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〖3rd〗雨降ることと、波打つこと。

【まえがき】

 ルートデート三日目です。

 初々し。茶々入れたくなりますね。


 どうぞ見守っていただいて。



 

 


 八日目。



 海を臨むテラスには、テラス全体を覆う巨大なサンシェードが設置されていて、それが雨除けの役割も兼ねていた。とは言え吹き抜けだから、このくらいの湿っぽい降り方でなければ、とても寛げたものではない。

 幸い、今日の雨はしとしとと疲れていて、サンシェード下に響く音も小さかった。目を遊ばせれば見える海も黒々と蠢いて、自由な時間にも飽きが来ない。

 でも、そのおかげで、僕の自信の無いか細い声もすんなり通る。

「雨、だね……」

「そうですね……」

 木製テーブルの向かい側に座るアレンは、無機質に口を動かす。嬉しくも悲しくもない、あるいはその中間。そんな表情だった。

 急いで海辺に赴いて自分の表情を写したら、もしかすれば僕も同じ表情だったかもしれない。

「賑やかなのは好きだけど、静かなのもたまにはいいかな」

「はい。そうですね。一週間、ずっと楽しかったですから。楽しい時間って、その時気付かなくても、体は結構疲れてたりするんですよね」

「うん。わかる」

 今朝は起きたら隣にサクラがおらず、探しに居間に出てみたらアレンがいた。誰も起きてこないから、何はともなく朝食を一緒に作って食べ、今に至る。

 常夏を冷たく彩る天気も、休憩を恵んでくれているのだと考えれば、急に愛おしくなる。

「アレン君、料理とかも習ってたの?」

「はい、小さい頃習ってました。けど、さっきのフォーは旅行先で食べたのが美味しかったので、自分で色々試してできた我流だったりします」

「そ、それもすごい……」

 同時に感じたのは、到底語れるはずもない“アレンらしさ”だった。素直な頑張り屋で謙虚だという姿勢が何となくそう見えてしまう自分の浅はかさが、どうしようもなく恥ずかしい。

 だから僕は、知ろうと焦った。

「習ってたことって、他にもあるの?」

「習い事、ですか。うーん……。かなりやりましたからね……。全部は覚えてませんけど……」

「じゃ、じゃあ、一番好きなのは?」

「一番好き、ですか? 意外かもしれませんが、今やってる部活が一番好きですかね。普段から話さない仲間と協力プレーしたり、友達が練習で敵になったら性格から分析してみたり。もちろん、基礎練とかもですけど。やってることはそんなに大変じゃないんです。でも、すごく濃密だと思います。というか習い事……じゃないですね。すみません」

「あ、ううん。いいよ。でも、確かに意外かも」

「ですよね」と頷くアレンの表情は非常に穏やかで、所謂羨望の色というものはすっかり剥げ落ちているように見えた。

 その表情は、別段、意外でもなんでもなかった。

「ルートさんは、何か習い事とかやってますか?」

「今は全然。小さい頃は、色々やっては辞めを繰り返してたかな。長く続いたのは、ピアノとサッカー。長いって言っても、たった三カ月だけど」

「ピアノとサッカーですか!? 俺のより全然意外度高いじゃないですか!」

 両方とも、人に聞かれなければ話題にすることはないし、素振りも見せなければ経験の片鱗も無いからだろう。特に忘れたわけではないけれど、僕にとっては、その思い出に絡みつく黒ずんだ光景の方がゆうに大きい。

「それじゃあ、ルートさん。もしかして、ピアノ弾けるんですか?」

「本当にちょっとだよ。簡単な楽譜をゆっくり読んで、練習すればって感じだから。ピアノだったら、アリスの方が全然上手いよ」

「へぇ。でも、素敵です。俺も一度習っていたことがあるんですけど、難しくて……。バイオリンは感覚でそこそこ頑張れたんですけど……。俺は見てみたいですよ。ルートさんがピアノ弾くところ」

 メヌエットくらいならそこそこ仕上がるだろうけど、その“そこそこ”ではアレンの“そこそこ”に遠く及ばないだろうと思う。それに、感動させられるような努力の痕もそこには映らないはずだろう。

