年末の楽しみ
福岡に帰る
街路樹の葉はほとんど落ちて、歩道の端に薄く集まっていた。吐く息が白い。バスの窓に指で小さく丸を描くと、すぐ曇りが戻る。車内は静かで、誰かの小さなあくびが一度だけ聞こえた。
秋田空港に着く。ガラス扉が開くと、ロビーの暖気が肩に降りてくる。チェックインを済ませ、荷物を預け、手荷物だけが軽く残った。ベンチに腰を下ろすと、床暖房の熱が靴底から上がってきて、足先がじんわり戻る。
「寒さ、キリッとしてるね」
「うん。冬、もうそこ」
売店の棚には、昨夜と同じ名前が並ぶ。いぶりがっこ、金萬、ババヘラもなか。誰かが箱を一つだけ追加で買って、袋の口を丁寧に結ぶ。顧問は団体の搭乗案内を確認して、腕時計をちらと見る。
「写真、家に送っとこ」
光子が空港の窓越しに滑走路を撮ると、優子も同じアングルで一枚撮った。二人とも、余計な言葉は付けない。見れば分かる写真にしておく。
メッセージがいくつか届く。「おめでとう」「お疲れさま」「気をつけて」。短く「ありがとう」と返す。その間に、部員の何人かは売店の端で最後の水を買い足し、他の何人かはロビーの椅子で目を閉じている。
「帰ったら、まず洗濯だね」
「あとで写真、選別しよ。少しずつ」
アナウンスが流れ、出発の列が立ち上がる。マフラーを外し、スマホを機内モードにして、搭乗券を確かめる。入口へ向かう歩幅が自然とそろう。
「行こっか」
「行こ」
ガラスの向こうは薄い雲。滑走路の端で、小さな雪がふっと舞ったように見えた。冬はもう、すぐそこだった。
音大進学希望
福岡に戻る飛行機は、雲の切れ間から街のブロックを見せて、そのまま滑るように降りた。空港の出口で吸い込む空気は、いつもの洗剤と潮の匂いが混じっている。家までの道は、信号の間隔まで身体が覚えていた。
玄関を開けると、母が「おかえり」と言い、父が「まず手ぇ洗え」と言う。二人で「ただいま」と言って靴をそろえると、スーツケースはその日のうちは開けないことに決めた。鍋の湯気はやさしく、テレビの音は小さい。長かった一週間が、扉を閉める音でたちまち“日常”になった。
翌日からの数日は、やることを少しずつ前に置いて、少しずつ片づけた。写真の選別を午前の30分だけ、洗濯とアイロンを午後に回し、夜は早く寝る。学校では、次の大きな行事——文化祭の打ち合わせが始まる。
「文化祭、どうする?」
「笑いは抑え目で、音メインやね」
「いや、一つは“短いコント”入れたい」
「……じゃ、短いを守るって条件で」
放課後の音楽室で、黒板にチョークの粉が薄く舞う。出し物の案は三つに絞られ、担当と持ち時間が決まる。誰かが「いぶりがっこネタは封印」と書いて消し、笑いは一度だけ起きて、すぐ静まった。
時間の流れは、やっと“普通”の速さに戻っていた。土曜の午後は、川沿いを散歩して、途中のパン屋で温かいクリームパンを買った。ベンチに座って食べていると、優子が紙袋を片手で持ち上げて言う。
「みかん買って帰ろ。冬が来るね」
「来るね。お雑煮の餅は少なめで、って母さんに先に言っとこ」
年末が近づくにつれて、家の中の音はまた少しだけ忙しくなる。居間のすみには鏡餅の台が出て、台所の引き出しにはおせち用の小さな仕切り箱が増えた。年が明けたら、面談がある。進路をはっきりさせるための、大事な時間だ。
ふたりは同じテーブルに座って、小さなノートを一冊ずつ開いた。ページの上に、箇条書きが増えていく。
・なぜ音大に行きたいか(言葉を短く)
・やりたい専攻(演奏+作編)
・今ある“証拠”(録音・譜面・舞台の記録)
・これからの計画(基礎・試験科目・先生のレッスン)
・現実の話(学費・奨学金・バイトは何をどれくらい)
「ここ、『どうして今か』のとこ、もう少し詰めようか」
「うん。“やりたい”だけやなくて、“やってきたから次が見える”って書こ」
夜、こたつの上にノートを並べたまま、ふたりは顔を見合わせた。言葉はそろった。あとは、伝えるだけだ。
「今日、話す?」
「話す。逃げん」
父と母が湯飲みを持って座る。テレビを消して、少しだけ静かにする。光子が最初の一行を受け持ち、優子が次の一行をつなぐ。
「音大に行きたい。美香お姉ちゃんと同じ道を、自分のやり方で進みたい」
「演奏だけやなくて、作るほうもやりたい。先生の当ても考えとる」
父は腕を組んで、すぐには何も言わない。母は湯飲みの縁を指でなぞって、うなずいた。
「本気やね?」
「本気。逃げん。やる」
父は短く息を吐いた。
「ほんなら、言うことは一つや。**健康崩さんこと。**それと、**やるなら続けること。**金の段取りは、家の仕事やけん心配すんな。自分の時間の段取りは、自分でせんといかん」
母が続ける。
「受験までのスケジュール、紙で見せて。美香に先生の紹介、頼んでみる。奨学金も調べよう」
ふたりは「はい」と言って、ノートを差し出した。父はそれを見て、口角をほんの少しだけ上げた。
「言葉が短いのは、えらい。長い言葉は、だいたい逃げ場やけんね」
「はい」
「明日からでよか。まず、先生に連絡や」
その夜、机の上にノートを開いたまま、ふたりは小さな付箋を増やした。レッスンの候補日、送る録音の選別、試験科目の確認。どの付箋にも“できる量”しか書かないことにした。できる分だけ、毎日続ける。それで足りる。
