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第8章第1話

帝都アウリシアでの皇帝大評議会を終えたルキウスは、短い休暇を与えられ、南方の港町


オリシアへと馬を進めた。


ここはアウレリア帝国の最南端、白い壁の家々が海風に光り、穏やかな波が港の石畳を濡


らす。潮の香りはどこか甘く、遠くでは帆船の帆が風をはらんで鳴る音が聞こえた。


ルキウスがこの町を訪れるのは久しぶりだった。


オスティアの荒々しい波とは異なり、オリシアの海は深く穏やかで、陽光を受けた水面は


銀の粒を散らしたように輝いていた。


この静けさこそが、長き戦いに明け暮れた彼の心を癒やす。


港の丘を上ったところに、ルキウスの家と併設する百人隊の宿舎がある。


白い漆喰の壁に赤い瓦屋根、広い中庭にはオリーブの木が立ち、日除けの布がはためいて


いた。そこにはルキウスの妻、エリサが待っていた。


彼女は、以前に夫を病で失い、長く孤独を抱えて生きてきたが、今はルキウスと共に平和


を支える存在として町の人々に慕われていた。


潮風に揺れる髪が金色に光り、ルキウスの視界に一瞬、陽だまりの幻のように映った。


「あなたも……百人隊のみんなも、ここに来ると本当に生き生きしているわね」


エリサが微笑みながら言い、そっと夫の腕に手を添えた。


「ははは、気候も海も、食べ物も、そして葡萄酒も最高だからな」


ルキウスが笑うと、エリサは少し拗ねたように唇を尖らせた。


「それだけ?」


ルキウスは静かに笑みを浮かべて、彼女を抱き寄せた。


「もちろん……エリサがいるからだよ」


その言葉にエリサの頬がほのかに赤く染まり、微笑みがこぼれた。


中庭の奥からは香ばしい匂いが漂ってくる。港でとれた白身魚オラータを使った焼き料


理と、魚介をたっぷり入れた温かなパスタ。西の地方から届いた葡萄酒の香りも混ざり、兵


たちは陽気に声を上げていた。


百人隊の面々は、久々の休息に剣を置き、陽光の下で笑い合っていた。


木陰では誰かが楽器を奏で、若い兵士たちは子どもと一緒に駆け回っている。


ルキウスはその光景を眺めながら、深く息を吐いた。


「この町に来ると、生きている実感が戻るな」


「ええ、あなたもみんなも、ここでは心が自由になるのね」


エリサの声に、ルキウスはうなずいた。


「もし神が“平和”という言葉を形にしたなら、それはきっとこのオリシアのような場所だ」


2人は並んで海を見つめた。


波間に光が踊り、遠くで白い帆が沖へと向かっていく。


帝都アウリシア。


宦官ドンゴの執務室は、夜更けにも関わらず蝋燭の灯で赤く染まっていた。


その火はまるで、主の心に潜む野望の炎を映しているかのようだった。


「あなたにとって手柄をいつも横取りするルキウス殿を、このままにしておくおつもりで


すか?」


ドンゴは低く囁いた。


「確かに、あのお方は人心を掴むのがお上手です。ただ──本当の戦をしておられるのは


ガイウス様です。


ガイウス様こそ、次の将軍になるべきお方です。」


その言葉に、部屋の奥の男がゆっくりと顔を上げた。


百人隊の隊長、ガイウス・コルウィヌス。


鋭い眼差しの奥で、何かが静かに蠢いていた。


「……ドンゴ。確かにルキウスは俺にとって邪魔な男だ。」


ガイウスの声は低く、押し殺した怒りが滲んでいた。


「戦場でも何度も俺の戦いに割って入ってきた。俺に何度も指図しやがった。


そのたびに、俺はあいつを憎らしく思った。」


ドンゴの唇がゆっくりと吊り上がる。


だが、次の瞬間──ガイウスは続けた。


「……だがな、結局、あいつの作戦はことごとく成功し、結果、俺の隊もほとんど傷を負


わなかった。


見事としか言いようがなかった。うちの隊まで救われたんだ。」


ドンゴの顔から一瞬、笑みが消えた。


彼は言葉を失い、唇を噛んだ。


ガイウスはゆっくりと立ち上がり、窓辺へ歩み寄った。


外では冷たい雨が降っていた。


その雨の音が、まるで帝国の血のように、静かに床を濡らしていく。


「……だが勘違いするなよ、ドンゴ。」


ガイウスは背を向けたまま言った。


「俺の隊員はただの駒だ。救ってくれなんて頼んでないし、恩義も感じていない。


俺はそんな人間じゃない。俺の頭の中にあるのはただ一つ──将軍になることだ。」


振り向いたガイウスの目は、鋭く光った。


「お前の企てがどんなものか知らん。だが、俺が将軍になれないのなら、何の意味もない。


それをよく考えて……話を続けろ。」


ドンゴはその視線に一瞬身を引き、冷や汗をぬぐった。


しばらくして、ガイウスが部屋を出てきた。


その目は、鋭く光っていた。




ーまもなくして帝都からルキウスのもとに任務の知らせが届いた。同盟調印式の結果と共


に国境の町デルベに行くように記されていた。内容はこのようなものだった。調印式によっ


