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Ⅴ Scourge or Penalty?

【まえがき】

 “刑罰は天罰よりも重い”

 人間という僻した者が創ったルールは、時に弱者を破滅に追い込む。



 アリス編の第一幕はこれにて終了となります。

 まだ続きますが、ここまで読んでくださった皆様ありがとうございます、と言いたい気分なので言っておきます。


 「ここまで読んでくださった皆様ありがとうございます」


 はい、コピペでした。


 では、波乱と高揚のアリス編最終話、どうぞ。






 


「ありがとうアリス、相談に乗ってくれて」

「お互いさまよ」

 話が収束する頃には、結構な時間になっていて、迷惑ではないかと焦りを感じ始める。

 何度も時計を確認する素振りを見せはするのだけれど、やはり鈍感は鈍感で伝わらず、刻まれる時間を数十秒単位で把握できただけだった。

 拭うほどの涙は流していないと思っていたけれど、ルートの制服を少し湿らせてしまったようで、胸部がわずかに黒っぽくなっている。

 どうせすぐに乾いてくれるだろうし、気付かない方がなにかと楽だと思っていた、のだが。


「もしかして、アリス泣いてた?」

 などと。


「ちょっと濡れてるから」

 などと。


 〈意外と女の子っぽいなぁ。いいなぁ、可愛くて……〉

 などと。


 気に障ることを次々とぬかし始めたのだ。

 考えてやっているのなら、手の内を知ることが出来るこちらに利があるけれど、ルートの場合、ほとんど無意識で思ったことを口にしてしまっている。

 思考が読めても、対策を練る時間がないのだ。

 ならば、こちらも何か困るようなことを仕掛けてやろうと、帰宅際に置き土産として何かしてやろうと、そう思った次第だ。

 なぜならあたしは、ルートの苦手なものだって知っているのだから。

 ノアには悪いけれど、少し待っていてもらおう。

「ちょっとあなた、乙女心ってものが分からないのかしら?」

「え……? あ……ご、ごめん! もしかして僕、なんか悪いこと言ってた!?」

 一睨み利かせて、高飛車にものを言えばこの通り。

 さっきまでの頼もしさはどこへやら、今目の前にいるのは、か弱くて女々しいただの仲の良いクラスメイトだ。

 さて、何をしようか。

 話は散々したから、何か悪戯をして攻めようか。否、責めようか。

「女の子に泣いてるかどうかなんて、普通は確認しないものよ」

「そ、それを僕に言われても……って、ちょっと、何、する……、やめ……」

 擽るのは効かないんだったわね。つまらないわね。

 それじゃ、髪の毛で遊んで……、って遊ぶ余裕もないわね。

 あ、そうだ。


「乙女心を知りたいとは思わない?」


 これは少し意地が悪すぎる。

 小さな子供に難しい数学の問題を解かせるようなものだろう。

 あたしにもその問題はわからないから、解答を乞われても教えることはできない。

 でも、何となく、今試せば他の問題が解けるようになる気もする。

 これからあたしに降りかかるであろう難題が。

「い、いや、知りたいとは思うけど、さ……。ち、近いよ、アリス……」

 そうね。

 その直前まででいい。

 きっと解答を出すためのヒントくらいにはなると思う。

 悪戯という名目なら、ノアも許してくれるはず。

 あたしは、ルートの顔にくっつきそうになるくらいに、顔を近づけた。何もしないとわかっていても、やはり特殊な趣がある。

 これは期待大ね。

 さあ。試してみよう。

 あたしと、あなたで。





「キス、してみない?」





 〈ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!〉




 叫ぶよりもあたしがルートの口を手で押さえる方が速かった。

 だから、その絶叫はあたしの心の中で無音として響いて消えた。

 叫んだらリズが来てしまう。

 本当にするつもりはなくても、現場を見られたら何をされるか知れたことではない。そう、多分、ただ事では済まされない、そういう恐ろしいことが起きると思う。

「大丈夫よ。別に何か大変なことが起きるわけでもないんだし」

 〈そ、そうだけど!〉と、見開かれた目でーー付け加えるように心で、強く訴えてくる。

 でも、あたしだって引き下がる気はない。それに、本当に接触させるつもりはないのだから。

 あたしはルートのことが好きだけど、それは友人としての話であって、恋人とかそういう話ではないのだ。

 もし仮に、あたしが許婚のことを心から愛せなかったとして、あたしはどういう心持ちでいればいいのか、絶対に戸惑うことになる。夫婦と言う関係になることを望むほど愛することはできなくとも、表面上の付き合い――つまり友人のような関係を保つことは出来ると思う。

