Ⅱ 初めて。
触れ合った時に感じる温かさとは、わたしの温かさ。
あなたがわたしの手を取るのは、わたしがあなたを好きだから。不本意でない。
*
「あぁー。世界を幸せで一杯にするには、どうしたらいいかなぁ」
わたしとは、得てしてメルヒェンな檻であった。
脳には、これと言って特に、セリフを裏付けするような論拠は無い。つまり、結構な口から出まかせであると言える。褒められたいのは、悲観的でないことが多いところだったろうか。
なにしろ聞いてくれる人がいるのだから、言い放ってしまうのは無責任ではない。
「ざっくりしたお願いごとぉ」
その字の羅列にはあまりにピンと来なかったので、言い添えた。
「お願いごとじゃないよっ。シ、ン、ケ、ン。真剣なのっ」
それはそう。
至るいつかの昼下がりに、話題に上がった天文の新見地ではないけれど。
わたしの思う方法に、それとない裏付けが欲しかったのだ。裏付けなく言い出した割に。
必要なのは、あなたの賛同だけなのだけれど。
「真剣かぁ。でも、なんか難しそうだなぁ」
等身大にも、世界の広大さとは偉大だった。宇宙を語っている間は小さく感じるこの星も、自らを思えば、途轍もなく広大なのだ。
世界のほんの一部しか知らない、わたしという存在の無力さは、理解しているつもりだ。
けれど、イメージできた。
この世界に住む人は、皆、わたしと同じ人間で、幸せを感じることができる。
それは美味しい物を食べている時かもしれないし、ゲームをしている時かもしれない。恋人とキスをする時かもしれないし、家族で旅行に行っている時かもしれない。人それぞれ違うだろう。
でも、その「幸せ」という気持ちは、全部一緒だ。
であるならば、わたしの中にあるこの無限の「幸せ」を、そうでない人に分け与えれば。そういう思いを抱く人が、たくさんいれば。世界は瞬く間に、「幸せ」に包まれる。
よくわからないけれど、戦地か廃墟に花畑が咲き乱れている情景が浮かんだ。
確かに、そんなイメージだ。
でも、今、そうなっていないのだから、“難しい”のだろう。
だから、大切なのは方法だと、是非とも論じてゆきたい。
「簡単だよ。広い場所にみんなを集めて、美味しいもの食べればいいの」
「広い場所ってどこ?」
それは、言わば、メルヒェンの檻のようなもの。
理想とする空間は、脳の中に描かれた、小さな小さな公園。いつもあなたと駆けて遊ぶ野原。世界は、そこから始まっているという算段だ。
至極適当に「どこでもいいじゃん」と頷いて、ある程度くだけておく。
「美味しいもの、いっぱい作るのに、お小遣い足りないよ?」
「うっ……!」
至極全うである。
それどころか、見知らぬ他人のために自分のおやつ代を削らなければいけないと思うと、それは大変に遺憾だ。
でも、「幸せ」はお金で買えない。
波紋はわずかでも、わたしが投じるべきものはあるはずだ。
「お、お母さんに頼むもん!」
「お母さん、最後は自分でやりなさいって言うと思うよ?」
確かに、そうかもしれない。
ものぐさなわたしは、両親のお手伝いを時たま手抜きすることがある。そういうことが度重なったから、わたしにだけ自主性を強調するようになってしまったのだ。
言われればやるのだけれど。
わたしには、何でもやってくれてしまう人がいるから。
「うぅー……」
「うん。でもね。二人分のお小遣いでも、足りないと思うんだ。世界中の人を、幸せにするには」
さり気なく、協力してくれるところが、また好きだった。
それがわたしの中での普通になっていて、特に、何かを思うことは無かったけれど。
兎にも角にも、わたしが幸せにしたい「世界中」は――「世界」は、決してわたしだけの世界じゃなく、あなたと見るこの優しい世界。
そう信じて、頼られることが、わたしは何より嬉しい。だからこそ、そんな時間が少しでも長く、そんな世界が少しでも広く、なってくれればいいのにと、掲げたものが檻だった。
最後にはきっと、こんな話などどうでもよくなっているのだ。
誰かに協力を仰ぐことはできても、正解の道を進んでいるとわかるのは自分。だから、自分でできることしか自分にはできない。正解と決めるのも、勿論、自分だ。
