Ⅸ 忘れないで、神帰月。
【まえがき】
かみきづき、です。
古い暦です。
忘れてません。伝えないだけ。
どうぞ。
一日目。昼。
「いや、まさか芸術部門のテストが、班で一つの作品を作り上げろだなんてね」
「別に、意外でも何でもないでしょう」
「あ。ルート、そこ、下地は白がいい……の」
「わっ、ごめん」
ノアに指摘されつつ、えっちらおっちらと絵画の共同制作に打ち興じる。浜風でキャンバスがずれないように錘をするのも、僕の役目の一つである。
百二十センチ平方の白床は、三泊四日(うち一日は帰路)という短期間で仕上げるのにそれなりの計画性を要した。結果、一日目の内に高い水準まで枠を作っておいて、残りの日数で推敲する流れになったわけだ。
それがリゾートへ来てまでやることかとは疑問だが、致し方あるまい。駄々をこねても、滞在時間は延長されたりしない。良く言えば、「あくまで学習だ」とも割り切れる。
青空の下、黙々と描画する心得もまた、学習である。
「遠いけど、波の音が聞こえるなぁ」
「遊びたいならそう言えばいいじゃないかしら」
「ん。いいよ。二人でやっとくから」
「えっ、今のそう聞こえた?」
それもそのはず、自由時間で解散になって以降、すぐに浜辺で遊戯大会が始まったのだ。彼らは僕たちの被写体ではないけれど、その彼らのバックに広がる壮大な背景こそ、僕らの描く主役。海を描いているのだから、画面にボールやらフラッグやらがちらついて集中できやしない。
ベストポジションのヤシの影を陣取ったのはいいものの、このアドバンテージを活かし切れていない感は否めない。
ストレートに言うならば、「海ならログハウスからでもかける気がする」だろうか。あの大きな窓は、見るからにオーシャンビューを満喫するためのもののようなのだけど。
いやしかし、到着から一時間と経たずログハウスに籠るのも、中々風情が無いと言える。
二人に任せて遊ぶというのはあり得ないにしても、役割分担ということで買い出しに行くのはありかもしれない。そうは思うけれど、現地語を話せない状況で一人というのは危険かもしれない。
近くにショッピングモールがあると言う話だったが、なるべく単独では赴かないように――つまり、班行動せよと、ここへ到着した時に注意されたのだ。きっと、治安どうこうではなくて、管理面での訴求だろう。
そういうわけだから、一人でモールに買い出しに行くわけにもいかない。
手を動かすしかないわけである。僕の場合、固定だけれど。
「ノアさんは海とか来たことある?」
「…………」
「ええと……、ノアさん?」
「集中してるんだから、邪魔しないであげたらどうかしら」
「ご、ごめん……」
「来たことないよ。ノア」
ワンテンポ遅れてノアは言う。
海と砂浜とを隔てる輪郭線を描いていた刷毛を、不条理にも中点で休ませてしまった。それからすぐに再開されたが、輪郭は滲まず、きっちりと甲乙刻んだ。さすが、素晴らしい見通しだと思った。
百二十センチの境界線は、ノアの手が横切るにはあまりに壮大に感じざるを得ない。
「じゃ、アリス。二人は、旅行とか行ったりするの?」
「じゃ、ってなによ。別に、あなたに関係ないでしょう。全く……」
アリスの吐き捨てた氷の礫は、常夏の陽気に当てられて、たちまちに融けたと思う。
わずかに綻んだその表情が、そうさせたのかもしれないけれど。
「あ」
「え?」
圧の無い声なのに、やけに透き通っていたから、すぐにノアだとわかる。
助手のアリスは、事情の確認に努めた。
「どうかしたの?」
「間違って、青、塗っちゃった……」
確かに、ノアの左手に握られた刷毛には、青系の絵の具が染みている。それと同じ色が少しだけキャンバスにも載っていて、それは何ら自然。何を間違えたのかわからない。
いや、だって、そこは、海だ。
「海なら青でいいんじゃないの?」
「海は、赤なの……」
「あ、赤っ?」
「海の底、赤だもん……」
海という言葉の意味を、一体どれだけ掘り下げたら紅に関われるのか。
考えたら頭が熱暴走しそうだったので、この風に感じた。
なるほど、わかったようなわからないような。
「鉄、とか……?」
「ん。鉄」