 でも、相手は本気かもしれないのだ。

 そうなれば、こういう状況だってあり得てくる。

 あたしはその時、きっと冷静でいられないだろう。

 心の距離を把握できない者同士で、近づくと言うことは衝突の危険性を高めること。けれど、ぶつかってもまた近づきたくなるような関係を見つけることもできる。どちらにしろ、一度は近づかなければならないのだ。

 これはその免疫をつけるためのワクチンみたいなものなのだ。

 実際に触れ合わなくとも、その直前までいけば何かしら関連した情緒は湧くと思う。それに、ルートが相手なら、観測できる感情も二通りある。

 それらを凝縮していけば、恋愛抗体の足しくらいにはなるはずだ。

「軽くよ。一度だけだから」

 回数指定すると、急激に現実味が増幅する。それに乗じて、あたしにも奇妙な羞恥心が芽生え始める。

 だけど、本番はきっと、もっと、こう……、アレ(・・)なのだと思うから。

「んー! むぐーっ!」

「あら、ごめんなさい」

 空気の通り道が滞ってしまっていたので、読心して大声をあげようとは思っていないことを確認してから手を退けた。

 あたしが馬乗り気味になっているせいで、ルートが影ってやけに小さく見える。

「はあ、はあ……。ど、どうしたの急に……」

 この行為の大義を知られるわけにもいかないので、とりあえず「乙女心」についての旨を重ねて伝えておく。

「僕ってそんなに鈍感かな……」

「ええ。かなり」

「それが迷惑になる時って、ある?」

「ええ。たまに」

「き、キ……、ス……したら、治る、と思う?」

「さあ。どうかしら」

 これ以上泳がせると、心を弄んでいるようで、罪悪感を感じてしまう。

 あたしはとっておきの切り札を切って、とどめを刺す。

「間違っても、いいんでしょ?」

「うっ」


 〈言い返せない……!〉


「乙女、心……」

 そうぼやいたルートはあたしから目を逸らす。

 すかさずルートの視覚を感じてみる。整理整頓のなされた殺風景な部屋を縦横無尽に駆け、最後はカレンダーに落ち着いた。……と、思えば今度は時計の長針に。

 でも、視界の隅には常に、あたしのぼやけた輪郭がくっついていた。それだけ近い位置にいるし、どうやら、目を離せないほどに動揺してもいるようだった。

 友達に急にキスを要求されたら、当たり前か。

「……ふふふっ」

 ほらね。

 異常だとか、やり直しているから偽物だとか、自分を貶めるようなことを色々と言っているけれど、あなたって結構普通なのよ。


 〈アリスのことは嫌いじゃないし、むしろ好きなくらいだけど、さすがに突然キスなんてできない……。いや、でも、アリスは僕のためを思って言ってくれたのかもしれないよね。ノアさんを待たせているって言うのに……。その気持ちを無視したら、僕はノアさんにも謝らなくちゃいけなくなるのか……〉


