真夜中の熱帯魚
やや露骨な性的表現があります。ふしだら?なながれですので、嫌な気持ちになる方は避けて下さい。
真夜中のファミレス。
昼間の喧騒とは裏腹に店内に人は疎ら(まばら)で、深夜疲れだろうスタッフ達も引っ込んでいる。
喫煙者用に設けられた奥まったこのスペースで、俺は所在なくコーヒーを飲んでいた。
――カチッ――。
何本目かのタバコを吸おうとライターを手にしたのだが…。
――カチッ…カチッ…。
『なんだよ…。』
ガス切れ。
仕方なくライターを買おうと立ち上がりかけた時、どこからかテーブルを叩く音が聞こえた。
――カッ…カッ―。
その音に呼ばれるように顔を上げると、奥まった角のテーブルから女がこちらを向き、手に持った何かを見せびらかす様に振っている。
『……?』
何だろうと首を傾げると、女はその何かを振るのをやめ、シュッと火を点けた。
ライターだ。
女は肩肘をついた姿勢で、いるでしょ?と言うようににっこりと笑っている。
なるほど。
さっきの俺を見てたな。
周りなんて気にしてなかったから、そこに女がいるなんて気付きもしなかったが、彼女は俺がこのテーブルに案内された時からチラチラと見ていたんだろう。
俺は女のいるテーブルへと足を向けた。
『どうぞ。』
テーブルに着くと、女は俺を見上げたまま笑ってライターを差し出した。
どこにでもある安っぽい百円のライターだが、まだ新しい。
俺はそれを手に取りタバコに火を点け、深々と吸い込んだ。
『ありがとう。助かった。』
俺は煙を吐き出し、ライターを女へ差し出した。
このまま席に戻り、この一本を吸い終えたらコーヒーを飲み干して帰るつもりだった。
こんな深夜にファミレスで、見知らぬ男にライターを貸そうなんて余程の世間知らずかまともな奴じゃない。
関わる気はなかった。
『あげるわ。まだ使うでしょう?』
俺は自席へ向き掛けた爪先を止め、改めて女の顔を見た。
額にかかる髪の下から、大きな瞳が覗いている。
口紅は塗っていない。
素のままの唇が、しおれた花の蕾のように横たわっている。
少し疲れが見えるがなかなか綺麗な女だった。
『でも…。貴女も使うんじゃ…?』
『吸わないから。平気。』
吸わないのにライターを?
怪訝そうな顔をしたのだろう。女は言い訳のように言葉を続けた。
『友達が、吸うんです。部屋にいっぱい落ちてるから、間違えて持って来ちゃったみたいで…。』
『友達と、会ってたの?』
『ええ。終電に乗り遅れて、それで始発までここで時間潰し。』
女はまいったわと言うように軽く肩をすぼめた。
友達の家へ戻れば?という一言は飲み込んだ。それが出来るなら、言われなくともそうしているだろう。
女の胸元まで伸びた毛先が、広く開いた胸元から覗く白い素肌をくすぐるように揺れた。
『座ってもいい?』
俺は女の向かいに腰を下ろし、改めてライターの礼を言った。
少し驚いたようだったが、女は俺の礼に軽やかに答えた。
『どういたしまして。私が持ってても仕様がないし、使ってくれる人がいて良かったわ。』
『友達には返さなくていいの?』
『いっぱいあるんだもの。一つくらい、どうって事ないわよ。』
女はくすくすと笑い、氷の溶けかけたグラスに手を伸ばした。細いストローが蕾の中に吸い込まれ、白い喉元が艶めかしく上下に動く。
俺は女をまじまじと見つめる。
薄い質感の黒いノースリーブのワンピース。南国の鮮やかな色合いの花を思わせるプリントが全体に描かれている。
胸元から続く胸の膨らみは豊かで、ゆったりとした洋服のラインを下から柔らかく持ち上げている。
『朝までここで?』
『仕方がないわ。電車が走ってないんだもの。』
『一人で?』
『…そう、一人よ。』
ストローを弄びながら、女はグラスに目を落とし軽く笑う。
『危ないな…。』
え?と言うように、女が視線を上げる。
『こんな時間に、そんな格好で一人で。』
女は咄嗟に開いた胸元を手のひらで隠した。
『やだ、考えすぎよ。第一、こんな時間に人なんていやしないわ』
女は妖しくなりそうな空気を壊すように、わざと明るい口調で俺の言葉をかわした。
