Ⅳ Look for Excuse
【まえがき】
アリス編です。
親友との共同作業、少しばつが悪そうです。
どうぞ。
ルートの家のコーヒー園を通り過ぎて暫く道なり、少し坂を上ったところに小川を跨ぐ橋が佇んでいた。あたしはおろかルートも行ったことの無い場所であるようだ。
橋の中央まで行って、下流を見渡す。
高さは三メートルそこらで、川の流れは緩やか。辺りにはぽつぽつと住宅があって、家並みは木造が多い。背の高い木が無い見晴らしの良さから、開拓がなされているとわかる。
仮に橋から落ちてしまっていて、ここら一帯のいずれかの家で匿われている可能性もゼロではない。
ああ。それを言ったら終いよね。
「ここ、どこよ」
言わずに留めて苛立ちは募るものの、あたしが口に出すのはそれくらい。
連れは、学校を出た時よりも少し疲れが見える。
「えっと。国境まで大体二十キロの地点かな。さっき、看板に書いてあった」
荷物は、道中、ルートの家に置かせてもらっているから、身体は軽い。
それを補って余りある、手がかりのなさだと言える。
二人でいるとお互い、案外お喋りである。
「ヒントも何もないと、さすがにきついわね」
「うん。さすがにね。ねぇ、情報収集はやっぱりダメなの?」
「ええ。もし、ノアを人質にされるようなことがあったら困るもの。ノアを拾ったやつが心の清い人間だとは限らないわ。まぁ、拾われているかどうかも微妙なところだけれど」
「うーん……。そうだよね。ああ、何か手がかりでもあればなぁ。アリス、ノアさんが近づくと電波強度が良くなるとかないの?」
「ないわよ。ラジオじゃないんだから。それ以前に、元々ノアの感情伝播はあたしのコントロール下にないの。距離どころか、近況もわからないわ」
コントロール下に無いと言うのは『あたしがノアを知る能力』ではなくて、『ノアがあたしに伝える能力』であるから頷ける。
とは言っても、方角とか距離くらいはわかったものだ。ノアの記憶にあたしが存在していることの賜物だと思う。
それがこの頃、めっきりと無くなった。ルートの言う電波のように、何らかの遮蔽物に遮られてしまったかのように。
それでも、繋がりは確かに感じる。ノアは生きている。
惜しくも、今は紛いものの繋がりだけが頼りだった。
もしかすれば、その繋がりはあたしの気のせいであるかもしれない。二人で作り出した幻に過ぎないのかもしれない。
だからこそ、こうして歩いて探した。
「どうする? 橋、渡るの?」
「そうね。今日は橋の手前を探しましょう。考え無しに捜索半径を広げるのも良くないわ」
効率を考えて、円状に探す範囲を拡大していたから、順通りいけば橋の手前ということになる。もしも橋の向こうにノアがいたら、ということも考えなくはないが、反駁こそ論を俟たない。
そんなあたしだから、何事にも感情的になれるルートを選んだのだった。今のあたしの冷静さでは、かえって火傷を負ってしまうだろうから。
「ねぇ、アリス」
「なによ」
陸へ向かう途中、ルートが話しかけてきた。
こちらを向いていなかったので、あたしも同じようにした。橋が長く感じられた。
「もし、さ。もしもだよ」
小さなステップを踏むもので、あたしも足踏みすることにする。
何歩か於いて、ルートは問う。
「ノアさんが国境の先に行ってても、アリスは行くんだよね」
「当然よ。あなたには来てほしいと思うけれど、そこからは無理強いはしないわ。さすがに、危険だから」
その国境に関門こそ無いけれど、跨げばそこは紛争の只中だ。
平和の中でのうのうと生きているあたしたちでは、到底生き抜くことができない。
でも、ノアがそこで息をしているなら、あたしは行くしかない。
