Ⅱ Stay on Afraid
【まえがき】
いつも休まない人が学校を休むと、変な感じがしますよね。
それが友達、それ以上の存在だと、尚の事。
何で休んでるのかわからないと、モヤモヤしたり。
そんな感じです。
ローファーを下駄箱にしまって、上履きに履き替える一連の動作をしていると、後方から誰かがついてきているような気がしてしまう。
気配を辿ると、そこには同じクラスの女生徒がいて、控えめながらもあたしのことを邪魔そうに見上げていた。
あたしはあたしらしく「ごめんなさい」と挨拶して、場を後にする。
昇降口を抜けるとすぐ、廊下が二つに分岐する。
右に折れると体育館側の棟、直進すれば教室棟になる。
ただの遠回りになるだけだから、今まで、右に折れたことは無かったのだが、今日は右回りで行った。
何の真新しさも発見もありはしない、体育の時間に通る道でしかなかったけれど。
さて、遅刻ぎりぎりで入室したわけなのだが。
「おはよう、アリス。遅かったね。顔色がよくないけど、大丈夫……?」
教室の一番後ろの席を陣取るあたしの、一つ前の席にそいつはいた。
本人はいつも通りを装っているつもりらしいが、微笑みの奥に潜ませた心労の色をまるで隠せていない。それでも瞳は真っ直ぐと、前髪の隙間を縫いつつもあたしを捉えて動じない。肩につかないほどの長さの髪の裾は艶めいていて、誰かの匂いがしそうだった。そう言う不器用バカなところも含めて、いつも通りと言えばいつも通りであるのだが。
そしてあたしがいつも通りであれば、その言葉尻を捉えて、一針二針くらいは突いていたところだろう。
生憎、今日はそんなつもりにはなれず、肩を撫でてくれる親友の健気さに溺れるしかない。
「大丈夫よ。変に心配しないで、ルート」
などというあたしらしくも無い御託をつらつらと並べ立てながら、あたしは鞄を机の横のフックにかけた。そのまま崩れるように椅子に座ろうとすると、スカートが浮いて、辱めを受けそうになる。防ごうとしてすぐさま手で抑えると、これまたあたしらしくない。
じゃあどうすればあたしらしいのか――それを知っていても、振る舞う気力が無かった。
「ノアさん、まだ帰ってこないの?」
「ええ、まぁ」
あたしとこいつは旧知の仲だ。
だから、これくらいの距離感が丁度いい。机と机、前後の席くらいの距離が。特に今は。
「すぐに帰って来るよ、絶対」
「この世に絶対は無いのよ」
やはり、ルートと話していると多少なりとも確実に元気になる。機構はよくわからないけれど、昔からそう言う力があった。
〈いや、そうだけどさぁ……。今はそういう展開じゃないよっ!〉
「そう言う展開よ」
「こ、心を読まれたっ」
恥じらう様子で顔を覆うルートだが、それでは所詮隠せない。あたしの力は誤魔化せない。
実は、今回の一件で一つの要因と考えられる『願い』の力を、あたしも持っているのだ。
詳細は省かれた黒歴史になるけれど、あたしは『任意でルートの感覚をすべて知る』ことができる。中身としてはノアの力に似ているけれど、あたしの場合はコントロールが効く。
今のルートの反応も、当然ながら予測できたし、結果との相違もほとんどない。あたしがそう言う力を持っているということをルートが知らないのも、分かる。
そういうつまらない力だ。
「まぁ、落ち着きなさい」
「あ、はい、すいません……」
覇気のない表情を縁取る輪郭は細く、健康的な肌の白さすら醸していた。限りなく黒に近い茶髪は対照的に煌めいていて、覗く瞳は適度に潤んでいて円い。制服にはしわが無く、少し膨らんだ胸元からスカートのラインまで、緩やかな曲線を描いている。素行は良く真面目で、順当にいけばただのバカであるのに、頭は切れる。おまけに、スポーツをさせれば右に出る者はいない。
そういうギャップを演出しようとしているのかと思えば、そうではないところがさらにすごい。文化祭の時の、お姫様ぶりはどこへ消えたのか。
本当に、ルートがあたしの前の席で良かったと思う。特に今は。
「ほんと、お節介よね。あんた」
「ごめん……。でも、放っても置けないし」
「ま、好きにしなさい」
「お主も大概、素直じゃないのう」
どこか上から目線で、そこそこ粘り気のあるその声は、いい加減鼻につく。
今まで突っ伏して居眠りしていたのか、顔は蒸れてどこか湿潤に見える。円くて柔和な大人の雰囲気と、大人ぶって背伸びしたようなあどけない雰囲気とが織り混ざった、中途半端な人相。性格は底抜けにポジティブで飛び抜けた破天荒。その様は、魔法を使えるようになりたいという『願い』にもよく表れていると思う。
良いところなんて一つも無さそうだけれど、その明るさからか、クラスでは冗談半分に可愛がられている。しかし、文字通り半分は本気で、真面目な顔で常軌を逸した発言をしてよく周囲を困らせる。
