〉
僕が会って何をできるかなんて限られている。
もしかしたら、また門前払いを喰らうかもしれない。
だって、これがお節介であるということくらい、自覚しているから。
でも。
〈僕が何もしないままいた結果、アリスとノアさんが疎遠になってしまったら――アリスが、ノアさんが大切な親友を失ってしまったら、きっと……〉
僕はまた、世界をやり直してしまうだろう。
それすら覚悟したうえで、僕は一番奥の小さな建物へ向かって歩き出していた。
その一歩目はとても重かった。積もっていた雪のせいもあると思う。
けれど、一度歩きだせば、アリスにもらった勇気が道を照らしてくれた。僕の中に確かに存在する大切な感情が、太陽の様に雪を溶かしてくれている感じもした。
その感情はきっと、僕が変わらないかぎり、何度繰り返してもなくならないのだと思う。
目的地の前に着いた時だった。
急激に肩に重力が働いたのかと思った。
「どうして……。どうして、そこまでできるのよ……」
「え? アリス?」
アリスが僕の肩を掴んでいた。
その力は『これ以上は進ませない』みたいな迫真的な何かを、間違いなく含んでいた。
でも、ここまで来て引き下がるわけにもいかなかった。
願わくは、アリスの静止を振り切るか、アリスの手を取るか。
「明日、誕生日って言ってたよね。このままじゃダメだよ、絶対。もちろん、わかってるよね。余計なお世話を働いてる自覚がある確信犯だって」
アリス情報網なら知っているはずだ。
今だってきっと、情報網を頼りにして僕の前に現れたのだから。
「え、ええ、もちろんよ……。そして、『間違ってもいいんでしょ?』と言おうとしていることもわかって、いるわ……」
僕の心を読んで優位に立とうするアリスだったけれど、肩で息をしている様子がとても弱々しく、脆く見えた。
病み上がりだというのに、走ってここまで来たと言うのだろうか。
「どうして、そこまで……あたしのためなんかにそこまで、できるのよ。軽蔑したでしょ、あたしが、あなたたちを、追い払ったこと……。それでいいのよ、別に……。あたしは……周りの期待に流されるだけのダメな、人間なのよ……。もう、昔みたいには……戻れないのよ!」
息を切らしているせいで、凄む姿に迫力が無くなる。
答えを要求するというあたりがまた、いつものアリスたり得なくて、僕ははっきりとした同情を抱く。
〈きっと、アリスが今のアリスになってからずっと、自分の気持ちを押し殺しているんだ〉
「どうして、よ……」
相当疲れたのか、アリスは僕の方へ倒れ込むように体重をかけてきた。
情報網は滞ってしまったようだ。
なら、もう『思う』必要なんてない。
僕は、その重みをすべて受け止めるよう努めた。
アリスにかかっている重さを、少しでも負担出来ていたらいいなと、伝わるよう。
五分後。
アリスがかなり消耗している様子だったので、向かいの公園で少し休むことにした。
それは、僕自身の頭を冷やすと言う意味合いも強くあった。
「ねえ、アリス」
「…………」
公園のベンチの雪を払って、二人で座った。
雪が降らないにしても、風除けのないこのベンチでは肌寒いを通り越して身震いするほど寒くなるはずだ。
はずだったけれど、ならなかった。
「ノアさんのところ、行かなくていいの?」
「…………」
アリスはベンチに座るなり横になって、僕の大腿部を枕にしながら沈黙を貫いていたからだ。
まだ少し熱があるせいで、市販の安価な防寒具よりかは幾分か温かく感じる。
さらに、気恥ずかしさからくる顔面の火照りも助けて、真冬の防寒は完全であった。
「アリス、寒くない?」
「…………」
いつ頃に家を出たのかは知らないけれど、距離的に考えて、最低でも十分は外にいることになるだろう。
首に巻かれたリズ特製のマフラー以外に防寒対策がなされていないため、少し心配になる。仮にも病み上がりだし。
とは言っても、貸せるほどの装備を持っていないので、気にしてあげることしかできないのだが。
「もう少しで七時半か……」
公園の中央から生えた柱に取り付けられた時計は、年季が入っているせいで正しい時間を指示してくれているかどうか怪しい。
感覚的に、家を出てからあまり時間は経っていない気もするが、戻るのに必要な時間を考えると、すでに手遅れな気もする。
だからと言って、この温かみのある重さを、極寒の闇の中へ放り出すわけにもいかない。
