Ⅵ ふと顧みて、葉落月。
【まえがき】
はおちづき、です。
二度目の文化祭。
そう言い表すと何か感じるもの、ありませんか?
本編です。
熱気と賑やかさは比例する。
そんな陳腐な方程式を引っ提げて、僕はよくできたタワーホットケーキを席まで運ぶ。お客様の無理な呼びかけを多少無視できるのは、学生クオリティであると言える。
制服なら脚が涼しいから幾らかましだったのかもしれないけれど、このような人の熱気に中てられては、到底太刀打ちできない。手袋も蒸れてくる。
水を一口飲んで、ふう、と一息つくと、自分の教室の異様な光景に改めて目が眩んだ。
白黒ゴシックなメイドが多数、うち何名かはタキシードの執事だ。衝立を挟んで向こう側は厨房になっていて、今頃はノアがてきぱきと皆に指示を出しているところだろう。そっちはそっちで大変そうだけれど、こっちもこっちで骨が折れた。
一応、午前の部と午後の部で班分けが為されているが、確立されたものではなく、結構自主的な部分が多い。僕もそうだけど、休憩に許可は取らないし、面倒そうな生徒の注文は全面拒否する人も見かける。男子の何名かは、他のクラスへ遊びに行ったきり戻ってこないし。確か、偵察だとか言っていたか。
出来た穴を塞ぐようにして残った者たちの負担は、増えていく。
なるほど、そういうことか。
僕も夕涼みに行こうかという所存だったのだけれど。
「あ。ルーだ。やってる?」
一瞬、立ち眩みがした。疲れすぎて、夢でも見ているのではと、思わず自分の頬を抓ってしまった。痛いから、これは夢ではないなんて、安直すぎる。
僕は無意識のうちに、そこへ手を伸ばしてしまっていた。
「な、なんでここにっ!?」
教室のドアを一歩出たあたりで、少女の肩を捕まえてそれはどうなのだろうか。
とは言え、今日は“非公開”なはずなのだ。
「驚いた? 今日、日曜日で休みだし、来てみた。そしたら、入れた」
「入れたって……。先生に見つかったらまずいんじゃ……」
いくら在校生の妹とは言え、学校単位からすれば部外者に違いは無い。不必要なリスクを背負ってまで校則を捻じ曲げるなど、あり得ない。
しかし、それに関してリズは一家言あるらしい。
「それは大丈夫。あいつが囮になってくれたから」
「あいつ?」
偶然、捨て駒という名の付き添いでもいたのだろうか。
悲しい香りは全くしない。
それどころか、甘い香りが僕を誘う。
「だーかーらー。匿ってー。……ねぇ?」
「匿って、と言われても……」
リズの服装は、外出する時によく来ているモノトーンのワンセット。母親に手入れしてもらったのか、髪は艶々していて、瞳にはほんの少し化粧っ気がある。所謂、誰かに会いに行く服装か誰かとどこかへ出かける服装に見える。
言うなれば、僕の「理想のデートコーデ」かもしれない。
いや、そうではなくて。
ここまで匿われる気が感じられない人を、匿おうとする方の身にもなってほしくはある。確かに、僕に会いに来てくれたのは嬉しいのだけれど、それ相応の対価は発生するような気がするのだ。
守ってあげたいのはやまやまなのだが、副会長という顔もなくはない。
一人でたじろいでいると、やあやあと見覚えのある御仁が久しい面子を率いて廊下の奥からいらした。
「おうおう。やっとるのうやっとるのう」
「あ。ルートさん。こんにちは。リズも一緒にいた」
「げっ。もう来た」
「ア、アレン君までいるっ? なんでだ……」
「しっかりスルーするねワタシを」
非公開文化祭とは字面だけで、実は公開していたとか、そういうサプライズはないだろうかと、会長を睨む。伝わったのかどうかはわからないけれど、何やら首を横に振っていて、否定しているようにも見える。時代劇の殿様のような恰好をしているから、イマイチ説得力には欠けるのだが。
とは言え、リズのクラスメイトであるアレンがここに居ると言うことは、とうとう公開の線が色濃くなってくる。そのうち誰かの保護者が遊びに来てもおかしくはない状況だ。
とりあえず、詳細は一緒にやって来た関係者に聞くとしよう。話したそうにしているし。
「いやぁ、まぁ、大変だったよ。うちにミドルの学生が遊びに来たって聞いてさー」