「そうよ。乙女心を知るためよ。特別な感情は必要ないわ。それに、何事も経験っていうじゃない?」

「それは、そう、だけど……」

 ただの羞恥心がルートの決断に待ったをかけている。

 それが分かったのなら、することは一つ。

「王子様、あたしからしましょうか?」

「んふぇ!? ややや、大丈夫です! 遠慮します!」

「じゃあ、あなたからしてくれるのね」

 話を強制的に進めてしまえばいい。

 ややこしい躊躇だけが展開を妨げているのなら、それを取り払ってしまっても、残るのは疚しさの無い純粋な気持ちだけなのだから。

 もしこれがダメなら、期待薄だけれど、色気で誘惑するのもありだと思う。

「僕、“はじめて”、なんだけど……」

「あら、奇遇ね。あたしもよ」

 初めては出来ればリズとがいいのよね。

 そんなことはわかっているわ。

 あたしだって、初めては飛び切り好きな人とするのがいいもの。

 それこそ、ぽっと出の許婚なんかじゃなくて、気心知れた人とするとても心温まるようなのを。

 ルートがダメという意味ではなくてね。

「ね、ねえアリス。本気なの……?」

 逸らされていた目が向き直ったことで急に合って、あたしは内心では臆してしまう。観念しなくてはいけないのは、あたしも同じなのか。

 馬乗り状態である今、自分の立ち位置を考えてみれば、その距離は異常なほどに近かった。

 衝突するならもう、していてもおかしくはない。

 でも、していない。

 そして今、心にあるのは、衝突を危惧する不安や恐怖ではなくて、これから起ころうとしている物理的接触に対する高揚と、一抹の羞恥だけだった。

「け、結構本気よ」

 瞳だけでなく顔も向き直って、一段と距離が縮まる。

 あたしは話を持ち掛けた割には、ルートの本気度に気を呑まれてしまって、少しだけ態度が小さくなってしまう。おかげで、「結構」なんていらない修飾をしたりしてしまう。

 そんな臆病者に比べて、ルートの方は落ち着きを取り戻し始めている。

 決めるところで決めてくれる、それがルートなのかもしれない。

「そ、そうなんだ」


 〈うっわぁー……。本当に本気みたいだ……。僕、本当にキスするの……? しかもアリスと? 明日からどんな顔をして学校に行けば……〉


 学校、と言う単語が不要な憂慮を導いてしまう。

 それは、あたしにも非があったと思う。

 言われた通りのことだけをやってきた報いというのは、こういう大切な時に枷となるのだ。


 〈でも、卒業したらアリスとは違う学校になるんだよね……。二度と会えないわけじゃないけれど、やっぱり寂しいよね。アリスは、どう思っているのだろう。でも、少なくとも、喜んではいないよね。だから、思い出にキスを……みたいなことなのかもしれないな〉


 そこまで深読みされると、悪戯半分でいる手前、罪悪感が膨らんでしまう。

 何事もなく笑って終わるつもりが、相応の修羅場を迎えてしまいそうだ。

 だけど、結論を急ごうにも、その一歩が踏み出せない。

 たじろいでいると、ルートが何やら託つ。

「アリス、一つだけ、お願いしていいかな……」

「なによ」

 進路がどうとか、思い出がどうとか、記憶がどうとか、そういう大層なお願いでないということは、事前にルートの思考を感じ取って知っていた。

 けれど、あたしにとってみれば、かなり負担の増えること相違なかった。

「その……。ア、アリスの方から……、し、してほしい……、なんて……。い、いやいや、別にして欲しいわけじゃないよ! ただ、自分からって……すごく……なんか……こう、ねえ?」

「わかったわ」

 本当にするわけではないから、速くなる鼓動にも限界点はある。

 さっきからずっと限界点を常にキープしているから、総じて見れば本番のシミュレーションとしては高すぎるくらいの演習水準だろう。もはや本番のドキドキを超えているかもしれない。

「じゃ、じゃあ目、閉じてる、から。そ、その…………どうぞ」

 特別な存在が目の前に現れるわけではない。あたしが興味本位で知ろうと思った、あの時の王子様がそこにいるわけでもない。

 ただ瞳を閉じている友達が、そこにいるだけ。その柔らかさも温かさも、何もかもを知っている一人の人間がそこにいるだけ。

 あたしはその友達の唇を、自分の唇で奪うだけで良い。いや、実際には奪わないけど。

 ただそれだけなのに、こんなに体が熱くなるのはどうして。


 〈どどどどどうしよう! 本当にキスするんだ! やばい! しかもアリスと! どんな感じなんだろう! 柔らかいのかな……気持ちいいのかな……。あああああ! 心臓が壊れちゃいそうだよ!〉


 さして差異ないことを、あたしも思っていたところだった。

 違いと言えば、少し前に考えていた学校での付き合い方を、あたしはまた深慮していたことくらいだろうか。

 高熱を出したときみたいに体が言うことを利いてくれない。耳が特に熱を帯びていて、地続きの顔にもその熱が伝播し次第に火照ってくる。

 冷静さを装おうと努めるあたしの自意識とは裏腹に、無意識で勝手に感情のキャパシティを全部使って、相手の――ルートのことを考えようとする。

 それ以外のことを考える余地が残されていなくて、強制的に頭の中が一色で染め上げられていく感覚を覚える。

 それが不安でもあり恥ずかしくもある。また好奇心なんかも見て取れた。

 高鳴る鼓動が更なる焦燥を率いてそれらと無理矢理に混ざり合う。でも、犇く感情が縺れたり拗れたりすることはなく、適当な塩梅で渾然と調和を保っているために、他では感じ得ない感情になる。ボーダーレスでいっしょくたの感情であっても、不思議なことに、不快であるとか苦痛であるとか、そういうことはなかった。むしろ、すべてが前向きになる感じ。

 この感情がクセになる人もいるかもしれない。

 染まっていない部分が徐々に減っていくと、比例して鼓動が速くなってくる。とめどなく流れる血が、さらにその速度を増して、血管との摩擦で血液の沸点に達してしまうようだ。

 きっと、それはルートも同じ――


 〈は、早くー! 恥ずかしいよー!〉



 ――じゃない?



 あたしの頬を伝っていく大粒の汗は、焦燥という精神的なものがもたらした物理的なもの……のはず。

 なら、それはルートにも出ているところなのに。

 どうしたのだろう。

 一人で舞い上がってしまっているのだろうか。

 だとしたら、恥ずかしいのはあたしの方だ。


「えっ? ア、アリス……?」


 たかが寸止めなのよ?