覚悟の意味も含めて、あたしは橋をじりじりと仰々しく踏む。
「アリスってさ」
ルートの声色が簡単になる。
「なによ」
あたしはいつも通り、淡々と返す。
ルートは少し恥ずかしそうに微笑して、それから一言する。
「優しいよね」
まさに、全身が「はぁ?」だった。
さすがださすがだと茶化すのも、正直言うと飽きてきたところだというのに。
ともあれ、問いかけたつもりは無かったのだ。
「ノアさんのことももちろんだけど、誰に対しても。思いやりを感じるよね」
「ビンタするわよ」
「ひぃっ」
「冗談よ」
「だ、だよね。ほら、優しい」
「強くぶつわよ」
「ひゃっ」
「……ったく。こんなところで遊んでないで、さっさと探すわよ」
あたしは少し歩くスピードを速めた。
それに気付いたルートが駆け足でついてくる。
ふと、ノアが帰って来た時のことを考える。
ほんの少しだけ、ルートが可哀想に思えた。
「結構、遠くまで来たよね」
暫く道なりに歩いたところで、ルートが口を開いた。
時間は言うほど経っていないと思う。
「そうね」
「ここ、どこだろうね」
やけに辺りを見回しているかと思えば、いつの間にか迷子になっていたのか。
無論、あたしは覚えているけれど。
「さぁ?」
「えっ……」
「冗談。覚えてるわ」
「よかったぁ……」
それから、また三十分ほど歩いた。
一日はますます更けって、寒気は氷点に接いで、また一つ凛とした。
ルートの感情から焦りが除外される頃、ちょうど入れ違いで疑問が湧いたのがわかる。
「ねぇ、アリス」
「なによ。今日はよく喋るのね」
「うん。まぁね」
言葉を削られることを恐れて、あえて言い添えたのだが、読み違えたようで。
逆に選択を迫られることになる。
「一つ、思うことがあるんだけど。聞いてもいい?」
「ダメって言ったら?」
「アリスなら聞いてくれると思う」
「酷い価値観の押し付けね。正直、耳を塞ぎたくなるわ」
「ねぇ、アリス」
〈お願い、アリス……!〉
あまりに強く思うので、あたしの息は白く、そして重く落ちてしまった。
「はぁ……。なに?」
耳を塞ぎたいのは、嘘ではない。
「アリス、何か隠してない?」
その瞳は真っ直ぐにあたしの瞳を捉えて、その奥にある芯の部分をぎっちりと握っていて。あたしが身動きできないように、色感というものの均衡を、悉く崩してしまったのだ。助くは身震いするほどの、透明な寒さだろうと思う。
我に返ったあたしは、気怠さにも似た反骨心を口にする。
「あたしが、一体何を隠すのよ」
「ノアさんのこと。何か、隠してるんじゃないかなって」
心外である。
心外ではあるけれど、思い当たる節はないとは言わない。推測の段階であるから、誰かに進んで話そうとは思えなかった。
それでも、この未踏の街路を歩くためには、今、話すしかなかった。
「両親よ」
「良心?」
微妙に違うニュアンスで訝られるので、分かりやすく言い直す。
「両親、よ。パパと、ママ」
「あ、ああ。そっちか……えっ? アリスのお父さんとお母さん!? 関係してるのっ?」
「あの二人、ノアがいなくなった後も、特に何も言わないでいつも通りの生活をしているの。ね? 怪しさ満点でしょう?」
「なるほど……。なるほどじゃないよっ! なんでもっと早く言ってくれなかったの!?」
「推測の段階だから、言いたくなかったのよ」
「じゃあ、確かめようよ!」
「人の話聞いてたのかしら?」
さも当たり前に言うので、あたしが間違ったことをしているような気すらしてくる。
そうしない理由があるとは、思わないのだろうか。
「確かめるって、あなたね……。もし本当にあの人たちがノアを監禁しているとしたら、どうするのよ。監禁しているなら、間違いなく生殺与奪の環境下に置いているだろうし、状況が悪すぎるわ」
