ささやきの距離
ささやきの距離
川沿いのベンチ。水面に街灯が揺れて、風が前髪をすこしだけ乱す。
光子は、掌のあたたかさを確かめるみたいに膝の上で指を組んだ。
「……ね、つばさ」
呼びかける声は、半分だけ風に混ざって小さくなる。
「ほんとはね——唇に、やさしくキスしてほしい。ぎゅって、抱きしめてほしい」
翼は驚いた顔をして、そして笑ってうなずいた。
「うん。してもいい?」
光子も、同じ速さでうなずく。
距離は、ひと息ぶん。
額に落としていた“ぽん”より、少しだけ深い合図。
触れたのは、一瞬。やさしい音もしない、羽みたいなキス。
抱きしめられた肩に、川風の冷たさがふわりと消えた。
「ありがとう」
光子が耳元で言うと、翼は「こっちこそ」と小さく返す。
言葉はそれ以上いらなくて、夜はゆっくり進んだ。
――――
図書館の裏庭。ベンチの上に重ねたノートが、風で端だけめくれる。
優子は拓実の袖を、猫のようにちょん、とつまんだ。
「たく」
呼ばれて、拓実が顔を上げる。
「……ほんとは、ぎゅってしてほしい。やさしく、キスも」
「いい?」
「うん」
拓実の手が、肩へ。力は入れすぎない。
胸元に落ちた体温が、勉強で張っていた背中のこわばりをほどいていく。
視線がかさなって、ほんの短いキス。
それだけで、ページに散らばっていた文字が、少し読みやすくなる気がした。
「だいじょうぶ?」
「だいじょうぶ。ありがと」
二人はノートを閉じて、少しだけ空を見た。
雲が切れて、星が一つ、増えたみたいだった。
ゴールデンウィークの手応え
校舎は連休の静けさに包まれているのに、吹部の部室だけは別世界だった。
譜面台が並び、リードの香りとスライドオイルの匂い。メトロノームが「こと、こと」と歩き出す。
「はい、部長ミーティング3分いくばい。今日の合奏ポイント、朝イチで共有するよ」
優子がホワイトボードに三行だけ書く。
1)山場前のクレッシェンドは“がまん”優先
2)静寂パートは息の温度を合わせる
3)ラスト8小節はリズム隊が地面役
「うちからは金管のロングトーン、E♭の当たりをもう一段やね」
光子が短く付け加える。各パートリーダーがうなずいて散っていく。
「行ってらっしゃい。戻りは10:40。録音で確認してから合奏入るけん」
⸻
午前はパート練。
木管はチューナーを伏せて、**“耳だけ”**でハモりを探す遊び。
「今の三度、甘か。息の角度ちょい上」
「お、今の響き、窓が開いた感じした!」
金管は八分音符のラインをタンギング最小でつなぐ練習。
「鳴らす前に置く。息の置き場所がそろえば、音は勝手にそろうけん」
低音陣が土台を作ると、上のハーモニーがふっと楽になる。
打楽器はマレット選びから。
「山場の前は硬め→柔らかめで色替えしよ」
「バスドラは真ん中外して、空気だけ鳴らすイメージで」
10:40、集合。
「録るよー。本番一発のつもりで」
再生ボタンを押すと、みんなの背中が自然と前のめりになる。
中間の山場、クレッシェンドの前にためができ、静寂では誰も動かない。
ラスト8小節で、低音が床を作り、木管がそっと灯りをともす。
音が消えて、数拍の空白——そのあと、小さく拍手が起きた。
「戦える音になってきたね」
前原先生が穏やかに笑う。「今のpp、海みたいに広かったよ。あとは体力と集中の持久力を付ける。休みの間も短い基礎は毎日ね」
「了解です。じゃあ午後はセクション→合奏。木管は“息の温度”、金管は“置く”徹底、打楽器は“色替え”のタイミング印つけよ。——いこっか!」
