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Ⅱ Dominant at Emotion

【まえがき】

 "感情が支配するか、支配したそれが感情か"

 所有する順番を理解してはいけない。

 

 読み終わった後、温かくなるか寒くなるかで分かれそうです。

 少しみぞれっぽい今話です。


 どうぞ。



 

 


 家出八日目。

 朝。



 いつの間にか眠りについていたあたしの目を覚まさせたのは、ノアが作っていた料理の匂いだ。食糧棚にあった保存食と調味料を組み合わせて、ガレットに似たものに仕上がったようだった。

 メイド業務の経験に元々の器用さも相俟って、ノアの料理は素晴らしく美味しかった。

 完食後にそう伝えると、「愛情だよ」と言い切られてしまって、困った。

 食欲に答え得るものが愛であるならば、その愛情が尽きないように、次の一秒から何かしらの手を打たなければならない。

 何もしていなければ一日一度の摂取で事足りるだろうか。いや、それでは根本的な解決にはならない。食糧が逓減していくことは目に見えているのだ、何等かの供給が無ければ底が尽きるのを待つだけになる。

 では、供給とはどのようにすればよいか。

 方法は単純で明快だ。

 そのものを創りだすか、創りだしたものを手に入れればよい。

 では、どう創りだすか。また、手に入れるか。

 ()るものであれば、地を耕し育てればいい。生まれるものであれば、血を肥やし馴らせばいい。難しいなら、そうしている他人から買えばいい。

 買うためには、等価交換をすればいい。

 そう習った。

 であれば、あたしは次の愛を育むために、買い出しに行かなければならない。

「あ。そう言えば財布がないわね」

 仕方がないことだ。

 あれは、あたしのものではないのだから。

「ん……? アリス、どこか行くの? ノア、財布あるよ……?」

 小さなバッグをひっくり返して中身を漁っていたあたしに、お手洗いから帰ってきたノアが言う。隣にびったりくっついてくるあたり、一人になるのが心細いのだろう。

 でも、外出する場合、ノアを連れていくことはできない。

 街中では、いつどこで黒服に遭遇するかわからない。二人で徘徊することは、学生服しか外着を持たないあたしにとって、これ以上ないリスクになり得る。それに、見つかった時に逃げられる確率も半減してしまう。

 そうなってしまっては、この戦いは負けなのだ。命の保証もない。

「そ、そう」

「アリスなら、いいよ。ノアの、全部使って?」

 何か察したのか、話が飛躍する。

 でも、あたしには断れる理由が無い。

「ありがと。それなら、使わせてもらってもいいかしら?」

「うん」

「ごめんなさい……。ありがと……。絶対、返すから」

「いいよ。ノア、アリスにたくさん、もらってるから……」

 それと引き換えに同行を申し出ると思っていたから、特に言及がないことに不信感が募る。

 あたしはあたしを隠さないつもりだから、ノアに見えない部分があるのは嫌だ。

「ねぇ、ノア。あたし、お買い物に行くつもりなのだけれど、お留守番できる?」

「大丈夫……」

「…………」

「…………」

 心配になって、是非を尋ねたくなる。

 ああ。

 淋しそうでないのが悔しかっただけかもしれない。

「本当に?」

「うん。本当。外、危ないし。アリス、連れて行かないって、言うと思ってたよ。仕方ないもん、大丈夫」

 なるほど。ノアの中では、すでに役割分担がなされていたということか。

 ならば、答えなければなるまい。

「良かった。さすが、ノアね」

「……っ!」

 ノアの髪を撫でると、目をぱちりと見開いて愛らしい。

 しかし、息を飲むとは珍しい反応だ。

「どうかした?」

「さすがって、褒められたの、初めてだったから……びっくりした、かも……」

 それもそのはずだろう。さすがと褒めるのは、良さの再認識が実感できる芸事の師匠か、それこそ親くらいなのだから。

「ふふふっ。あたしはいつも思ってるわ。ノアは、すごく素敵よ」

「な、なんか変な感じする、かも……。でも、嬉しい……」

 ノアの頭を撫でると、そこへ被せるように手を重ねてきた。

 それは、あたしも初めてだった。

「冷たいわ、ノアの手」

「アリスは温かい……」

 だからこのままでいい、とでも言いたげな口振りだった。

 ノアがそれでもいいと言うのなら、あたしはもっと幸せにしてあげたい。二人とも温かければ、肌が触れ合った瞬間に喜びが溢れ、そして二人の世界は希望に満ちる。

 そう思うから。

 だからこそ、生き抜くのだ。

「ねぇ、ノア」

「ん」

「お腹減ってない?」

「んーん」

 これからの暮らし、食糧には難がありそうだ。

 資金繰りも、直ぐに取り掛かるべきだろう。

「そう。よかった」

「アリスは?」

「大丈夫よ。寒くはない?」

「太陽出てるから、温かい。あと、アリスも、温かい」

「ありがと。よかったわ」

 こと気温気候に関しては、現時点で問題は無い。

 昨晩も雪が降って非常に寒かったが、この国は一日を通しての平均気温が氷点下を下回りにくいので積もることはそうない。二人で密着して毛布に包まって一夜過ごしたが、汗をかくくらい温かかった。

