Ⅹ 思い出して、暮古月。
【まえがき】
くれこづき、です。
問題の、一度削除してしまった部分です。
あのころは萎えた。
無事お届け。
どうぞ。
全く今日という日は、朝から落ち着かなかった。同日に関して言えば、いつも大体そうであるが、色々あって今日は特にだった。
それを見越してか、昨夜は会話に花を咲かせられた。つまり、眠らせてもらえなかった。にも拘らず、早く目が覚めてしまったので、変に頭が冴えていた。
その冴えた頭で、僕はパーティの準備を進めた。
昔からそうなのだが、うちはお祝い事と言えばパーティが主なのだ。高級料理とか豪華な来賓なんて一切ないけれど、高ぶる気持ちに遜色はないと思う。
初めに取り掛かったのは、パーティの段取り決めだったか。
これは主役ではない人が担当することになっていて、プレゼント渡しのタイミングとか、手紙を読みあげるだとか、すべてを決められるルールだ。脱線することもしばしばあるけれど、大まかに流れが決まっていると、空気が滞りづらくなる。父の提案だ。
僕は本をよく読むし、演劇の台本なんかを書いたこともあったから、割とすぐに出来上がった。ある程度の運も含むプレゼント渡しは、開始直後にやることにしたのだった。
次に、キャスティングをした。
当日に電話をするのが定例で、毎年来てくれていたアリスに加えて、今年はノアも駆けつけてくれることになった。
パーティが盛り上がってくれるというのも、勿論。“あのこと”について万全を期すのに、関係者は多い方が良かったというのもあった。
それは結局、楽しいだけに終わってしまって、杞憂だったのだけれど。
逆に、パーティが終わってしまった後の、この遣る瀬の無い空虚なダイニングに、途方もない愁いを感じてしまう。準備をしている時こそ楽しいと感じるのは、終わる痛みを知らないからなのだろう。
誰かと巡り合うことは、再び相見えることを呈していて、それがまた、特別な時間をもたらしてくれるのだ。今日来たアリスが、そんな風なことを言っていた気がする。
だとするならば、全く今日という日は。
何かを準備する日であり、尚且つ、始める日でもあるということ。
この祈りを彼女に捧げるために、僕のプレゼントは一つだった。
「むふふふふ」
「ごめんね。ちょっと不本意かもしれないよね」
「むふふふふ……。いいのいいのー」
「そう? よかった」
ベッドのヘッドボードに枕を立てて二人凭れ、冷気に負けぬよう寄り添った。掛け布団に埋もれた脚と脚は触れ合って、僕たちは腕を絡めていた。
彼女が天を仰ぐ左手の薬指には、涙ほどの決意があって、それは部屋の電灯の光を受けて大層煌めいた。僕の半年分のお手伝い料とイコールで結ばれるそれは、彼女の傍に寄り添える時間の証明を半年分代わってくれているようで、耳がくすぐったかった。
そのターコイズにも意志があるとするならば、是非とも愛に誠実であってほしい。
「リズはダイヤとかの方が似合いそうだよね」
「ちょっとルー。なんでそんなこと言うの」
「え?」
「大事なのは気持ちだって、さっき自分で力説してたのにさ」
「あ、うん。そうだね。ごめん」
大事なのは気持ちなのであれば、初めからプレゼントは必要ない。
それでも人がプレゼントを用意するのは、内に秘めたる願いを、その中へ隠してしまえるから。そうして願いを決めるのは、他でもないあなたなのだと。
「みんなのプレゼント、なんだったか聞いてもいい?」
「うん。いいよー。えっとねー、お父さんはいつもと同じで、本くれたよ」
「やっぱりそうだったんだ。あの形はそうだよな、と思ったんだよね」
「ねー。あ、でもでも、今回はちゃんと読んでみようかなって、思ってるよ」
「今回は……かぁ」
「あぁー。私のこと信じてないなぁ?」
それも仕方がないことで、父がリズへ送ったはずの小説やら短編集やらは、今、すべて僕の本棚に収納されているのだ。つまり、そういうことである。
このくだりは毎年やっているのだけれど、同じ部屋で、同じベッドでするのは久しい。それなのに視線は彼女の指に釘付けにされてしまって、懐かしいというよりかは新鮮だったかもしれない。
僕が、彼女を信じていないはずなど、これ一つもありはしない。
瞳を合わせずとも、伝わったのだろう。
「ま、いーよいーよ。それで、あとね、お母さんからはね、下着だったー」
「下着……! 聞いといてなんだけど、返答に困るね……」
幼い頃、僕たちの下着は母が買ってくれていたから、これも懐かしむべきなのだろう。