 何にせよ、見せられるような程のものではない。

「む、無理無理っ。無理だよ……!」

「はははっ。そう言うと思ってました」

「えっ。あっ。ごめん……」

「いえいえ。いいですよ。でも、デュエットしてみたいです。機会があれば」

「あははは……。お手柔らかに……」

 アレンがサッカーについて触れないのは、リズから何か聞いているからだろうか。

 何から何までこちらに合わせてもらっている身上、俄かに断れなくなる。

 でも、男の子と付き合うということは――女性として振る舞うということは、こういうことなのかもしれないと、思わなくもなかった。

「ピアノはどうして長く続けられたんですか?」

「あ、うん。リズも一緒に習ってたから、それでかな」

「なるほど。なんとなくわかります。誰かと一緒にやるのって、楽しいですからね。しかも、リズですしね。ピアノの先生も巻き込んで楽しそうです」

 次の言葉は、衝動的に浮かんだ。

 それは彼女としての言葉だからなのか、それとも誰かの感情を傍受したからなのか、判然としなかった。

 それでも、聞かなければと思ったから。


「アレン君も、誰かと一緒にやってた?」


 不思議と確信があった。

 けれど僕は、どうしてか、その確信が誤解であると願っていた。いや、ただの空想で終わらなければならないような気がしていた。

 せめて、話すアレンの表情が、期待かあるいは失望か――準ずる何かに彩られていればよかったのだけれど。生憎、僕には汲み取る勇気も無くて。

 頼りの声色は淡々と白んで。


「はい。姉と」


 アレンが何を知っているのかというよりかは、自分がどこまで知っているのかという未知は黒く、声色とちょうどコントラストになる。

「お姉さん……?」

 静寂を繋ぐ言葉は淡く響いて、それこそ調律の()されていないピアノの音に似ていた気がした。

 聞き分けの無い僕の音色がそれだとするならば、アレンの音色は雨音だろうか。

「一緒にと言っても、特定のやつだけですけどね。それに、一緒にやっていてもあまり構ってくれませんでした。まぁ、姉は俺よりもたくさん習い事をやっていて、いつも忙しそうにしていたんで仕方ないんですけど」

「そっか……」

「はい。でも、一緒にやるの、好きでしたよ」

 湿っぽい過去形が募って、思考が風化しそうになる。

 でもそれは、もしかすればアレンにとっても同じことで、腐らないようにこうして話をしてくれているのかもしれない。

 そんな拙い思考に至る僕こそが、それを乾かせるとするならば、できることは二つに一つ。

「レーアさん……だったっけ?」

「はい。そうです」

 あくまで未知を装って僕は尋ねる。

 実際に未知の部分があるからこそ、信憑性には自信があった。

「昨日、違った名前に聞こえたんだけど、僕の気のせいかな……。なんだか聞いたことがあるような気がして……」

「えっ? 本当ですか? 確かに、レイルって言いましたけど……」

 レイル。

 昨日聞いた時と同じ不審感、それから、雨が降っていて暗いせいで時間感覚が余計になくなる疎外感、波の音と混ざり合う雨音の孤立感。それらが、アレンの言葉と一緒くたになって、僕の中にどっと押し寄せてきた。湿潤であるとか流量がどうであるとか、そう言う一切の匙勘定を無視したような勢いだった。

 でもその中に、何か(しがらみ)ほどけたような、葛藤が解決したかのような、そういう心地の良い感情も確かにあった。

 今回は、ねじれの位置にあった点と点が、一つの線で繋がったような感覚というのが適しているかもしれない。

 だから、僕は今ここで、アレンに同調できる。

 けれど、僕はそうしない。

「レイル……。んー。聞き間違いだったかなー」

 僕の中にある確信が証明された今、アレンの中にある確信と照合することほど危険なことはないと思う。

 それはまさに、夢が現実になる瞬間で、現実と夢がごちゃ混ぜになる時なのだから。

 結果そうであることがわかってしまった以上、逃げることはできないだろうけど、少なくとも延期はできるはずだ。

 時間すらも延期できてしまう、夢と現実の狭間のようなこの場所でなら。

「そうですか……。あっ、いや、突拍子もない話なんですが、実は俺の姉、最近どこかに消えてしまって。今ちょっと探してると言うか。まぁ、昔から結構家出することはあったんですけど、今回はなんか違うと言うか……」

「何か違う?」

 その違いは、形がわからないほど小さいものなのだろうけど、シルエットは大きいはずだ。

「そうなんです。前いなくなった時、部屋から無くなったのは財布くらいだったんです。大きい意味で言ったら、生活感ですかね。生活感が無くなりました。でも、今回は名前が消えたんです。大きい意味でなら“存在感”が、と言いますか……。鞄から服、靴まで、戸棚にあったノートも、いつも使ってたコーヒーカップも全部です」

「お、お引っ越し……?」

 家出とするには、確かに存在感の欠如が甚だしい。家族の誰にも言わず嫁いでしまうことも考えにくいし。

 消えたものがそれだけならば、僕の推理も少しあてになりそうだったのだけれど。

「俺も引っ越しかなと思いました。無断で出て行くなんて、姉なら極々綽々とやりそうですから。それで、父に聞いてみたんです。そしたらビックリ、なんと『記憶』が無くなってました」