「そ、そうだけど……! もしかしたら、すぐそこにいるかもしれないのに……っ」
そう。
あたしがこうして遠くまで足を運ぶのは、そういうしがらみから距離を置きたいというのもあった。少なくとも、ノアがその仕切りの内側にいると、思いたくも無くて。
あたしがノアと距離を詰める度に感じていた、しがらみとの距離感を、元通りにはしたくなくて。
もしかしたら、本当にあたしの両親が、ノアを隔離しているのかもしれない。そう言う心的ショックが、ノアの心を閉ざしたのかもしれない。
だとすれば、あたしは両親を叱責、鞫問するべきなのだ。そうして対処されたとして、あたしは意志を貫くべきなのだ。
どうしてそうしないのか。
自分に問うのは、あまりに怖かった。
「そろそろ暗くなってきたね。アリス、今日はもう、帰らない?」
横から言われて、日の沈む圧倒的な早さに気付く。
さしてどこかを注視していたわけでもないのに、何だか意外だった。
「そうね。帰りましょうか」
目的はただ一つ、探し物を探すと言うありふれた事案。失くしたものはこの上なく大切で、世界に二つとない、あたしだけのもの。
それなのに、あたしは帰り道がわかった。
相反する感情に押し潰されて、あたしたちは言葉を失った。
「それじゃ、また明日」と挨拶する間際まで、あたしはあたしの仕掛けた罠に、繰り返し繰り返し胸を刺されるのだった。
ルートの家で鞄を回収してからも、家に帰るのを躊躇う。
このまま帰らなければ、ノアのもとに行けるような気がして。
×××
門限を破った時は、いつもこっ酷く叱られる。酷い時は十二時も回る。
父は手を出さずに声を張り上げて、耳を虐める。母はただ傍で見ていて、心を虐める。
見え隠れする心配という文字列が、絶対的な文章量の前では霞んで見える。
あたしはそれに反駁もせずに、ただ時の流れゆくように静かに、心をどこかへ放り投げた。
戻ってくる頃、あたしの体は、暖かい浴槽と冷たい食堂を通って、満たされている。
ふと、家の裏口へ赴いた。
誰も帰ってこないことはわかっていた。
あたしは、あたしの部屋のブレーカーを落として、それから部屋に帰った。
そういう気分だったのだ。
自室の布団に潜って思うのは、大して冷めなかったなということ。それから、あまりに疲れていないということ。
満たされてしまったあたしの身体に、少しでも傷をつけられたら。そう思ったのに。
刻一刻と経過する時間は、今日も慈悲深く、あたしの背負う負債を嵩増ししてくれる。
どれだけあたしが傷つけば、ノアはここへ帰って来られるのだろう。あたしはノアのために、どれだけ傷を負えるのだろう。ノアの負った傷を、あたしはどう癒せるだろう。
ああ。そうだ。
明日は、国境を越えよう。
学校も、行かなくていいかもしれない。
[……ぇ]
[……ねぇ]
[……ねぇ、サクラ……]
×××
今朝、あたしはメイドたちよりも早く、そして静かに起きた。
熱に魘される自分の身体など一切観ず、颯爽と家を出た余りの冷たさに呼吸は断続的になる。それすらも気に留めず、靴だけ履いて衣服は寝間着のままだった。
紺に染まる夜空の下を、あたしは必至で駆け抜けた。
誰の為だと知らずとも、ただ、ただ只管に。
【あとがき】
親しいからこその厳しさみたいなものが、出ていたのではないかと思います。
他人に口出しできる関係になるというのは、結構難しいことだったりします。
信頼とは砂の城を築くようなもので、そうやって出来上がったものは複雑で美しいのです。
壊れる時は確かに一瞬なのかもしれませんが、一度は作っているのです。二度目は、もっと綺麗で丈夫な城を、立てられるかもしれませんね。
次回は……お楽しみに!