天体中心で融解する安定物質は、おそらく鉄だろうと、天文学の本で見たことがある。
高温のマグマとなったそれは、気流の如く流体力学に則って上昇する。それが、海底面の亀裂などから噴き出している個所が無数にあるらしい。普通の生き物はそこには住めないが、所謂深海生物と称される珍しい海洋生命体が存在していると言われている。それらは、遥か昔、恐竜が生きていた時代から……、ではなくて。
どうして、海を描くのに、鉄から描く必要があるだろうか。
「ある色は、できるだけ全部、描くの。海って、深いから」
その抽象的過ぎる答えは、幼い頃に母から聞いたコーヒー作りの話と似ている気がした。
美味しいコーヒーを作るには、栽培する品種を美味しくしないといけない。それから、土を美味しくしないといけない。それから、水も美味しくないといけない。淹れる時、美味しくしないといけない。完成するまで通る道が、全部美味しいから、コーヒーは美味しい。
通過した色が、すべて海だから、あの海は黒い。
全く、納得の絵具量だと思った。
「一日目はこのくらいでいいんじゃないかしら」
「そだね。海は、一日で溜まんないもんね」
海は一日で溜まらない。
ノアは、創世を語っているのか、何か遠い過去を見ているような気分になる。
僕が積み重ねてきた一日は、ちゃんと僕を作っているだろうか。忘れたことも含めてか、忘れたことを思い出してか、塗り直しが利くものなのか。一番下の色はもう思い出せないけれど、今、僕は確かに青い。
水で薄めたとて、もう取り返しはつかない。
なればこそ、僕は僕の上に、また僕を塗るしかない。
「完成、じゃないんだね……」
***
一日目。夕方。
合宿中の寝床となるログハウスへは、浜から数十秒でアクセスできる。班の数は確か三十数班ほどで、それぞれ異なるログハウスを使用することになっている。
ただし、どれもが海に直近かというと別段そうでもなく、ヤシ林の中やショッピングモールに近いところ、さらにはモール内のビジネスホテル、という班もあるらしい。
それについては、事前に知らされていたから、誰も文句を言わなかった。班編成における品行や成績の偏りは、ここで吟味修正されているのだろう。
そんなこんなで、僕たちの班は運よく海沿いだったわけだけれど。
「うわあ。壁一面窓になってる。これが大パノラマか……!」
「いや、テラスを噛んでるわよ。そこから外に出れば、パノラマね」
「パノ、ラマ……?」
ログハウスは入り口玄関が石造りで、それ以外はおそらく木造であった。さすがに隙間などはないから下地は何かあるようだけれど、壁面塗装などは最低限になっていて、木の質感が触れてわかる。
玄関を通って、長くない廊下を歩いた先に、海の見えるダイニングがある。贅沢にも四人掛けのテーブルがあって、その奥に壁をくりぬいたように巨大な窓ガラスが構えている。さらに、海を見て寛げるように、窓のそばにはソファというかチェアがある。
ダイニング、ということはつまるところ、寝る部屋が別にあるということになる。
これは、本当に素晴らしいログハウスらしい。筆舌に尽くしがたい。
「さ。夕食でも作りましょ」
「えっ。もう?」
確かに、太陽が水平線にくっつきそうであるけれど。
時計が無いのは、『時間を忘れて寛げ』ということなのか、正確な時刻がわからない。でも、とりあえず、まだ夕飯には明るい。
「何もしないでだらけているのは嫌なの」
「だらけて……」
リゾートとは、そもそもそういう場所だと思うのだが。
ただ、アリスがだらけているところはなかなか想像できない。逆に、見てみたくもある。
いや別に、暑さにやられたとかではない。そう企んでしまって。
「根詰め過ぎも良くないと思うよ。アリスっていつもそうだから、わからないけど、疲れたりしないの? 家では、リラックスとかしたりしないの?」
アリスの家は、裕福であると同時に窮屈だという話を常々聞くが、ノアが許容されるようになってからはそれが緩和したらしいのだ。元々、ノアと一緒に居る時間も長いだろうし、どこかしらで緊張は抜けていると思うのだけれど。ノアの優しい心とか温かくて柔らかい肌だとかで、とろとろに溶けたりしているのではなかろうか。
「言いたげね」
