一章 幻影の城 『時給千円』
目覚めると、細長い蛍光灯の明かりがまず目に入った。
僕は片手でその光を遮りながら起き上がる。ソファーの上で眠っていた所為か、体が痛い。
目の前にはテーブル、その先には両脇を本棚に挟まれた形で、古びたブラウン管のテレビが置かれていて、その横には出入り口と思われるドアがあった。
……全く見憶えがない部屋に僕はいる。
「お、ようやくお目覚めか」
その声に反応して後ろを振り返ると、綺麗な赤色をしたセミロングの髪が印象的な、スーツ姿の女の人がコーヒーを持ってきた。
「僕の分のコーヒーを持ってきたってことは、僕が起きることを予め知っていたのではないのですか?」
彼女は一言それを肯定し、僕の前にコーヒーを置いた。
「自己紹介がまだだったな」
彼女は僕に名刺を手渡した。
それには星屑海屑子と書かれていた。逆にそれ以外は何も書かれていなかった。真っ白である。
「ゴミ子と呼んでくれ」
…………。
とりあえず、僕も名乗った方がいいか。
「僕は――――」
「君の名前はとうに知っている」
ゴミ子さんはそう言って、僕の言葉を遮った。
「……予知能力でも持っているのですか?」
僕がそう言うと、案の定ゴミ子さんは大笑いした。
「傑作だなぁ、おい。私にそんな大そうな能力があるわけないだろう?」
確かにそれも一理あるわけだが、何もそこまで笑わなくても……。
「大笑いしたことだし、そろそろ本題に入ろうか。さて、君は何故ここにいると思う?」
何故って……。
アルバイト先の喫茶店で閉店処理を……。
あ……。
「すいません! 今すぐバイト先に戻らないと!!」
何が起こったのかイマイチ理解できないが、店の鍵を閉めていないのは確かだ。これで泥棒にでも入られたら、いくらなんでも不味すぎる。
「心配はいらんよ。戸締りはした。硝子も元に戻しておいた。それにもうあれから三日も経っている」
硝子?
三日?
何がどうなっているんだ?
何で彼女が戸締りをしているんだ?
今にも頭がパンクしそうだ……。
「とりあえず、落ち付け。そして、よく思い出してみろ」
とりあえず深呼吸を数回し、心を落ち着かせる。
すると不思議なことに、すぅーっと記憶が引き出された。
そこにはゴスロリを着た少女と黒いトレンチコートを纏った銀髪の男が対峙していた。
「これは……?」
「君は残念なことに、『魔術師』の戦争に巻き込まれたのだよ」
……魔術師?
それはあまりにも聞きなれていて、聞きなれない言葉だった。
「あの男は何処のどいつかは知らないが、彼女の方は知っている。むしろ、君をここまで連れてきたのは彼女だ」
あの少女が……僕を?
「……あの少女は?」
「彼女は蛙川憂子だ。今はいないが、直にもう一度顔を合わせられるだろう」
今はいないということは、あの少女――蛙川憂子はここに出入りしているらしい。それも頻繁に。
「……あの、ともかくアルバイト先の店長に謝りに行かないと……」
理由はどうあれ、三日も無断欠勤しているんだ。いくら店長が温厚な人だからと言っても、流石に怒っていないわけがない。
「ああ、その辺も大丈夫だ。とっくに君のことなんざ忘れているさ。正確には 忘れてもらったと言った方がいいか」
胸ポケットから取り出したタバコを咥え、ゴミ子さんはそれに火を点けた。
「せっかくだから、うちで働いてもらうことにしたのさ。ちょうど人手も足らなかったとこだ」
「そんな勝手な」
理不尽にもほどがある。
「君がここで働いてくれるのなら、それなりの報酬は出すつもりだ」
この人たちに深く関わるのは、止めた方がいいのは確かだ。
こういう場合は、逃げるのが得策だな。
「……考えさせて下さい」
僕はそれを口実にし、この部屋から出た。
ドアを挟んだすぐ先は螺旋階段になっていて、それを降りると、出口はすぐそこだった。
「ここは……」
外に出ると、そこは見憶えのある――いや、見慣れた場所だった。
どうやら、駅前の商店街から少し離れたところに建つ、古びたビルに僕は今までいたらしい。
入口には『星屑海』と書かれた表札があった。
それにしてもゴミ子さんは、よくこんなところに住めるな……。
ともかく、他にアルバイトを探して、早く普通の生活に戻らなければ……。
僕はアルバイトの求人情報誌を入手する為、駅前にあるコンビニへ行く為に、商店街の方向へ歩き始める。
ここ、御崎町は半分が水田と畑である為、風景の殆どはそれである。
唯一、店舗が立ち並ぶ商店街も人は疎らで、近年言われている過疎化減少が覗える。
商店街を抜ければ町唯一の駅があり、その向かい側にコンビニがある。
商店街の店の殆どは、日中にも関わらずシャッターを下ろしている。不景気で経営が困難になったのか、単に老いて経営を続けられなくなったのかは、僕の知るところではないが、少し寂しさを覚えた。
僕はそんな商店街を足早に抜け、駅前のコンビニに入った。
えっと、情報誌は……。
僕は無料の情報誌が置いてあるコーナーからアルバイトの求人情報誌を探す。
だが、置いてあるのは賃貸情報誌のみで、残念ながらアルバイトの求人情報誌は一冊もなかった。
思えば、あの喫茶店もやっとの思いで探したんだっけ?
こんな町で独り暮らしを始めたのが悔やまれる。
「はぁ……」
不意に溜息が漏れる。
このままでは光熱費や家賃はおろか、食費すらまともに払えない。
やはり、ゴミ子さんのところで働く以外、手はないのか……。
僕は仕方なく、ゴミ子さんのビルへ戻ることにした。
「お帰り。案外早かったんだな」
ゴミ子さんは自分のデスクで新聞を広げていた。
「ここに戻ってきたということは、うちで働いてくれるということだろ?」
ゴミ子さんは新聞を畳み、契約書を僕の前まで持ってきた。
……千円ももらえるのか!?
確かに契約書には時給千円と書かれていた。
その瞬間、僕の意志は固まった。
「ここで、働かせて下さい」
僕のその言葉と同時に、ドアが開いた。
「……おはよう」
昨日の少女がここに入ってきた。
「ああ、おはよう憂子。そこにいる青年が、今日からここで働くことになった。色々と教えてやってくれ」
ビシっと親指を立て、雇い主は僕の教育を丸投げした。
「ああ、まだいたのね。私のことは呼び捨てでいいわ。私の方が年下だし」
今さっき僕を認識したような口調で、少女――憂子は僕にそう言った。
「……よろしく」
「では、挨拶も済んだし、早速仕事をしてきてもらおうか」
パンパンと二回手を叩き、ゴミ子さんがそう言った。
「初仕事の内容は、とある廃ビルの内部調査だ。迅速に済ましてきてもらいたい」
根城にしているホームレスの実態調査でもするのだろうか?
ともかく、それくらいなら僕にもできそうだ。
「それと、これを廃ビルの中央に置いてきてくれ」
ゴミ子さんは僕に透明のビー玉を手渡した。
「ビー玉?」
ビー玉なんて何に使うのだろうか?
「それは保険だ。それと、こっちは君の護身用」
もう一つ、彼女は僕に柄に綺麗な蝶の装飾がなされたナイフを僕に手渡した。
それにしても、護身用にナイフだなんて、物騒だな。
そう思いながら、僕はナイフを懐にしまう。
「……行くわよ」
憂子と共に僕はゴミ子さんのビルを後にした。