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〖4th〗信じることと、気付くこと。

【まえがき】

 ルート、ちょっと選びます。

 サブエピなのに。


 どうぞ。




 

 


 九日目。



「ごめんねアレン君」

「い、いきなりどうしたんですか?」

 みんなと少し距離を置いて冷静になった僕は、自分の非力さが恥ずかしくなってしまった。その分アレンと近づけたとは思うけれど、迷惑をかけ続けている気がしてならないのだ。

 それが恋人になるということならば、僕はきっと的確な振る舞いを行えていないと思う。

 だから、この日没の寂莫に(かこつ)けて言葉を並べられたらと、そう考えた。

「恋人らしいこと、全然できてない気がするからさ……」

「うーん。そうですね……。でも、焦る必要はないと思います。俺はいくらでも待ちますから。プレッシャーをかけないように三歩後ろで待ちます」

「あははは」

 笑っていられるのは、多分、夕日が赤いせい。

 波間に見る白い影は明滅を繰り返して、僕の判断を()く。対比する水の色は、焦燥を泳がせたように深く黒い。

 そうして僕の感情は入り乱れて、灰に染まる。

「実を言うと僕、恋人らしいことがなんなのか、まだわからないんだ……」

「わかります。俺も、彼氏らしいことって何だろうってずっと考えてますから」

「アレン君も?」

 それでも僕たちは、潤いと乾きの狭間を歩いていた。

 今までよりもずっと強くなったその音を聞きながら。

「でも、こうやって隣にいるのって、すごく近い気がします。もっと近づきたいと思える距離にいること、言葉で心に触れられること……そういう形の無いことなんじゃないかなって」

「形の無いこと、か……」

 だとすれば、僕がアレンにできる彼女らしいことは、返事をすることになるだろう。

 サクラのおかげで、形式上は延長がかかったけれど、心は当日で止まったままなのだから。

 けれど、僕の中で育った答えは、花を咲かせないまま実をつけて。そのまま自重(じじゅう)で傾いて、強烈な照り返しに草臥れてしまったかもしれない。

「アレン君」

「なんですか?」

 怒らないで聞いて欲しいから、僕は何も言わない間を作って、その隙に微笑んだ。

 僕が覚えた、“彼女”の仕草だった。

「アレン君はすごく優しくて、物知りだし力持ちで、いつも頼りになる。一緒にいて安心するし、年下なんて思えないくらい真面目で面白くて素敵な人。これならモテるはずだなって、そう思う」

 アレンに近づくことで見えた言葉。昨日の雨を受けてますます蠢動する波の調べに、負けないよう努めた。

「そんなアレン君が、僕のことを好きだって言ってくれた。すごくびっくりした。びっくりしたし、嬉しかった」

 手も繋いでいないはずなのに、どうしてか僕の掌は熱く、そして汗ばみ始めていた。

 キスもしていないはずなのに、僕の唇は震え、そして思い出していた。

「僕はアレン君のこと、嫌いじゃない。いや、違うんだ! むしろ、好き……なんだと思う。だけど、アレン君が言ってくれた好きと、僕の好きの重さは全く違う」

 合宿を終える頃の僕なら、『好き』という言葉を投げかけることは可能だと感じる。

 でも、それがアレンの覚悟の力に追いつくなど、あるはずもない。

「好きって、僕は多分、言える。けれど、その後に僕はアレン君と手を繋げるかわからない。キス……できるか、わからない……。それに、子供なんて、僕には到底……」

 具体的なビジョンになるほど、想像ができなかった。想像が出来なければ、当然、それをすることもできない。

 見ることのできない夢は、現実になるはずもないのだから。

 けれど、僕は気付いた。

 僕が好きなのは、アレンという人間というよりも、アレンという人間を作り上げている空間なのだと。決してまやかしや錯覚ではなくて、アレンの仕草だったり優しさだったり、そういう目に見えない要素が僕を彼女らしく仕立ててくれたのだと。