「あ、いや、別にそういうわけじゃないんだけど……。疲れないのかなってさ。リズとか見てると、ストレスなさそうで、なんか……いいんだよね」
但し、好感度補正は大いにある。
アリスは溜息をつかなかった。どうやら答えないつもりらしい。
「色ボケほど格好の悪いものはないわね。ま、何でもいいわ。あたし、キッチンに食材置いてくるから」
テーブルに一時待機させていた買い物袋をひょいと持ち上げると、アリスは不機嫌そうに上機嫌で、ダイニングを後にした。その一連の仕草は、何となくアリスらしかった。
モールで買い出した夕食が、カレーだからだろうか。
勝手に笑ったら怒られそうだ。
「あのね」
「あ、うん」
アリスの背中を見送ったノアが、僕の耳のそばで囁いた。
ふわりと漂うシャンプーの香りは、いつもアリスと同じベールを纏っているようで、何だかこちらまで照れてしまいそうになる。校内だと特に。
僕とノアの身長差はそれほどでもないけれど、少し体を斜めにして、気持ちで聴くつもりだ。
「アリス、家だと、すごく優しいの。でも、多分、ノアが弱いから、気を遣ってるんだと思う。学校で、テキパキしてるの、多分、楽だからなんだと思うんだ。歩幅、合わせるんじゃなくて、皆に合わせてもらえるから……」
「アリスが……」
一番アリスのことを分かっているノアの言葉だ、真実だろう。
でも、ノアの調子は暗くなかった。
「ノア、皆と同じく、されてみたいから、頑張るの。ちゃんと、同じになって、それから、また好きって言うって、そう決めてるの」
「ノアさん……」
ノアは、体こそ華奢だし主張もないけれど、溢れんばかりの意志と、重厚な存在意義のようなものをいつも感じさせられる。できないことはないのではないかと、思ってしまう。
それを、内に秘めて、秘め続けているところが、ノアは美しかった。
触れられない美しさ、とでも言うだろうか。
アリスはそこに魅かれたのではないだろうか。
もう頑張っているだろうから、改めて「頑張って」と声をかけるのは無粋な気がする。言葉に迷っていると、ノアが先に思い出した。
「だから、ありがと、ルート」
「えっ」
面と向かって、こんなにもストレートに感謝を伝えられる人とは、なかなかいないのではないだろうか。余りに素直すぎて、受け取りきれなかった。
狼狽えていると、ノアの手を煩わせてしまった。
「最初、アリスのパパ、ご主人様が見ている前で、アリス……キスしてきたの」
「そ、そうなんだ」
それは紛れもない、僕が提案した暴挙であるからして、俄かに掘り起こされると恥ずかしくもある。結果オーライ、過去の出来事として誰かの胸に留めておいてくれればと思っていたのに。ノアの胸だったとは。
それならば、溢れてしまうのも無理はない。
「それがきっかけで、ノア、アリスの家に住めるようになったの。それから、ずっとアリスと一緒。家出した時は、養子にって、言ってもらって……。これ、全部、最初のキスのおかげなの」
「キ、ス……」
「ルートの提案、なんだよね。だから、ノアが、こうやってアリスと居るの、ルートのおかげ。だから、ありがと、ルート」
僕は間を取り持っただけ。二人の間で解けそうになる糸を、手繰り寄せて、また結んでみようと提案しただけなのだ。
結果、繋がれたのは、二人の努力があってのもの。
それに僕は、もう、お礼まで貰っているのだ。言うことは無い。
「ううん。ノアさんたちが頑張ったからだよ。二人の気持ちが通じてるのわかったから、繋がってくれたらなって、僕はちょっとお祈りしてたくらい」
「おい、のり……? 『お祈り』……?」
「あ、違うよ。『願い』みたいなことじゃなくて、普通に、お互いに好きなら、くっついちゃえって、えっと、興味本位……? うーん、違うなぁ」
「早く手伝いなさいよ!!」
アリスを怒らせていいことは無いと、僕は素敵な親友と教訓をシェアして、急いで台所へ向かった。
僕の足取りは軽く、迷い無い。
吸い込まれるようにキッチンへと、辿り着いた。
***
一日目。夜。
夕飯を食べ終え風呂から上がると、先に上がったアリスとノアが絵画に取り掛かっていた。
