10年後の未来
5月も終わりに近づき、暑い日が続く土曜日。自転車で買い物を済ませ、汗だくで帰ってきた光子と優子は、リビングの扇風機をフル稼働させた。
「いやー、汗が引くわ〜」
光子は思わずスカートをめくり、風を太ももに当てて涼を取る。
「優ちゃんもやろうや〜」
優子もふわっとスカートをあげ、笑いながら風を当てる。部屋には二人だけの世界が広がっていた。
その時、ドアが開き、翼と拓実が顔を出す。
「光子〜!優子〜!遊びに来たぞ〜!」
二人は一瞬目を見開く。
「ぎゃー!なんも、なんも見てないから!」
慌ててドアを閉める翼と拓実。
「ちょっと、部屋に入るときはノックしてよね!」
光子が声を張り上げ、優子も「そうそう、ちゃんとノックしてよ〜!」と続ける。
翼はしどろもどろになり、拓実も「ご、ごめん…聞こえんやった」と顔を赤らめる。
双子ちゃんはくすくす笑いながら、扇風機の風に当たり直した。
部屋には再び笑い声と涼しい風が広がった。
でも、はじめて目にした光景に、翼と拓実の心臓はドッキドキ。
「なんか、めっちゃ綺麗やった〜」
二人して、頭の中がお花畑状態になっていた。
「…いや、なんも見とらんけん!」
と必死に言い訳する翼に、拓実も「あ、ああ…ほんとに見とらん」としどろもどろ。
双子ちゃんはその様子を見て、くすくすと笑う。
「も〜、二人とも単純やねぇ」
「お兄ちゃんたち、まだまだ修行が足りんばい」
風に揺れるカーテンの隙間から、二人の照れ笑いが微かに見え、部屋の空気はほのぼのとした笑いで包まれた。
光子がにやりと笑いながら言った。
「ねぇねぇ、本当は見たんやろ?」
優子もくすくす笑いながら、「そやそや、正直に言いんしゃい」
翼と拓実は、二人の視線に押されてしどろもどろ。
「そ、そん…見、見とらんけど…見えたかもしれん…」
「あ、ああ、うん、たぶん…」
光子と優子は、恥ずかしさよりも二人を揶揄う方が面白くて仕方ない。
「ははは、そげん必死に否定せんでもよかとよ〜!」
「お兄ちゃんたち、うちらのギャグネタにされるとやけんね〜!」
二人は笑い転げながら、翼と拓実の顔をからかう。
「ほらほら、あの顔、最高のボケやん!」
「今日のギャグネタ、しっかり保存しとこ〜」
こうして、見られたかもしれないハプニングは、双子ちゃんの笑いのネタとして、完璧に消化されていった。
あの「ラッキーすけべ事件」は、光子と優子にとって、翼と拓実をからかう鉄板ネタになっていた。
放課後、ふたりがにやにやしながら言う。
「ねぇ、覚えとる?あの時の、お兄ちゃんたちの顔!」
「そげん慌てとったやんね〜、思い出すだけで笑いが止まらん!」
翼と拓実は、少し赤面しながらも苦笑い。
「もう、そげん何回も言わんでくれ…」
しかし、双子ちゃんは耳を貸さず、からかうのが楽しくて仕方ない。
「今日は、あの時のリアクションを再現してもらおうかのぉ〜」
「うちのギャグネタ、永久保存版やけんね〜」
こうして、あの一瞬の出来事は、双子ちゃんの笑いのストックとして生き続け、クラス内や放課後の会話で、翼と拓実をからかう最強の鉄板ネタとなったのだった。
あの「ラッキーすけべ事件」は、光子と優子、そして翼と拓実だけが知る秘密の思い出。
放課後に思い出してくすくす笑うことはあっても、決して外には話さない。
「ねぇ、あの時のこと…」
「うん、忘れんばい」
お互いに目を合わせて、少し顔を赤らめながら微笑むだけ。
二人にとって、初めての甘酸っぱい恋のひとコマ。誰にも真似できない、特別な秘密。
それは、これから先もずっと心に残る、二人だけの宝物になっていくのだった。
「八幡先輩:あらぁ、今日は珍しく拓実くんがおるとね?」