⸻
午後の合奏。
優子のスティックが軽くカウントを刻む。「いち、に、さん——」
音が立ち上がり、天井へ、窓の外へ、校庭の風へつながっていく。
さっきまでメモだった言葉が、今は音で通じる。声の掬い上げも、情報の展開も、ちゃんと落とし込めている手応え。
休憩の廊下で、健斗がペットボトルを傾けながら言う。
「先輩、あのクレッシェンド前の“がまん”、めっちゃ効きますね」
「やろ?出さん音も音楽やけん」
光子が笑うと、健斗も照れたように笑い返す。
夕方、最後の通し。
ラストの和音が決まり、余韻が壁にすっと吸い込まれる。
前原先生がバトンを下ろすのに合わせて、空気がやわらかく座った。
「今日の連休メニュー、これで〆。各パート、30秒だけ良かったところ言って帰ろうか」
褒め言葉がポンポン出て、笑いが混じる。
「じゃ、終礼。明日は各自基礎だけ15分。ゼリーは冷蔵庫へ、洗濯機には入れんごと!」
部屋がどっと湧く。「それ大事〜!」
⸻
校門を出るころには、空が少しだけ金色だった。
「優ちゃん、ほんと形になってきたね」
「うん。積み上げが音に出とる。この調子でもう一段いこ」
二人で自転車にまたがる。
ペダルを踏む足は軽い。胸の中は、それ以上に軽かった。
コンクールまでの道のりが、まっすぐではなくても、確かに音でつながって見えた。
テニスコートで“ぽかーん”応援
ゴールデンウィークの陽射しが、フェンスの影をくっきり落としていた。
光子と優子は、手づくりの応援うちわを抱えて福岡大学のテニスコートへ。
うちわには「つばさ:サーブはアート/ゼリーは冷蔵庫」の文字。
(下の小さい行に「※洗濯機に入れるな」と添えてあるのが、じわじわ来る。)
入口で係員に止められる。
「鳴り物はご遠慮くださ—」
「大丈夫です、体内メトロノームです」
優子が胸をトントン。係員が微笑んで通してくれる。なんか勝った気がした。
コートサイドは、スポーツドリンクの匂いと、シューズが砂を蹴るシャリッという音。
ウォームアップ中の翼と目が合った。光子、眉で小さく合図。
(家内条例に基づきソフト運用)
片目ちょいウィンク、指で小さなハート。
翼は、口の形だけで「被弾」と言った。うっかり胸が軽くなる。
「ほら優ちゃん、実況席いくばい」
ベンチの端、二人はレジャーシートを敷いて“脳内放送”を開始。
———
《実況:優子》「ゴールデンウィーク杯、市内大学対抗戦。主審の『プレー!』の声、今、風に負けました」
《解説:光子》「風速1.7、今日のドロップは重力とお友だちですね」
《実況》「福大・翼選手のサーブ。彼女席からの不可視ビームが入電中」
《解説》「あれはソフトぽん。効能は迷い−30、肩の力−20」
———
背後の一年生がクスクス笑ってる。気にしない。むしろ上げていく。
第1ゲーム、翼のサーブがズドンとセンターに決まり、エース。
「えっ、効き目早っ」
「即効性です」
控えめに手を叩く二人。手のひらがじんわり熱い。
中盤、相手のスマッシュがライン上に落ちた。線審が「アウト!」で揉める。
緊張が走った瞬間、優子のうちわの裏面(※“洗濯機に入れるな”)が風でバサーッと全開。
主審、思わず二度見。観客、ざわ…からのクスクス。
「す、すみません、家訓で……」
空気がちょっと柔らかくなる。結果、リプレー。助かった。
給水タイム、翼がタオルで顔を拭いてこちらに小さく手を上げる。
光子、声は出さずに口形だけで「ぷりんは冷蔵庫」。
翼、うなずき笑い。たぶんエネルギー値が20上がった。