「ぼっ……俺は、リズが『公開文化祭らしいよ』と言うので、ついてきただけです! リズは昇降口のあたりで姿を消すし……」
「そうそう。んで、この謎の超絶イケメン、アレンくんに女子が群がらない訳はない。昇降口に人だかりができる想定外の事態に、生徒指導部が動いたらしくてね。それで、そのままアレンくんを部外者として生徒指導室に拉致監禁。聞きつけたワタシが駆けつけて、見事救出したというわけさ」
「ちょっとよくわからないんですけど」
リズが目的達成のためにアレンを利用したのは理解できるとして、拉致監禁からのくだりが適当すぎやしないか。聞いたまま解釈すると、会長が会長の職権を乱用したように受け取れなくもないのだが。
目を細めていると、「まあまあ」と会長に丸め込まれた。
「なんにしたって、今日は文化祭。楽しもうじゃないか。はっはっは!」
溜息を一つつこうと息を吸った矢先の出来事。
「ななななな、なんで、来たのっ!?」
教室奥手の厨房の方から、新米リーダーの声が聞こえてきた。元々、余り大きい声を出す方ではないけれど、ここ最近はよく聞いている気がする。
大人しい人も黙っていられない事件が多発しているということか。生徒会としては、それこそ黙っていられない。
すたこらと現場に急行すると、兎の群れのように会長たち数名も後ろについてきた。
配膳窓口だと邪魔になるので、厨房側の扉から直接アクセスした。
「どどどどど、どうして……ここに……。今日、非公開、だよ……?」
狭いので、厨房に入るとすぐ状況が掴めた。
また、予期せぬ来訪者である。
それも二名いる。
「え、えっと……ノアさん、大丈夫?」
ノアはその来訪者のことを知っていそうだったけれど、すでに泣きそうな様子だったので、間に割って入る様にして尋ねた。その時、来訪者の影が視界をちらついたけれど、どうやら二名とも女性らしかった。
保護欲を掻き立てられそうになる潤んだ瞳にか、先刻の心からの叫びにか、周囲のメイドの視線はノアに釘付けだ。これは、ノアの苦手な状況なのではないだろうか。
背中でも摩ろうかと寄ると、小さく頷くので、これは躊躇われる。
「だ、だいじょぶ、だけど……」
「そ、そう? なら、いいんだけど」
「なら、よくない」
厨房の入り口に引っかかっていた会長が、ずいと前に出てくる。
そう言えば、確かに、よくはない。
「そ、そうですね。えっと……。ノアさん……の、知り合いの方?」
まず、得体の知れない者という称号を取り払いたい。
現時点で実害はないのだから、処遇はそれからでも遅くはないはずだ。
「ん……。お母さん……」
「なるほど。お母さん。お母さんか……えっ? お母さんっ!?」
自分の中で、何かのステータスの優先度が一気に上がった感じがした。
次の瞬間には、地面と向かい合って、直っていた。
「は、初めましてっ。ルートと言います! いつも、お世話になってます!」
「ルート……?」
ノアにタキシードの裾を摘まれて、冷静さを欠いていた事実が判明する。ノアの冷ややかさがまた、肥大化した羞恥心にピリピリ沁みる。
よくわからない勢いで下げていた頭をゆっくりと擡げて、僕はそれ相応の挨拶へと対処を変えてみる。初対面なことに変わりはないし、お世話にもなっている。ただ少し、プロポーズしたみたいで恥ずかしかっただけで。
文化祭特有の空気に助けられた感はある。
「ふふっ。君、面白いね。タキシードなんか着てるし」
「こちらこそ。お世話になっております。ルート様」
「あ、はいっ。えっ、あれ?」
顔を上げると、そこには世にも不思議な光景があった。いや、ノアも気にしていなかったし、別に不思議はないのか。
同じ顔が二つ、そこにあっても。
僕から見て左の女性は黒を基調としたゴシック調、今クラスに犇いているメイドの様相にかなり近い印象の洋服を着用している。右の女性も地は黒でまとめられているが、パーカーに七分丈と、ジャンルはモダンでポップな印象である。声も、色は同じなのに塗り方が違う、そんな印象を受ける。
双子、だろうか。
その前に、どちらだろうか。
「ノ、ノアさん」
「なに?」
「お母様はどちらで……?」
その質問には自分が答えようとばかりに、二人の来訪者が訴える。
