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〖rubbish〗残光フェアウェル

【まえがき】

 サブエピノア編です。

 今章は結構、涙するシーンが多いので、書きながら泣いています。

 悲しい。



 どうぞ。




 

 


 新しいご主人様に使えるようになって数日が経って、残念に思ったことが『起こす楽しみがない』というものであったのが、自分でも意外であった。

 家具の配置、家訓やルール、好きな物と嫌いな物、嗜好品の傾向、自分のやるべき業務範疇、その他。あらかたは把握できたのだと自負できる。

 メイド長の教えのもと働いてきたおかげで、ここまで一人でできるようになっていた。

 けれど、一番大事だと教わった『日々の業務の中に楽しみを見つける』という心構えは、以前よりも見つけるのに梃子摺る。

 多くは、ご主人様のちょっとした気遣いや仕草であったり、そういった些細な事から見つけ出すのが定石らしい。そうすることで、変に心酔することなく(自分の場合、例外かもしれないが)、情愛を以って奉仕することができるのだと言う。

 実際、お仕えしていたお父様にも、厳しい中に優しい一面も持っていて、それを垣間見た時は心底安堵したことだ。

 けれど、今回はどうだろう。

 メイドを雇う身であるという格式を微塵も感じさせない学生服を纏い、声色は見た目通り幼くて時たま危うい香りを漂わす。身分の差を弁えて距離を置こうにも、当人が詰め寄って来てしまう責務感覚の無さ。要求されるのは、露出という酔狂な熱意。

 そして、そもそもの日常生活が楽しい、などというのは反則だろうと思う。

「今日のご飯はなんじゃ?」

「えっと……、にら玉と、あとハンバーグ……」

 決められた献立の中で使う食材を選ぶのではなく、決められた食材の中で献立を作る楽しさを、ここに来て初めて知った。

 ネタに詰まりそうになる焦燥と、ついつい楽をしたくなる自由との葛藤が、一人でずっと面白かった。

 今日は、韮とミンチ肉と玉ねぎを買ってきたようだったので、好き嫌いの少なそうなにら玉と、得意料理のハンバーグにした。

「おー。久し振りじゃのう、そぼろ団子を食うのは」

「そぼろ?」

「はんばーぐはそぼろの塊じゃから、そぼろ団子じゃ。一人で居るとな。手の込んだ料理は作る気がせんのじゃ。外食だと、はんばーぐは何となく食う気にならんし」

「じゃあ、何、食べるの?」

 好きな食べ物が分かるかもしれないと、勇んで聞いてみた。

 暫く、そうじゃのうと悩んだ挙句、腰に抱きついてきた。

「のあを食べるのじゃー」

「だ、だめだよ……!」

 勝手に情を抱いておきながら、本当に体が目的なのだなと、少し寂しくなる。

 でも、サクラの言うままに身を捧げたら、今以上の安堵と信頼を手に入れることもできるのだろうか。突然捨てられることも、無くなるだろうか。

 知りたい。

 知りたい。

 サクラのことが、知りたい。

「サクラ、あのね……」

 腰に巻き付いたサクラの腕の上から、静かに手を這わせる。辿れば背中にありついて、自分たちの距離はぐっと縮まった。肌に感じる温もりは、暖炉のそれと相俟ってさらに熱くなる。自然、頭もぼーっとして空ろになる。

「ん? なんじゃ。わしに食べられたくなったか?」

 エプロン越しに感じるサクラの吐息は、あまりに熱く、あまりに湿っぽかった。

 じんわりと温まった臍の辺りから、こみ上げるものがあったと思う。

 例えばそれは、真っ黒で鋭利な爪を持った魔物の腕であったりするのかもしれない。

「もし、食べてもいいよ、って言ったら……。ノア、捨てられない……?」

「何を言うかと思えば……」

 サクラはぼそりと呟いて、それから背中にあった自分の手を解くように上半身を起こした。立ち退いたりしていないから、距離はかえって縮まって、顔はすぐ目の前にやってきた。

 襲われる覚悟で強く目を瞑れば、俄かに、胸の辺りに柔らかな感触がある。仄かな弾みでもって押し返されるのと、背中から腕で守られるような感覚とで、自分は改めてハグされているのだと分かる。暗闇の世界に、春がやってくるようだった。

