Ⅲ ノアさんと……。
【まえがき】
気付くとみんな結構恋してる。
そんな秋の日、シルバーウィーク。
どうぞ。
八日目。
今日は朝から雨だった。パーッとひと泳ぎしようかと思ってたから、結構ショックだった。
ルリ姉さんの隣に寝てたところを雨音に起こされた私は、テキトーにトーストを食べて、テキトーにお風呂に入って、テキトーに部屋に戻った。
そしたらなんと、その間に誰とも合わなかった。
だから、部屋に戻って来てルリ姉さんを叩き起こしたわけだったんだけど。
そう言えばルリ姉さんと遊ぶこともないなと思って、すぐ寝かしつけた。
リゾートに来てただ寝るだけなんて……みたいなことを、一週間前の自分だったらぬかしてたかもしれないけど、今は胸を張って言える。
――リゾートは寝てこそなんぼっ!
実際に口には出さないけど、いいことを学べたなと思わなくもない。
そうやって一日が終わったとか、恥ずかしくて人には言えなそうだけどね。旅行に連れてってくれた人にも悪いし。
そういうわけ(お礼とか言うわけじゃない)で桜さんを探しに、一人、ダイニングにやってきたわけだけど。
どうゆうわけかノアさんが単独でいて、ものすごく気まずくなった。
目が合って挨拶したから立ち去るに立ち去れないし、でももうすでに居ちゃってるし、居ても結局何もできないから、非常に困った。
ダイニングのソファに私が、テーブルにノアさんが……という絶妙な配置で、五分くらいたった今も会話はまだ無い。ノアさんの性格だから話しかけてはくれないだろうし、今もごそごそ何か作業をしているみたいだったので、私からも話しかけにくくなっている。
それ以前に、数日前のアレ以来、接し方がわからなくなったのが大きな要因だと思うんだけどね。私も、ノアさんだって知らないで結構がっつりいったし、さすがに鮮烈な記憶になってると思うんだよね。お互いに。
でもどうするんだ、コレ。
このままいったら、誰か来るまで一日中沈黙なんじゃないか。
いや、待てよ。
途中で誰か来たら、確実に私はその人と話しちゃうよね。
そしたら、ノアさんが取り残されて、私との距離感がもっと複雑に……。別に仲悪いわけじゃないのに、話すことも無いから何となく会話しないみたいな、そういう関係だと思われちゃうじゃないか。
それは、嫌だ。
こんなかわいい娘、探してもなかなかいないし、せっかくこうやって親しくなれたんだから、私ももっと積極的にいってもいいのかもしれないな。
誰も頼れないんだったら、やっぱり自分しかいないか。
「あのー……」
思い切ったはいいけど、ルリ姉さんと同じで話題が無い。おまけに返事も無い。
急に、揉んじゃったことについて語りだすのもアレだろうから、ちょっと考える。ノアさんが話しやすそうな話題を。
そんなのは二つに一つしかない。
「アリスお姉ちゃん、どこ行っちゃったんだろー」
すぐに返事はなかったけど、作業もあるだろうからと少し待つと小さな声が聞こえてくる。
私の座っているソファとノアさんが何かしてるテーブルだと、少し距離があるから、耳の神経を研ぎ澄まさないと聞き逃しそう。
「買い物……。サクラと……」
うんうん。
やっぱり、アリスお姉ちゃんの話だと食いついてくれた。
この盲目さ加減、凄いと思う。とても素晴らしい。
でも、いつにも増して声に張りが無いのはアレか、私の勢いに競り負けてるのか。それは冗談だけども、なんか嫌われてるみたいな感じがして、俄かにちょっと悲しくなったのは本当。
だから、攻めるじゃないけど、単純に気になって。
「桜さんとかー。珍しい組み合わせー。何買いに行ったんだろ」
馬の合わなそうな二人が小競り合いをしながらも、結構ちゃんと買い物できてるイメージが浮かんで面白い。しかも、帰り道とかで荷物半分ことかしそう。そっぽ向きながら、実は相性は悪くなかったりとか。
なんだ意外と仲良さげ……なんて言ったら、アリスお姉ちゃんが笑顔で怒りそう。それにノアさんも……、あー、なるほど。それでちょっと機嫌が悪いとかかな。
わかるわかる。その気持ちは何となくわかる。私も昔、ル……じゃなくて。
どうしてアリスお姉ちゃんはノアさんを置いていったりなんかしたんだろ? 桜さんがいたところで、別にノアさん関係ないと思うんだけど。こないだもダブルデートみたいなことしたしさ。
「くすり……」
急に笑い出したのかと思ったけど、イントネーションが違った。
でも、なんか笑われてる感じがしたから、とりあえず首を傾けて聞く。
「えっと?」
「お薬、買いに行ったの……」
ああ。その“くすり”か。
でも、今度こそなんで?
