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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

小説

魔王の再来を狩ったあと

作者: ちりあくた
掲載日:2026/03/12

 私は王国ギルドの記録係をしている。

 飲みの席でそう言うと、大体うらやましがられる。


 この仕事は基本的に楽なのだ。まず、記録するほどのクエストがそうそうない。魔王が十二年前に倒されてからというもの、出現する魔物は激減し、最大の敵は盗賊や山賊などの人間になった。彼らとて大半は、クエストが減ったせいで排斥された冒険者崩れだ。すぐに始末されて静かになる。


 まあ、記録の手間だけはそれなりにかかってしまう。討伐隊は酒を飲みながら武勇を語るものだから、九割九分九厘の雑談を削除し、一厘の事実のみを記録しなければならない。


『討伐対象:王都南西地区の盗賊一団

 結果:討伐成功

 追記:    』


 こう書けば一件の仕事が終了する。


 もっとも、稀に例外もある。

 例えば「魔王の再来」などだ。


 これは王国にとって、極めて重要な案件ということになっている。王国の記録によれば、魔王の魔力は完全に消えることはない。数年おきに魔物となって顕現したり、誰かに有害な能力を開花させたりする。彼らを「魔王の再来」として呼ぶらしい。そうなれば討伐隊が組まれ、勇敢な冒険者たちがこれを討ち果たす。


 実に英雄譚らしい話だ。

 だからなのか、「魔王の再来」の討伐報告は、いつも酒席が長くなる。


 その日もそうだった。酒場の長机の上には、空いた木のジョッキが並び始めていた。討伐隊の面々はいやに上機嫌で、矢の軌道だの雷撃の威力だのを、身振り手振りで説明していた。確か報告では、死人が一人出ていたはずなのに。身構えて損したと、思わず息を吐いてしまった。


 私はその様子を横目で見ながら、羽ペンを走らせていた。

 話の九割九分九厘は削る。残るのは、たった一つ。


『討伐対象:魔王の再来

 結果:討伐成功

 追記:    』


 それだけだ。

 しかし、その日はどこか様子が変だった。

 討伐隊の中に一人だけ、やけに静かな男がいたのである。


 彼は老兵だった。鎧はひび割れ、髭は白く、肩の革紐も擦り切れていた。冒険者というより、兵士の生き残りといった風情の男だ。噂では三十年近く冒険者をしているらしい。だとすれば、魔王が全盛を誇っていた時代からの生き残りである。


 他の連中が笑い転げている間も、彼はずっと酒を舐めていた。

 私はなんとなしに声をかけた。


「あなたもお疲れ様でした」


 老兵はしばらく口を結んでからジョッキを置いた。


「記録係さんよ」


 酒焼けした、恐ろしく低い声だった。


「魔王の再来ってのは、本当にいると思うか」


「は、はい。それを倒してこられたのでは?」


 彼はふっと笑ってから、指先で机を軽く叩く。


「俺はな、能力分析の魔法を使える」


「……えっ」


 それは珍しい魔法だった。対象の持つ魔力や特性を読み取り、戦い方を推測する補助魔法だ。討伐隊には重宝されるものの、習得には天性の才が必要とされ、ほとんど使い手は現れない。私も目にしたのは初めてだった。


「今まで、魔王の足下に手が届くヤツを何人見たと思う」


「えーと……その語り口だと、十人もいない感じでしょうか」


 老兵は一口酒を飲み、あっさりと言った。


「一人もいねえ」


「……どういう意味です」


 返事を待つ間、しばらく、酒場のざわめきだけが聞こえていた。

 やがて老兵はぽつりと言った。


「今回のも、そうだ」


 私は顔を上げた。


「今回の討伐対象……ありゃあ、まだ幼い兄妹だった。発見者の行商人が言うには、辺境の漁村が全滅してたってな。村人全員が、首を掻き切ったり、壁に頭を打ちつけたり……自分の手で命を絶った。その中で唯一、死体が見つからなかったのがその兄妹だ。王国は即座に『魔王の再来』と断定して、俺たちを差し向けた」


「……自ら命を絶たせる力、ですか」


「『蛇眼じゃがん』という。かつての魔王軍幹部が振るった権能の一つさ。視線を交わした瞬間、狂ったように死を求め始めるんだ。……昔、目の前で戦友がそれを喰らった。拘束しても無駄だったよ。そいつは自分の舌を噛み切って、笑いながら死んでいった」