 相手はルートなのよ?

 なのに、どうして。


「ちょ、ちょっと! 大丈夫!? アリス! アリスッ!!」


 体が動かないの? 声も出せないの?

 いえ、違うわ。

 これは、意識のコントロールができていないようね。

 金縛りの状態に近いかしら。


「ルーどうしたのー……って、アリスお姉ちゃん!? なに、どうしたの!?」

「わからない。少し前から変だったから、もしかして熱があったのかも……。と、とにかくお母さん呼んできて!」


 さっきの熱は、もしかして恋情からくるものじゃないということかしら?

 だったら、この作戦は失敗だったのかしら、ね……。


「うわっ! すごい熱! アリス、しっかりして! 今、何とかするから!」


 さっきまでの奇行は病気のせいである、なんて結果に終わるのは、何とも形容しがたいショックだわ。

 でも、病気なんて患ってはいないはずなのだけれど。現に今、体が熱いだけでどこも痛くないし、むしろ心地……良い?

 額に触れる手の平と、あたしの肩を優しく包む細身の腕が、わからない。

 ルートに実体がないわけはない。ということは、あたしの感覚が、無くなった?

 そんなのは、ルートの意識を辿れば……って、あら? 意識が飛ばせない?


「あらまあ! 大変だわ! リズはぬるま湯とタオル、ルートはアリスちゃんの家に連絡しておいて!」


 他人のベッドってこんなに居心地が良かったのかしら。

 あれ? でも、この感触……。

 どこかで同じようなベッドに寝たのかしら?

 それに、この匂い……。

 懐かしくて、落ち着く。


「アリスお姉ちゃん、大丈夫!? 今、お母さんが薬持ってくるから、もう少しだけ頑張って! 私の手、握ってていいよ! タオル以外で何か欲しいものある? 何でも言って!」


 しっかりと天日干しされているからだろうか、肌を撫でていくタオルの感触が絶妙に気持ちいい。

 でも、この感覚は気持ちいいとか心地いいとか、そんなやんわりとした表現を使ってでは、少々物足りない。もはやタオルで触られている感覚ではない。

 擽ったいと痛いのちょうど中間くらい。何か、体の疲れが抜けるツボのようなものを、遂次、緩急をつけて刺激していくようだ。

 一言で『快楽』という表現を使うのが妙にしっくりくる。

 急に艶めかしくなった気がするけれど、快楽と共に感じる劣等感のおかげで、大きく的を外してしまうようなこともなくなる。


 […………しい]


「アリスお姉ちゃん…………、何……言…………!?」

 どうしたのかしら。

 熱って、こんな風に聴覚が鈍るものだったかしら。

 代わりに『快楽』が鮮烈に感じられて、その詳細な性質が分かってくる。

 波があって、劣等と比例していて、誰かを想っている。


 〈アリスが大変だ!〉


 期待、羨望、好奇心。

 そう。

 あたしがルートを想っている時の感情と少し似ているかもしれない。


 〈熱が…………。アリ……ス…………!!〉


 おかしいわね。

 熱って、こんな風に知覚が鈍るものだったかしら。



 [アリス……]



 次第に大きく波立っていく『快楽』に溺れて為す術もないあたしは、ただただ劣等感の海へと沈んでゆく。

 いつものように、決まりきった目的地へと向かう船に搭乗する余裕はなさそうだ。

 このまま沈んでゆくのもいいけれど、どうやら海流はあたしを温かい方へと導いてくれるようだった。

 そう。まるで、あたしのことを必要としてくれていて、あたしを求めてくれていて、そうして名前を呼んでくれているみたいに。

 ならば、その流れに乗ろう。

 いや、「乗ってあげよう」が、やけにしっくりくる。

 向かう先は沖なのか陸なのかもわからない。もしかしたら無人島かもしれないし、楽園かもしれない。

 けれど、前向きになれる今なら、どこへでも行ける気がした。

 忘れていたことを思い出せたおかげで、あたしはまた、“あたし”に戻れたから。



『快楽』の波に乗って、流れていこう。

 あたしを必要としてくれる、あなたのもとへ。


 

【あとがき】 

 湿っぽいのには、アンニュイな雰囲気が強調されて、女性らしく見えたりする効果があると思います。

 それとはまた別ですけれど、雨の日って晴れてるいつもと違っていて、またいいですよね。ちょっと鬱っぽい表情になるのもキーポイントだったりしますね。

 男子は汗臭いので論外ですね。




 次回からは、どうしましょう。



 とりあえず。



 お楽しみに。

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