〖1st〗趣くことと、興じること。
【まえがき】
ルート、初デートです。
酸っぱい。
どうぞ。
六日目。
「じゃあ、こっからは自由行動ねー」
一通りの買い物が終わった後、リズの言うままに、モールの休憩スペース前で解散した僕たちだったけれど、何となくその狙いはわかっていた。ただ、特に咎めるつもりもないし、今日はそういう風にしようと思っていたから、ありがたいと言えばありがたかった。
昨日、アレンの告白をオーケーした後、あからさまに機嫌が悪かったので心配したのだが、あの様子なら一先ずは大丈夫だろうと思う。
はてさて、そんなことよりも気にしなくてはいけないことがある。
「ルートさんは、休日とか外出するんですか?」
「へっ? 僕っ?」
他でもない、自分のことである。
「そうです。まだ、ルートさんのこと全然知らないので」
「そそそ、そっか! そうだよねっ! 休日ね、休日! 休日は読書かなっ!」
男子と話し慣れていない感じが前面に押し出された口調になってしまう。
本当に話し慣れていないのだから仕方がないのだが、一先輩としては、もう少し頼もしい雰囲気で接したくはあった。
そんな薄っぺらな心持ちはすぐに、しっかりした後輩に吹き飛ばされてしまうのだけれど。
「読書ですか! いいですね。なんかルートさんっぽいです。あ、俺も結構本読みますよ。ミステリーとかSFとか。最後にどんでん返しがあるやつが好きですね。ルートさんはどんなのを読むんですか?」
気を遣われているな、と感じながらも僕は答えるに尽くす。
未だ定まらない視線というものを気にするのには、もうしばらく時間がかかりそうだった。
「ぼ、僕? そ、そうだなぁ……。天体の本を読むことが多いかなぁ。小説も、星がテーマなものが好きかも」
「うーん……」
こういう時は、少しでも好みを合わせるべきだったろうか。
機嫌を悪くしてしまったら謝らないとだけれど、男の子の顔を覗く勇気がなかった。
唸るのが収まるまで待つことしかできない適応力の無さが情けなくて、初デートには似つかわしくない溜息が出そうだった。
「“星の譜面”……」
「え?」
急に、お気に入りのタイトルが聞こえてきたので、少し驚いた。それも、自分の口から出たものではないらしい。
「“星の譜面”とか、読みました?」
「う、うんっ。読んだよっ!」
読んだも何も、内容すら覚えるくらい読み返した一番好きな本だ。幼い頃に父からもらって、今では背表紙までボロボロになっている。
大まかなストーリーとしては、音楽生を志す少女が道端に落ちていた楽譜を拾うところから始まるファンタジーで、構成は上中下巻の三部。全体的に子供向けな内容ではあるけれど、笑いあり涙あり謎あり恋あり……と、今でも学ぶことがあったりする。謎かけに関しては、「○○説」のような解釈書がたくさんあったりして、それを読むのも面白かった。
決してメジャーな本ではないけれど、それら含めて、僕はとても好きだ。
「あれ、面白いですよね! ルートさんはどの説だと思ってましたか? 俺は未だに偶然説信じてます!」
「僕は、五秒前誕生説かなぁ。偶然説もすごかったね! 思わず『なるほど!』って言っちゃったのを覚えてるよ」
“星の譜面”を知っていても、説の話まで知っている人にはなかなか出会えるものではないから、僕も少しばかり高揚を隠せなくなる。
願わくは座って心行くまで語り合いたいけれど、そんなことをした暁には、後で恥ずかしくなって布団に埋まるしかなくなりそうなので、自重したい。
僕はあまり盛んになってしまわないよう、歩くスピードで流れる商店街の風景を目で追って、逸る気持ちをそれに同期させた。
「ルートさんは知ってますか? ルカ賞」
「あ。うん。知ってる。僕も応募したことあるよ」
ルカ賞とは、“星の譜面”についての自分の解釈を論説文にして応募すると、学会の人に読んでもらえるというイベントのことだ。アレンが言った偶然説や五秒前誕生説もそのうちの一つ。誰もが納得できるものであったりとか、思わず膝を打ってしまうような斬新な解釈文には褒賞もあったりする。
小さい頃の僕は、それで自分の解説書を出せればなんて思っていたり、いなかったり。