「ノア、朝から、調子悪くて……。それで……」
「え、嘘」
必要も不必要も、嘘なんてつけなそうなのに、びっくりしてつい乗り出してしまった。
ソファの上で膝立ちは不自然だなと思ったから、勢いでノアさんの隣まで行った。
「騒いじゃってごめん。どこか痛いの? 安静にしてなくて大丈夫?」
「ん。だいじょぶ。ちょっと頭痛いだけ……」
ノアさんも誰かに似て顔に出ないから、こっちから色々言ってあげないと。ため込んじゃって最後、大変になりそう。
頭痛いって言ってくれただけ、今は良い方かも。
「じゃあ寝てないと!」
「いいの……。何かしてる方が、落ち着くから……」
「えぇ……」
いやいや。落ち着くって。
テーブルいっぱいに工具を広げて、やたらに頭を使いそうな工作をしてるみたいなんだけど。ノアさん、なんかの職人なんだろうか。
まぁ、本人が落ち着くって言うならいっか。
「な、ならいいんだけど……」
そう言えば、ノアさんを間近に見たの、初めてな気がする。
近くに来て思うのは、やっぱり可愛いってのが一番かな。あと、ちょっと動きが変。
なんか歯車みたいな小さいパーツをいじくってるみたいだけど、私なんてそれを見てるだけで頭痛がするのに。すごいというか、変わってる。こんなに可愛いのに。
……って、不謹慎か。
でも、このまま見てるのは性に合わない。
ウザがられるかもしれないけど、何かしてあげたくなっちゃう。
「なんか手伝う?」
「ん。だいじょぶ……」
丁重にお断りされた。
まぁどうせ、ノアさんの手助けになるようなことはできないんだけどさ。
見てるだけなんて、もどかしいじゃんか。具合悪くなかったら、ちょっかい出したりできたんだけどな。
まぁでも、看てるってのも大切なことかもしれないよね。
「……りがと……」
「んっ?」
ちょっと待ってもう一回、なんてことは言えないけども。
だからこそ沁みるのかもしれないという言葉もあったりするわけなんだ。
私の耳には小さすぎる、ノアさんの声は。
***
ただ、やっぱり無言で見ているだけってのは、どうにもうずうずしちゃって。
「この間はごめんね。ノアさん」
沈黙の十数秒後には、すっかり砕け切った口語を並べ立てる自分がいた。
しかも、話題はあの事件のこと。
違うの。違うんだよ。別に、落ち着きないわけじゃないんだよ。気になったら気になったままで置いとけないってだけなんだから。
私が隣にいても何ら気にせずに作業するノアさんが言うには。
「うん。いいよ。痛く、なかったから……」
痛い痛くないの話じゃない、って言うのは私が言うことじゃないんだけども。全面的に許してくれるみたいなので良かった。
でも、そう言われると、せっかくの話題が途切れちゃうじゃんか。
いや、まぁ、ノアさんと胸について語るのもどうかと思うんだ。互いの傷を舐め合うと言うか塩を塗りあうと言うか、とにかく、そんなことをしても誰も幸せにはならないんだよね。
「あ……うん! そっか。でも、ごめんね! ホントに!」
「だいじょぶ」
ほらー。また作業始めちゃったよ、もう。
何でもいいから話題、話題!