文字通り、口を揃えて、彼女らは言った。
「自己紹介がまだだったな。わたしがノアの母親の、リノ」
「わたくしは、ノアの母親のレノ、にございます。いつもノアがお世話になっております」
あまりにテンポが良いので、一瞬、そういうアトラクションかと思った。
「なるほど……!」
心の中でわからないと思いつつも、はにかんでおく。
二人とも美人な雰囲気で、童顔なところや優しそうな眼差しはノアを彷彿とさせるけれど、姿勢というか態度というか、どこか違うなとも思った。家庭事情は知る術もないが、双子というポテンシャルは確かなものなのだろう。
話を戻すが、二人は一体どうやって校内に侵入したのだろうか。
現学生であるリズやアレンなら忍び込める道理があるが、両名とも大人の女性だと一目でわかる。在校の者からすれば、不審者相違ないと思うのだが。
もし、筋道を通すのなら、『誰かが許可をとった』ということになる。
二人に会った時のノアの反応と、二人がノアの母親であること。二点を加味すると、答えは見えてくるような気がする。
「二人は、あたしが呼んだのよ」
まさに狙っていたかのようなタイミングで、厨房へ戻って来るメイドがいた。
そのメイドは、お盆を片手に所作華々しく、それでいて腕まくりなどしていて、メイドらしくなかった。メイドの枠に収まりきらなかった、と表現するべきか。
「「ア、アリスが呼んだの……?」」
必然か偶然か、他の驚愕と被った。
思わず、ノアと目を合わせて、双方照れた。
アリスは「はぁ」と溜息をついて、呆れた表情でいた。
「ええ。そうよ。厨房のサポートとして、学校に許可をとったわ。ノアにはサプライズで黙っていたけど、メイド役のミーティングの時に提案したのだから、あなたも聞いていたはずだけど?」
メイド役のミーティングという単語に、その光景がじわりと蘇ってくる。
今は執事をしているが、僕はメイド役もやらされているから、両方のミーティングに出席している。その記憶はある。
ああ。そう言えば。
誰かが、「強力な助っ人を呼べたら呼ぶ」というようなことを言っていた気がする。
しかし、それはアリスだっただろうか。
とは言え、思い出せない僕に非はある。
「あ、ああ。そうだったんだ……」
「全く。ちゃんと聞いてなさいよ」
「ご、ごめん」
「まぁまぁ。ルーがニブチンなのは今に始まったことじゃないじゃん」
「うぅ……」
妹の言葉には思い当たる節もあって、言い返せない。
多少歪んだ文化祭の空気を立て直す一声は、やはり生徒会長が発した。
「感動の再会? も果たせたことだし、そろそろお店も再開した方が良いんじゃない? 接客のメイドさんたちが音をあげてるよー」
「あ、ほんとだ……。ノア、やらないと……」
「手筈通り運びはあたしたちがやるから、調理をお願いするわ」
「了解致しました。ふふっ。今日はノアが料理長なのね。よろしくね!」
「んじゃ。わたしは盛り付けでもするかー」
「俺も何か手伝いますか?」
「じゃあ私は試食ー」
その後、すぐに厨房はわっと賑やかになって、また元の文化祭の教室が帰って来た。
それから、会長は僕のところに来て「頑張れー」と肩をポンと叩いて、去っていった。
こういうところを見ると、生徒会長の凄さというものをひしと感じる。それに比べると、僕はまだまだ成長し足りない感がありそうだった。
ノアのような目に見える成長というのは、どうすればできるのだろう。成長したら、僕はどうなるのだろう。リズは喜んでくれるだろうか。
メイドも執事も、少し疲れた。
考えるのは、夕涼みの後でも遅くはないか。
そう思いたい。
***
「ふぅ……。涼しいな」
夕涼みというほど日は暮れていないけれど、黄昏時とはこのことを言うというのは決して過言でない。打ちひしがれるのが暮れなずむ街でないと、少々格好悪いけれど。
今年の文化祭は非公開であるから、屋上に誰もいない。数日間をまつりごとに費やすのでないから、大きな休憩所も必要ないのだろう。
去年、公開文化祭という一大テーマを体感したからか、緊張や不安というストレスはあまりない。それはつまり、新鮮味が無いとも換言できて、副会長という身上にありながら、どこか手を抜いてしまっている気もしないでもない。