 汗が冷えないよう加減すれば、怖いのは夏の暑さくらいか。

「夕方くらいに買い物に行こうと思うのだけれど、大丈夫?」

「うん。ノア、何か準備する?」

 学生の帰宅する時間帯に合わせて外出すれば、制服のあたしも紛れることができる。人気がある分、こちらからの発見は遅れるかもしれないけれど、そういう場所で堂々と人攫いをやってのける連中ではないはずだ。数十名規模で移動していれば、あたしでもさすがに気付くか。

 ノアの言う準備は、武器を携えるべきという意味ではない。

「いえ。いいわ。水道すら最低限しか使えないんだもの、休んでなさい」

「わかった。じゃあ、何か創ってるね」

「久しぶりね。ノアの発明。いつも斬新で好きよ。楽しみにしてるわね」

「うん!」

 時に印象派、時に現実派、時に抽象派。それは一種のボードゲームかもしれないし、一種のごっこ遊びの道具かもしれない。明確な目的をもった彼女の独創がそこにあって、あたしはそれが好きだった。

 帰ってくる楽しみもできたわけだ。

 それは同時に、絶対に帰らなければならないという責務をも授ける。

 でも、もうこれで、この場所は氷漬けの監獄にはなり得ない。

 二三追って注意を説明して、それから、六時までの四時間を布団で蓄えた。

 力も、勇気も、責任も。

 その足で、その手で、あたしは生存戦争へと赴く。



     ×××



 いくら、あたしがツインテールを催しているからと言って、ノアの眼鏡を借りているからと言って、見破られない保証はない。警戒しながら歩けば怪しまれるだろうし、変に隠れられもしない。それに、買い出しに行くにも限りがあることはわかっている。