時計柱の直下にある公衆電話の明かりがあるから、闇と言うには少しばかり明るすぎる気もするけれど、投射された柱の影が細く鋭くこちらに向かってくるようで真っ暗闇と競っても劣らないくらいの恐怖がある。
余計にアリスを手放したくなくなる。
「きっと怒ってないよ」
これはアリスの決めることだから、僕は気休めを言うくらいのことしかできない。
でも、それで気が紛れるのなら、枕になることで心が安らぐのなら、ここにいようと思える。
そうでなくても、僕はアリスの願いを叶えようと決めたのだ。
それが罰と謝礼になるのだから。
「ねえ、アリス」
あまり真剣さが伝わらないように、でも適当にあしらうことはなく、改めて尋ねてみる。
「本当に勝手でごめん。でも、僕はこのままじゃ、イヤだよ。……アリスは?」
沈黙。
空しい沈黙を破ったのは、アリスではなかった。おまけに僕でもなかった。
一段と強く吹いた風に乗せられてやってきた白が、あたりを染めていく。染まり積もっていく音が、無音に近い公園では嫌と言うほど耳に入ってきた。
『早く帰って温まりたい』と、そんな弱音が心の奥底から聞こえてくるようだった。
それとほぼ同時に、僕の鼻頭に一つの冷却があった。
『早く帰れ』と、そう言われているような気さえしてくる。
僕は〈まだ帰るわけにはいかない〉と、覚悟を決めて、この冷え込みを弱かった自分の罰とした。
「どうして……。どうしてあなたが、謝るのよ」
アリスの声が振動して太ももを伝う。
僕もまた、同じ性質で返す。
「だって、僕がここに来ようと思わなければ、アリスがぶり返すことはなかったでしょ?」
それは結果論であるとわかっている。
分かっていても、後悔はしてしまう。選択が間違っていたと、自責の念に駆られる。
だから選ぶことは怖い。
選択しなかった道は引き返せない。進まなかった道をいくら願っても、それは未来永劫『願い』のままなのだから。
でも、僕は知っている。
前に進む意志があれば、道は必ずそこへ向かってくれるのだと。
だからアリスは、『間違ってもいい』と言ってくれたのだ。
それは決して『やり直せばいい』という意味ではない。
後悔して、今進んでいる道が間違いだと気付いたとしても――それでも、一心不乱に前へ進もうと努力すれば、目指すものに近づいていくことが出来るという意味なのだ。
僕たち受験生にとって、選択すべき道。
それはやはり進学なのだろう。
迷い苦しみ嘆き悶えるほど、選択肢は広くはない。けれど、そのうちの一つくらいには必ず引っかかってしまう。
不安とか、焦燥とか、そういう感情が邪魔して、進むべき道に靄をかけてしまうからだ。
『他人と相談するのも悪くない』
先生はそう言っていた。
アリスと一緒に悩んで苦しんで、遂には答えにありついた今なら、胸を張って賛同できる。
進む道を決めるのも、照らすのも、自分だ。
だけど、かかった霧や靄を払ってくれるのは、友達や家族に他ならない。
「きっとノアさんはわかってくれるよ。だから、行こうよ」
それは僕にとるアリス、リズ、父や母なのだ。それはアリスにとるノアさんなのだ。
今、苦しいのはきっと、どうすべきかわからないからだと思う。
「行って……、行ってどうするのよ」
数日前までの僕、あるいはリセットする前の僕を見ているようだった。
僕は僕だから、そんな僕だったらどうして欲しかったのか、自然とわかった。
「行かないのなら、アリスはどうするの?」
アリスが僕に手を差し伸べてくれたように、今度は僕がアリスに手を差し伸べる。
そこに特別の感情などは必要なくて。
欲しいのは……そう。
言うなれば――
「わかったわ……。一緒に行きましょう」
――拒否権など生じない、ただの我儘な願い。
【あとがき】
友達と喧嘩をした時の雰囲気って、特殊な趣がありますよね。
家族なら上下関係がしっかりしているので、どちらかが引けば事が済みますが、友達同士ですと、そうもいきません。
時間が解決してくれる兄弟姉妹と違って、解決方法は「ごめんなさい!」と謝るか「はっ。別に怒ってないし?」と開き直るか、しかない気がします。
現代日本において、前者を選択するのは少し怖いです。だからと言って後者を選択して踏ん反り返るのもアレです。
そこで一つ提案なんですが…………あ、あれ?
おかしいですね、忘れてしまいました。
すいません。
きっとアリスとノアがその答えを教えてくれると思うのですが……。(あからさまな告知)
次回はノア宅で会いましょう。的な。