いやしかし、新鮮である。
月々いくらという明確な加減は無かったものの、ウェール家のお小遣い事情も、配給制ではあったと言える。
具体的に欲しいものを言えば、何か特別なものでない限りは買って貰えたのだ。そもそも、あまり欲しいものが無かったから、そういうシステムになった。
利点ばかりに見えるかもしれないけれど、ミドルくらいになってくると、さすがに親に知られるのが恥ずかしいことも出てくる。
その代表格が、所謂“下着等”だった。
とは言え、母が自発的に買って来たものを管理するのも、勿論させてしまうのも、あまりいい気分ではない。できれば、自分でそれなりのものを選んで、自分で管理するべきところだと思う。
それで実際そうしているわけだし、今回、母がわざわざ下着を買ってきたと言うからには、多少、何かの勘を擽られている感は否めないのだ。
母は結構、そういう策士的なところがあって、アリスと少し似ていたりする。アリスが利己主義なのに対して、母はサプライズが好きなだけ……というのはアリスに失礼か。
「それで……。どんな下着だったの?」
恐る恐る尋ねてみると、声の調子を読まれた。
「別に、そんな恐る恐る聞かなくても。今着てるよ。見る?」
そう。
リズはプレゼントの袋をその場でビリビリと破くタイプだ。すぐ使えるもの、使いたいものは、その場で消費するのがセオリー。当日のお風呂上り、すでにそれを着用していてもおかしくはない。
ただし。
恐る恐る尋ねるような人に、確認する度胸は無いはずだ。
「い、いやっ、大丈夫……!」
「ま、そうだよねー。どうせ、後で――」
「ノノノ、ノアさんからはっ、何を、貰ったのかなっ……!?」
声が裏返る。
「ふっ」
妹に鼻で笑われる。
「……っ!!」
全く、不甲斐なさすぎである。
「ノアさんからはね。なんか高そうな塩胡椒」
「へ、へぇーっ。じゃ、じゃあアリスからは?」
「アリスお姉ちゃんからはねー、またマフラー貰ったんだー。そういうのが得意なメイドさんがいるらしいんだけど、その人に直接聞きながら手作りしたんだってー。んもー、アリスお姉ちゃんも愛が重いなぁ」
「また?」
僕はアリスから毎年キーホルダーを貰うけれど、その恒例は聞いたことがない。
「うん。一昨年くらいにね、貰ったの。そう言えば、そん時はまだ、アリスお姉ちゃんのこと『先輩』って呼んでたなぁ」
「だね。アリスのこと『先輩』って呼んでたよね」
僕の知り得る限りでは、学校内ではそう呼んでいるという線引きが為されている感じがしたのだが、実際はどうだろうか。今は昔と同じく『アリスお姉ちゃん』で通しているから、今思い返すと不思議な気持ちになる。
「また今度、呼んでみよっかな」
「ちなみに気になったんだけど、どうして『先輩』って呼んでたの?」
「えっ。今更なの? 言わなかったっけ。っていうか、わかんない? わかんないか。わかんないよね。ルーだもんね」
「今馬鹿にされてるのはわかったから大丈夫かな……!」
実際、大丈夫でない。
空気が読めないのは経験を積めばどうにかなると思っていたし、ミドル時代の担任の先生あたりにもアドバイスを貰った。そのはずが、この様であるからして、僕は大して成長できていないということになりかねない。
無知の知なんて、便利な言葉を知ってしまう前に、無知の知という意味を知っておきたかったところである。それは矛盾か。
「アリスお姉ちゃん、すごいモテたでしょ? 今もそうだけど」
「あ、うん。よく告白されるよね」
それはもう、性別を問わない。
「ミドルん時は、部活のエースですごかったじゃん? それも見てたでしょ」
「うん」
「それで、部活内でアリスお姉ちゃんのことを好きな人って、イッパイいたわけなのね。逆に、アリスお姉ちゃんが好きだから入るって子もいたくらいだし」
なるほど。
以前は、リズもその中の一人だったということか。
「それでとーぜんの如くファンクラブみたいなのができてね。同じタイミングでクラブ規則みたいなのが作られたんだよ。勝手にさ」
「規則、ね……」
何だろう。
アリスによるアリスのための規則と聞くと、違和感がない。
「そんな中でさ、アリスお姉ちゃんに不用意に近づこうものなら、もう色々すごいんだよ。バッシングとか。仲間外れにされたりして」
「そうなんだ……」
モテる女は罪だとはよく言うが、正直なところ意味はあまりよくわからなかった。けれど、アリスを具体例に取り上げると、すぐに理解できた。“罪”という名は少々飛躍が過ぎるような気がするけれど、愛情という心の深度を顧みれば、しみじみと頷くこともできるだろう。