隣では拓実が、応援タオルで日陰を作ってくれている。
「優ちゃん、お返しぽんいる?」
「いる(即答)」
拓実がサイレント・ウィンク。指ハートをすべらせる。
「被弾。生き返った。ありがと」
(※図書館裏公園で鍛えたプロトコルがここでも生きる)
終盤、6-6でタイブレーク。観客席の空気が固くなる。
光子と優子は視線だけでテンポを合わせた。
「行くよ、コール&レスポンス——」
二人(小声)「ぽん!」
翼(小声で)「ちゅ!」
一年生たち、意味はわからないけど元気になった顔をして拍手。
マッチポイント、翼のフォアが対角線を切り裂く。
白い球筋が、風の向こうへ突き抜けた。
——決まった。歓声がほどける。
光子、思わず両手を上げたまま半回転。砂でちょっとすべる。
優子、支えるふりしてツッコミ。「回すな車体!」
整列、礼。翼がこちらに歩いてくる。
「おつかれ—!」
「被弾のおかげ」と翼。
「こっちはぽかーん顔の供給ありがと」
帰り際、後輩が駆け寄ってきた。
「先輩、洗濯機うちわどこで買えますか!」
「非売品! 家訓なので!」
「家訓グッズ化、検討します!」
「やめなさい」
コートを離れると風がやさしかった。
屋台で焼きそばを分け合って、紙コップのスポドリで乾杯。
「勝利プリン買って帰ろ」
「冷蔵庫にね」
二人で同時に笑った。合言葉みたいに。
テニスコートのベンチ脇。二試合目の開始5分前。
翼がキャップをくいっと上げて、スポドリをゴクゴク——
「ぶふぉっ!!」
見事に鼻から噴射。虹色のミストが逆光にきらめく。
周り、一瞬の静寂→どよめき。
光子「ちょいちょい、つばさ!何しようと!?」
優子「鼻から噴射・第三弾、ここに完成でーす!」
(※第一弾:水/第二弾:お茶。新章突入)
翼はタオルで顔をごしごし。
翼「す、すまん……炭酸じゃないのに炭酸出た……」
相方選手「鼻のフィルターオーバーフローやん……」
審判が心配してタオルをもう一枚投げてくれる。
審判「次は口からお願いしますね」
ベンチ、ざわっと笑いが走る。
《実況・優子》「ここで出ました、鼻腔ブースト。効果は——?」
《解説・光子》「涙目+呼吸リセット。でもね、集中力は逆に上がると見た」
《実況》「さぁ、二試合目開始。鼻からは出さず、実力でいきましょう」
再開のサーブ。翼、深呼吸ひとつ——
さっきの恥ずかしさが、変な力を抜いてくれたらしい。
ズドンとセンターへ、エース。観客「おおーっ!」
ポイント間、光子が小声うなずき(サイレントぽん)。
優子が指で**“飲む→口”**のジェスチャー。翼、苦笑いで親指グッ。
終盤、相手のドロップに追いついて、クロスにきれいなカウンター。
ゲームセット。
握手のあと、翼がこっちへ来て頭をかく。
翼「反省:飲み物は鼻に入れない。成果:勝った」
光子「鼻に入れんごと、次回からストロー短めね」
優子「てか今日のハイライト、鼻からミストのレフ板効果やけん」
帰り際、後輩が寄ってくる。
後輩「先輩、第三弾拝見しました!あの瞬間で空気ほぐれました!」
翼「そこ褒めるな……。でも、ありがと」
ベンチの影が伸びる。
二人で片付けを手伝いながら、光子と優子が目を合わせて小さく笑った。
——本日の教訓:給水は口から。笑いは周りから。勝ちは自分から。
噴射三部作〈花→ミルク→スポドリ〉
第一章「桜のくしゃみ」
川沿いの並木道。風がふっと変わって、花びらが渦を巻いた。
「へっくち——ん!」
空気を吸い込みすぎた誰かさんの鼻先から、はらりと一枚、花びらが逆流。