てこの度の国境の町の領地配分が決定したので知らせる。2 枚目にはその町名とどちらの帝


国の領地になったか記されていた。そして、こう続いていた。上記の通り各町の領地の引き


渡し確認を行うこと。


ついてはデルベのまちは貴殿、ルキウス・アントニヌス候よって


アウレリアの領地継続及びザファリア帝国の動向を確認せよ。


その封書を読んだときルキウスは少し不信に思った。継続領地についてはそもそもデルベ


専属の 100 人隊が要るはずだ。確か、ガイウスの隊ではなかったか?なぜ私に?その文書


には続きがあった。デルベ駐留の 100 人隊隊長ガイウス・コルウィヌスは病気のため代役


をお願いします。


あのガイウスが病気?あの殺しても死なぬような男が?きな臭い匂いがしてきた。ただ、ルキウ


スは帝国の紋章での封書であること。ガイウスがもし仮病を使っていたとしても何てこと


ない仕事だ。ルキウスはエリサにその事を告げた。「そうなの?寂しいわ。」「まあ、確認に行


くだけだから。この配分制度は私が考えたものだからな。」「でも、そのための 100 人隊が常


駐してるって言ってなかった?」「ああ、本当はガイウスが担当だ。病気だとかなんとか言っ


て俺に振ってきやがった。あいつはこの制度に最初から反対していたしな。戦をして手柄を


たて将軍になることしか頭にないやつだからな。まっ、すぐ帰ってくるよ。あの 100 人隊は


置いていく。」「えっ?大丈夫なの?」「ああ、向こうにはすでにガイウスの 100 人隊がいる。


ガイウスも無責任なやつだ。」そういって身支度をしその日のうちに馬を走らせた。エリサ


は嫌な予感を感じた。今まで、あの 100 人隊と行動しなかったことが一度もなかったから


だ。何もなければ良いけど…エリサは心の中で呟いた。


ルキウスが出発してから、屋敷の中にはぽっかりと空白が生まれた。


広い回廊を吹き抜ける潮風の音が、どこか寂しげに響く。


最初にその異変を感じ取ったのは百人隊の若い兵だった。


「ルキウス様、俺たちを置いて行かれたのか……?」


その言葉に他の者たちも沈黙した。


しかし、すぐにエリサが現れた。


陽の光を背に受け、その表情は毅然としていた。


「あなたたちはルキウスがいないと何もできない、そんな隊員たちじゃないでしょう?」


彼女の声には、不思議な力が宿っていた。


「ルキウスが帰ってきたとき、すぐに動けるように――今、できることをしなさい!」


その言葉に、兵たちは次々と立ち上がった。


剣を磨き、鎧を手入れし、馬の世話をした。


広い中庭にはふたたび規律と緊張が戻った。


まるでルキウスがまだそこにいるかのように。


一方その頃――


ルキウスの鞭は東の街道を進んでいた。


青空の下、馬の蹄が乾いた地を叩く音が続く。


彼はやがてデルベの町に到着した。


町は穏やかに見えた。


門兵はアウレリアの紋章を掲げ、ガイウス率いる百人隊が駐留していた。


ルキウスはすぐに彼らと合流した。


何事もない――少なくともその時までは、そう見えた。


季節は巡り、無花果の花が咲くころとなった。


そろそろ帰還の時だ。


ルキウスは町の広場で兵たちを労い、笑顔で杯を交わした。


「よくやってくれた。おまえたちは立派だ。帝国の誇りだ。」


兵たちは一斉に笑い声を上げた。


「ルキウス様の隊はいいよな、偉そうにしねぇし。」


「俺なんか、戦場で置き去りにされたことがあるぞ。」


笑いの中に、どこか苦い現実が滲んでいた。


それでもその夜、デルベの空は穏やかで、ルキウスの心も満たされていた。


――しかし、それは嵐の前の静けさだった。


翌朝、見張り台から怒号が響いた。


「ザファリアの兵がこちらに向かってきます! 千騎はいるかもしれません!」


「なにっ――!」


ルキウスはすぐさま馬にまたがった。


「門を閉じろ! 防御を固めろ!」


だが、敵の勢いは凄まじかった。


青い蠍の旗が風を切り、鉄の轟音が町を覆った。


門はあっという間に破られ、町は炎に包まれた。


逃げ惑う民、倒れる兵士。


「はめられた!」ルキウスの一連の違和感がつながった。


ガイウス…か。俺だけではなく自分の隊員をも犠牲に。なんて奴だ!


赤と青の旗が入り乱れる混沌の中で、ルキウスは声を張り上げた。


「逃げろ! 逃げるんだ! 民を守れ!」


その声は炎と怒号に掻き消された。


だが彼の姿は最後まで戦場にあった。


槍を受け、剣を握りしめたまま、彼はなお叫び続けた。


「逃げろ! 生きろ! この国を――守れ!」


その叫びが止んだとき、デルベの空は紅蓮に染まっていた。


風が吹き抜け、灰の中に一枚の赤い鷲の旗が舞い上がった。


それが、アウレリアの英雄ルキウス・アントニヌスの最期だった。

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