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Ⅷ 往かないで、時雨月。

【まえがき】

 しぐれづき、です。

 今話は短め。


 どうぞ。




 

 


 まだそんな季節でもないだろうと、僕たちの若さに感けて、体育館にはストーブの一つも焚かれない。そこまで寒くないと高を括っていた非がある僕たちは、反骨心を燃やすように犇いて暖をとろうとしている。

 防寒の自由は認められていたけれど、生徒会副会長という“顔”である手前、模範を貫こうとした。して、失敗した。

 この時期の体育館は中々寒い。足首が冷える。

 せめて、ブランケットでも背負って来ればよかった。

 そんなことを考えながら、学年主任の長い話から耳を遠ざける。主任は大体いつも、同じ話を繰り返す。ためにならないことは、やらなくてもいいと。であれば、無限ループする当該人の説教ほど、やらなくてもいいことはないはずだ。

 さて、そろそろ収束の目処が見えてくる頃。

 教頭が二度咳き込んだら、教師連中は誰も意志を貫けない。


「はい。それでは、一度座ってください」


 長話が終わったと思うと、今度は体育担当の若い女性教諭が出てきて、僕たちを冷たい床に座らせてくれるらしかった。善意が見えない。

 どっこらせと腰を下ろすと、列が程よく崩れて、僕の隣にノアが来た。一クラス二列編成で並んでいると、時々ノアと隣り合う時がある。

 僕とノアの間には、先月先々月までの見えない壁は一切なくなっている。それどころか、文化祭で成長したこともあって今までよりもかなり積極的に、距離が近くなった気がする。会話も途切れたりしない。

 そんなこともあってか、ノアは僕に密着するようにわざと詰め寄ってきて、「寒いね」と一つ無色の息を吐くのだった。生徒会副会長は頷いて微笑み返すくらいしかできない真面目人間である。アリスに見つかったら殺されるかもしれない。

 ああ。でも、もう、誤魔化せば誤魔化し切れるのか。


「では、結構寒いので、手短に」


 彼女の言葉には、教頭に睨まれないようにという意味もあるだろうか。

 確か、その先生は僕たちと年齢が十も変わらない。僕たちの気持ちをわかってくれるという意味では、中年の主任よりも信頼がおける。それ以前に、とても優しい先生で、生徒人気は頗る高い。

 だから、皆結構すんなり言うことを聞く。

 そういう場面があると、会長とどこか似ているなと思わなくもない。


「来月に控えた宿泊学習ですが、予定通り行われることが決定しました」


 それが今日、体育館に集められた理由だ。

 宿泊学習とは、その名の通り、遠征した土地で学友たちと寝泊まりし、その地域特有の気候だったり言語だったりとかを、実体験に基づいて学習する催しだ。

 というのは建前で、実際は、クラスメイトと小旅行に行けるという息抜き的イベントと捉えている生徒が大多数だ。例外なく僕もその一人であるし、もしかすると、先生も引率を楽しみにしているかもしれない。

 家族以外の人と、知らない土地で、三日三晩も共に過ごすのだ。

 特別以外の何物でもないだろう。

 二年生たちががやがやと盛り上がりだすのを、「はいはい」と先生が制す。気持ちはわかるけど、これはあくまで学習の一環なのだと言いたげである。


「それでは、これから皆さんには班を作ってもらいます。何人でも、男女混合でも、別クラスでも、特に制限はありません。ただし、必ず二人以上であること」


 言う通り、外国へ行って個人行動というのは、あまりに危険すぎる。引率する先生方も、各人で散らばられると監視も難しい。

 班にしてしまえば、大所帯で見つけやすいし、班の中で問題を解決することもできるだろう。加えて、経験上何となくわかるが、僕たちくらいの年頃になると、自由度をあげれば自然と仲間外れは居なくなる。

 でもまさか、文化祭のテーマがここに生きてくるとは。

 文化祭の如く湧き上がる生徒たちに、待ってましたとばかりのタイミングで「ただし!」と同じ注釈を入れるのは、再び先生。拡声器を通してかつ、結構声を張ったこともあって、場は一気に静まり返る。


「宿泊学習最終日、テストがあります!」


 直後、「えー」やら「はぁ」などで、再び場が湧く。先生も、やっぱりなという顔で、皆が冷静さを取り戻すまで待っていた。絶妙な間の取り方というか、何というか。生徒との一体感がすごい。

「二年生のこの時期、一番楽しい時期だから、皆忘れてるかもしれないけれど、この学校での日々も、もう半分切ってるんです。あと残り半分をどう生活するかってことも、勿論大事。だけど、もう半分過ぎたのかって、反省復習するのも大事です」