雨の日の放課後、落語研究会の部室には、外のしとしと降る雨音を背景に、いつもより少し静かな空気が漂っていた。光子と優子は、いつものギャグネタの練習をしていたところに、拓実が顔を見せる。
「拓実くん、雨の日は屋外できんけん、ここに来たとね?」光子が笑顔で尋ねる。
優子も、くすくす笑いながら、「そげんやね、久しぶりに一緒に練習できるやん」と声をかける。
八幡先輩はそんな光景を見て、にっこりと微笑む。
「こらこら、今日は拓実くんも参加して、いつもより賑やかになりそうやねぇ」と、少しからかうように言った。
こうして雨の日の落語研究会は、普段より少しだけ特別な空気に包まれ、双子ちゃんと拓実、そして翼も加わった小さな秘密の時間が始まるのだった。
「光子:優子ちゃんの彼氏じゃん!優子ちゃん、彼氏がきたよ〜」
雨のしとしと降る放課後、部室で練習中の優子の耳に、光子の声が飛び込む。優子はびっくりして振り向き、ちょっと顔を赤らめながらも笑う。
「優子:あ、ほんとやん…拓実くん、おる〜」
拓実も少し照れくさそうに頭をかきながら、「あ、あの…今日、雨で部活できんけん、ちょっとお邪魔します…」
光子はすかさずツッコミ、「そげん、優子に会いに来たんちゃうとね?正直に言いんしゃい!」
優子は顔を真っ赤にしながらも、くすくす笑って「も〜、光子うるさいっちゃもん」と返す。
こうして、雨の日の部室には、少し甘酸っぱい空気と、笑いの混ざった時間が流れ始める。
部室の片隅で、優子はソフトテニス部で鍛えた拓実の体つきをちらりと見ながら、落語のアイデアを思いつく。
「優子:あんたのその巧みな…間違い、拓実な動き、落語のネタにせんといかんやん!」
光子もすかさず乗っかる。
「光子:そうそう、次の高座は“拓実、巧み間違えてオリンピック目指す男”ってやつにするっちゃ!」
拓実は少し戸惑いながらも、にやりと笑う。
「拓実:え、俺がネタの主人公っちゃね?なんか照れるばい…」
優子は笑いながら、「でも、そのまま練習風景を吹き込んだら、観客も笑いながら応援したくなるっちゃね」と言う。
光子は拍手しながら、「よし、タイトルは“巧み間違い拓実の大冒険”!これでオリンピック目指すネタや〜!」
こうして、双子の発想は現実の人物をユーモアに変え、落語ネタとして昇華されていく。
落語研究会の部室には、梅雨空の外とは裏腹に、元気な笑い声が響く。光子が高座に上がると、すぐにネタの口上を始めた。
「みなさん、今日はちょっと変わったオリンピック物語ばい!主人公は、うちの拓実くん。ソフトテニスから本格テニスに転身したばい!」
客席の優子も笑顔で補足する。
「そんでね、拓実くん、ボール打つたびにスライス間違えたり、スマッシュのつもりがネットにポチャン!ばい!まさに『巧み間違い拓実』!」
光子が扇子でリズムを取りながら身振り手振り。テニスラケットの動きを手で再現し、思わず観客が吹き出す。
「でも拓実くん、諦めんと毎日練習ば続けよると!それに応援するのは、うちら落語研究会の女子チーム!『がんばれ〜!そのボール、オリンピック目指せ〜!』って、変な応援ばしよると!」
優子は拓実の驚いた表情を真似しながら、さらに場を盛り上げる。
「そんでね、とうとう大会の日。拓実くん、またもやスマッシュ失敗。けど、逆にそれが相手の頭に当たって勝っちゃうっちゃけん!これぞ奇跡のドタバタオリンピックばい!」
観客席から大笑いが起こる。光子と優子はお互いに顔を見合わせ、にっこり笑う。
「まあ、拓実くんは本気でオリンピック目指しよるけど、うちらのネタでは、失敗も全部笑いに変わるっちゃけん、見とってね!」
