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Ⅰ 僕が知った気持ち、等身大。

 


 アリスが倒れてからすぐに、僕はアリスの家に連絡を入れた。

 アリスの両親にはエレメンタリーの時に会ってそれっきりだったので、どういう声質であるか記憶が薄かった。

 だから、電話口から聞こえてきた馴染みのない仰々しさにも、さしたる疑問を感じることなどなかった。

 電話での『数分で参ります』という文言通り、十分としない内にアリスの身柄を引き取りに、うちに来訪者があった。

 僕の家もアリスの家も学校からは遠いけれど、お互いにはそれほど遠くはなかった。

 でも、アリスが熱に倒れてから勢いを増したこの吹雪の中では、晴れている時のように順風満帆に事が運べないというのが道理だと思った。積雪に足を取られるだろうし、ホワイトアウト同然の密度にも、行く手を阻まれてしまうだろうから。

 受話器の声は女性だったから、尚のこと心配だ。

 でも、結果的に、架電から数分で来訪者があったのだ。

 だからと言って、心配が安堵に変遷していったかと言えばそれは違くて、どちらかと言えば、そう、もっと心配になったのである。

 それは多分、僕だけの話ではなかった。

 引き取られていくアリスを見て、僕の隣で眉を曇らせるリズが印象的で、忘れることができないのだ。

 そして、自分の家へと帰還しているにもかかわらず、一切の言葉を発しないアリスもまた、強く印象に残っている。

 熱病に理性を侵されているから、言葉が出ないのか。それとも……。

 でも、言葉を失ったのは僕も同じだった。



 ――こんばんは。お嬢様を引き取りに来ました。ナイブス家の者です。

 玄関を開ければ、白と黒を基調としたフリル付きの洋服を身に纏った礼儀正しい女性が、頭の上に積もった雪を払いながら、開口一番にアリスの姓を名乗る。

 〈本でしか見たことが無かったけれど、メイドは実在するのだな〉が、僕が抱いた率直な印象。


 ――熱を出してしまったと、ルート様からお聞きしたのですが、その後の容体は。

 救命士のライセンスを持っているらしかったので、実際に見てもらうことにした。

 簡単な診察によれば、気疲れからくる知恵熱のようなものとのことで、一先ず、アリスの体については安心できた。

 けど。


 ――これから、アリス様を自宅までお連れします。

 救命士の資格を持っているのだから、優先度くらいは把握していて欲しかった。それも、何があっても人命優先、という揺らぐことのない意志でもって。


 ――ご迷惑をおかけしました。では。

 迷惑などとは思っていない。むしろ、今引き取られる方が迷惑だと言っても過言ではないくらいの話。

 だけど、アリスのことだから、「心配いらないわ」なんて強がりを言ってくれるに違いない。

 それならば仕方のないことだけれど、アリスの口は否定も肯定も、もはや何も主張することはない。

 そう。

 僕はこのタイミングで、このメイドに対する初見の感情を思い出したのだ。



 〈あなたは誰?〉、と。



     ***



 翌日。

 二月十五日。



 僕の後ろの席は、三年間で初めて空席となった。昨日のことを思い返せば、それは当然なのだと納得できた。

 しかし、後ろ髪を引く……ではないけれど、いつもあるそういう力が――圧迫感めいたものかもしれない――そういう雰囲気がなくなると、生活のリズムどころか、感性まで狂いそうになる。

 卒業式の予行演習は引き続いて行われたが、僕たちのクラスの担任が張り切ったおかげで予定より早く終了したため、今日の部活動は短縮で(とど)まることになり、休みにならなかった。

 顧問の先生がやる気のない人で、無断で部活をサボタージュしても咎められることの無いバトン部にはあまり関係の無い話だったけれど。


 〈今日はお見舞いに行こう〉


 そう考えていた僕にとって、ミドル一年生の時にした部活動選択は正しかったと思える。

 例え、進んできた道が逃避行の連続で駆け込んだ暗く狭い道であっても、こうして明るく照らすことだってできるのだ。逃亡の日々を輝かしい栄光の日々と言い換えるのではなく、確かに暗いその道を自分が照らすのだ。

 重要なのは、どの道が正しいかではなくて、どう照らすのが正しいか、なのである。

 でも、あくまでこれは、僕が勝手に心に決めた一家言。

 他人に適用できるかと言ったら、それは色々と間違っている気がするのだが。



     ***



「一年のリズです! ルーがお世話になってます! お邪魔します!」

 昼休み、一人寂しく食事をしていると、昨日のことについての詳細を聞きたかったようで、リズの方から僕に出向いてきてくれた。

 堂々とアリスの席に着いたりするあたりがまた不安の種になるけれど、昼ご飯を一人で食べることにならなくて良かったと安心もできた。クラスの男子達も「リズちゃんならいい」「様になってるな」など、気分を害している様子はなかった。