 あまりに的を射た言葉に、生徒たちは静まり返る。中には頷いている者もいる。

 時の流れる感覚が僕たちに近い先生だからこそ言える言葉だ。

 それを踏まえてのテストなのだと、話はスムーズに繋がる。

「今回のテストは勉強だけじゃない、スポーツ、芸術、道徳、家庭科も。全部で五つの種目をすべて、班のメンバーで走り切ってもらいます。ただやるだけではサボる生徒がいそうなので、得点をランキングにして、順位ごとに宿題を出します。遊んでばっかりで真面目にやらないと、どうなるか……わかるよね?」

 脅し文句に迫力が足りなくて、かえって可愛らしくなった。

 該当しそうな男子たちが、小さく湧いた。

「気付いている人もいると思いますが、班の人数と編成は、慎重に選ばないと大変になりますからね」

 勉強だけでないとなると、採点基準が不明瞭だが、そこは先生方の裁量でうまく調整されることだろう。ただ、ここまで条件が出揃っているのだ、極端な班編成をする者はそういないはずだ。

 話の裏で、すでに段取りを始めているような声が聞こえてくる。それも少なくない。

 その話声の数こそ、宿泊学習に掛ける思いに他ならない。

「それでは、皆さん。これから班を作ってもらいますので、起立してください」

 起立する音にざわざわとガヤが混じる。起立するスピードは主任が命令した時よりも、気持ち早い。

 僕も割と早く立ち上がれたので、後続のノアの右手を取ってあげた。

「はい! では、これより十五分間ですね。自由に移動して構いません。はい、よろしくお願いします。では、どうぞ」

 その言葉を皮切りに、縦の列が即座に霧散した。

 その場に立っていると、右に左に前に後ろに、何だか波に飲まれて島に取り残されたみたいだった。そしてこの後、たくさんの島が誕生するわけか。特に、興味深くはない。

 さて、僕も動かなければと、歩き出そうとすると、左手に引力を感じた。

「あっ……。ノアさん、ごめん。手、握ってた」

「ん。いいよ」

 そのくらいならアリスも怒らないから、と微笑むノアの瞳はすでに、アリスを探していたようだけど。

「ノアさんは、やっぱりアリスと?」

「うん。昨日、夜、約束したの」

「そっか」

「ルートは、誰と?」

 それはさすがに忌憚が無い。

 でも、口ごもるわけにもいかない。

「ぼ、募集中、かな……!」

 そういうわけだからと、自己PRする場を設けたいところだが、僕にアピール力はそもそも無い。アピールするポイントも見当たらない。班の総合平均点をほとんど上下させないということぐらいか。

 いや、これがすでにアピールなのか。

 ああ。情けない。

「ルートも、班、組も……?」

「いいの?」

「うん」

「ありがとうノアさんっ……! 僕、ノアさんには、頭が上がらないよ……!」

 色々な意味で、平身低頭して握手するしかない。

 持つべきものはやはり親友だと、身をもって実感させられる。

 これで何とか、孤島は免れたわけだ。

 しかも、ノアは芸術的センスに優れているし料理も上手い。アリスは勉強も運動も何でもできる万能だし、二人がいれば合宿明けのテストも怖くない。僕は、平均を下げさえしなければそれでいい。

 それでいいのだけれど。

 果たして、そこに僕は必要なのか。

 二人以上が条件だから、数合わせなら、僕は居なくてもいい。それに、テストの点はいいとしても、恋人同士である二人の関係からすれば、邪魔者相違ない。

 ここは、遠慮を示すべきところかもしれない。

「あ、ノアさん。やっぱり、僕――」



「じゃ、この三人で、いいわよね?」



 人込みの隙間から現れた彼女に、ノアの表情は一層明るさを極める。

 どうやらアリスは、誰か他の人にも誘われていたらしかった。それを断るのに時間を食ったということだ。それを待つ間に僕を誘うノアがアリスへ寄せる信頼は、相当なものであると感じた。

 二人を結ぶ白い線に、僕という点が交わる。線は歪んで、平和へと形を変える。長い時間をかけて。

 アリスを支点にして通っていた、僕たちの心の澪は、もう、目に見えないものではないのかもしれない。



「……ったく。何年一緒にいると思ってるのよ」



 僕はノアと顔を見合わせて、それから小さくお辞儀した。



 

【あとがき】

 彼氏彼女がいる人に恋をしたら、ダメでしょうか。

 答えは簡単です。


 ――法律を知らなければ、許される。


 心の老いとは、必ずしも穢れているとは言えません。

 美しくもあり、醜くもある。

 それなのに、生れくる生命は、どうしてか罪を忘れていて。



 次回、修学旅行にレッツゴー。

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