Ⅳ 慣生リフューズ
【まえがき】
アリスの新たな特技が判明。
でも、こういう人、たまにいます。
どうぞ。
家出七日目。
夜。
「はぁ……。ただいまなのじゃ」
「おかえりなさいませ。ご主人様。溜息なんかついて、らしくないわね」
「誰のせいじゃ! 毎晩毎晩おむらいすばっかり作りおって! おむ殺しされるわ!」
「仕方がないじゃない。美味しく作れる自信があるの、オムライスだけなんだから。でも、あなたは不味くなければいいんでしょう? そう言ったわよね」
「確かに言ったが、程度ってもんがあるじゃろ! どうしたら焼肉せっとがおむらいすになるんじゃ! けちゃっぷ隠しても、なんですぐ見つけるんじゃ! あと、たまごはお主が産んどるんか!」
夕食にオムライス、朝食にはその残りを消化するというサイクル。
昼食は二人で一緒に作るから、彩に富む。どういうわけかオムライスの作成手順に手が動くアリスを、上手に誘導するのが新開発のゲームのようで面白い。暖炉の着火許可を貰った三日目あたりから、食事の時間は密かな楽しみだった。
差し引いても、エンドレスオムライスは苦行と言える。
アリスの作ったものだからと、脳では受け入れ態勢が万全なのに、延べ五キロほどを食すと、身体がそれを拒んでしまう。嘔吐きそうになるけれど、あと少しで何か見えてきそうな気がする。
「今日の食材はこれじゃ! もうあまり期待はせん。早う作ってくれ!」
「カツオにネギ、レモン、パスタ、ハチミツ、イカ、エビ、ね。わかったわ。作るから、そっちで待ってなさい」
カツオをレモンで仕立ててマリネ風、イカとエビを和えてシーフードパスタ、という路線が自然と見えてくる。思索は多少前後しても、サクラも同じことを考えて買ってきたのだろうと思う。パスタという大きな力を持ったベクトルが、食の提案を切に訴えている。
サクラでない誰かが期待をするかもしれないけれど、それは筋違いだ。
このあと食卓に並ぶのは、おそらく、美味しいオムライスなのだ。
希望を持つなら、アリスと結婚して料理を教えたいということ。
「あああああ……。絶対またおむらいすじゃ……。おむらいすに呪われる……」
神を信じ続けた村人が祟りにあった時のような、沈んだ空気がリビングを覆っている。心無しか、大きな窓の外に続く花畑も輝きが褪せている。
せめて、厨房に入れればよいのだけれど、当のサクラがそれを許さない。矛盾した摂理よりも、サクラはサクラらしさを選択する。言い分もわかる。ならば自分は受け入れる選択をして、柔軟に付き従うだけのこと。
アリスのお尻が叩かれるところなど、もう見ていられないから。
「ん? これ……」
「あああああああー……」
程よい奥行きを演出するチキンの香ばしさ。それから、舌に感じる植物的な酸味と、生き生きとした赤の味。丸みを帯びていてかつ量感のある直情的で豊満な芳香。愛と美の融合。
他でもない。
オムライスの匂いが漂ってきた。
アリスのお尻が腫れて大変なことになってしまわないよう、先に自分のものを差し出そうかとも覚悟した。
徐々にリビングに近づいてくるのは、食事の匂いと足音と。
「できたわ。どうぞ、召し上がれ」
――悠久の黄昏。
△▲△▲
「限界じゃ」
食後、間をおいてサクラがソファを立った。天井にぶつかるのではという勢いで、声は小気味よく部屋を跳ねた。チクタクと、ちょうど刻時するように。
それからすると、一瞬だった。
「もう、出て行くのじゃ」
頭頂部に鉄剣を振り下ろされたかのような、途轍もない衝撃が体を巡った。
為す術もなく、経時、アリスとサクラを順番に見るしかできない。
宣告の後、二人とも表情を変えないでいた。
いつもと同じなはずなのに、アリスが何を考えているのか余計にわからなかった。
だとするならば、自分が尋ねるべきだと思った。
「サ、サクラ……」
「なんじゃ」
「ノアが作るじゃ、ダメ……なの?」
「そういうことじゃないのじゃ」
だから、なのかもしれない。アリスが話さないでいるのは。サクラが表情を変えないのは。
アリスはもう、次の現実に立ち向かっている。サクラは、アリスの未来を案じている。
「のあはこのままでいいのかの?」
とても簡単な話だった。
その問いに自分はすぐ言葉を失って、息をするしかなくなった。
「同じ布団で眠れなくてもよいのかの? 一生わしの抱き枕でいいのかの?」
毎晩、アリスが隣に居てくれる幸せ。毎朝、アリスが傍に居てくれる幸せ。サクラが知るはずもない、けれど、誰でも知っている。そんな幸せが、心と記憶の溜まり場から強引に掘り起こされていく。