 けれど。

「え!? お見舞いに行く!? わ、私も行く!」

 すぐに不安要素がぶり返してくる。

 帰宅部同然のバトン部と違って、全国大会制覇を綽然と視野に入れるカーリング部は無断欠席が許されることはないし、人の家に行くだけという不当な理由で欠席が認められるはずもない。

 結局ついてくることになるのだけれど、どういう手段を使ったかは不明である。



 放課後。



 リズが公的に部活動休止の機会を手に入れたために、いつもの待ち合わせ場所を使うことなく、アリスの家に向かうことが出来た。

 家の所在は昔と変わっていないとアリスが言っていたので、記憶の通りに行けば迷うことはないだろう。

 方向音痴と言われたことはないけれど、昨日のことを思い返すと自然、自信がなくなって足取りが重くなってくる。

「ねぇねぇ」

 部活をサボっているために感じる背徳のせいだろうか、その声にはどこか、結果を憎む後悔のような苦みがある。

 並んで歩いていたから、別段、声の大きさに気を遣うことはない。

 僕は「ん?」と軽やかに訝った。返ってきた応えは軽やかではなかった。

「アリス先輩って、すごいお金持ちなんだね……。私……」

 リズの中でのアリスはきっと、裕福だけど庶民的で素朴な存在だったのだと思う。

 本当に裕福であるというのは、その素朴さに見え隠れする高貴な仕草から汲み取れた。居丈高に豪遊を驕ることもないし、むしろ謙遜が過ぎるくらいだった。

 そのバランスがリズの中での、そして僕の中での、アリスという存在だった。

 リズの応えの重量に引かれて、必死で保っていたその均衡が、バラバラと崩れていく。そして、リズの中でもまた、僕の沈黙が生んだ重力が平行の崩壊に努めているところだろう。


 〈だから付き合い方を変える?〉


 それだけは有り得なかった。

 今まで僕たちが描いてきたアリス像は、本当の、等身大のアリスではなかった。こうであったらいいな、という理想が少なからず像を築く道具として用いられていたに違いないのだ。

 アリス自身が知られたくなくて巧妙に隠していたのだろうから、隠されたその部分は僕たちが想像で補うしかなかった。

 でも、今度は違う。

 僕は昨日、本当のアリス、等身大のアリスを見ることができた。

 僕が見たものが全てではないけれど、あの涙は確実に彼女の願いを映していた。

 だから、僕は崩れた均衡をもとに戻す(すべ)を知っている。

 それは、要らない部分を削り彫っていくのではない今までとは違う全く新しい形。

 等身大のアリスに足りない部分を僕が補って、一見不要に見える部分にリズが彫鏤を施して魅力に変える。

 二人で手に負えないところはきっと、あの人が何とかしてくれる。アリスと二人で手を取って、アリスを『もっとアリスらしいアリス』に近づけてくれるに違いない。


 〈僕も、見失っていた本当の僕を見つけることが出来た。それは、アリスが等身大の僕を見て、足りないものを教えてくれたおかげ〉


 アリスに近づいて、アリスの涙を見て、アリスの願いを知って……。それが本当のアリスを知るということ。

 昨日、取り乱してしまってできなかったことを、これからしよう。

 アリスの願いは、従うだけの現状維持でも、流されるだけのストーリーでも、(いたずら)に熱い悪戯(いたずら)なキスでもない。

「行こう、リズ」

「う、うん……」

 これは僕が選択した、道。

 アリスにもらった覚悟と勇気の大きさを確かめるように、僕はリズを撫でる。

「大丈夫。アリスはいつもアリスなんだから」

「うん!」

 道が暗かったら照らせばいい。

 無尽蔵に湧いてくるそれは、形も大きさもわからないほどに明るく心に衒って、僕の中にあった一抹の不安と、しょうもない違和感を一蹴していく。


 〈待っていて、アリス〉


 やり直した僕だからこそできることがあると思う。

 二人のために失った二十二人を背負っている僕だからこそできることがあるのだと思う。

 今できること――アリスの手を取ること。

 そのために僕は、解けて固まった圧雪を蹴り壊してでも、この道を進むしかない。


 〈僕が君の願いを叶えるよ〉


 理想だけを形にする『願い』じゃない。

 叶えられる願いが、そこにあるのだから。



【あとがき】

 再びルート編が始まってしまいした。

 アリスとの交流で少しだけ前向きになれたルートの遠謀深慮は吉と出るか凶と出るか。



 次回へ続きます。

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