こうして、「巧み間違い拓実のドタバタオリンピック」は、落語研究会の中で伝説のギャグネタとなる。失敗と努力と笑いが入り混じった、双子流のユーモアあふれる物語ばい。
拓実が少し照れながら首をかしげる。
「俺、オリンピック目指すと…?」
優馬はにこりと笑いながら、大きく手を広げて言う。
「夢はでっかく、大きくもて〜!そして、四大大会ば目指せ〜!」
光子と優子は手を叩いて大笑いしながら、拓実の頭を軽く叩く。
「そげん本気にならんでよかばってん、ネタにはもってこいばい!」
拓実は赤くなりつつも、なんだか背中を押された気分になり、心の中で小さくガッツポーズ。双子ちゃんの笑い声と優馬の応援が、梅雨空の曇りを吹き飛ばすようだった。
太陽が少し傾き始めた午後、観客席には歓声が渦巻く。センターコートに立つ拓実の顔は、かつての少年の面影を残しつつも、逞しさと自信に満ちていた。ラケットを握る手の力強さ、足取りの軽やかさ。全てが10年の努力の結晶だ。
観客席の一角、光子と優子は息を呑む。あの頃、落語研究会で「拓実、オリンピック目指せ〜!」と大笑いしながらネタにしていたあの夢が、今まさに現実となって目の前に立っているのだ。二人は手をぎゅっと握り合い、目に涙を浮かべる。
「わぁ…あの落語ネタ、ほんとになっとー…!」優子の声は、興奮と驚きで震えていた。
「そげんよ、拓実、あの時の夢ばホントに掴んだとね…」光子も小さく頷きながら言う。その瞳には、少年時代の拓実とともに過ごした数々の思い出が映っている。雨の日の落語研究会、汗まみれで自転車を漕いでいたあの日々、双子ちゃんと翼、拓実と一緒に過ごした無邪気な日常…。
拓実は相手選手を見据え、一瞬の静寂の中で息を整える。コートに響くラケットの音、ボールが跳ねる音、観客の鼓動までもが一つに重なる。心の中で、あの落語ネタの掛け声がふと蘇る。「夢はでっかく、四大大会目指せ〜!」
試合が始まると、拓実の動きは流れるようで、まるで風のように自在にコートを駆け巡った。観客席の双子ちゃんは、息を飲みながらも、時折思わず声を上げて笑ってしまう。あの時のドタバタ落語の光景と、今の緊張感が頭の中で不思議に重なり合うのだ。
ラリーが続くたびに、拓実の目には強い意志が宿る。過去の自分、仲間、そして夢を支えてくれた人々の顔が浮かび、体の隅々まで力が漲る。光子と優子は胸を熱くしながら、彼の姿を見つめる。
最後のポイント。拓実のラケットがボールを捉え、鋭くコートに叩きつけられる。相手のラケットには届かず、勝利の判定音が響く。歓声がスタジアムを揺るがす中、拓実は息を切らしながらも、力強くガッツポーズを作った。
観客席の光子と優子は、抱き合いながら涙を流す。笑顔と感動が交錯する。双子ちゃんの目には、少年時代の思い出が鮮明に蘇り、同時に未来へ向かう希望が輝いている。あの落語ネタは、ただの笑い話ではなく、拓実の夢を現実に導いた“魔法”だったのだ。
「拓実、すごかよ…!」光子の声が震える。
「うん、あの時の落語、ほんとに現実になったっちゃね…!」優子も涙をぬぐいながら言う。
試合後、拓実はスタンドに向かって手を振る。その笑顔は少年の頃と同じ無邪気さを持ちつつ、確実にオリンピック決勝に立つ大人の誇りを湛えていた。光子と優子は、心の中でそっと呟く。「あのドタバタ落語、間違いなく僕たちの青春の宝物やね…」
コートに差し込む夕陽は、拓実と双子ちゃん、そして夢の記憶を優しく照らしていた。
海外での卓球国際大会団体戦、観客席には熱気と歓声が渦巻く。日本チームは見事な連携で対戦相手を圧倒し、ついに優勝が決まった。
優勝が決まった瞬間、翼は拳を高く突き上げ、チームメイトと喜びを分かち合う。そしてふと、遠くの観客席に目を向けた。そこには、妻となった光子の姿があった。光子は目を輝かせ、手を振っている。