 大事なノアのお金を、それこそ大事に使っても、永久になくならないわけはない。

 今回は、その打開策というものを練りながら、見慣れた街の見慣れない道を行く。

 道がわからなくならないよう、とりあえずの目的地を”あのショッピングモール”に絞って、そこからの位置関係で現在地を把握することにする。

 円弧を描くよう、大回りで歩く。距離が倍々に増えていくおかげでエネルギーの消耗が激しいけれど、得られるものも相応に大きかった。

 ショッピングモールを中心に、ノアの家とは真逆辺りの位置に来たところ。要は、ショッピングモールを抜けた先にある宿泊施設通りの、また、さらに奥ということ。

 そこには小さな学校があるらしかった。

 時間帯が時間帯なだけに下校生徒の影も見えなかった、ということは、その学校には放課後の部活参加を義務付けない、エレメンタリーだということになる。

 その学校からすれば『遠い方』が近いのだなと、妙な不和を覚えた。

 さておいて、その学校の隣のベーカリーの軒先に出ていたポップを目にしたあたしは、その目を疑うこととなる。

「美術学校生に、端材パンを無料提供します……?」

 確かに昔、絵画を習わされた時、パンを使って何かした覚えがある。それで、キャンバスがやけにパン臭くなって、作品を台無しにされた気分になった流れだったか。

 パンを絵画に使う意図は未だに理解しかねるが、端材でもパンはパンだ。

 誰かに譲れるだけの余裕があるのならばと、あたしは美術を志す者であると偽って、厚意の提供を受け入れる運びとなった。

 帰る足で、ショッピングモールに寄った。

 必要最低限の飲み水と、向こう一週間分の食材、それから蝋燭を買った。

 飲み水は飲み終わった後に器をリユース可能だから大きめの物を、食材はできるだけ加熱調理を必要としないものを選んだ。蝋燭は深夜に何かあった時のために買った。

 ショッピングモールを後にして、あたしはまた円弧を描くように歩いて、部屋へと帰る。

 同じ公園を出入りしなくて済むよう、水の汲めそうな公園の場所もあらかたマークできた。

 部屋に着いたら、これからの計画を立てなくてはならない。

 それは義務だし、生活だし、必然だ。反面、それは権利だし、放棄だし、必然でない。

 そう、わかっているはずなのに。


「ただいま」


「あっ! おかえりっ、アリス!」

「お待たせ。早々ハグなんて大袈裟ね。どこにも行かないって、言ったじゃない」

「帰って来たから、だよ……っ」

「そうね。……ありがと」

「そだそだ。創ってみたの――」

 この子の隣にいると、錯覚する。

 この子はあたしを必要としていて、あたしはこの子を必要としている。だから、得意と言い切るあたしの力も、今はもう必要ないのかもしれないのだと。

 それでも、微笑んでしまうというのがあたしの答えなのだろう。

 廊下キッチンとドアを隔てたダイニングのテーブルに、買ってきたものを並べていく。ついでに、束ねていた髪を解いて眼鏡も外した。

「あ……」と、ノアががっかりそうにあたしを見たのは、食材が貧相だったからではない。

 あたしはもう一度、今度はポニーテールにして、柔らかく笑ってみせた。

「可愛い」と、ノアが褒めてくれたのが嬉しかった。

 心臓がトクンと脈打った。

「さ、さぁ、夕食を作りましょ」

「うん!」

 迷うほどのレシピを持っていないあたしに代わって、ノアが献立を考えることになっている。料理に限らず材料に一通り目を通すと、大体の完成イメージが浮かぶらしい。

 あとでまた、さすがだと撫でてあげようとあたしは横顔を見つめているだけだ。

 ノアが抽出したもの以外を棚にしまって、それから二人で狭いキッチンに立った。

「今日は、何を作ってくれるのかしら?」

「んと、ハンバーグ。茹でて作る、から……つみれ?」

 鍋に水を沸かしたり、根菜を刻んだり、忙しなく動く手には無駄が無くて素敵に見えた。

 ジャガイモの皮を剥くくらいしかできないことが、少しもどかしい。もどかしいのと同時に、相手に対する想いが高ぶるのがわかる。普段、ノアを格好いいと思ったりはしない。そういう潜在的な想いが光を帯びてくる感じか。

 あたしが部活をしている間、ノアもこんな気持ちになっているだろうか。

 ジャガイモのごつごつした角よりも、隣で張り切る彼女を意識してしまうのは、ごく自然な事と言える。


「痛っ」


 集中をかいていたバチが当たった。

 ピーラーが左手の小指を掠めて、血が出てしまったのだ。痛みはそれほどなかったけれど、出血が大袈裟に怪我を演出した。

 水で洗い流すまでも無いとは思ったのだが、ノアが何か言いたそうに口をパクパクさせているのがわかった。何を訴えたいかわかったので、ものぐさに小指を差し出すことにした。ノアはきっと、お腹が空いていた。

「早くしろ」とばかりに小指を差し出したところは仰々しくもノアの唇の真ん前、その上で微笑むあたしはさながら策士だ。策士もきっと、お腹が空いていたのだと思う。怪我をしているところに息が当たって擽ったかった、というのもあったかもしれない。

 小指を咥えようと近づいてくるノアの唇に、あたしは思わず口をつけてしまった。驚いたノアの体がぴくっと反応するのが、そのままそこを通してあたしに伝播した。

 せっかくまた、二人の歯車が合う音がしたのに、痛く無かった傷口がジンジン鳴るのがやけに五月蠅かった。

 そうだ。

 それは、忘れ去られたジャガイモの悲痛な叫びだったりするのかもしれない。

「りょ、料理中、だから……っ」

「ごめんなさい。お腹が減ってつい、ね?」

「うんっ。急いで、作るね……!」

 ノアの耳が真っ赤に茹で上がるのが、またさらに美味しそうだった。あたしを意識しないように細々と手を動かす姿が可愛らしい。

 それにしても、手際が良い。

「すごく上手ね」

「えっ?」

「料理よ。あたしはそんな速くできないわ」

「ああ、うん、ありがと、う……。いつも、やってるから……。でも、アリスのも、美味しいよ。あの、オムライス……」

「あら。ありがと。昔、ママに教わって、それで……」

 それでその一品しか作れないなんて、なんて恥ずかしいのだろう。

 だったら、これから変えていけばいい。

「ねぇ、ノア?」

「なぁに?」

「あたしに料理を教えてくれない? 一緒に何か作れたらなって、思ったの。それに、あなたが熱出した時、オムライスが出て来たら嫌でしょ? 簡単なものからでいいから。お願い……」