光子が目を丸くして笑う。
「ちょ、鼻桜やん!」
優子も肩を震わせる。
「フローラル噴射、春限定ってやつね」
第二章「風呂上がりコーヒー牛乳」
湯上がりのキッチン。優馬が腰に手を当て、瓶の口をぐい。
「ぷはぁ——うま…っ、ぶふぁっ!」
コーヒー牛乳が、想定外のルートでスプリンクラー。
美鈴、即ツッコミ。
「鼻からカフェオレ出すな!」
光子と優子は拍手しながら判定。
「今の、芸術点9.2」「後片付け点は−5ね」
第三章「翼、試合前のミスト」
福大テニスコート、二試合目のベンチ。
翼がスポドリを豪快に——
「ぶほっ!!」
逆光にレインボーミスト。主審がタオルを投げ、観客席はくすくす。
光子「つばさ、何しようと!」
優子「はい出ました、鼻から噴射・第三弾完成〜」
そのあとのサーブはズドン。恥ずかしさが、変に効くこともある。
⸻
教訓(家内版)
1.春は吸い込み厳禁(花びらは見るだけ)。
2.風呂上がりは一気飲み禁止(鼻は通路ではない)。
3.試合前の給水は口からのみ(笑いは周囲から、勝ちは自分から)。
最後に美鈴が締める。
「はい、噴射三部作これにて完結。続編は出さない方向で!」
——と言いながら、家族の笑いの記録帳には、しっかり“第三弾:翼”の金文字が刻まれた。
ミストはショーで。まねはダメよ
リビングに即席コート。タオルをヘッドバンドみたいに巻いた光子が、ペットボトルを手に翼役。
優子は審判の白タオルを肩にかけ、実況係。観客席には春介とはるみ、ちょこん。
優子「ただいまより『鼻からスポドリ噴射再現ショー』開幕〜。※ちびっこはマネ禁止ばい!」
春介「しょー! しょー!」
春海「ぷしゅーみたーい!」
光子、ベンチふうに腰かけ、キャップをくいっと上げる。
「二試合目まえ…ごくごく……ぶほっ!!」
その瞬間、ソファの陰から優子が霧吹きで「シューッ」。
LEDライトに当たってきらきらミストが舞い上がる。
春介「わぁ〜!にじでた〜!」
春海「きらきら〜!ちゅーんもぷしゅー!」
優子「ダメ〜(手で×)。飲み物は口からだけ。これはショーのミストやけん!」
光子「ほんもんで鼻に入れたら痛かと。つばさも目うるうるなっとったけんね」
光子、タオルで顔をごしごし(演技)。
「反省:飲み物は口から。効果:はずかしさで集中+20」
優子「以上、再現終了!——じゃあ安全版しよっか」
テーブルに並ぶストローカップ(中身はお水)。
優子「合図でごくごく→ハイタッチ。鼻からはゼロ回!」
全員「さん、にー、いち——ごくごく!」
パァン!(ハイタッチ)
春介「かちまちた!」
春海「しょうりハイタッチ!」
最後に光子が春介の額へ、優子が春海の額へ、そっとおでこポン。
光子「これが応援技。ミストより効くっちゃん」
優子「うん。笑って、飲んで、安全第一。これでよか」
春介とはるみ、満足げにコテン。
リビングは、きらきらの余韻だけを残して静かになった。
(春介&春海の「なんで〜?」に、光子と優子がしゃがんで目線を合わせて)
優子「あのね、のどにはドア(※のどの上のほうの“フタ”)があって、ふつうは口→おなかにだけ飲み物が行くごとドアがピタッて閉まっとるとよ。」
光子「ばってん、つばさお兄ちゃん、一気飲みして笑ったっちゃろ? その一瞬、ドアが半開きになって、フッて息が出たけん、飲み物が鼻のほう(上)に逆走したと〜。」
優子「つまり——
•急いで飲む
•笑う/咳する/フゥッて息出す
•上向きすぎ
このどれかがあると、鼻ルートに迷い込みやすいっちゃん。」