最近は隣の席のルートにべったりで、「すでにイケナイ関係なのだ」と吹聴するなど、どこまで本気かわからない。まぁ、本気にせよ冗談にせよ、本来なら関わってはいけない相手だとは切に思う。
現時点で、あたしたちの中で内密としている『願い』についても、何の拍子に公開してしまうかわからないので、あたしとしても要注意人物だからだ。
「人間、素直過ぎると失敗するものよ。サクラ。あなたみたいにね」
「なんじゃと? そういうことばかり言うから、のあも嫌気がさして出て行ってしまったんじゃないのかのう?」
サクラはルートと違って隠す気も無い。
かえって、そういう方がこちらも気を遣わずに済む。
「そう言えばノア、サクラに無理矢理触られたって言っていたけれど……。もしかするわね……」
「くっ。なんじゃなんじゃ! あれは合意の上じゃぞ!」
「あら? あたしにノアの意志を問うの?」
「はんっ。そんなもん、何の証明にもならんわっ」
「ふ、二人とも、そろそろ授業――」
ルートがサクラとあたしの仲裁に入るタイミングで、ちょうどよくチャイムが鳴った。
乗じて、席を立っていた者が自分の席に着き始める。がやも次第に収まっていくから、二人で騒いでいれば目立ってしまう。
諧謔も控えなければならない。
「おいーす。数学始めるぞー。席に着けー」
青髭を生やした中年の男性が、教科書片手に教室へと入ってくる。
暖房の作用に限りがあるせいで寒く感じているのか、ワイシャツの上から紺色のジャンパーを着用していて、上半身がいつもの倍ほどに膨れていた。
黒板の真ん前に坐する教壇に立つと、慣れた手つきで出欠を目検で確認していく。
さすがにアカデミーともなると点呼はやらない。
「ん……? グリニッチは今日も風邪か。長引いてんなー。皆、カバーしてやれよー。まぁ、グリニッチは成績良いから心配ないかもしれんがなー。学年末テストはかなり範囲広いからなー。四月からの総集編だぞー」
クラスから弛んだ悲鳴が聞こえてくる。
先生は立ち込めるプレッシャーを一蹴して、何事も無かったように授業を開始した。
そう。何事も無かったように。
数学など、四則演算を使った方法論に過ぎない。
改めて学ぶことなど何もない。
けれどもし、それを使って距離の計算や場所の把握ができるなら、あたしは進んでノートに方式を書こうとするだろう。
あの子の――ノア・グリニッチの居場所に通ずる道を、弾き出す方式を。
×××
昼休み。
三日もあれば、学校の捜索は一通り終わる。
ノアが移動していることを考慮して探していたから、学校にいる可能性は極めて低いと言えるだろう。
けれど、出てこないとは言い切れない。
だから……ではないけれど、あたしはこのところ、学校全体が見渡せそうな屋上庭園のベンチで昼食をとっていた。
「ぬっ。るーとの弁当、美味そうじゃな。わしのと交換するのじゃ」
「あ、うん。いいよ……って、丸ごとっ!? 丸ごとはダメだよっ! どれか選んでっ!」
「むー。仕方ないのう。じゃあ、きゅうり」
「えっ、キュウリなの!? 切っただけのだよっ!?」
「きゅうりでいいのじゃ。下手なの選ぶと、あの小娘が作ったやつが混ざってるかもしれんからのう」
「ははは……。そういうこと……。卵焼きだけそうだから、それ以外にする?」
「きゅうりでよい。わしは、“あーん”ってして欲しいだけじゃからな」
何を中身の無いことをやっているのだと、わざと聞こえるように溜息をつく。
ただし、悪いことは言わない。
「なんじゃ。景気が悪いのう。飯が不味くなるじゃろが」
「重箱みたいな弁当箱持って来て。あんたの味覚がおかしいんじゃないかしら?」
「なんじゃとっ。お主はあほかっ! 愛妻弁当と言えば重箱じゃろうが!」
「まあまあ。そう言わないの。アリスも。ちょっかい出すのって、サクラなりの気遣いなんだと思うんだ。ほら。サクラが落ち着いて無言でいると思うと、怖いでしょ?」
間に挟まれたルートが、あたしとサクラの距離を計る。
一人分無いからか、近すぎるように感じ得ない。
近すぎていいことなど無い。
「はぁ……。まぁ、どうでもいいわ、そんなことは。それじゃ。あたし、食べ終わってるから。先に行くわね」
「あ。アリス、待って!」
ルートが、立ち上がろうとするあたしを引き留めるので、仕方なくまた座る。腰を擡げるのが面倒になるから、考え直したくは無かったのだけれど。
首を傾ければ、奥に舌を出している人もいるし。
「なによ」
あくまで白々しく返す。
「もう少し居てくれたり、その……しないかな? 僕もサクラもまだ、だから。それに――」
言葉に詰まる感じが誰かと似ていて、少し委縮してしまう。
