本番まで1ヶ月。そして、ちびアーティスト?
本番に向けて
放課後の音楽室。黒板の端に貼られたカレンダーには赤ペンで大きく「県大会まであと30日」と書かれている。譜面台の海、金属の匂い、湿ったリードの甘い香り。メトロノームが76を刻み、顧問の先生が棒を上げる。
課題曲のトレモロ、自由曲の金管ファンファーレ、木管の受け渡し。集中は張りつめ、誰もが一音先の未来を睨んでいた。
休憩の合図。全体に安堵が走るより早く、部長の光子がスティック袋をマイクに見立てて前へ。副部長の優子が拍手を煽る。
「みなさーん!本日の“緊張ほぐしタイム”、始まるけん!」(光子)
「チューニングB♭で震えとう喉には、“笑いの腹式呼吸”が効くとよ〜!」(優子)
部員からくすくす笑いが漏れる。
「まずは自己申告。今ドキドキしすぎて、ミュートより固まっとう人、手ぇ挙げて!」(光子)
「はい、サックス隊〜、大丈夫?リード、味噌汁に浸しすぎとらん?」(優子)
サックスのテナー席からアキラが手を上げ、リードケースを掲げて見せる。「薄口だよ」のジェスチャーに笑いが起きる。
光子が腰に手を当てて宣言する。
「光の戦士、緊張バスター・モード突入!」
優子が続ける。
「やさしか子は“癒やしのブレス”放出するけん、吸って吸って〜」
ふたりはお腹を触りながら、部員と一緒に「はっ、はっ、ふ〜」と3拍吸って5拍吐くリズムを作る。
「いまから“め・ん・た・い・こ”カウントで16分の粒をそろえる練習やけん。はい、口を“め”にして……」(光子)
「“め・ん・た・い・こ”×4小節、そいで“う・にゃ・だ・ら・ぱ〜”で脱力スイッチ入れるばい!」(優子)
「うにゃだらぱ〜」のところで全員の肩がふっと落ち、口角だけが勝手に上がる。打楽器のスネアが“めんたいこ”の刻みで軽くシズルを入れ、木管の舌が粒立ちに乗る。顧問の先生は腕を組んで、目だけ笑っている。
「次、“怒られんチューニング講座”。いま不安な人〜?」(光子)
数人が手を挙げる。
「大丈夫、大丈夫。自分の音だけ聴かんで、ドローン(基準音)に包まれてごらん。音は“合わせる”やなくて“溶ける”んよ。」(優子)
光子がチューナーアプリで低いB♭のドローンを鳴らす。金管はマウスピースだけで同じ高さをホゥと作り、木管は指を置いたまま息の角度を調整する。
「はい、ピタッと来た人、眉毛が勝手に下がる感覚、わかる?」(光子)
「それそれ。今の“眉毛チューニング”が正解やけん」(優子)
笑いと“なるほど”が同時に広がる。
二回目の通し。冒頭のストリング・ライクな木管が、さっきより柔らかく空間に乗った。トランペットのハイトーンは角が取れて、トロンボーンの和音が床に根を張る。テンポが走りそうになる箇所で顧問の棒が止まる。全員が固まった瞬間、光子がすっと前へ。
「いま“心が先に走る病”が発症しとる。対処法は“拍の前にカメラ置く”。自分の前に見えんカメラ置いとると思って、そこを“じーっ”て見てから弾いて?」(光子)
「それと、走りやすい人は足の小指、床につけとって。親指ばっか意識すると前のめりになるけんね〜」(優子)
三回目。走りは消え、受け渡しはぴたりと噛み合った。
小休止。優子が譜面台の影から、使い込まれたタンバリンを取り出す。
「ここで“メンタル筋トレ・30秒コント”。テーマは『本番で譜面がめくれん時の顔』」
光子が即座に“凍り笑顔”、優子が“悟りスマイル”。
「この顔しとけば客席は“あ、演出やね”って思うけん!」(光子)
「でもほんとは、クリップ増やしとこね〜!」(優子)
爆笑。顧問の先生が咳払い一つ。
「……はい、良い空気。じゃあ、その空気のまま自由曲、頭から。」
自由曲の中間部。サックスのソリは、午前中まで硬かった音色が嘘のようにたおやかに混ざる。アキラのテナーが、ほんの少しのビブラートでハーモニーを抱きしめる。クラリネットのリップスラーが、さっきの“眉毛チューニング”の感覚を保っている。金管のサスティンは笑いで緩んだ喉のおかげか、息がよく流れた。