「そ、そう言えば、桜さんも買い物に行ってるみたいだけど、大丈夫かな。アリスお姉ちゃんの邪魔とかしてそう」
濡れ衣だったらごめんね桜さん。後で笑いに変えてください。
とかなんとか汚いことを考えてると、ノアさんの美声に心打たれてちょっと痛い。
「邪魔は、しない、と思う……。休み伸ばしたの、すごい気にしてたから……」
「えっ? そうなの?」
あれ? あの人そんな優しい人だっけ。
ちょっかい出してるイメージしかないから、なんか意外。
そうなってくると、とうとう私のイメージが悪くなってくるわけだ。テキトーな偏見を持ちだすし、年上の人にタメ口だし、具合悪いっつってるのに構うし。
「サクラ、時々変、だけど、いつも優しいの」
「そうなんだ」
それは逆な気がするけども。
「朝起きたら、調子悪くて、体重くて動けなかったの。そしたらサクラ、すぐに部屋に来てくれて……。手、握ったり、頭撫でたり、色々してくれた……。なんか、お父さんみたいだった……」
「そこはお母さんじゃないんだ」
色々の中に何が含まれるのか気になるけども、ツッコむのが先になる。
でも、ノアさんのその様子だと、シルバーウィークを延長して被害が出たことについて責任を感じてるのはホントっぽい。どうせ無計画でやったんだろうから、こういうことになるって想像してすらいなかったんだろうね。桜さん。まぁ、なんかアホっぽいもんね。
でも結局、皆、そのアホさ加減に付き合ってるわけなんだよね。
「でも、桜さんってケッコー滅茶苦茶だよね。あ、悪い意味じゃないよ」
「それは……そう、かも」
お。ノアさんの中でも、合点の行くことがあったみたい。
それはもしかして、こないだの胸揉み事件とは別の何かなんじゃないか。斜め上の虚空を見つめて閃くあたり、やたら匂う。いや、別に掘り下げはしないけども。
病人の看病をしてる時って、何となく愚痴りたい衝動に駆られる。
「シルバーウィーク伸びたとか、わりとまだ半信半疑なんだよねー。いざ帰ってみたら普通に五日間サボってたとか、全然あり得そう。そして桜さんは笑ってそう」
付き合い長いわけじゃないけど、イメージが容易に湧くから、なおさら怖い。別に信頼してないわけじゃないけど、そういう人だと思って信頼してるから、かえって恐怖が尾を引く感じかな。
程度の違いはあっても、そこの根底は皆同じなんじゃないか。
同じであってほしい。
いや、お願いします。同じであってください。
じゃないと、なんか、ここから一生帰れなさそうな気がするので。
「伸びたか、わからない……けど」
「けど?」
何か話したそうに見えたから、わざとらしく首を傾げてみたけども。ノアさんの前でこういう仕草をするのって、わかっていても結構辛いな。一応、年下のはずなんだけどな。おかしいな。
ぼそぼそと呟くノアさんの声は、井戸の水みたいに綺麗で冷たくてどこか丸っこい。それだけで、やましいことだらけの心の中が過敏に反応するみたいになった。
「サイクル、違ったから、時間列が歪んでる……多分」
「ゆがっ……。サイクル? は、ははぁ! なるほどねぇ……!」
なるほどわからない状態だった。というよりか、脳が理解を諦めてくれていた。
そんな世渡り上手な脳に対して、ノアさんは追い打ちを仕掛けるように、しとしと呟く。
「一日目と六日目、七日目と三日目も同じだったの。太陽の位置。あと、お店の人。外歩いてる人と、その時間帯も……」
「それってつまり?」
しれっと解答を求めたら、大人しく「時間が戻ってる?」と首を傾げ返された。
そう言えば最初にそう言っていたなと、凄く恥ずかしかった。
面目を保とうと、まとめ役を勝手出てみる。自分の思考の整理をする意味も兼ねて。
「シルバーウィークが伸びたんじゃなくて、似たような日を何回も体験してるみたいな感じ?」
「そう……だと、思う。わかんないけど、伸びてはない……」
今更だけども、相当やばい会話をしている気がする。
リゾートに行って開放的な気分になるって言うのは何となく合点がいってはいたけど、ここまでくると、ちょっと自慢したくもなってくる。自分に不都合にならなければだいたい何でも許せちゃう、この心の広さを。
そうなると、議題に挙げるべきなのは「どうするこうする」じゃなくて、「信じる信じない」になるわけだ。……とは言っても、ここまでくると、それすらも話のネタくらいにしかならないんじゃないかって思うけど。
「サクラ、“魔法”を使えるって言ってるけど、違うような気がする……。魔法は魔法かもしれないけど、もっと別の……」
「超能力とか?」
つられてであったとしても、恥ずかしげもなくそんなことを言える自分が、少しかっこよく見えなくもない。
「んー……。もっと、概念みたいな……」
予想以上に難しい返しだと思って、私は軽く返答を放棄したくなった。
でも、また沈黙が訪れるのは嫌だと思って、急いで誰かの言葉を借りた。
「そしたら、運命だね! もう、運命」
事の善し悪しはノアさんしか知らないだろうから、ちょうど中間くらいのトーンの言葉を抽出した。言ってから、中々な答えだと気付いた。