その隙を突かれただけだと思いたい。
「それに、アリスがいないと、寒いんだよね……。アリスも、寒くない?」
「そうね。こんな寒空の下、ピクニックしてればね」
銀縁の曇天を見上げながら、毒づく。
ルートは嬉しそうに肩を寄せてきて、温かい。
こういう時、揮われる優しさには少し腹が立つ。
「ノアさん、見つかった時、アリスが冷えてたら温めてあげられないと思うんだ」
そう言うのが自然であるように、さも当たり前に言うので。
「そうね」
あたしも下手に突っ込めず、そう返すしかなくなる。
毒を浄化するどころか吸い出してしまうのが、ルートだった。
「そう言えば、外で食べようって言いだしたの、あたしだったわね。責任、とるわ」
「お主は、ほんっとーーーに、可愛くないのう」
「それはどうも。あなたはとても可愛いわよ」
「おぉ? そうかの、むふふっ……むふっ……ふっ……。なんか、思ったのと違うのじゃ……」
「あははは……」
この二人と話していると、自分がいつから笑っていないか数えてしまいそうになるから、たまに苦しくなる時がある。比べて得るものなど無いと言うのに。
そう。
ノアを手に入れる前も後も、あたしは笑っていなかったように思う。
あたしが笑顔を失ったのは、もっと前の話。誰かがあたしを――ノアを、否定するようになってから。
笑ってなにになるかなど知る由は無いけれど、少なくとも、あたしはあの子の前で顔を顰めていた気はしない。
失ってはならないと、はっきり思うのだ。
「聞いていい?」
サクラが何かぶつくさ物申しているのを後目に、ルートが問う。
こいつも時々、残酷ではある。
「なにかしら」
それこそ、大したことを聞くつもりなんだろうけれど、責任は取るつもりだ。
「えっと……」
言い出した割には多少の躊躇が見られたが、その後は案外早く口を開いた。
「昨日、どこを探したの?」
あまりに想定通りの質問に、鼻から息が抜ける。
「あんたの家の方よ。結果は、知っての通り。ノアの行ったことが無い場所だから、最初から望み薄ではあったんだけれどね」
「そっか……」
巻き返しを思考している身にしては、なんとも残念色の強い反応だなと思った。
なるべく心配を拾わないように、あたしは言葉を選ぶ。
「落ち込む必要は無いわ。あの子は必ずどこかにいるんだから。あたしを必要としているかどうかは別としてね」
ノアがいなくなってしまって、夕方以降に空白の時間ができたから、色々な憶測を立てた。
誰かの家に間借りしている可能性、父の配下の者に監禁されている可能性、誘拐された可能性。そして、あたしとの繋がりを断ちたくなった上での行動である可能性。
ルートを通して、『願い』の力が曖昧であることを知ったからこそ、それは言えた。ノアの心があたしに伝わってこないのは、そういう確たる意志の力が働いたからなのではないかと。
そんなはずはない、とは言い切れなかった。
サクラの言う通り、この力は証明力というものの一切を持たないのだ。
本人たちの間でだけ通じるように、きっちりとしたルールも設けられている。外部に情報が漏れないように初めから設定されているのだ。
そんな不安定な力に頼ったあたしとノアの関係は、こうした事件で簡単に解けてしまった。
そう思いたくはないけれど、誰かに言い切られてしまったら、きっと捻じ伏せられてしまうことだろう。それが例え、サクラであっても、両親であっても。ましてや、ノアであっても。その程度だと言われて終わる。
「予鈴ね。今日の責任は果たしたわ。行くわね」
だからかもしれない。
毎晩、せがまれて答えていた口づけも、途端に意味を失ったことも。寒い部屋で身を寄せ合ったことに、懐疑心を抱いてしまうのも。愛や恋、それに準ずるもの――そんな関係はあたしたちの間には無かった。そこに、ただの利害の一致があっただけ。
否定しても否定しても湧いてくるその情念に、あたしは“誰か”と名前を付けた。
「あ。うん。ごめんね。呼び止めたりして」
「いいわ。それより、次の美術は欠席するから、よろしく伝えておいて」
「えっ? アリス? ちょっと!」
「忙しないやつじゃのう」
誰かは、あたしの中を暴れまわっている。
きっと、そのうちにノアを食べてしまうだろう。
そうさせないために、あたしはノアを探すのだ。
いや、ノアの戻る場所を探すのだ。
寒かろうが、寒かろうが、寒かろうが。
そのために、あたしはこの場所を空けておこうと思ったまでだ。
【あとがき】
お気づきの人はお気づきだと思いますが、ルートの容姿について語られたのが、今話で初です。
どうでしょう。
皆さんの中にあったルート像、途轍もなく膨らんでいたことがわかると思います。
人の想像力ってすごい。
次回、どこへ。