終わりのクレッシェンド。木管が花弁のように開き、打楽器が光を撒く。最後の一拍が空に浮かび、静けさがふっと降りた。
誰からともなく小さな拍手が起き、すぐに教室いっぱいの拍手になる。顧問の先生が棒を下ろしたまま、短く言う。
「いまの“ほぐして締める”は、全国でも通用する。」
光子が振り返る。
「みんな、いける。だって、うちらは“笑って合わせる大名行列”やけん!」
優子が手をひらひらさせる。
「でも、鼻からスポドリ噴射は絶対禁止やけん!音程ずれるけんね!」
「そこは絶対やね!」(一同)
最後のセクション練。光子は打楽器と金管のテンポのハブに入り、メトロノームを“裏拍だけ”に切り替えて配る。優子は木管の呼吸の受け渡しを“目線で始める”ルールに統一する。
「“目で合わせて、耳で溶けて、体で歌う”よ!」(優子)
「合言葉は“め・ん・た・い・こ、う・にゃ・だ・ら・ぱ〜”。はい、笑って〜吸って〜鳴らす!」(光子)
夜、窓の外は藍色に沈み、部室の明かりだけが白く残る。片付けの手は軽い。今日の通しの最後の余韻が、誰の胸にもまだ温かいまま残っていた。
扉を閉める直前、光子がそっと言う。
「みんなで勝ちに行くっちゃ。音で。“福高の音”で。」
優子がうなずき、柔らかく笑う。
「うちらが緊張ば笑いに変えるけん。心配せんでついてきんしゃい。」
そしてまた、明日のメトロノームが、静かに前へと針を進めた。
春介と春海のやらかし
――福岡高校吹奏楽部の熱気冷めやらぬまま、帰宅後の小倉家ではいつもの「ギャグタイム」が幕を開ける。
リビングのテーブルに楽譜とマウスピースを置いたところで、美香のスマホが鳴る。画面に映るのは春介と春海。
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帰宅後のギャグタイム(修正版:ママ=美香)
(福岡高・吹部練の熱気を連れて帰宅。光子と優子、ソファにどさっと座る)
美香のスマホにビデオ通話がつながり、画面いっぱいに春介&春海。
春介&春海:「みちゅこおねえしゃん、ゆーこおねえしゃん!おかえりー!」
光子:「ただいま〜!二人とも、いい子にしとった?」
優子:「なんかキラキラしとるけど……やらかし済みフェイス?」
春介:「きょーね!**おかあしゃん(=美香)**の“あかいクレヨン”で、おえかきちた〜!」
春海:「いっぱい、かいた〜!まっかっか〜!」
光子:「……あかいクレヨン?ひょっとして楽譜チェック用の“禁断の赤”やない?」
優子:「おかあしゃん呼んで〜。“犯行声明”聞かせて〜」
(カメラがスライド。家の向こうから美香登場、ほほに赤いスジ)
美香:「もしもし〜。はい、お母さん=美香です……油断しとったらね、やられた〜」
光子:「リビング、まっかっか?」
美香:「壁・床・ちゃぶ台・私のほっぺ……モダンアート展、開催中。」
優子:「題『赤クレヨン交響曲 ハ長調“真っ赤な休符”』で決まりやね」
美香:「題名つけんでよかっ!このあと“雑巾スケルツォ”やけん!」
春介:「みてみて!アンパンマン!」
春海:「うちは“おかあしゃん”!」
光子:「……ママ、口紅レベルでベタ塗りされとる!」
優子:「それ“ff”やね。音量最大のやつ」
美香:「お肌までクレッシェンドせんでよか!」
(カメラが部屋をパン。壁一面に力強い赤のライン)
光子:「ラインが走っとる……“走るテンポ”の可視化や!」
優子:「今日の合奏で走ったとこ、ここに全部描いてくれたんかもしれん」
美香:「前向きやけど現実逃避やね!」
春介:「おかあしゃん、そうじごっこしよ〜!」
春海:「ぞーきん、しゃっしゃっ!」
美香:「よし、“四分休符で拭く、八分でしぼる”リズム練や!」
光子:「さすがママ、教育的指導!」