光子「だからね、マネはぜったいダメ。鼻いたくなるけん。代わりに——」
出にくくするコツ(子ども版)
1.ちびちび飲む(一気飲みしない)
2.飲むあいだは笑わん・しゃべらん
3.顔はまっすぐ(上向きすぎない)
優子「合言葉は**『飲み物は口から、笑いはあとから』やね。」
光子「よし、今度は口からごくごく→ハイタッチ**で“しょうり”にしよ!」
てにしゅってなに?(おうち体験版)
リビング。春介とはるみが首をかしげる。
春介「てにしゅ?」
光子「テニスはね、ネットっていうロープの向こうとこっちで、ラケットでボールをポンッて打ち合うスポーツたい。ボールは一回だけバウンドOK、二回つくと相手の点〜」
優子「ラインの中に入ったらセーフ、外はアウト。かんたんバージョンは『相手コートに返せば勝ち』でヨシ!」
おうちミニ体験
•クッション=ネット
•紙皿+割りばし=ラケット(安全第一)
•ふわふわボール(丸めた靴下でもOK)
優子「じゃ、ぽんぽん大会! せーの——ぽんっ」
春海「ぽん〜!」
春介「かえった〜!」
(※家具に当てんごと、ゆっくりね)
「有名選手ってどんな人?」タブレットでプチ鑑賞会(解説つき)
•大坂なおみ:ドーン!って速いサーブ。コートのすみっこにズバッと決まる。
光子「“勇気のサーブ”やね」
•ロジャー・フェデラー:するする滑るみたいにスイッと打つ。スライスが絵みたいにきれい。
•ラファエル・ナダル:赤土のコートでぐるんスピン!「¡Vamos!」って叫ぶ情熱。
•ノバク・ジョコビッチ:どんなサーブも返す名人。鉄壁ってこういうこと。
•カルロス・アルカラス:ダッシュ!からのふわっとドロップ。「え、今の間に合う!?」って速さ。
•イガ・シフィオンテク:低い姿勢でスルスル動くフットワーク。コース取りが頭いい!
春介「つばしゃ、かったん?」
優子「うん、勝ったよ。がんばったけんね」
春海「はりゅみも、てにしゅする〜」
光子「まずはおうちぽんぽんから始めよ。外のコート行く日は、コーチと一緒にね」
最後にハイタッチ。
全員「がんばった〜!」「ぽん!」
(今日のやくそく:飲み物は口から/ラケットは周りを見てゆっくり)
本番 ― サンライズ連結組曲・初演
開演五分前。袖はしん…としとるのに、心臓だけドドドって鳴っとる。
優子「みっちゃん、息、吸って〜吐いて〜。ほら、笑顔スイッチ入れるばい」
光子「入りました。カチッ(自分で効果音)」
トランペット列の一年生がマウスピースを落としそうになって慌てると、チューバの下級生が小声で言う。
「先輩、落ち着いていきましょ。ウチら“低音の壁”で守りますけん」
優子「お、チューバとトランペットの喧嘩は本番後にして。今は同盟」
光子「“無限おかわり低音”頼むばい」
客席では、優馬と美鈴、アキラと美香、春介・春海、翼、拓実…みんな勢ぞろい。
春介「おねえしゃん、がんばれ〜(手をぶんぶん)」
春海「はりゅみも、ちっちゃい指揮者する〜(ペンライトふりふり)」
美鈴「ふたりとも、声ちょい小さめね」
優馬「(鼻の奥がつんとしながら)よし、泣かんぞ…たぶん」
照明が落ちる。A音がホールにほどける。
前原先生が舞台袖で親指を立てた。「楽しんでこーい。いつもの福高サウンドで!」
優子「いってきます!」
光子「いってきます!」
—
MC(光子&優子)
光子「本日はお越しいただき、ありがとうございます。福岡高校吹奏楽部です」
