勇敢な少年と臆病な少女
舞子は夢をみていた。
桜の木の下で、ブルーシートを敷いている。
きっとお花見をしているのだろう。
まわりには屋台が出ていて、にぎやかだった。
「じゃがバター買ってきてやった」
男の子がつんけんと言った。
その手には、おいしそうなジャガイモがのっている。みているだけでお腹がすいてきた。
「わー、ありがとう」
舞子は喜んでそれを受けとる。バターがトローりと溶けて、湯気もたっている。食べずともそのおいしさが予想できた。
すると鋭敏な殺気があらわれ、あたりを支配した。
「やあっと、みつけた。ふふふ、安心して。怖くないから」
舞子のクラスメイトの女子が、ブルーシートを取り囲んでいる。
「……なんのつもり?」
「ちっ、にげるぞ!」
舞子の言葉をかき消すように、男の子は彼女の手首をひっぱった。舞子はされるがままだった。
……ぷつん……
「××ー!」
舞子は男の子の名前を叫んでいた。
「なに、ショボい顔してんだよ。またすぐに会えるさ。桜の舞う頃に」
男の子はぐったりと木に背中をもたせている。
「××ー!」
……ぷつん……
【なに、これ。変な夢】
ふとんを畳みながら、舞子は不思議な気持ちにとらわれていた。
寝巻きから制服に着替える動作も、すこし緩慢になっていた。
【なんかすっごい感情的になってたなー。夢のなかの私は、きっと焦げるような恋愛をしていたんだなー】
リビングで朝食をとっているときも、昨日の男の子と、夢の内容が気になっていた。
【あー、私もそろそろキュンキュンしたいなー】
いつもと変わらぬ通学路。それが舞子には輝いてみえていた。
【なんか今日は良いことありそう】
そんな予感めいたことを考えていると、
「おっ……、おばあちゃん!危ない」
遮断機のおりた踏み切りで老婆が横たわっていた。舞子は必死で駆けた。 脇目もふらず一心不乱に突っ込んでいった。
それは良心で行われたわけではなく、どちらかというと贖罪の意味が強かった。
【昨日の男の子は、本当に助かったのかな?】というわだかまりを解消できずにいた。もしかしたら……そう思うと助けずにはいられなかった。
ディーゼル列車の低く重たい警笛が遠くから聞こえてきた。追いかけるように、タタンタタン、と走行音もしている。
舞子は息を切らしながら、踏み切りの前までやってきた。
【あとは遮断機をくぐって、助けにはいれば大丈夫】
頭ではわかっている。だけど、身体が怖いと叫んでいる。脚ががくがくと震え、呼吸が乱れる。いやな妄想がこびりついて離れない。
【このまま見殺しなんて、いやだ!助けなきゃ!でも……怖いよ!】
「いかなる臆病太郎といえども、お前は強いぞと励まされると、卑怯な真似はしないものなんだそうだ」
どこかから少年の声がした。遠いような近いような、距離感はよくわからなかった。テレパシーだったのかもしれない。
「臆病風に吹かれたくらいで、縮みあがってんじゃねーよ」
また聞こえた。
いったいどこから?
列車が顔をのぞかせた。
老婆は線路上で身をよじっていた。恐怖で顔が青ざめている。
列車の警笛が大砲のような重量感をともなって迫りくる。舞子はあきらめた。みたくもない映像が脳裏をよぎる。彼女はたまらず目をつぶった。
ドヒュン……!
弾丸が耳元をかすめた。正確にはそれではなかったが、なにかがそれくらいの勢いで風を切り裂いた。
いつぞやと同じように強風と花吹雪が舞った。舞子は叩きつけてくる、強い風に負けないよう足を踏んばった。
目を開いて弾丸(の速度をもった飛来物)を探す。
すると花びらが集まって壁となり、視界をふさいだ。弾丸どころか老婆の様子さえわからなくなった。
舞子は列車の行方を目で追った。かん高いブレーキ音が盛大に鳴っている。しばらく惰性で進行したのちに停車した。
乗客が窓を開けて、身を乗りだしている。
舞子はとっさに悟った。
【ああ、助からなかったんだ】
しかし罪悪感は不思議となくて、
【まあどうせ老い先短い余生なわけだし、どうでもいいか】
「喜べ!こっちは無事だぜ」
線路の向かいから声がした。テレパシーの主と同じ声だった。
舞子はそちらをみた。花の壁はなくなっていて、そこにいる二人の人物がよくみえた。
「おばあちゃん!と、昨日の男の子!」
「犬飼颱だ!お前の名前は?」
老婆をかたわらに寝かせて、少年はたずねる。
「犬、飼いたい?かわいい名前だね」
「犬、飼、颱、だ!」
「ふーん、どうでもいい」
「どーでもいいって……」
颱は苦笑した。老婆はお辞儀をして去っていく。
「私は舞子。桜乃舞子」
「あっそ、いい名前だね」
「棒読みになってるよ。もっと感情を込めていって!いい名前だねって」
「いい加減な名前だね」
「いい加減じゃないし」
「じゃあ……」颱は考えるような仕草をしたが、「やっべ、俺、急いでいるんだ」
「急いでいる?」
復唱する舞子に、
「今日からサクサク中に転校になったんだ」
颱はいった。
桜咲中学校、通称サクサク中である。
「えっ、そうなの?私もサクサク中に在学してるよ」
「マジか。じゃあ悪いけど、道案内してもらっていいか?あと、職員室と校長室にも行きたいし……」
「いいよ。その代わり……」
舞子は、
「かわいい名前だねって、心を込めていってね」と、いやみたっぷりに勝ち誇った。
「か……かわいい、名前だな」
これでいったい何十回目になるのだろう。颱は同じセリフを恥ずかしそうにしていった。
「まあ、いいわ。許したげる」
許すも許さないもなく、これ以上からかい続けると、自分も学校に遅刻するなと舞子は気がついた。
なにせまだ踏み切りの位置から一歩も動いていなかったのだから。
安心した颱は態度をひるがえし、
「ったく、テメーのせいで、無駄な時間を使っちまったぜ」
歩きながら憎まれ口を叩いた。
だが、実際はそんなに怒っているわけでもないようで、
「よし、『かわいい名前だね』って連呼してやっから、走るぞ」
腕を大きく振ってアピールをしていた。
「いいよ、そんなの一回で」
「何回も何回もいわせたのは、どこのどいつだよ?」
「さあ、私の目の前にいる暴漢かな」
「黙れ、痴女」
「なんですってー!」
わいわい、やいやい騒ぎながら、舞子達は学校に到着した。
「ここが、サクサク中か……」
颱は古くなった校舎をみあげた。ところどころに亀裂のようなものが走っていて、ピンク色の塗装も剥がれているところがあった。校章は桜のかたちをしていて、『咲』という文字に彫られている。
校門や生徒玄関には、たくさんの生徒が登校してきていた。
「おはよ、舞子。その子は?」
女生徒は、犬飼颱を目線で示した。メガネ姿の聡明な顔つきをした女の子である。後ろ髪を一本に結わえていた。
「ん、犬飼颱くんだよ。皐月の知らないひとー」
「うわ、ひどい。私よりもさきに彼氏作った」
山女魚皐月は、桜乃舞子をこづいた。
「彼氏じゃねーし」「彼氏じゃないから」
二人が同時につっこんだので、
「もしかして、もうできてる?」
皐月は意地悪そうに目を細めるのだった。