優子:「明日、うちら楽器用クロス持って助っ人清掃隊で行くけん」
美香:「助かる〜。でもまずは反省会。“赤クレヨンは隠す、ペンはキャップ、ママは油断せん”」
春介&春海:「はーい!(敬礼)」
光子:「よし、締めの合言葉いくよ。“め・ん・た・い・こ、う・にゃ・だ・ら・ぱ〜”」
全員:「うにゃ・だ・ら・ぱ〜〜〜(脱力)」
(画面の向こうで家族の笑い声。合奏後の緊張が、またひとつほどけていく)
ギャグコント台本『赤クレヨン交響曲』
登場人物
•光子(部長/ツッコミ)
•優子(副部長/ボケ)
•美香(春介・春海のママ/音大生/瞬間作詞家)
•春介(2歳/イタズラ全開)
•春海(2歳/癒やし+圧力姫)
小道具
•スマホ(ビデオ通話)
•赤クレヨン1本(※残量ほぼゼロ)
•雑巾多数(のちに“合奏”する)
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場面
放課後、合奏帰りの光子・優子。自宅リビング。美香宅とビデオ通話でつながる。
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シーン1「着信=事件の合図」
(♪着信音。光子がスマホに出る)
春介&春海(画面越し・同時):「みちゅこおねえしゃん、ゆーこおねえしゃん!おかえりー!」
光子:「ただいま〜。二人とも、よか子にしとった?」
優子(目を細めて):「その顔、なんか“やり切った感”出とうばい…?」
春介(ドヤ顔):「きょーね!おかあしゃんのあかいクレヨンで、おえかきちた〜!」
春海(満面):「まっかっか〜!どや〜!」
光子(素早くツッコミ指差し):「待った!赤クレヨンって、採点用の禁断の赤やろ!」
優子(カメラに顔寄せ):「ママ呼んで〜。“被害総額会見”始めるばい!」
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シーン2「現場検証」
(カメラがスライド、美香登場。ほっぺに赤い稲妻ライン)
美香:「もしもし〜。お母さん=美香です。…油断しとったら、アトリエ化した〜」
光子:「被害状況、どうなっとう?」
美香(指差し実況):「リビングの壁、走り書きレガート。床、トリル。ソファはクレッシェンドで真っ赤〜!」
優子:「題名は『赤クレヨン交響曲 ハ長調“真っ赤な休符”』で決まりやね」
美香(即ツッコミ):「題名いらんちゃ!まず**楽譜(壁紙)**戻さないかん!」
春介(自慢げに絵をアップ):「アンパンマン!」
春海(誇らしげ):「おかあしゃん!」
光子(爆笑):「ママ、チーク塗り忘れた人ぐらいのレベルやなか。戦国武将やん!」
優子:「こら“ffチーク”や。音量MAX」
美香(苦笑):「肌までクレッシェンドせんでよか!」
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シーン3「犯行の手口」
光子:「赤クレヨン、どこで見つけたと?」
春介(胸を張る):「ひみちゅのひみちゅの、ソファのした!」
春海(補足):「かくちとった〜。でも、みつけた〜」
優子(頷きながら名探偵口調):「つまり——“ママが隠す→春介が発見→春海が監督”。共同正犯やね?」
春海(親指グッ):「かんとく!」
美香:「監督堂々名乗らんでよか!」
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シーン4「教育は芸術だ(開き直り編)」
光子(前向き解釈):「でも線の走り方、テンポ走りのデータ化に見えるね。合奏の改善点、壁に可視化!」
優子:「あの斜めライン、クラリネットの入り早かったとこばい」
美香(両手で制す):「前向きやけど、現実逃避入りよる!」
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シーン5「掃除=合奏リハ」