初めての緊張感がなくなってしまう、所謂“慣れ”に負けて怠惰に走ってしまったということ。それは会長の掲げた「自由」というテーマに潜む、一番の難敵であるとわかっているのに。
少し考え方を変えてみよう。
今回の文化祭と去年の文化祭の最大の違いを挙げるならば“規模”に他ならない。
では、規模とは何か。
ここでいう規模とは、継続時間か。
去年は三日行われた。でも、今年は一日である。
そう言われると、確かに特別なものに思えてくる。
本来なら、あの三日間を今日一日に集約しなくてはならないのだ。
それなのに僕は、こんな大樹の前のベンチで、だらり悠長にしていてもいいものだろうか。
庭園中央のこの長寿大木なら、答えを知っていそうなものだけれど。
「あなた、この場所好きよね」
その人は、ふわりと僕の不意を攫って、さも当然のように隣に腰かけた。どこかで嗅いだことのあるシャンプーの匂いは、今日のメイドリーダーのそれと酷く似ていた。
その繋がりとは、今の僕の心境を容易に縁取ってしまう。
「わっ、びっくりした。なんだ、アリスか。とか、言いそうな顔ね」
「ア、アリス……」
ちょうど、人一人分、僕らの間には距離があった。
それは僕が無意識に、不意に作り上げたものか、アリスが意図してそうしたものか、判然としない。かつて、その間にはノアが収まっていたけれど、それはもう、なにか不和すら感じてしまう。
陣取るのであれば、僕はアリスと、アリスはノアと、隣り合っていなければいけない気がする。そもそも、僕が場違いであるとも言える。
結びつけるはずの力は、いつか距離を推し量る道具に成り下がると、そう言ったのは誰だったか。
自覚した瞬間から、僕は解答欄を間違えている気がする。
「こ、ここにいるって、よくわかったね……」
「あなた、何かあるとすぐここじゃない。この、人の少ない、屋上庭園」
「ま、まあね」
アリスは本来、自然主義でない。
それなのに統計とは、矛盾しているではないか。
「アリスも休憩?」
「ええ。そんなところよ」
「…………」
「…………」
沈黙が毒のように不味い。これは聊かおかしなものだ。
毒針のように僕の心に突き刺さる、あの冷徹な金言は、一体どこへ行ったのだろう。
あるいは、それをため込んで、一気にぶつけようという算段か。
あり得ない。
確かに、口は悪いかもしれないけれど、アリスは悪い人ではない。それはノアも知っているはずだ。リズが一度好きになったくらいだ。
つまりどういうことか。
「…………」
「…………」
わからない。
わからないが、不味い。
「あ、あははは……」
「…………」
「へ、平和だね……」
「…………」
アリスは何も言わない。
僕の作った賄いには、手を付けてもくれない。
「静か、だね……」
「…………」
その時だった。
予鈴は今日、鳴らない。
「嵐の前の静けさ……かもしれないわね」
明らかに、僕にだけ聞こえるような声量であった。僕以外には聞こえないと言っても過言ではない。ここに僕しかいないからというよりか、そう言った方がニュアンスが近い。
その言葉はアリスが考えてアリスが発したのだから、アリスも聞いていただろう。
しかし、アリスはその言葉を呟くと、僕の返答も待たずにベンチを後にしてしまった。
アリスがどこまで離れても、僕は不思議と不和を感じなかった。
一人になった屋上に吹いた夏風は、往々にして生温いはずなのに、これは飄々と冷たい。去年の文化祭、この場所で僕が感じた息吹は、こんなにも機械的であったろうか。
【あとがき】
割とオールキャストな今話でした。
私は、人物ごとに「人称」を変えていますので、書分けは意外と楽だったりします。読み手の混乱を防げる反面、ある程度のメモリを要求するので、あまりに多くの人物を出すことはできないのですが。
そう考えると、現実の人間の人生ってすごい短く感じますよね。
文章に起こすと、他人から見ても区別がつくぐらいの人数しか登場しませんから。
いやぁ、ラノベの主人公ってすごい。
長生きしそう。
次回は、文化祭も終わって、遂に嵐が……?