モチーフがただの黒布に変貌してしまっていると言うのに、いいのだろうか。昼間、何故外でやる必要があったか、甚だ疑問なのだけれど。こちらを一瞥してきたアリスは、「詮索は不要だ」と言いたげな細い目であった。
ともあれ、あとは全体調整を残すのみで、完成は近いようである。所謂、重ね塗りの部分だけが残っているので、時間をかけてやるしかないわけだ。
他の班の進捗はどうなっているだろうか。
「他の班って、どんな感じで進めてるんだろう」
「昼間の買い出しの時聞いたけど、一つを重点的にやって、項目を減らしていく班が多いみたいね。ある程度の期間があると、均すのは逆に計画しづらいから、自然とそうなるわよね。そういう意味では、うちの進行も例に倣っている訳ね」
結構、モールですれ違うクラスメイトは多かったけれど、班行動が主だから、個人交流は無かったような気がする。僕は知らない情報なのだけど、一体いつの間に聞いたんだろう。アリスの情報網は、さすが目を見張るものがある。
こういう時、アリスは頼りになる。
「そうは言っても、テストの中にスポーツが入っている時点で、体育会系の班が有利になるのは確実なのよね。三日そこらだとか、スポーツってそんな一朝一夕でどうにかなるものじゃないから」
「それは、そうだね」
運営の方で幾らか調整は入れられるだろうけど、それにも限界はある。暗記で点数を嵩増しできる勉強と違って、スポーツは短期間ではどうにもならないのだ。
スポーツ経験者であればこそわかる、積み重ねの大切さとは、個人差はあれどひと月が良い所だと思う。それを管理側が見逃すはずはない。
要するに、勉強も運動も、努力点システムなのではないだろうかと、そういう結論に至るわけで。合宿で頑張った分だけ、得点というものが班に付与され、そのプラスポイントをランキング化する、と。
そこから導き出された戦略こそ、アリス考案の、この『芸術部門ガチ攻め戦法』なのである。
意地汚いというか、何というか。なんと素晴らしい楽園計画であろうかと、耳を疑いたくなる。人をやる気にさせる“修学旅行”とは、いかに数奇なイベントであるか伺える。
「見てるだけならもう寝てもいいわよ」
「ひ、酷くない!? ……あ、そうだ。じゃあ、コーヒーでも淹れるよ」
「適材適所ね。助かるわ」
「アリスはブラックで、ノアさんは……甘いのでいいよね」
買い出しの時に見つけた現地の珈琲豆というのを試してみたいのであって、いいように使われているわけではない。きっかり、フィルターも予算内に収めていたのだ。一応、家がコーヒー園だから、それなりに自信は持ってもいいはず。
とことこと、一人、キッチンへ赴く。
一人で歩く廊下のあまりの長さに、リズが恋しくなってしまったのは、誰にも言わない。
「えっと。粉砕機無いから……ナイフでいっか。これで粉っぽくして……と」
アリスはうちに遊びに来たときはいつも、ブラックだ。ノアはコーヒーを飲めるかどうかわからないから、とりあえず、砂糖を入れて甘めにしておく。リズは、その甘いコーヒーにさらにミルクを足す。ブラックだったりラテだったり、日によって飲み方をコロコロ変えてしまう自分が、何だか優柔不断みたいで格好悪く感じた。
誰かの都合の良い解釈を心待ちにする間に、湯が沸いた。
「…………」
一人でいるはずなのに、間を掴めない。
どうしてだろう。
もっと、誰かと一緒に、皆と一緒に居るべき場所なのに、一人でいるからだろうか。
どうすれば、この震えは収まるだろうか。
寒い。
怖い。
――誰か、僕に声をかけてよ。
ああそうだ、と思い立って、僕は沸騰したお湯をポットに映して、コーヒーカップごとダイニングへ持って戻った。是非、実演してみせようという次第だ。
カチャカチャと騒がしくしていると、もう少し静かにできないかとアリスに指摘されてしまった。わざと賑やかしたわけではないのだけれど。
十分留意するとして、僕はコーヒーを淹れる。
静かに部屋に充満していく香りは、常夏らしいというか、フルーティな楽しさがあって、後に豊潤であった。昔、母が同じブレンドで淹れてくれでもしたのだろうか、何だか懐かしい香りだ。
学生の予算内に収めた安いものなのだけれど、これは正解だったかもしれない。
「はい。できたよ」