「記憶が……?」

「はい。姉など最初からいないって平気で言うので、どんだけ怒らせたんだよって笑えましたね。でも、姉の記憶が無くなったのは父からだけではなくて、母は勿論、姉の付き人もクラスメイトも、誰も覚えてないみたいだったんです。むしろ覚えてる俺の方がおかしいみたいな空気になってですね。何となくただ事ではないなと思ったころ、ルートさんが合宿に誘ってくれて、今に至るわけです」

 そんな状況下でラブレターを書いたり告白できたりするアレンの器量には正直脱帽だけれど、今は、兜の緒も締めておきたいところ。それこそ僕の記憶を覗かれてしまわないよう。

「確かに。それはただ事じゃないね」

「はい。そうなんです。このままだと、俺まで忘れてしまいそうな気がして……」

「アレン君……」

 僕も覚えている。

 そう言えば、アレンは喜んでくれるだろう。でも、言えないのだ。

 現時点では、アレンの冷静さにすらも何らかの非現実的な力が働いている可能性が否めないのだから。

 かと言って、このまま何もせず放っておくことも、僕にできるはずなどなくて。

 僕はアレンの彼女、なのだから。

「そ、そうだ。サクラなら何か知ってるかも……!」

「サクラさん、ですか? そうですね……。サクラさんも色々すごいですからね」

「あははは……。じゃ、後で聞いてみよっか。まだ寝てたから」

 こういう時、サクラならどこかで話を盗聴していて、一人ニンマリしていてもおかしくはない。重要な話ほど見られている感覚は強くて、途中から割り込んで来て一気に話の核心をついてしまうような展開に、身構えてしまう自分がいる。

 それはもはや、期待の領域かもしれない。

 それが無いということはつまり、これ以上の詮索は控えるべきだと言う思し召しとも言えるだろう。

 この問題の審議を問うのは、少なくとも、アレンやリズのいない場所でなければならないとも思うのだ。

「そういえば、一つ気になったんですけど、聞いてもいいですか? ちょっとプライベートな事かもしれません」

「答えられる範囲でなら、いいよ」

 一体何を聞かれるのだろうと、色々な意味で身構えてしまう。

 自分の未知の部分を最大限に露出させて、首を傾ける。

「えっと……。何もされてないですよね……サクラさんに」

「えっ?」

 傾いた首がさらに角度を増すようだった。

 そのような言葉に対して身構えていなかったせいか、返答に詰まる。

「ほら。サクラさんって、結構スキンシップが激しいじゃないですか。男の俺でもお構いなしに叩いたり引っ張ったりしますし……。それに、言い回しが普段から隠語っぽいところありますよね。それで……」

「な、なるほど……」

 僕自身が警戒していたくらいだから、大いに納得できた。

「うん。大丈夫。別に何もされてないよ。ベッド自体が狭いから、寝ぼけて抱きついてくるくらいは許しちゃってるけど、僕も身構えて警戒してるし。それに、ああ見えて意外と寝相はいいんだ」

 寝相だけではなくて、学校での立ち居振る舞いや所作も褒められたものだと教えてあげたかった。何に報いているのかイマイチわからないけれど、そういう思いに駆られた。

 どこかで話を聞いているなら、機嫌を損ねてしまってはいけないと無意識のうちに思ってしまっているからだろうか。聞いているのなら早く出てきて欲しいと、意図せず思ってしまっているからだろうか。

「へぇ! サクラさんの寝相がいいなんて、今日一番意外です。布団もシーツも蹴っ飛ばして、逆さまになったりしてそうなのに。元気な子供っぽい無邪気な感じでいいな、と思ったんですけど」

「あははは。だよね。サクラって、そういうところ意外としっかりしてるんだ」

 いや、無意識どころか、発言は依然として僕のコントロール下にあった。

 どこかで聞いてくれているはずだという安堵を求めて、僕は言葉を選んでいるのだから。

 だというのに。

「あっ。いつの間にか、テーブルのところにリズとノアさんが座ってます。珍しい組み合わせですね。他の人たちは、まだ寝てるんでしょうか……?」

「そう、かもね」

 ダイニングとテラスを隔てる透明な窓ガラスには、確かにリズとノアが映っていたけれど、視線は交わることはない。それがどうにも異様な疎外感を生んで、足が竦む。

 それからそこへ映し出されたのは、僕とアレンだけで、探している人は見当たらない。

 二人の表情は嫋やかな小雨の中で、得も言われぬ微笑のまま固まっていた。



 

【あとがき】

 またも不思議なことが判明した今回でした。

 気付いている人は気付いているかと思いますが、実は今回の『Rize-4』では、各キャラの距離感を大事に書いてみております。皆がいる場所をイメージしながら読んでみると、倍面白しです。

 ルリ会長は今頃……とか、アリスは今頃……とか。

 色々と思考を巡らせながら楽しんでいただければ。


 次回はリズ編に戻ります。

 

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