「今、ちゅーしたいと言えば、絶対に断らないじゃろうな」

「…………」

 本当に、そうだろうと思った。

 確固たる見返りを求めて、自分はきっとそうしてしまうだろうと。

「目、開けるのじゃ。ちゅー、せんから」

 ご主人様の言う通り、静かに瞳を開く。自分では眉をあげるイメージだった。

 視界に現れたのは、一段と近くに移る友達(サクラ)の御顔。わずかばかりの恐怖はあれど、厳かな緊張は無い。サクラの瞳に移った自分の顔に、そう書いてある。

 温もりは、あくまで世界に残っていて。

「そんな怯えとるやつを襲ったりはできんのじゃ。そもそも襲わんしの。わしは基本的に、合意の上でなければ何もせんのじゃ。のあが可愛くないからとかでは決してないのじゃ。できれば襲いたいくらいじゃし。でも、襲わん」

 首を横に振られることを目の当たりにすると、自分を全部否定されたようにも感じてしまう。サクラが決してそう言う人でないともわかっているはずなのに。

 自分はどうしてこうも弱い人間なのかと自責の念が推されて、涙は堪え切れなくなった。それを慰めてもらうことで、また一つサクラの中での自分の存在は大きくなってくれる気すらしていて。

「あぁー。泣くでない泣くでない。よーしよし。一人は怖かったんじゃなー。もう大丈夫じゃからなー」

「わぁぁあぁぁ……っ! 捨てないでぇ……っ! お願い……っ」

 いっそのこと、そういう贅沢な自分を、滅茶苦茶に壊してもらえればよかった。

 激痛が伴っても、羞恥が伴っても、或いは狂おしいほどの悦楽に陥っても構わないから。

「のあ。もううちの子になるかの?」

「なる……っ。なりたい、です……」

 そのままノア・グリニッチが、もうノア・グリニッチでなくなればいいと思った。それこそ、ノア・ミサキだってよかった。むしろ、それがよかった。名前すら、無くていいと思った。

 ただ、ずっとそばに置いていてくれれば、それだけで。

「本当じゃな?」

「うん……っ」

「本当に、本当なんじゃなっ?」

「本当に、本当……なのっ」

 もう、一人になりたくない。

 本当に、そう思う。思ってしまう。

 今までのことをすべて忘れて、新しい自分になりたい。過去の自分と今の自分とを結ぶ鎖を断ち切って、別の人生を歩みたい。

 もう、そうするしかない。

「ありすのことは、もういいんじゃな?」

「だって……、しょうがないもん……! こんな、ノアだから……」

 ノア・グリニッチ――雨水で解けた泥で創られたような、低俗で憂い存在。不釣り合いかもしれないのだと、さんざん苦悩したけれど、釣り合う釣り合わない以前の問題だった。

 太陽などの光の前では、自分など鑑みるに値しない()でしかない。

 けれど、彼女は選択肢をくれた。

「お主は、のあはどうじゃ。本当は、どうしたいのじゃ?」

「一緒、がいい……。サクラと……」

「本当か? わし以外(・・・・)とは、会えなくてもいいのかの?」

 自分の作った沈黙は寓された文章の空白であると、サクラが行間を読んだ。

「お主にどんな事情があってあの公園で寝ていたかは知らん。知らんし、知る必要もない。じゃから、何も聞いとらんし、これから聞く予定も無い。そんなもんはわしには関係ないんじゃ。わしはただ、のあのやわらかぼでーがあればそれで、万事解決じゃからな」

 言葉一つにこそ棘のようなものを感じたけれど、その羅列は角が取れて円く、それでいて確りと生きていた。

 体全身で感じる彼女の体温、それから鼓動などが、余計に心を震わせるのが分かる。

 単純に、今、この瞬間、離れたくなくなって、サクラの肩を強く抱いた。

「ぬははっ。可愛いのう。じゃが、あんまりぎゅってすると、こっちからも尻が見える」

「いい……。それくらい……。離れたく、ない……の……」

「なんじゃあ、説得しようと思っとったのに。困ったのう」

 強く。もっと強く。壊れるくらいに抱きしめた。このままずっと離さないでいてもいい。そうすれば、自分も同じようにしてもらえる気がした。

 でも、それで記憶が書き換わることも、あり得るかもしれない。

 少なくとも、サクラとなら。

「のう。のあ?」

「なに……?」

 言葉より早く、鼓動が伝わる感覚。

 一つ、また一つ速まる鼓動の中に、すでに答えは書いてある。鼓動が次第に同期していくことで、それは読めるようになってしまう。事細かに、僅かに、縷々が。

 離れたくない。ならば、耳は塞げない。

「一人はのぅ? 確かに怖いのじゃ。わしだって、ここでずっと一人じゃ。面白いことを思いついても話せない、風邪を引いても誰も助けてはくれない、暖炉の火を消しても怒られない、いつ死のうが誰に気付かれたりもせん。もしかすれば、わしの存在は風前の灯火なんじゃないかと、怖い。じゃから、のあの気持ちも少しくらいならわかる」