でも、それにしても何だろう、この敗北感は。
バトン部には、勝ち負けなどないはずなのだけれど。
「私、アリスお姉ちゃんと幼馴染だったから、アドバンテージがあったんだ。だから、ちょっと距離をとって『先輩』。でも、みんな『様』って呼んでたからね。『先輩』でも、だいぶ、あれだよね」
「あはは……。確かに」
アリス様という字の連なりを初めて聞いたと思うのだけれど、聞き慣れたように感じるのは何故だろう。そして、僕の口からそれを言ったら、パズルが完成しそうなのは、どういう趣きだろう。
とは言え、アリスは優しい。
できれば、執事には候補されずにいたい。
ここでアリスの話をするのもあまりよくないだろうと思って少し黙ると、リズが粋である。
「そして最後はねぇ」
口にしながら、リズが再び左手を掲げるものだから、少し焦った。
落ち着いているふりができた。
「ルーのは……指輪、だねぇ」
僕の言葉を誘っているようだったので、答えなければいけない。
どうせリズは、気の利いた言葉を求めていない。
「一番、伝わりやすいかなと思って……」
「ふーん」
世界に存在する物質というものは、構成が変われども単位は変わり得ない。ダイヤモンドがグラファイトになってもフラーレンになっても、炭素はそこにあって、それは永久に変わらない。
そんな心を体現してくれるのがジュエリーだと、宝石店のお姉さんから説教を喰らったのだった。あれがまさか、僕の説得力に一役買うとは。
僕の真剣な言葉が、想いが届くと、リズはいつも沈黙を決め込む。
言い返せない、言い返すのが億劫だという理屈で、相手(主に僕)の主張が収まるのを只管黙って見ているのだ。時折頷いたりして聞いてる風を装っておきながら、全く聞いていないということもしばしばあった。
所謂“処世術”の一環なのだろうと、ずっと対抗策を考えて来た僕だったが、今日、その答えがわかった気がする。
いや、今日になって、リズが答えを教えてくれたのかもしれない。
リズの眼差しの先には僕の指輪がある。耳はわずかに赤らんで、頬は静かに震えている。その横顔はどうにも物憂げで、満ち足りない日々の中に、何かを探し求めているように見えなくもない。
例えば、僕がそれを充実させられるとする。
だとすれば僕は、リズがどうして沈黙を選んだのかわかる気がする。
「んむっ……」
それがただの思い過ごしか、あるいは既視感なのか。
些細な猜疑心を感じながらも僕は僕の沈黙と、彼女の静寂とが混じるのがこれ以上なく心地よかった。
しんとした部屋を鳴らす銘々の息遣いは、ちょうど、浮き沈み廻り巡る公転にも似ている。その星にはざらっとした砂漠があって、温かい海もあって、勿論、歩みを撥ね返す山もある。そういうイメージが一気に脳裏を駆けて、僕は彼女の津々浦々――すべてを知れたような、底知れぬ愉悦に浸ることになる。
しかし、個々の時間というのも、当然のことながら求められる。
すぅ、と鼻から小さく気を吐いて、彼女は少しずつ離れて行った。それから少しだけ顔を赤らめて、何かを隠そうと口元を手で覆った。
「…………」
「…………」
何か、お気に召さない事があっただろうか。
ごくり、と彼女を飲み込んで、僕はわずかに得意げに、彼女の指摘を待つことにする。
「ちっとも、うまくなんないね」
「うっ」
どこか可哀想なものを見る目で、リズは僕を見る。
全く、情けない。
「本当にすみません……」
「ちょ、ちょっと、本気で凹まないでってばっ」
とは言え、一人で感情昇天していたのであれば、年上として多少は恥ずべきことだと思う。
こうして励まされるのも、思うところがある。
でも、どうすればそれが改善されるかわからない。
これは決して学校では習わないし、的を得た参考書も無い。親しい者に相談する勇気はないし、親に尋ねられるほど不安もない。あるのは、生まれつきの才能だけ。
つまり、これは僕の問題なのだ。
いや、二人のと言うべきか。
「嬉しいよ。ルーからしてくれるの」
「あ、あぅ、うん……っ」
それがリズの答えなら、僕は心から嬉しく思う。そのはずなのだけれど。
欲しがりな彼女は、燻る僕をよく思わないようで。
くすくす、と小刻みに震える口角が、小さな肩が、稚い心を擽る。
「仕方ないなぁ。じゃあ、私からしたげる……」
「……うん」
じゃあ目を閉じてと条件づけられた僕の瞼は為すがままに、世界を黒に染め上げる。
いや、黒ではない。