優子「きょう初演の曲は、うちらが旅で感じた音を、みんなで作り直した『サンライズ連結組曲』。夜行列車、海、温泉、そして…鳩。」
客席、ざわ…(笑い)。
光子「鳩は飛んできません。音だけ飛んできます」
優子「それでは、出発進行!」
—
サンライズ連結組曲
Ⅰ. 夜のホーム/発車(Allegro con brio)
小太鼓がレールの継ぎ目を刻み、クラリネットが青い夜気を描く。ホルンが“出発の和音”を高々と掲げると、トランペットが車掌のホイッスルみたいにシャキーン。
低音がゴウン、ゴウンと回り出し、列車は動き出す。
優子のスネア、迷いなし。光子のベースが床を這って客席の靴底まで震わせる。
(春介と春海、客席で小さく縦ノリ)
Ⅱ. 連結/岡山(Maestoso)
打楽器隊の“カチャン!”が、金具の嚙み合う瞬間を描く。金管重奏が重心を落とし、合体の重量感。
木管が上から光を差し、視界が開ける。ふたりの合図でダイナミクスがぐっと沈み、またふわっと浮く。
舞台袖の前原先生、にやり。「ええ抑揚」
Ⅲ. 瀬戸の朝と高松の麺(笑)/スケルツォ(Vivace)
フルートが朝の海風。サックスが橋脚の影。
そして中間部——ピッコロとE♭クラが鳩の足取りみたいなスキップを刻む。
小太鼓が“ポポッ”と合図すると、全員でちょいニヤケのリズム・チェンジ。
客席からクスクス。翼と拓実は肩を震わせ、春海は口をおさえてプルプル。
優子(心の声)「鳩のチン事件、音にすると可愛いね」
Ⅳ. 道後の湯気/夜更けの会話(Andante cantabile)
ミュートを外したトロンボーンが湯気みたいに柔らかく広がる。
オーボエの独奏に寄り添うのは、クラの優しい三度。
そこへベースが“ととのう”脈拍を落とし、ハープ(鍵盤)が湯面のきらめきを置いていく。
光子の目がゆっくり客席をなでる。美鈴の目尻がほどける。
優馬は…やっぱり泣いてる。
Ⅴ. フェリー、山陽、そして“ただいま”(Finale: Allegro molto)
スネアが航跡を刻み、金管が水平線を引く。
テーマが全員の胸でいっせいに鳴り、再現部で“たまゴジラ”のモチーフがドラムにこっそり出ると、客席の子どもたちが「わかった!」って顔。
最後、全員で吸って——ドン!
長い余韻。しん……からの、爆発みたいな拍手。
—
舞台袖へ。
一年生「先輩、震えとった手が止まりません…!」
優子「それはね、成功の後遺症」
光子「うれし震い、ってやつやね」
客席から「アンコール!」
前原先生が小声で「校歌いく?…いや、今日はこれやろ」
アンコールは短い“旅のエピローグ”。
最後の一音、天井に吸い込まれて消えた。
—
ロビー。
美鈴「はぁ…よかったぁ。鳩、来んやったね」
優馬「来とったら伝説になっとったけどな」
美香「音、よー伸びとった。テンポの腹も座っとる。…で、鳩のスケルツォ、天才」
アキラ「うちの双春、途中で指揮しよったぞ」
春介「おねえしゃん、すっごかった〜!」
春海「はりゅみも、ベース どーん したい」
翼「誇らしかった。俺、明日も練習頑張る」
拓実「鳩のとこ、危うく声出して笑うとこやった」
優子「出してよかってん」
光子「録音、あとでみんなに送るけん」
—
夜。譜面台に今日の汗のしずく。
優子「みっちゃん、乗り越えたね」
光子「うん。けど、まだ“出発駅”。ここから、県大会、夏、環奈お姉ちゃんの結婚式サプライズ…全部つながっとる」
優子「次の連結、いってみよ」
窓の外、博多の夜風。
ふたりの中で、まだ終わらん列車のリズムが、静かに走り続けとった。