「い、いいよ……。寂しい、なら、一緒にいよ……?」

 どきりどきりと鳴る音は、自分のものだろうか。それとも、サクラのものだろうか。

 それが小さな嗚咽と混ざり合うことで、徐々に呼吸は乱れていった。循環を為さなくなった自分という枠組みは、一番太い枝が折れた樹木のように遣る瀬無くも無常に佇んでいた。折れたところから溢れ出る膿のようなものは灰色で粘性があって、ゆっくりとまた幹を滴っていく。そうして最後にはまた、自分を肥やした。

 だから、止まらなかった。

「でものう、のあよ。一人で居るのが怖いなら、二人で居ればよいのじゃ。簡単じゃろ? 二人でも淋しいなら、三人。三人でも淋しいなら、四人じゃ」

「や、やめて……っ」

 恐怖という身勝手を動機と解釈することから、自分の物語は始まった。

 物語が長引けば長引くほど、呆気ない終幕は陳腐に感じる。

「これはいいことばかりではないのじゃ。なぜなら、また一人になった時、もっと悲しくなるからのう。贅沢じゃと思うかもしれんが、人間じゃから、仕方がないのじゃ。のあだって同じじゃ」

「聞きたく、ない……っ」

 優雅な終焉を迎えたいとは言わない。

 けれど、せめて、あの人に駄作だと覚えられるくらいなら。

「でも、もうわかっとるんじゃ。また会いたくなるのがのう。二人でいることの温かさを、教えてくれたのが誰だか知っとるはずじゃから」

「サクラ……っ」

「一番会いたいのは、一番一緒に居たいのは――」

 いっそのこと、ここで終わりにしたかったのに。



「開いてるから、勝手にお邪魔するわ」



 また、思い出してしまった。

 また、謝ってしまった。

 また、声を出して泣いてしまった。

「玄関のどあ、開けっぱなしじゃったのー。にしても、遅かったのう」

「ねぇ、待って! 待ってよ、サクラっ」

 幹に枝を括りつけて無理くりに修繕しようとしたせいで、落とした言葉が再び溢れてくる。必死で繋ぎとめようと、心の真ん中から魔物のような腕が飛び出して、それを支えているようだった。そんなことをしても、繋がるはずないのに。

 でも、すぐに繋がった。

 それが何故かも、同時にわかった。

「のあが、選んでいいんじゃよ。お主には、その資格があるんじゃ。して、それは誰かに横取りされることは絶対ないんじゃ。誰かを好きになるとは、そういうことなんじゃ」

 サクラが結びつけた枝はきっと、ついさっき落ちたそれではないのだろう。

 その枝は、色が違うかもしれない。長さも、葉の数も違うかもしれない。誰かが他の枝を持ってきたとしても、それはまた木の形になる。落ちた自分の枝であっても、その衝撃で伸びた小枝が折れたりするかもしれない。

 様々な色、バラバラの長さ、不安定な硬さ。それらは時に、不格好という結果をもたらすのかもしれない。けれど、それでも木になる。人になる。

 物語も同じ。

 過去を間引いたり記録を塗りつぶしたりしなくても、これからの未来が綺麗に咲くように接ぎ木することはできる。彩りも、形も、自分で選べる。

「さぁて。出迎えるかのう。あぁ、怖いのう。絶対ぶたれるわい」

 自分のもつ色ではもうどうしようもない時、自分に無い色でなら何とかなるかもしれない。

 誰しも、存在は無限ではない。だからきっと、迷惑になることだろう。

 でも、最後に完成した一つの木を一緒に眺めた時、その人と同じ想いを抱けたら。こんなに簡単で、こんなに幸せなことは他に無い。

「行くかの? 隠れとるかの?」

 反対に、誰かの助けになる時。

 根っこから抜かれてしまってもいい。見られたくないところも、恥ずかしいところも、全部、何もかも。肥やしになってでもいい。

 黒と茶色の混じった泥土であっても、認められる――赦される時が来るのなら。

 もう一度。

 もう少しだけ。



「行きたい……っ」



 太陽の傍にいたい。

 そう思った。




【あとがき】

 人の生とは、悲しみばかりではないと思います。

 誰かが凹んでいる時は、必ず誰かが凸っていて、それって男女の関係にも似ていたりします。

 でもそれは、互いに理解できないのであって、決して相容れ無いものではないと思います。

 ルーモスの世界でも隣国は常時戦争中ですし、この世から争いは無くなることはあり得ませんが、大事なのは、理解しようとすることだと信じてみたいこの頃です。



 次は、本編……かも?


 

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