「ありがと」
テーブルの真ん中あたりにカップを置くと、アリスがすぐ飲んでくれた。しかし、アリスはそのカップを自分の前ではなく、ノアの前に戻した。砂糖入りだったらしい。
今日の気分だったカフェラテをテーブルに置いて、僕もその席で一服するとする。
特に感想を要求したわけではないのだけれど、アリスと目が合ってしまったから。
「これ、安いやつよね。美味しいわ」
「あ、うん。ありがとう」
これまたアリスにしては毒気が無かったから、少し揺さぶられた。
でも、温かい。
アリスの言葉だけは通るのか、作業中だったノアも手を止めて、急いでコーヒーを口にしてくれた。そんなに焦らなくてもいいのにと、少し可笑しい。
「甘くて、美味しい。ルート、上手……」
「それなら、よかった。うん。ありがとう」
焦ると言えば、今、一体何時頃だろうか。
この部屋に時計はまだないし、夜の帳は僕の眼には参考にならないし。
率直に言葉にするのはあまりに恥ずかしいことだけれど、明日がどうとかそんな先のことよりも、今夜が、僕は少し不安だった。
月が瞳のように、僕を監視しているからだろうか。合宿という特殊な環境であるからか。
一人になるのが、少しだけ怖かった。
「そういえば、今日はさ、何時頃に寝るの? それとも、まだ勉強やる?」
「もう遅いし、そろそろ寝るつもりよ。夜更かししてノアが体調崩したりしたら困るわ」
「そうだね。じゃあ、僕も終わるまでは起きてようかな」
「なによ。そわそわと。煩わしいわね」
「な、何でもないよっ」
こんな時は、教科書を開いて勉強でもすれば落ち着くだろうか。
いや、それでは根本的な解決になっていない。
僕は、どうにかして今宵、一人の夜を免れたいのだ。恋人同士である二人の間に入るなんて滅相も無い。端の方に布団をちょこんと敷かせてもらえれば、それで安心できると思う。トイレに起きたら、それはなるべく一人で頑張るつもりだし。
とは言え、こんな子供じみた頼み、どう切り出せばいいだろう。でも、そろそろ言わないと、後で泣くことになりそうな気がする。
そんなわけで僕は、自分を最上級に遜って、お尋ねすることに致したわけでありました。
「あのー……。つかぬ事をお聞きしますが……。二人は、一緒の部屋で、眠るんでしょうか……」
さすがに癪だったか、言ったそばからアリスにぎろりと睨みつけられた。
ノアは作業に集中していて、助け舟を出してくれそうな状況にない。
恥ずかしいし怖いしで、もうどうしていいかわからない。親しき仲にも礼儀ありとは言うけれど、これはあまりに酷ではないか。
なかなかに絶望的過ぎて、僕はかえって吹っ切れたようになった。
「もしよかったら、僕も、隅の方でいいので、一緒に寝てはだめでしょうか……? 目的とか、全然、そんなのはないです。はい。ただ、寂しいだけです。一人で寝るの、ちょっと怖くてですね。はい。故に……何卒っ!」
元夫が元妻に、『寂しいからお前の新しい夫との間に入れてくれ』とせがんでいる状況に例を見る。混沌としているどころか、それはただの修羅場の入り口である。
しかし、今の僕にはこうも言える。
――修羅場だって、一人じゃない。
それほどまでに一人が怖いのかと言われると、何だか違和感を感じるけれど、アリスに怒られるよりは確実に怖いなと思った。こんな時ばかりは、アリスと『願い』で通じていた頃が恋しくなる。
ぺたりと机に突っ伏す形でお願いしたから、アリスがどんな表情をしているかは確認できなかった。
数秒後、アリスは僕に溜息をついて言うのだった。
「……ったく。なに馬鹿なこと言ってるのよ。三人一緒の部屋でしょう?」
ふっ、と肩の力が抜けた感じがした。
そうだった。
まだ、寝室を確認していなかった。
てっきり、一部屋に一つずつベッドがあって、一人余るんじゃないかと思った。
そうか。なら、大丈夫だ。
でも、どうしてだろう。
どうして僕は――。
【あとがき】
私は修学旅行など、学校単位の宿泊行事が苦手です。
せっかく築き上げた自分のペースが崩れてしまいそうになります。
特に、超早寝早起きになります。
枕は別になんでも眠れます。
次回は、折り返し地点――彼女の誕生日。