美香(切り替え):「よし、“掃除も音楽”作戦いくよ!」
光子&優子:「来た!」
美香(指揮者モード):「四分拭き・八分絞り・休符で呼吸。テンポ76!はい——」
(BGMぽくメトロノームを口で刻む)
全員:「め・ん・た・い・こ、う・にゃ・だ・ら・ぱ〜(脱力)」
光子(雑巾を掲げ):「掃除パート、スネア担当行きます!」
優子(腰を落とし):「ホルンの低音で床磨き入るばい!」
春介:「ぞーきん、しゃっしゃっ!」
春海(監督棒をふる):「もっかい!はやく!おそい!」
美香(苦笑):「監督、容赦なか〜!」
(掃除が妙にそろってキレイになっていく)
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シーン6「まさかのアンコール」
春介(また赤を握る):「つぎ、“ばばば〜ん”かく〜!」
光子(即制止):「それは本物の譜面やけん、描いたら全国大会が現代アートになる!」
優子(やさしく取り上げ):「赤は“こころに塗る”やつ。ママのほっぺに“ちょいピッ”で満点やろ?」
春海(ふくれっ面):「ちょいぴ…(我慢)……ぴっ。」
美香(鏡を見て):「うん、今日はmfチークで行こ。」
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ラストシーン「本番前の決め台詞」
光子:「よし、後片付け完了!総括いくよ——」
優子(指を折りながら):「赤クレヨンは隠す、ペンはキャップ、テンポは落ち着く!」
美香(親指を立て):「笑って合わせるが福高流!」
春介&春海(敬礼):「あい!」
全員(コール&レスポンス):
光子:「合言葉——」
全員:「め・ん・た・い・こ!」
光子:「そして——」
全員:「う・にゃ・だ・ら・ぱ〜!」
(画面の向こうで笑いと拍手。メトロノームの針が、また“前へ”進む)
——終。
ギャグコント台本『お掃除応援救助隊:コードRED(非・音楽版)』
登場人物
•光子(隊長/ツッコミ)
•優子(副隊長/ボケ)
•美香(依頼者=ママ)
•春介(2歳・やらかし係)
•春海(2歳・監督気質)
小道具
スマホ、赤クレヨン(残り1mm)、雑巾、モップ、霧吹き、ゴミ袋、軍手、名札(「掃」「除」)
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シーン1「緊急コール」
(ピポピポ♪ 光子がスマホに出る)
春介&春海(画面):「みちゅこおねえしゃん、ゆーこおねえしゃん!たすけてー!」
光子:「どうしたとね!?」
優子(名札「除」を付ける):「これは…ただならぬ“赤の気配”ばい…」
美香(画面に登場・ほっぺに赤スジ): 「壁も床も、トマト祭りみたいになっとる〜!」
光子:「出動決定!“お掃除応援救助隊”いきます!」
優子:「合言葉——め・ん・た・い・こ!」
二人:「う・にゃ・だ・ら・ぱ〜!(気合)」
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シーン2「現場到着」
(画面越しに室内。壁に赤い線)
光子(腕組み):「予想以上に本格的やね」
優子(メジャーを当てるフリ):「被害総距離、だいたい“春介3歩+春海2ジャンプ”」
美香:「単位が独特すぎる!」
春介:「ぼくがかいしゃ(会社)…じゃなくて“かいしゃ(描いちゃ)った”!」
春海(腕組み): 「しっかりやって、きれいにして」
光子:「監督の圧、強っ!」
優子:「まずは現場保存…じゃなくて、写真撮っとこ。この顔で」
(全員、変顔で自撮り→シリアスからの急な変顔で笑い)
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シーン3「作戦開始」
光子:「役割分担!私は壁、優子は床、美香は留守番…」