試合後のインタビューで翼は、真っ先に光子の名前を口にした。
「光子、ずっと支えてくれてありがとう。そして、家族や仲間、特に妻として支えてくれた美津子にも感謝します」
光子は思わず涙を浮かべ、照れ笑いをする。
「もう、照れるじゃん…」
優勝の喜びと感謝の気持ちが交錯する中、光子は翼のほっぺにそっとキスをした。周囲からも祝福の拍手が湧き、翼は笑顔で光子を抱き寄せる。
翼の勝利は、ただの競技の成果ではない。支えてくれた人々の思い、努力、そして光子との絆が結実した瞬間でもあった。光子も、喜びと愛情を噛みしめながら、夫の背中をそっと撫でた。
その日、二人の胸には、競技の勝利以上に、互いを信じ支え合った日々の輝きが刻まれていた。
表彰式が終わり、報道陣やファンの拍手が少し落ち着いた頃、翼と光子の間に、あの“お約束のボケツッコミ”の空気がふと漂った。
「ねぇ、翼…ほんとに優勝したんやね?あんた、ほんとは卓球板で卓球してただけやろ?」
光子が片目をつぶりながら、ニヤリと小悪魔笑い。
翼は一瞬たじろぐが、すぐに笑顔で応戦。
「おい、光子!今なんてこと言うとんの?俺の努力を軽く見よるね?」
光子は両手を広げて大げさに身をのけぞらせる。
「軽く見よるんちゃうよ、ただ笑いのネタにせんといかんやったけん!」
そのやり取りを見ていた取材陣やファンも、つい吹き出してしまう。
翼はまんまと光子のボケに乗せられた形になったが、今ではそのツッコミに笑いながら応じる余裕がある。
そして横を見ると、優子も拓実に向かって同じようなことを仕掛ける。
「拓実、ほんとにオリンピック目指すって言ったと?テニスボール、踏んで遊んでたんちゃうん?」
拓実は真っ赤になりつつも、
「そ、それは昔の話や!今は本気やけん!」と必死に反論。
二人の掛け合いに、周囲からも笑い声が湧き、かつて中学で繰り広げられた“ラッキーすけべ事件”を思い出させる、あの絶妙なテンポのボケツッコミがここでも炸裂していた。
光子と優子によって鍛えられたボケのスキルは、今や翼や拓実もタジタジにするほどの完成度。スポーツでの輝きと、日常での爆笑のスキル、二つを兼ね備えた大人の姿がそこにあった。
まだ10年後の未来のことなんて、光子も優子も翼も拓実も、想像もつかない頃のこと。雨の降る午後、校舎を出たところで、枝光さくら先輩がニヤリと笑いながら声をかけてきた。
「なかなかお似合いじゃね、優子ちゃんと拓実くん。」
優子は顔を赤らめながらも、少し照れ笑い。
「えー、せ、先輩…そ、そうですか…?」
拓実も目をそらしつつ、つい笑ってしまう。相合傘の中で、二人の距離は自然と近くなる。
一方、光子と翼は卓球の練習を終え、並んで帰る途中。
「翼、今日のサーブ、ちょっと変やったけど、大丈夫やった?」
「おう、光子のツッコミのおかげで助かったばい!」
そして四人が合流するや否や、雨の中でも止まらないのが、双子ちゃんたちのボケツッコミ。
「ほらほら、拓実!そのラケット、まだ傘に持ち替えてへんやろ?」
「いやいや、俺は雨で滑るボール対策しとるっちゃけん!」
光子も加わって、
「翼〜、さっきのサーブ、卓球ボールじゃなくて空気投げたやろ〜!」
「おい、光子!空気にも力入れとるとたい!」
雨に濡れながらも、笑いが絶えない四人。ボケとツッコミが次々と飛び交い、通りすがりの人も思わずクスリ。
まだ未来の栄光も、オリンピックも、国際大会も知らない、この中学一年生の四人。でも、その日々の笑いの積み重ねこそが、後に大人になっても変わらぬ絆を作る、大切な時間になるのだった。




