報復する少年とムキになる少女
「んの、やろー!」
憤慨する犬飼颱を、桜乃舞子がなだめていた。
「まあまあ、ほら、職員室に着いたよ」
「だーれが、彼氏だ、ボケ!」
「そうよ。あんたみたいなのが彼氏だったら人生灰色よ」
「おー?命の恩人にそれはないんじゃない」
颱は舞子の胸元をぺしぺし叩いた。彼女は鼻にシワを寄せて訊いた。
「恩人?なんのこと?」
「あの、ばあさん、俺が助けなかったら死んでたぜ」
【べつにいいけど、どうせババアなんだし……】
よっぽどいおうと思ったが、その言葉をなんとかのみこんだ。
性格が悪いやつみたいに思われるからである。
良いも悪いも酸いも甘いも、それが舞子の個性なのだが、彼女は――すくなくとも倫理上では、それを悪いことだと認識していた。
だからあいまいな受け答えになった。
「う……うん。それは、感謝、してるよ」
「感謝してるんだったら、ありがとうって、発音してみろ」
「はあ?仕返しのつもり?」
「いいから、早く」
「あ、あるがとぉう」
「えっ?なんだって?」
「あるるがとう」
「いえないんだ?」
「いえるしぃ、ちょっと滑舌が悪いだけだし」
舞子は赤くなった。すこしむきになっている。
「あはは。今度は手術室で手術中っていってみろよ」
「なによ、報復のつもり?」
「ほうふく? ああ、抱腹絶倒だ!」
「バカにして……」
舞子はがんばってゆっくりと発音した。そうすることで見返してやろうと考えたのだ。
「手術中で、しゅじゅちゅちゅう」
「はあ?」
「しゅじゅちゅしちゅで、しゅじゅちゅちゅう」
「なにやってんの?キスの練習?」
彼女はハッとなって口許をふさいだ。冷や汗をかいていた。
「だ……だれが、そんなこと」
「まあいい、サンキューな」
颱は手をあげて、職員室へと姿を消した。
「もう、なによ、あいつ」
ぶつぶつ独り言をつぶやいて、教室に入る舞子。中にはだれもいない。
「えっ?なに?ドッキリ?」
不安になって黒板に目を向けると、
『全校朝会with校長。体育館へレッツゴー!』と書いてある。
「やっば、マジ?遅刻しちゃうじゃない」
舞子は一目散に駆け出した。