美香:「なんで私が留守番!?」
優子: 「じゃあママはおかし支給係。隊の生命線やけん」
美香:「大事な役やん…了解!」
光子(雑巾を掲げ):「基本動作は“しゃっしゃ・ギュッ・ポイ”。リズムは自由。気持ちで乗り切る!」
優子(モップで構える):「了解!“モップスライディング”発動!」
(スチャッと滑って派手にこける)
光子:「早速コケとるやん!」
優子(親指を立てる):「安全確認…よし!(小声)」
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シーン4「赤クレヨン怪人」
(カーテンの影から、赤い布をまとった“クレヨン怪人”役=春介が出てくる)
怪人・春介:「はっはっはー!赤は正義!世界を真っ赤に染め上げるのだー!」
光子:「出た!本人やん!」
優子(霧吹きシュッ): 「正義も乾いたら落ちるんよ〜」
怪人・春介:「あ、しみこむしみこむ!弱点水分やった!」
春海(監督イスから): 「そこ、もう一回!」
(霧吹き&拭き拭きの連携で赤が薄くなる)
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シーン5「予想外の犯人その2」
(ふと見ると、ソファに新たな赤線)
光子:「誰!?今ついたやろ!」
優子(周囲をキョロキョロ):「まさか…“見えない犯人”?」
春海(口の端に赤、こっそりクレヨンを背中に)
光子(見抜く): 「監督、背中!」
春海(固まる):「……ちょいぴ。」
美香:「“ちょいぴ”の量じゃない!」
優子(優しく没収): 「クレヨンは紙限定。壁は“白のまま派”で行こう〜」
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シーン6「応援タイム」
美香:「がんばれがんばれ、救助隊〜!」
春介・春海(手拍子): 「しゃっしゃ!ギュッ!ポイ!」
光子(ノって拭く): 「しゃっしゃ!」
優子: 「ギュッ!」
三人同時:「ポーーーイ!(ゴミ袋にIN)」
(妙に気持ちいいシンクロでわーっと笑い)
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シーン7「安全講習(超簡易)」
光子(指で3を作る):「覚えとって。赤クレヨン三か条!
①使うのは紙!
②終わったらフタ!
③隠されとったら今日は休み!」
春介&春海:「はいっ!」
優子(補足): 「あと、ママのほっぺは“塗装不可”。チークはママの裁量!」
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シーン8「任務完了」
(壁がきれいに。床もピカピカ)
美香(感動): 「すごい…ほんと助かった!」
春介(胸を張る):「ぼく、こんどノートにかく!」
春海: 「えらい」
光子:「それが正解!」
優子:「じゃ、隊からの請求書——笑顔100枚でお願いします」
美香(満面): 「払います!」
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ラスト「コール&レスポンス」
光子:「合図いくよ〜!」
全員:「め・ん・た・い・こ!」
光子:「そして——」
全員:「う・にゃ・だ・ら・ぱ〜!」
(ポーズを決めて終了)
——終。
タイトル:お掃除応援救助隊、501号室に突入す
タイトル:親に内緒で501号室直行 → 通信簿オール叱
光子と優子は、501号室のインターホンを押す直前にようやく気づいた。
——親に連絡、してない。
「……やらかしとるやん」
「既読スルーどころか、未読どころか、連絡ゼロ」
その瞬間、家族グルチャが爆発したみたいに通知が鳴った。
〈優馬:おい、今どこ?〉
〈美鈴:あんたたち一体どこにおると!〉
〈優馬:既読つけ!〉