「…………」

 役割は奪うのではなく、分け合って。愛は創りだして、感じ合って。

 あたしはそれを覚えたかった。

「うん、いいよ」

「ふふふっ。ありがと。知ってると思うけど、あたし、覚えたことは完璧に再現できるの。だから、ノアの好きに仕立てていいわよ」

「ノアの、好きに……」

 ノアが想いに耽ってすぐ、ぐぅとお腹が鳴った。

 誰のとは言わない。

「さぁ。早く作っちゃいましょ。明日になってしまうわ」

「そだね。じゃあ、ジャガイモ潰すの、一緒に……しよ」

「いいわよ」

 長期保存できないことを理由に生肉類は買っていなかったから、ハンバーグと聞いたときは疑問だったのだけど、なるほど。合点がいった。

 下茹でしたジャガイモをすり潰して、それを固めるということなのではないだろうか。焼かないようにしたのは、茹で汁を何かに再利用したりするとかで。

 それにしても、あの一瞬でそこまで計画できるとは、さすがノアだ。

 温まったジャガイモを大きめの袋に入れて、二人で一緒にそれを叩く。それなら、あたしでもできる。

「あ、そう言えば、ね。さっき、二人、来たよ」

「二人? え、来た? 待って……。ここに誰か来たのっ!?」

 思わず、振り下ろす綿棒の勢いが増す。

 高揚を鎮めようと、ノアはあたしの腕を触った。

「ご、ごめんなさい……。ルートと、リズ、来た、から……。開けちゃった……」

「い、いや、いいのよ。来てくれたのに帰ってもらうわけにはいかないもの。激昂して悪かったわ……。それで、二人は何をしにうちに?」

 今、あたしたちが学校でどういう扱いになっているかはルート伝いにしかわからないが、この状況は理解できているはずだ。ある程度のリスクもあるのだ、理由もなく訪れはしないだろう。

 ノアを間に挟むことになるけれど、あたしはその純度にこの上ない誇りを持っている。

「えっと……。まず、お菓子くれた」

「お菓子って……」

 ノアがこそこそとダイニングの戸棚を漁ると、アソートのような小包がたくさん出て来た。

 溢れんばかりの量然り、和テイストな種類然り、彼女らの趣味らしかった。

「あとあと……。これから、どうするの……だって」

「まあ、そうよね」

 友人二人が連日欠席していたら、あたしも同じことをするだろう。

 あたしの場合、茶々入れたい一心もあるけれど。

 ルートは決してそんなことはなくて、純粋に心配してくれているのだと、あたしは確信的に知ることができる。ついてきたリズはどうだかわからないが、ルートの嫌がることはしないと思う。

 それどころか、何か助けになれることはないかと、またお節介を焼いてくれている。

 でも、今は、今回ばかりは、助けを借りてはいけない。

 せめて、二人でも生きられるのだと、愛があれば生きていけるのだと、証明されるまでは。

 ルートの心を倣わないのは、証明の第一文だと自負している。

 いや、単に向き合っているだけか。

「リズがついてたんでしょ? 次いつ来るかとか言ってなかった? あの子、そういうところ鋭いから」

「あ、うん、言ってたよ。明後日、サクラの家、だって」

「サクラのね……。まぁ、そうね。わかったわ」

 ここ最近、あの場所に行くことが多いせいか、『願いの夢』による超自然的な力が、酷く身近に感じられる。今を冷静でいられるのは、そのおかげもあるのだと思うけれど、あまり良い気はしない。

 あたしに立ちはだかる一連の出来事も、なにか繋がりがあるような、何か大きくて黒い影が背景で蠢いているような、そんな気がしてならないのだ。

「ねぇ。ノアも、行っていい?」

「ええ。一緒に行きましょ」

 あの異空間が関係者のみを集める場所になる。そういうことなら、かえって同伴させた方が二人のリスクは減らせると思った。家に一人で待たせる心苦しさも、あたしにとって危険なものだと今日知ったし。

 そういう意味で言えばリズは部外者に近くなるが、夏にリゾートを体験していることもあるから心配はない。不用意に『願いの夢』について漏らさないようにするとして、今回もあの最強の母から譲り受けた適応能力を信じよう。

 とは言うものの、リズも来年十五歳になる。

 万に一つ、あり得ないことではない。

 免疫ではないが、それに近いものを彼女に知ってもらえれば両得だと思う。

『ルートのすべてを知ることができる』あたしには、どうすれば正解だったのかわからないが。

 それは、ルートもサクラもノアも、本人も同じ。

 知ることはできても、知られてはいけない。

 分担できても、共有はできない。

 でも、妙案があるはずだ。

 あたしたちが恋人になった時のように。二人で潰したジャガイモが、ハンバーグに形を変える時のように。

 あたしたちが生きることで、それは証明される。

 少し、大袈裟かもしれない。



 

【あとがき】

 電気も水も使えないというような旨をアリスが話しましたが、全く使えないということではありません。

 電気は使わずとも待機電力を消費しますし、水はリットル管理です。

 それに、ノアの家には元々人がいないわけではないので、一人分の範囲内での使用は可能です。

 ただ、夜に電気が点いていると目立つので、控えています。



 次回は、あの方再び。

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