ノアさんも「近い、かも」と結構な頷きぶりだった。次の瞬間には「予定調和が……」とか閃きだしたので、これ以上は無理だとして別の答えを捻り出そうと努めた。
運命に近い言葉ならちょっと自信があったから、音吐朗々、ノアさんのぼやきの上に乗った。
「恋だね、恋」
なんか知らないけど、さっき言ってた超能力よりは断然恥ずかしくなった。
加えて、余程的外れな事を言ってたみたいで、ノアさんが黙り込んでしまった。
“恋”なんて興味を形にしたような言葉、別にふざけて言ってるわけじゃない。
それだけに、無反応というのが結構悔しかった。
やり返す、という大義名分を背負って、聞いてしまえ。
「ノアさん」
「……なに?」
「ノアさんって、アリスお姉ちゃんと付き合ってるの?」
「あっ……え……」
「私も――」
さすがに不意打ちは非道いかなって思って、その場しのぎの緩衝材なんかを準備してみた。そしたら、意外にもそれが強固で。おまけに、痛みの塊のように真っ黒だった。
「私も、アリスお姉ちゃんのことずっと好きだったから」
「そ、そう、なん、だ……」
上手く機能したようで良かったと、内心ほっとした。
そしたら、ノアさんが話してくれるまで、私はあなたに負けたのだと、遠回しに言うだけでいい。勝ち負けじゃないなんて慰めてくれたらいいなー、なんて期待をしつつね。
「お風呂一緒に入った時、それを伝えたら、盛大にフラれちゃった。彼女がいるから無理だって」
「ご、ごめんなさい……」
心のどこかでは言うと思ってたけれど、言下に「でも……」と続けたときのその瞳が意外にも煌々と照り輝くもんだから。
あ、なるほどな……って、私は炯眼に射られたように怯んで、後に続く言葉を待つしかなくなるわけで。
「ノアも、好きだから……。ノアは、もっと好きだから……」
私は具に頷いて、飾らずに「うん」とだけ言った。
「アリスの気持ち、本物かは知らない……。けど、ノアの本物の気持ちは、ちゃんと伝わってるから……。それで、いい……」
同棲からキスまでしておいて、それはどうかと思ってしまった。
確かに、アリスお姉ちゃんは顔に出ないから、分かりにくいこともあるかもしれない。それ以前に、その人の心はその人にしかわからないとか、そういうこともあるかもしれない。
それでも、アリスお姉ちゃんとノアさんを繋げるものが、人に言うのも恥ずかしいような“恋”ならば、それ自体は本物なんじゃないかって思うんだ。
だから。
「伝わってるよ! 絶対! 嫌いな人とキスなんて、絶対しない。嫌いじゃない人とも、絶対しない。好きだから、したいって思うんだよ。だから、本物だよ! アリスお姉ちゃんの気持ち」
「う、うん……。ありがと、う……。そうだと、いいと思う……」
「ううん。絶対そうだから。あとで直接聞いてみて! 答えを濁したら、もっと詰めて! アリスお姉ちゃん、意外と押しに弱いから」
二人の関係がどうこうとかの下心ももちろんあるけど、なんか反射的本能的にそんなことを口走っていた。
「え、えと……ノアは……」
「あっ、ごめん! 私、また……」
多分、アリスお姉ちゃんにフラれたことを、心のどこかでまだ気にしてるんだと思う。だから、このまま二人が結ばれちゃえば諦めがつくのに……なんて、都合の良い解釈をしてるのかもわからない。
でも、なんでだろう。
「う、ん……。だいじょぶ……」
このままが続けばいいという小さな願いを目前に、私はどうしてこんなに焦っているんだろう。
そんなもの、答えは簡単だ。
「ホントにごめんねっ……。もう、行くね……」
“恋”の意味すら分からないほど、私がまだ子供だから。これからも、本物の意味を理解できないような、どうしようもなく出来の悪い子供だから。
それだけ。
「い、いいよっ。話してるの、好き……だから」
それだけ――なんて嘘を、否が応でも“ホント”で通してしまうからに決まっている。
私にとっての本物、私にとってのキス。それは確かに、記憶の中にあって。それが経験と混ざり合って気持ちになって。それが今度は“恋”に似てきて。
それこそ、夕焼けみたく赤くなった自分を水面に映してみれば、すぐわかる。
伝わるし、本物なんだって。
だから、ホントだったらこの伸びすぎたシルバーウィークのために宿題を用意しなければならない。休み明けのテストで酷い点を取らないように。追試で、余裕が削り取られないように。
せめて、こういう雨の日くらい、彼女を目で追わないようにしないといけない。
「テラスに誰か……? あっ……、ル――」
「そそ、そういえばノアさん! さっきから何作ってたの?」
「えっ……と。これ、だけど……?」
「円盤? 円盤と……棒?」
「時計……」
「えっ、すご」
影が差す時刻は、やっぱり誰の思うものでもなくて、ただ淡々と細く伸びて、さらに黒かった。
アリスお姉ちゃんたちが戻って来るまでの時間には、遅いも早いも分別すらないんだと思った。
【あとがき】
旅行に行くと具合悪くなりますよね。
基本的に家から出たくありません。
海外なんて行った日には発狂必至です。
次回は、皆さんお気づきの通り『ルート編』です。