ちなみに、ルカ賞のルカは作者と言われている人の名前“ルーカス”からとられている。
「へぇ! 応募もしたんですね! 俺も出したくて書いてはみたんですけど、描いてる途中で別の説が浮かんできちゃって、全然上手くいかなかったんですよね」
「うんうん。わかる。小さい子にも理解できるような内容だから、たくさん解釈できちゃうんだよね」
現役の天文学者が一年かけて読み解いたものもあったし、解釈が飛躍しすぎてスピンオフノベルになった作品もあったような記憶がある。絵本化したのは通の間では有名なことだ。
「そうなんですよね。あ、ちなみに、どんな説で応募したんですか?」
「あ、うん。大したもの出してないから……」
「そんなそんな。俺、聞きたいです!」
あまり人に言いふらせるような優れた説でもないのだが、左肩に興味の熱を感じたので言ってあげよう。
「え、えっと。ル、ループ説……みたいな?」
持論を説く恥ずかしさより先に、大きくて複雑な感情があったと思う。
同士は優しかったけれど。
「へぇぇ! ループ説、ですかー。なるほどって感じです。明日でも明後日でも、お話聞かせてください! 興味あります!」
「うん。いいよ」
頷いた時、僕はやっとアレンを見ることができた。
瞬間的一瞥だったけれど、楽しそうにしていたようで、僕はすごく安心できた。
「あれ? でも、待ってください? ループ説って、俺、何かで読んだことありますよ? もしかして、賞とかとったり……」
「ルカ賞じゃない別の賞なら、一度だけ……。で、でも、全然小さい賞だよ」
一口にルカ賞と言っても種類があって、僕が受賞したのはその中でも下の方だったはずだ。
というのも、父が僕の原稿を偶然見つけてそれを勝手に応募した経緯があって、記憶にあまり残らなかったのである。大した賞ではなかったことは自分で調べたのでよく覚えている。
それでも父は最優秀賞ばりに喜んで、僕より燥いでいた。
「いや、すごいですよ! 大人でも普通に落選するみたいですから! 多分、雑誌とかにも載ったんじゃないですか? もしかして最年少受賞とかかもしれませんよ!?」
「あははは」
「お、可笑しかったですか?」
「あ、いや、ごめん。違うんだ。言い方がお父さんにちょっと似てて。僕が賞を獲ったって、僕より喜んでたのを思い出しちゃって。あははは」
湧いた語彙を連想して繋ぐように捲し立てる父の熱と、どこか重なる部分があった。
「お義父様、ですか……」
少し気迫の抜けたアレンの声は、どうしてか僕の罪悪感を肥大化させた。
対処できない今の状況、嫌な汗をかく前に。
「ごご、ごめんっ。一人で盛り上がっちゃって……」
「あ。いえ。ルートさんのお義父様、どんな感じかなって、ちょっと気になっちゃって。確か、文芸家……でしたっけ?」
「あ、うん。雑誌のコラムとかそのくらいで、紹介できるような作品は無いんだけど……」
アレンのそこはかとない気遣いを感じて、心の中で溜息をつく。
アレンはまた朗らかに返すけれど、今はそれが痛い。
「へぇ! でも、すごいですよ。そういう仕事って、なんか憧れます」
「そ、そうかな。ありがとう……」
言っていて自分の返答に興味が無くなる。
一人で盛り上がった罰だと、視線が進行方向の遥か遠くへと散る。
僕が静かになると、アレンが地続きの話題をくれた。
本当は僕がそれをやりたかったのだと、情けなくて涙が出そうである。
「お義母様はコーヒー園を経営してるって聞いたんですけど」
「……うん。してるよ。水やったり、収穫したり、お店見たり。庭園も狭くないし一人だと大変だから、お昼頃には閉めちゃうみたいなんだけど」
「なるほどなるほど。アルバイトとかって、募集してないんですか?」
「アルバイトかぁ。猫の手も借りたい、みたいなことは言ってたけど、そういうのは聞かないかなぁ」
「休日だけでもお手伝いに行ったりしたら、迷惑ですかね……? あっ。給料なんてむしろゼロでいいです。ルートさんに会えれば、それで俺は満足ですから」
「え、えーと……」
母の負担が減ることは素直に嬉しいし、母自身も確かに喜ぶと思う。アレンなら信頼もできるし、何より僕は今、アレンと付き合っているのだ。断る明確な理由など見当たらない。
それなのに。