それはすぐさまに白に変わって、無機質な冷気も、二度目の温もりによって打ち消されることになる。また静寂が訪れるかと思ったけれど、今回は少し違っていて、僕か彼女の声のようなものが絡まる腕の間隙から漏れた。
何かが途切れてしまわぬよう、僕がすぐに後を追うと、彼女もまた同じことを考えていて、文字通り息がぴたりと合う。
忘れていた甘い香りを、僕はもう一度思い出す。
「どうだった……?」
感想を尋ねられる。
心拍数は、間違いない。二百点ほどをた叩き出していそうだ。
「どどど、どうって……っ。し、心臓が、止まり、そう……ですっ」
この静かな部屋であればリズにも伝わっているのではというくらいに、それは耳に五月蠅い。
沈黙の女神から吐き捨てられそうな僕に追い打ちをかけるように、彼女は詰める。
「もう一回したら、どうなっちゃう?」
「も、もう一回……っ? し、死んじゃうかも……」
特に、過言ではないように思った。
鼻だけで息をしていたからだという大義名分も無くはないけれど、少し言い訳臭くなる。
「じゃあ、手、繋ご?」
「えっ? あ、うん……」
急遽出航した渡し船に、僕は堂々と乗っかる以外ない。
鼓動の波がこの部屋へ押し寄せるのなら、僕は溺れても救われるかもしれないが。
「…………」
「…………」
ふと、会話が無くなる。
果たして、僕は満足してしまったのだろうか。
ちらちらと、遠泳に出た瞳は、壁の微笑みを捉えて――いや、捕らえて喜ぶ。
「ふふふっ」
「え、なになに? どしたの? 大丈夫? 恋人繋ぎだけで飛んじゃった?」
“とんだ”とは、つまりどういうことか。
僕はバタフライが一番遅いのだけれど。
「違うよ。ほら、あの壁の染み。覚えてる?」
「壁の染み? あー、あれかぁ。お化けの顔に見えるよね」
指を指さなくとも、同じ個所を見ているだろうとわかる。
あの染みは、昔、恐怖したリズによってシールを貼られていた。長らくそのままだったため、剥がした時に日焼け跡ができてしまっていたのだ。
「昔、あれでリズ泣いてたよね」
「そうだっけー」
声がするだとか、見られている気がするだとかで、よく夜中に起こされた記憶がある。お花を摘みに行く時には必ず。
あれは、今考えると、そういうことだったのかもしれない。
「うん。そうだよ。だけどさ。今、見たら、ハートに見えるなって思っちゃって。おかしくて」
「あ。ほんとだ」
リズなら、ここで「見えないよー」とか苦言を呈しそうなものなのだけれど、肯定を得られてしまう。あまりに簡単すぎて、若干、肩透かしの感はある。
そのせいで、僕は続く言葉を選択肢から抽出できなくなったわけで。
「…………」
「…………」
僕はこの沈黙の意味について、真っ直ぐな目で尋ねた。
あの頃のリズを脅かした彼の者は、笑って、どう応えてくれるだろうか。
その声を聞くのは、他でもないリズだった。
「ねぇ……?」
「うん」
繋いだ手が、きゅっ、と震えた。
これで全部わかる。
「……しないの」
リズを大好きだと、思った。
この気持ちを、僕は探していたのだと、漸く気付いた。
「……したい、です…………」
リズが大雑把に掛け布団を手繰り寄せ、僕たちはその中へ匿われた。真っ暗闇の世界で、部屋という電灯は、もう月のそれとは区別がつかない。では、どちらでもいい。
閉鎖された空間の酸素が消耗されて、僕たちは息苦しくなる。でも、絶対に消えない。彼女の息吹を、温もりを、心と体で察知できる。生と死の境を、二人で踊っている気分になる。窒息するのも怖くない。
手を繋いだまま、暗順応できない。
でも、僕の眼にはリズが映っている。
リズの瞳には僕が映っている。
それ以外は、わからない。
いや、もう、必要ないのかもしれない。
「死んだら、嫌……だから」
「う、うん……。頑張りま――」
僕は彼女の息を飲む。
世界との接点が希薄になっていく幸せを、僕は如何しても表現できない。
【あとがき】
どちらからとか上か下かとか、ということがないタイプの、アニメや漫画には珍しいカップルです。
現実やリアルもののドラマでは、そういうことの方が多い気がしますが、少し生々しいのとキャラ付けの難しさからでしょうか、小説や漫画では好まれません。
好まれませんが、この二人はそういう人たちみたいです。
リズは誘うのが上手そうですが、一歩を踏み切る勇気が出せない。ルートは誘う自信がありませんが、相手の気持ちに応えるのが上手そう。
やっぱり、凸凹って上手くいきますね。
次回は、何月……?