 だからこそ、彼女が僕である必要性について憂慮してしまう。

「ア、アレン君のことが嫌なんじゃないんだよ! そうじゃない。そうじゃないんだけど……。今は、できない、気がして……」

 僕が、彼女という呼称を自覚する度に、そういう不安は膨れ上がっていく。

 当然のように、不安には形が無くて、ただの見間違いなのではないかと思ってしまうのだ。

 僕の弱音を黙って聞いていてくれる、その笑顔ですらも。

「アレン君は待ってくれるって言うけれど、本当にいつになるかわからないと思うんだ。もしかしたら、ずっとダメなままかもしれない……。アレン君の気持ちに、応えられないかもしれない……」

 こんなにも“好き”であるはずなのに、僕はそれを他と同一視することができないのだ。同じものだと考えるほどに、それを拒絶する自我が芽生えてしまう。

 そうやって葛藤していることが、アレンを悩ませるのだと知っているのに。

 軽率に決定していい事項ではないけれど、問いの答えならすぐそこに見えているはずなのだ。

 どうして、僕はそこに、手を伸ばしすらしないのだろうか。

 それは至極簡単な事由だった。


「ルートさん」


 彼の――私から見た彼の、淀まない決意と笑顔がそこにあるからだ。

「それなら、もう答えてくれているじゃないですか。『まだわからないから待ってほしい』って。だから、待つんです。俺は。いつまでも待ちます。例えそれが望まない答えでも、です。それでも、今、この瞬間、俺はルートさんのことが好きなんです」

 その“瞬間”が続くこと、それが僕の望むことで、僕が恐れることでもあった。

 摂理に逆らって時間が伸びることは、僕にとって、現実を否応なしに直視させられることに等しい。

 逃げることの意味を知った僕にとって、現実は、恐ろしくも眩しいものだったからだ。

 だから、瞬きをするわずかな時間には、淡い感情を伴って僕の息は止まる。

 沈黙の回答は、また、決意と笑顔だった。

「いいんです。俺は、それで。家も跡継ぎも、俺はどうでもいいんです。俺がルートさんを好きなのは、俺の気持ちです。だから、俺はいくらでも待つんです。いくら遅くなったとしても、それが答えです」

 愛を含有した言葉の重量に見合わず、不思議と、プレッシャーというものは感じなかった。

 それはきっと、答えがイエスかノーかの二択であるからだろうと思う。それも、その二択はどちらも正解であり不正解でもある。そのせいで、選択に際しての難詰もない。もしあったとしても、僕は同じように昏迷の不断を極めていたのだろうけれど。

 だからこそアレンの意志の強さは、僕の中の何かを貫き、そして断ち切るのだと思う。

「あの。一つ、聞いてもいいですか?」

 どんな難しい質問でも忌憚なく答えようと、僕は頷いた。

 浜風に靡いた髪が目に入らないように、僕は蟀谷の辺りを右手で堰き止める。



「ルートさんは、リズのこと、好きですか? それとも、嫌いじゃない……ですか?」



 皮肉にも言葉は、(しお)の香りとともに脳裏に張り付いてきた。僕が用意してきたどんな言葉よりもその言葉の方が確実に速く、強く、大きく、正しく、深く、尊く、重く、清く、そして(ことごと)く不慣れであった。

 それでも、まだ、選ぶ余地はあったはずだ。

 でなければ、何のための追試なのだ。何のための、合宿なのだ。何のための、予習なのだ。何のための、雨なのだ。

 幸い僕は、波の奏でる頗る爽やかなノイズに、耳を貸していたから。



「……き…………」



 それから僕たちは暫くの間、並行して濡れた浜辺を往復した。波が打ち上げられるタイミングに垣間見る煌めきを、窪んだところに流し込むようにしながら。溢れないうちに捨てる、その時の途方もない青さを、反芻するのだ。

 結局、どうしようにも新しい足跡がついてしまうことを、僕たちは心底悔いるのだけれど。



「好き……」



 アレンは、笑って頷いた。



 

【あとがき】

 それってどういう……。

 と傾聴したくなる今回。

 

 続きは次回。



 あ。

 そう言えば、ノアの過去話のタイトルから「の」をとりました。

 折悪しくも何ともない、なぜにこのタイミング。

 それは私が聞きたいくらい。

  

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