「……あっ。あのお菓子屋さん、入ってみない?」
僕はまた、意気地なく延長を望んでしまった。
「あ、はい。いいですよ。行きましょう」
右手に見えたお洒落な軒先に魅かれて誘えたとしたら、僕も成長できていたと言えるのかもしれない。
僕が感じる僕という空気の中に、立場を改めてアレンが入ってくることが恐怖でならなかった。単純な怖さではなくて、未知数な部分に対する不安が大きいだろうか。
僕の頼りは今、サクラの作り出したこの異質な空気だけなのだ。
***
古めかしい雑貨を塗した外観からわかるように、取り揃えてある洋菓子にもどこかお洒落な要素が漂っていた。普通、お菓子の袋というものは、赤かったり黄色かったり、どこかに欲をそそるものがあるのだと思う。このお店のお菓子の包装は茶色で、無機質な紙袋の様相を呈していた。
店の奥に見える店長らしき黒髪の女性の趣味だろうか。その佇まいもまたアリスとは違う、飾らない美しさのような洗練されたものを感じた。
気の迷いで選んだのが失礼に思えてくるくらいは、気に入ってしまった。
「お洒落なお店ですね」
「あ、うん。そうだね」
きょろきょろとお店を見渡してアレンを視界から省いたら、少しは冷静になれるかと思ったけれど、特別そんなこともなかった。それどころか、話題を思考できない分、返って、話しかけられた時びっくりした。
でも僕の中にもやはり、“こうあるべきだ”とか“そうしなければならない”のような、確執めいた金言はあった。だからこそ、男の子の隣を歩く女の子という枠にははまれていたのだと思う。
「ルートさんは、好きな食べ物とかありますか?」
「食べ物? うーん、そうだなぁ……」
間を考えなければ、和食と答えることはすぐできた。
「んんー……」
でも、それでは話題が終わってしまうから、少し考える素振りを見せた。
嘘でも必要な間なのだとは思うけれど、それでも沈黙はひりひりと沁みた。
「そ、蕎麦……かな?」
「蕎麦ですか! 渋いですねー。でも、実は結構和食好きなんです。お茶漬けとか、家族に内緒でやったりします。……あ。もしかしたら、和っぽいお菓子があるかもしれませんよ。ちょっと探してみましょう!」
ある程度考えたら、それなりに攻め込まれない答えは見つかるが、その分、言葉に重みが出ることに気付く。確かに蕎麦は好きだけれど、今の間と同じ価値はそこには無い。
そのウェイトに責任を持てているノアが、何だかとても大きく見えた。
恥ずかしさからか、もどかしさからか、緊張からかわからないけれど、僕は僕自身の言葉に押し潰されそうだった。
「あ。あった」
「早いですね! えっと……『蕎麦パンケーキ』ですね。謎の組み合わせですけど、美味しそうです。なんかこう、すっきりしてるんですかね?」
「蕎麦の香り、するのかな」
そりゃするだろうと、自分に喝を入れてみる。
空しくなる。
アレンの心遣いが、また眩しい。
「どうしますか? みんなのおやつに買って行ってみますか? ルリさんから預かった夕飯代も結構余ってますし」
「うーん。僕は嬉しいけど、遠慮しておくよ。僕の好みで決めたら悪いし」
和食自体、そもそもが好みを分ける。
記憶が正しければリズとアリスは好きではなかったはずだし、おやつにするにはそれだけで不適だと思った。
「そうですか。でも、そうですね。結構、好き嫌いあるんですよね」
「うんうん。わかる」
「あ、やっぱり経験ありますか? なかなか理解されないんですよね。味が嫌いとか、風味が苦手とか、薄いとか。濃いのもあるし、種類もたくさんあるのに、全部一緒にされちゃったりするんですよね」
「そうそう! それで僕も、リ――」
リズとの和食を巡るしょうもない口論が思い出されたけれど、また一人で盛り上がってしまいそうだとハッとして、一度空気を吸った。
装った息継ぎもわざとらしくなり過ぎて、噎せた。
「こほこほっ……! ごめんっ! 変なところに空気入った……」
「はははは。ルートさんって時々熱くなりますね! そんなに俺に気を遣わなくてもいいですよ。熱く語るルートさんも、好きなので」
「すっ……」と僕は云ったけれど、目がパチパチとするだけで息を吐いたか吸ったかイマイチ判然としなかった。