少なくとも頭がおかしい訳じゃなさそうだ。
さっさと帰るつもりだった俺の気は、女が見え透いた嘘をついた時から変わっていた。
『気になる事があるんだけど…。』
『何?』
『どうして俺にライターをくれたのかな?って。』
『だって、火が点かなければタバコは吸えないわ。私はたまたま火のつくライターを持っていた。それだけよ。』
『他の男でも同じ事をした?』
『……それは…。分からないわ。いいじゃない。私がライターをあげたのは、他の人じゃなく貴方なんだから。』
女はテーブルのちょうど中間あたりに無造作に置かれたライターを拾い上げ、俺の前に置き直した。
『誰かの気を惹くかもしれない。』
『誰かって?ここに人は殆どいないわ。』
『そうだな。例えば…。』
俺は自分を指差した。
『例えば……貴方?』
『そう。例えば俺。』
女は一瞬目を伏せ、今度は一気にグラスの中身を飲み干し、くすくすと笑った。
『案外、不躾な人なのね。』
『そうかな?』
『そうよ。いきなりそんな事を言う人いないわ。』
『気を惹かれるって?』
『…例えば、そうね。』
俺は女の胸の膨らみの一番敏感そうな部分へ視線を落とす。
呼吸に合わせ、柔らかな膨らみがゆっくりと上下している。女の白い肌がうっすらと赤く染まるのが見えるようだ。
『貴方は?なぜ私からライターを受け取ったの?』
『タバコに火を点けたかったから。』
視線が絡む。
『3分したら…来て。』
女はそう言い残し、立ち上がった。
微かに水の滴れる音だけがする男子用の個室。
俺は便座に座り女を目の前に立たせていた。スカートをたくし上げ、下着の上からそこへ口付ける。
『……あっ…。』
女の口から小さな叫びが漏れる。しっかりと尻を支え更に唇を押しつけ、女の体から水分を搾り取るように吸う。
舌で探ると、その形が布の上からでもはっきりと分かる。
俺は更に女から流れる温かい水を求め、その突起を舌でなぞり上げ吸い続けた。
女の吐息が息苦しい程に濃くなると、女を膝に乗せ熱くなった体の中に沈む。
そのままの姿勢で胸をあらわにすると、張り裂けそうな二つの先端が顔を出した。
片手で一方を摘み上げながらもう片方を口に含み、先端の更に先を固く尖らせた舌先で刺激する。
女の息遣いが荒くなり、俺に沈み込んだ下半身がぴくぴくと動く。
舌先で刺激を与えながら吸い上げ、摘み上げた指先で先端をねじるように強く転がすと、女の腰が揺れた。
『もうだめ。お願い…!』
『声を出さないで。』
俺は女の腰を掴むと、一気に突き上げた。
激しく上下に揺さぶられては押しつけられ、体の中心を掻き回される女は仰け反り、必死に声を殺す。反り返った白い喉は汗ばみ鱗のように妖しく光り、微かな水音の中、小さな個室いっぱいに新緑の濃い香りが広がる。
まだ明けきらない朝方の住宅街を、女は一人で歩いていた。
気怠そうに、重そうに、ゆっくりゆっくりと歩を進め、ひとつのマンションの下で足を止めた。
ここはもう、私の帰る場所じゃないんだわ。
昨夜、女は別れた男の住む街へと終電間近の電車に飛び乗ったのだ。
ちょうど一週間前だった。
転職してから会える回数も減り、ついには音信不通となっていた恋人と電話がやっと通じたのだ。
だけど受話器を取ったのは恋人ではなかった。
見知らぬ女の声が、恋人の名字を名乗った。
何が何だか分からぬまま、女は何故か『すみません。間違えました。』と慌てて電話を切った。
携帯電話を嫌った恋人への連絡手段は、自宅の固定電話だけだ。
そう、この番号は恋人の部屋と繋がっている。
女は掛け直す気力もなく、自分の携帯電話のメモリーを見つめた。
翌日、疑惑と不安を抱え眠れぬ夜を過ごしながらも彼女はいつも通りに出社し、彼女と恋人の共通の同僚でもある清田に何気なく恋人の話をふってみた。
社内恋愛禁止のこの職場で、二人の付き合いは大っぴらに出来るものではなかったのだ。
『そういえば高崎さん、頑張ってるかなぁ。清田さん、最近、連絡とったりしてる?』
『…さぁ、私も最近は連絡とってないから…。』
最近は…?