涙が出る程、痛かった。
「い、嫌だよ……。それは……。でも、サクラのっ、サクラのことも……心配なの……っ。好き、なの……っ」
「いい加減にするのじゃ!」
サクラの叫びは、重く深く。心という目の細かいフィルターを通っているのか、酷く響く。
「欲しいもの全部手に入れるなんて贅沢、許されないのじゃ。命と引き換えにでも、そんなことは絶対に有り得ないんじゃ。お主は心が決まっておるんじゃろ? なら、そのために動くんじゃ! わしくらい、捨ててしまえ!」
そうか。
手に入らないとわかっているものを、あたかも手に入るかのように見せびらかされて、気分が良くなる人はいない。自分は、サクラにそう感じさせてしまったのだ。
そして、自分のすべてを与えれば、両方とも手に入れることができるのだと覚え違った。自分の価値がゼロなのではない。そもそも与えることなどできないのだ。
ああ。そうだった。ルートの母が言っていた。
それは一方的に与えるものではなく、二人の間に生まれるものだと。
「ごめんなさい……」
「なんでじゃ」
「ごめんなさい……。でも、ノア、謝りたい、の……。サクラに、酷いこと、する……から」
「どういうことじゃ」
「ノア……。ノアは……」
与えられないから、与えたくなくなるわけはない。生まれないから、諦めるわけでもない。そこには確かに、繋がりがあって、それは時間を刻む音として記憶に残っているのだ。
だから、自分はその譜を読み解いて、奏でる義務がある。
「ノアは、サクラのこと、嫌いになるなんて、絶対、無理……だから……」
「何度言わせれば――」
義務ではなく、権利だと言いたかった。
「だって! だって……優しい、から……。面白い、から。可愛い、から。頭、良いし、頼り、なる……。ノア、信じるから。大、好き、だから……」
家族というパーツを失くしたことを知った時から、いや、水着を褒めてくれた時から、ずっと信じて来たのだ。
自分は捨てない。絶対に。
「はぁ……。それは、まじ告白の時に言うやつじゃぞ……。ほんとにのう……。のあも、つくづく馬鹿じゃ……」
「バカだもん……」
自分が思うよりも、多分、余計に。
トクントクンと、そういう想いが溢れる音がサクラの胸で鳴った気がした。
きつめに抱き合っていると、サクラが話すたびに顎が肩に響く。
「のう、ありすよ。これからどうするんじゃ」
「ここまでされたら、出て行くしかないじゃない。もともと、長居するつもりは無かったけれど。できるとも思っていないし」
「そうか」
「せいせいするわ」
「ふんっ。お主も馬鹿じゃが、可愛くない馬鹿じゃ」
「余計なお世話よ」
やはり、この二人の距離感は不思議なもので、簡単な言葉を少し交わしただけで、物事に整理がついてしまう。
ひと段落したと見做したのか、サクラに両腕を剥がされた。
「全く。のあは甘えんぼじゃのう」
「サクラだって……」
同じように、自分とサクラの距離感もまた特別なのかもしれない。
自分たちの持っていないパズルのピースを、お互いの駒で無理くり埋め合うような、押し付け合いの幸福感。でも、それが嬉しいことに変わりはないし、埋めこまれたピースも簡単に外そうとは思えない。
本物のピースを手にしても。きっと。
「今日はもう遅い。泊まって行ったらどうじゃ」
「助かるわ」
「寝床は、いつもいちゃいちゃしとった二番目の部屋を使えばよい」
「み、見てたの……!?」
「冗談じゃ。しかし、その部屋で何かしてたんじゃな……」
「し、してないっ」
「じゃあ、後で匂い嗅いでみるのじゃ」
「や、やめてよ……!」
「はぁ……。本当に馬鹿なのかしら」
サクラがサクラらしいと、無限の花畑も常夜の満月も、そのどれもが生き生きと煌めいて見えた。そう考えると、あの夏の日の風景は、サクラが作り出したものであったのかもしれない。あの潮風もきっと。
順風満帆の中に遊ぶ微風を溜息とするのなら、自分の叫びは風船の自由も奪えない。ルートの言葉は小春日和の空風。サクラの笑い声はさながら台風だろうか。
「ありがと。サクラ」
聞こえないように話したアリスの吹雪はきっと、これから自分の心の春風になる。
【あとがき】
たまに授業に出てきてテストは宣言満点。運動はやる気を出せばセンスが光る。好き嫌いは態度に出しても、気遣いは怠らない。空気も読めるし、面白い。
サクラも大概モテます。
でも、不思議と、誰にも触れられない。
なんだかそんな感じがしませんか?
次回、物語が大きく動き出す……!