「はははっ。そういうのも好きです。……それじゃ、無難にプレーンのやつ、買ってきますね。ちょっと待っててください」
あたふたしていると、アレンはパンケーキと何種類かのお菓子を手に取って、すたすたと奥へ行ってしまった。
見事に一人取り残されたわけだけれど、僕の隣が空いてもまだ、熱は冷めなかった。
〈気遣い? 僕が?〉
アレンの言葉の一部を撮みとって、一人疑問に思っていたからだった。
気を遣わなくてもいいとアレンは言っていたけれど、それはつまりどうすればいいと言うことなのだろうか。僕はアレンに気を遣っていたのだろうか。
アレンが僕にそうしてくれていたことはわかるのだけれど、僕はそんなつもりは……ある。あるのだが、きちんと機能しているかというのと、アレンの気遣いと比較して劣っているのだという自負が、その前提にあった。
なにより、僕が不甲斐ないから、その分はすべてアレン任せになっている背景がある。
そうしたら、僕は何をどうすればいいのだろう。
「お待たせしました! はい、これどうぞ」
「えっ?」
気付いたらアレンは目の前にいて、気付いたらアレンのことを正面から見据えた回数はたかが三回くらいのもので。その三回で何がわかるかなど、程度が知れている。
改めてアレンの表情に直面して、僕の心は変われたと思う。
「蕎麦の方です。これは俺からなので、みんなには内緒で食べてくださいね」
「えっ、あの……」
意図せずとも、いつぞやのノアのように慌てふためいてしまう。
これではノアのことを見てほっこりしたり、不器用さを可愛がったりできないではないか。これならよっぽどノアの方が、愛情表現が上手いと思う。
恥ずかしくて物も言えないけれど、差し出されたものを乗せる手の平くらいは頑張った。
「い、いいの……?」
「全然いいですよ!」
「あ、ありがとうアレン君……! あの……嬉しい、です……」
「それなら良かったです。俺も嬉しいです!」
「はははっ。でも、内緒って難しそう。あのメンバーだと」
「ですよね。それでなんですけど――」
〈こういうのを青春と呼ぶのだろうか〉などと心の中で哲学してみても、生まれる解答は愉悦と高揚、それから少しばかり鋭い気恥ずかしさの三段論法だった。
僕の中に残っていた――あるいは、新しく誕生した“普通”の二文字が、それによって急速に証明されていくような、清々しい感覚に陥る。
僕はアレンの冷めない瞳を見ながら、その言葉を待った。
「ルートさん、スポーツは得意ですか?」
「スポーツ? 得意ってほどじゃないけど、体を動かすのは好きかな」
「あ。それなら、良かったです。モールに来る途中にあった公園、覚えてますか?」
「テニスコートとかあったところ?」
「はい、そうです。あそこでキャッチボールとか、しませんか?」
「キャ、キャッチボール?」
久しぶりに聞いた単語だなと、意外だった。
一瞬、それが何か忘れたような感じになったけれど、幼い頃に父とやった記憶が蘇ってきてなるほどと思った。
あれは、力の弱い方に合わせることを余儀なくされる遊びだ。それでいて、弱い方も弱い方で気を遣う。
今の僕らにはちょうどいいのかもしれない。
「そうです。キャッチボールデートってことにしましょう」
「キャッチボールデート……。いいかも……」
デートが何かを僕はまだ知らないが、それはデートではないような気がした。
けれど、それをすることが結果としてアレンと向き合うことになると思う。
そして、それが今とても大切なことなのだと知っていたから。
だから僕は頷いて、限りなくアレンの彼女を演じられるよう笑ってみたところだ。
「良かった! じゃ、そろそろ帰りましょうか」
「うん」
僕がアレンの彼女だとするならば、他のみんなとの関係はどうなってしまうのだろう。
僕の明日にはまだ、不安がたち込めていたと思う。
【あとがき】
ルート、はじめてのお付き合いです。
ぎこちない感じ、まだつかめていない距離感、異性としての気持ち、エトセトラ……。
青春はこれまでも語ってきましたが、今回は新鮮です。
今回のルート編。
長くはならない予定ですが、“好きになるということ”をテーマに、また一つ成長していくので、見守っていただければなによりなにより。