 老兵は震える手で、空になったジョッキの縁をなぞった。彼の視線は、酒場の隅の暗闇を見つめていた。


「……昨日、俺たちは廃城へ向かった。十二年前まで、魔王の幹部が根城にしていた場所だ。石造りの壁は湿り、空気は腐った沼のような臭いがした。世間は『魔王の再来だからそこへ入った』と騒ぎやがったが、俺には分かってた。追われ、石を投げられ、行き場を失った獣が、ただ暗がりに潜り込んだだけだってことが」


 私は羽ペンを握ったまま、動けずにいた。


「廃城の最奥、玉座の間だった場所に、妹の方がいた。……いや、『いた』なんて上等なもんじゃない。うずくまってたんだ。ボロ布のような服を着て、両手で固く目を覆っていた。指の隙間から涙がこぼれてんのが、離れた場所からでもよく分かった。あいつは震える声で何度も繰り返していた。『来ないで。見ないで。あっちへ行って』とな」


「それは……『蛇眼』の発動を防ぐため、ですか」


「彼女は殺したくなかったんだろう。……犠牲者の中にはあいつらの親もいたからな。でもな、こっちも仕事だった。弓使いの若造が、手柄を焦って矢をつがえたのさ。弦が鳴って、その音を聞いた妹は、俺たちが助けに来たとでも思ったのか、それとも恐怖で理性が飛んだのか……すがるように顔を上げたんだ」


 老兵の目が鋭く細められた。


「その瞬間だ。妹の前に影が割り込んだ。……兄貴だよ。魔力も、加護も、何も出さなかった。ただの、腹を空かせた小汚いガキだ。そいつが妹を庇うように立ちはだかって、飛んできた矢をまともに胸に受けた。どさっと倒れる音が響いたよ。妹の方は、兄貴が倒れた気配を察して、思わず目を開けちまったんだ。隠していた『蛇眼』をな」


 酒場の喧騒が、一瞬遠のいた気がした。


「目の前にいた弓使いは、彼女と目が合った。……次の瞬間、あいつは自分の喉笛に、予備の矢を突き立てた。迷いも躊躇いもない。ただ機械的に、自分を壊したんだ。それを見た魔法使いが、パニックになって雷撃を放った。狙いもクソもありゃしない。ただ、視界に入る『怖いもの』を消し去りたかったんだろう。……妹は焼かれた。兄の死体を見つめたまま、一言も叫ばずに灰になったよ」


 老兵は自嘲気味に笑い、懐から古びた銅貨を取り出した。


「戦いが終わったあと、俺はこっそり、倒れている兄の死体を分析した。案の定……ただの人間だった。魔力回路も、まじないも、何一つ持っていない。空っぽの人間さ。魔王だなんておこがましいね」


 私は息を呑んで、思わず問いかけていた。


「そんなの、あんまりじゃないですか。なんであの人たちは笑ってるんですか。なぜあなたは何も言わないんですか」


 身を乗り出す私に対し、老兵はそっと目を閉じた。

 彼の声は、凪いだ海のように静かだった。


「……今回だけだと思ったか?」


「はい?」


「悪意が芽生えたバカ野郎。偶然にも、有害な魔法に目覚めちまった婦人。魔力の暴走に怯えた子供。体制に牙を剥いたはみ出し者…………全部まとめて『魔王の再来』だ。誰かを『魔王』という箱に詰め込んで、蓋をして、燃やし尽くす。そうすることで、国民の鬱憤は王から逸らされる。その平和を享受しているのが俺らさ」


 彼はゆっくりと立ち上がり、使い古された外套を羽織った。


「悪者がいなきゃ、民衆の不安は収まらねえ。誰かを英雄にしなきゃ、ギルドの面目は立たねえ。……だからあいつらは笑うんだ。自分が殺したのが『怪物』でなきゃ、今夜の酒が毒になるからな」


 老兵はカウンターに数枚の銅貨を置き、出口へと歩き出す。


「……俺の言ったことは書くなよ」


 彼が去った後、私は震える手で羽ペンを握り直した。

 手元の羊皮紙には一厘の事実しか記されていない。


『討伐対象:魔王の再来

 結果:討伐成功

 追記:    』

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