〈美鈴:今すぐ!〉
〈優馬:即や!〉
〈美鈴:はよ!!〉
「うわ、連打やん……」
「はいはい、電話、電話!」
スピーカーにすると、二人同時にド迫力ボイスが来た。
「もう、あんたたち、一体どこにいるの!」
光子、腰を九十度に折る勢いで謝る。
「あぁ、ごめんごめん! いまね——お姉ちゃんちがね、ものすごいアートになっとったから、掃除手伝いに来とる。美香ん家のマンション」
優子も被せる。
「501号室やけん、安心して。警備員さんにもニコってしたけん、合法!」
電話の向こうで、深い深い溜息が二重奏になって聞こえた。
「……“アート”って、壁に?」(美鈴)
「“合法”の使い方まちごうとる」(優馬)
光子はスマホをくるっと反転、現場の赤い線だらけの壁を見せる。
「はい、こちら“リビング美術館”。犯人は小さき芸術家二名」
画面端から、春介と春海が「ピース!」と飛び込んでくる。
「おねえしゃん!」
「ぴと!」(くっつく音まで可愛い)
電話の向こうでしばし沈黙。
からの、美鈴の声が柔らかくなる。
「……無事ならよか。先に言いんしゃい、心配するやろ」
優馬は咳払いして、急に父親ぶる。
「よし。父さんが現場指揮を——」
そこでドアが開いて、アキラが帰ってきた。
「ただいま……うわアート……」
光子、電話に戻って報告。
「援軍来た。アキラ兄ちゃん」
優馬:「よしアキラくん、バケツ三つ、雑巾大量、おやつ無限や。あと精神安定剤としてプリン」
美鈴:「プリンは父さんの分やろうが!」
受話口の向こうで、冷蔵庫の開閉音がした(たぶん幻聴)。
美鈴の声がふたたびキリッとなる。
「いいね、手伝いは助かる。でも門限守りなさい。暗くなる前に帰ってくること。帰り自転車飛ばしすぎんこと。わかった?」
「はい!」(光子・優子・アキラまでつられて返事)
春介が首をかしげてマイクに顔を寄せる。
「ぼく、ようぎちゃ?」
電話の向こうで一瞬の間。
次の瞬間、美鈴が吹き出した。
「“容疑者”やなくて“ようぎちゃん”て!可愛いか!」
優馬も笑いながら降参。
「……判決。執行猶予・無期限」
春海がすかさず胸を張る。
「わたし、かんとく」
美鈴:「主犯格の肩書つけんでよか!」
通話はそのままリモート応援に移行した。
「そこ、丸いのは円を描くように拭くんよ」(美鈴)
「端っこは新聞紙で押しブチブチが効くぞ」(優馬)
「父さん、それ“押しブチブチ”って何語ね」
「勢いや!」
清掃が進むにつれ、電話の向こうの声も穏やかになっていく。
やがて、白い壁が戻ってきたタイミングで、美鈴の最終チェック。
「よし、合格。写真送って」
「ビフォー・アフター送りまーす」
(カシャ、送信。既読が秒でつく)
〈美鈴:新築みたいやね。ありがと〉
〈優馬:施工会社名 “姉妹工務店” で請求書出しといて〉
〈美鈴:うちは笑顔100枚払いで〉
〈優馬:あとプリン3個〉
〈美鈴:自分のやろ!〉
電話を切る直前、光子が真面目モードで一言。
「心配させてごめん。次から先に言うけん」
優子も続ける。
「でもさ、困っとる時はすぐ行くけん。うちらそういう姉妹やけん」
受話口の向こうで、二人の親の息が少しだけ揃う。
「うん。ほんと頼もしくなったね」(美鈴)
「帰り、前見て漕げよ。鼻からスポドリ噴射は禁止」(優馬)
「そこは一生禁止」
通話終了。
玄関で靴を履きながら、光子と優子は顔を見合わせてニヤリ。
「親には内緒で突撃したけど——」
「最後は家族全員で片付けた感じやね」
エレベーターの鏡に映る自分たちは、来た時よりちょっとだけ大人びて見えた。
マンションを出ると、夕方の風。ハンドルを握る手に、ほんのり洗剤の匂い。
「帰り、コンビニでめんたいこおにぎり買ってこ」
「うちらの合言葉、商品化しとるやん」
二人は笑って、ペダルを踏み出した。
——赤い“アート”の一件は、ちゃんと白い壁と、家族の連続既読で、きれいに締まった。