けれどやはり、わたしの思う「恋」や「愛」、いわゆる「幸せ」というものは、結果の中にはないのだと思う。道草を目的に旅行へは行かない道理があるから、ざっくりしたお願いごとと称されるのも、無理はない。
そうやって歩いていく正解の道で、わたしはあなたと歩いてゆきたい。
始まりは、全く、ただそれだけのこと。
囚われの檻から、わたしを連れて脱出して欲しい。
「でも、諦めたらそこで、試合終了って、何かで読んだし。今できること、しよ」
「試合……?」
足がつかないダイニングの椅子から降りる時は、いつも小跳躍を挟む。
人が何処かへ旅立つ時、立ち往く足取りは重くはない。
目的地へと小旅行を企てるわたしに、また、あなたは問う。
「なにするの?」
「おりょうり」
居間を去る時にでも気取られたか、気障な捨て台詞は、助けを呼ぶ喚声となる。
トコトコと仲良く相引いてしまったけれど、とりあえず、廊下の暮れはわたしが漸進して切り拓いていったとしよう。
「さて、と」
木造の二、三畳の部屋のど真ん中に、部屋を左右に分断する長テーブルがあって、向かって右に流し、左に食品置き場という趣。調理用具然り、食器類然り、壁付のシェルフに綺麗に陳列してあって、なかなか見映えが良い。見映えはいいが、わたしくらいの身長だと、まだ届かない。
それもそのはず、キッチンというのは基本的に、いつも作る人のためにある。セッティングは、その人のためになされて当然なのだ。
こうやって、気分で顔を出す幽霊部員のようなわたしにはあまり優しくない。
それを知っていて、来たのだけれど。
そうだ。
今日は頑張ってみよう、という気になったのだ。
「よいしょ……と」
調理台に立つ時、いつも母が出してくれるお立ち台を出して来て、スタンバイは完了する。
台はちゃんと二人分ある。二つ並べると、一つの長い台のようになって、少しだけなら移動できそうだ。
「えっと……。とりあえず、お鍋と、笊……。あと、ナイフも」
一段降りて、流しの下にある戸棚を漁っていると、何やら不安そうだ。
「え……。ナイフ使うの? 危ないからダメだよ……っ」
「大丈夫だって。少しくらい。ナイフ使わないと切れないし」
本当は少し怖かったけれど、それよりも好奇心が大きかった。ナイフを使えたら、母も見直すかもしれない。一石二鳥なのである。
がさがさとシャツの裾を引っ張られながらも、漸く見つけたナイフを持ち上げることに成功する。慎重かつ大胆に、調理台へと摘み運んだ。何か、禍々しい蟲を捕獲してしまった時のようでもある。
初めて触るわけではないけれど、母がいないところで使用するのは初めてだった。
「ふ、ふぅ……!」
「気を付けてよ……っ」
鍋と笊はすぐに手に入ったものの、思わぬ心労である。
でも、ここまでくればあとは簡単、なはず。
「それじゃあ、作ろう」
「なにを?」
決して言わないつもりだが、わたしはあなたのために作るのだ。
答えるのは無粋というものだろう。
「ひ、み、つぅ」
「えぇ……。それじゃあ、手伝えないよ?」
なるほど、優しかった。
だが、それに関してはとりあえず策がある。
「じゃあ、必要なの言うから、それ持ってきて」
「あ、うん……」
言葉の意味を理解すると、あなたは少し寂しそうに台から降りた。
わたしは、その想いに答えるだけの料理を――「幸せ」を提供しようと意気込んだ。
きっと、あなたも好きになってくれる。
わたしの好きなものを。
「じゃあ、まずは――」
わたしが好きな物を食べている時、わたしは「幸せ」になる。これは、誰とも同じだろう。
わたしの「好き」は減らない。つまり無限だ。
わたしの「好き」を分け合えれば、「好き」は広がっていく。
世界は「幸せ」で包まれてゆく。
「はい、できたっ。これ、そば」
幾つもの思い出を切り分けて。温かい気持ちで沸騰したら、今度は笑顔で語らう今この瞬間を和えていく。試行錯誤を繰り返すうち、涙は素敵な隠し味になって。そうして刻んだ時を、皿いっぱいに鏤めて。決して、それで完成ではない。
誰かが――あなたが、わたしの「幸せ」を、共に感じてくれるまで。
「塩っぱ!! でも……うん、美味しいよ」
世界を幸せで一杯にしたいから。
まず、あなたから。