苦いものが込み上げてくる。
体の中に渦巻いてくるどす黒い疑惑を必死に押さえ込み、女は平然を装い話を続ける。
『…転職してからは連絡とってた?』
『暫らくはね。たまに飲みに行ったりもしたけど仕事に慣れるの大変だったみたいよ。』
『慣れるのにも仕事にも忙しい頃だもんね。』
『…そうね。忙しいんじゃないかな。』
私とはもうずっと連絡すらとってない…――。
会ってなんていないのに。
『落ち着いたらまた連絡するんでしょ?』
その時だった。
清田の顔が歪み、みるみる涙が込み上げてきたのだ。
『ちょっ…。ど、どうしたの?!』
突然の事に、彼女は慌てて同僚を連れ出した。
――貴女だった…?――
一瞬、女の中に芽生えた疑惑の影が、昨夜の声と共に薄れていった。
《はい。高崎です…。》
違う。この子じゃない。
退社時間になると、女は一目散に恋人の家へと向かった。
通い慣れた道、見慣れたマンション、間取りも家具も、タバコの匂いまでもが彼女の一部として過ごした恋人との風景だ。
『どういう事なの?』
恋人は押し黙ったまま、ソファに座り込みうなだれていた。
『ねぇ、何とか言ってよ。昨夜の女は誰なの!?
どうして貴方の部屋の電話に出るの?!』
『……ごめん。』
『ごめんじゃ分からない!清田さんは?清田さんとも付き合ってたの?!いつから?!』
『…ごめん。本当にごめん。』
『ごめんじゃ分からないってば!!』
信じられなかった。
あたし、清田さん、昨夜の女。
あたしは知らぬ内に、三人の女と彼を共有していた。
この部屋で、このソファで、このベッドで。
代わる代わる彼を所有し、誰もがこの時間は自分達だけのものと信じていた。
清田さんと私は、ほぼ同じ期間、彼を共有していた。
もちろん、それぞれが彼を共有している女がすぐ傍にいるなんて知らずに。
転職先で知り合った女も、私達の存在なんて知らない。
新しい環境、慣れぬ毎日の隙間にそっと深く忍び込み、私達の数年間をあっという間に鮮やかに塗り替えてしまった…。
あらん限りの罵声を浴びせ掛け、力なく彼を叩きつけ、泣きじゃくりながら別れを叫び彼の部屋を後にしたのが一週間前。
この間、どうやって毎日を過ごしていたか分からない。
信じていたもの全てが嘘像だった。
二人の時間の影には常に清田さんがいた。
そして、新たな共有者。
泣いて泣いて泣いて。
裏切りを恨み、馬鹿だったと自分を蔑み、狂ったようにただ独り彼を罵倒した。
ひたすらに切り裂かれる痛みに身を任せても、行き着く思いはただひとつ。
思い出すのは穏やかに過ごした彼との時間。
付き合い始めの頃の心踊る緊張感、気持ちのすれ違いに切なく泣いた夜、言葉にしなくても通じ合ったあの頃の、あの気持ち達は…嘘じゃなかった。
あの笑顔あの温もりは、あたしの、あたしと彼を繋いだ紛れもない真実だった。
闇が揺れる深遠の淵で、溢れる光の真実をもう一度信じようと、彼女は昨夜、終電間近の電車に飛び乗った。
だけど紛れもない真実は、恋人の部屋から聞こえる見知らぬ女の明るい笑い声だった。
チャイムを鳴らす勇気なんてない。
扉の向こう側を、見る事なんて出来ない。
笑い声を後に、その場を立ち去るしか出来なかった。
人影もない真夜中の住宅街、誰も彼もが同じ屋根の下で大切な誰かと安らかな寝息を立て、暖かな夢を見るのだろう。
たまらなく孤独だった。
どうしようもない程に淋しかった。
だからファミレスの明るい光に、私は引き寄せられたんだ。
人工の明るい光と冷たいアイスティーが体中にまとわりつく湿った夜気を払い除けてくれた。
ライターを忘れる彼の為、いつも鞄に入れていたライターを取出しぼんやりと掌で弄んでいると、懐かしいタバコの香りが鼻をついた。
昨夜、ファミレスのトイレで慌ただしく私を抱いた男は、私を孤独から引き上げてくれただろうか。
それとも更に深い孤独へと、突き落としただけだったのか…。
鼻をつく懐かしい香りは、拭ったはずの夜気を思い出させた。
明るい扉の向こう側から拒絶された私に、男は甘い刄を見せたのだ。
女は今は閉じられた元恋人の部屋の窓をじっと見上げながら、昨夜の出来事を思い出す。
そして、明るみ出した暁の住宅街を背に歩き出した。
ゆらゆらと、海底を力なく泳ぐ熱帯魚のように。
完
未熟なまま投稿してしまいました。お気付きの点、ご指摘などたくさん頂けたら嬉しいです。