布団にもぐると、窓の外の風がひゅうと鳴っていた。冬は本当に、すぐそこまで来ている。文化祭はゆっくり準備すれば間に合う。面談は、もう怖くない。言うことは決めた。伝え方も決めた。
「やっと、のんびりできるね」
「ね。でも、“のんびり”って、気持ちのことやね。手は、止めん」
二人は笑って、同じタイミングで目を閉じた。翌朝の小さな予定の束が、枕元で静かに待っている気がした。冬の空は高く、冷たい。けれど、進む方向ははっきりしていた。
全国大会 受賞報告(ロサンゼルス組曲)
光子「ただいまのご報告、まず結果からね。全国大会は——金賞、グランプリ(最優秀賞)、それから**審査員特別賞(創作)**をいただきました。曲は私たち作編の《ロサンゼルス組曲(吹奏楽版)》です。」
優子「舞台上では“押す・止める・待つ”を徹底したね。中間の山場は押し切らずに一度留めて静寂を作って、そこからラストまで再加速。最後の音のあとは誰も動かない1秒、残響をお客さんに預けるあの時間が効いた。」
光子「合図も見直した。目の合図>大きな身振り。棒を見るより、視線の交通整理で合うって確信できた。講評でも“弱音の密度と無音の扱いが美しい”って言葉があって、いちばん嬉しかった。」
優子「反省も言っとくと、終盤の微細なテンポ揺れと体力配分。次は“省エネ小節”を設計して、ラストの解像度を落とさないようにする。」
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光子「ジュネーブ登壇のほうも。メッセージはシンプル——『笑いはドアノブ、音楽は灯り』。会場の空気をショートコント(洗濯機・脱水プリン事件/英語)でほぐして、全員で握手と微笑みを共有してから、フルオケ版《ロサンゼルス組曲》へ。」
優子「日本・ウェリントン・バンクーバー・ロサンゼルス・福岡高校を中継でつないで、同時に“5拍数える”共通合図で一体化もできた。YOSHIKIさんが客席からエールくれたのも、背中を押されたよね。」
光子「SNSは“顔が映る投稿のリポストは同意を”って固定でお願いした。誰かを下げない笑いを徹底することも、現地で再確認。」
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優子「この二つの舞台で私たちが学んだこと/得たものを、短い言葉で並べるね。」
•静寂を設計する力:「鳴らす」だけじゃなく**「鳴らさない」を合わせる**と説得力が出る。
•合図は小さく:視線の整理で合う。身振りは削るほど精度が上がる。
•90秒で切り替え:私語停止→姿勢→呼吸→視線→一口の水。笑いの後でも本番モードに戻せる。
•短い共有語:長文指示より“名詞ひとつ”(語尾/間/終止)でズレが減る。
•運営は可視化:導線・静けさ・終演後までを紙で見える化。舞台裏の尊敬が生まれる。
•倫理の軸:同意・クレジット・“自分たちの失敗談で笑う”。
•記録の価値:譜面・音源・講評・運営ノートがポートフォリオになる。
•自信と方向性:自作を正面から届けられて、作編+演奏で音大に進む決意が固まった。
光子「“技術”だけじゃなく“態度”が固まったのが収穫。短く明確、誠実、続ける。それで十分だって分かった。」
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優子「これからの具体的な打ち手も置いとく。」
1.録音を小節単位で波形確認→“揺れパターン表”を作る。
2.リハに省エネ小節を計画的に挿入(終盤のための余白)。
3.英語テンプレ整備(同意案内/クレジット/1枚プレス資料)。
4.文化祭は音中心+短尺コントで構成、当日は午前で打ち止め。
光子「進路もはっきり。美香お姉ちゃんと同じく音大へ——ただし“私たちのやり方”で、演奏+作編を軸に。レッスンの先生候補、試験科目、奨学金まで紙で見せる準備を進めて、正式に家族へ話しました。」
優子「父には“健康と継続が最優先。時間の段取りは自分で”って言われた。はい、その通り。睡眠と基礎を日課に固定して、できる分だけ毎日続けます。」
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光子「まとめるね。全国とジュネーブで、私たちは“無音の力”“小さい合図”“短い言葉”を手に入れた。チームへの敬意と、客席への信頼も。」
優子「そして次に進む勇気。文化祭、受験、どれもやることは同じ。整える→届ける→記録する。それを、毎日。」
年末デート
年末年始の休みは、急に音が小さくなる。目覚ましのない朝、窓の外の空気は白く、湯気の立つマグだけが時間を示す。
光子は、スマホの画面に短く打った。
――「ひさしぶり。少し歩かん?」
返ってきた翼の返事は早かった。
――「歩く。家の前で待っとく」
優子も、同じタイミングで送る。
――「年越す前に顔見せたい」
拓実からは、絵文字ひとつと「来い」の二文字。
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光子 × 翼
翼の家の前は、門松が小さく揺れていた。チャイムを押そうとした手を、内側から開いた扉が追い越す。
「おー、みっちゃん。寒かったろ」
「おじゃまします。これ、秋田のお土産。**なまはげサブレ(にこ)**仕様」
「(笑)“にこ”仕様ね。母さん、みっちゃん来たよー」
玄関で軽く挨拶を済ませ、二人は早めに外へ出た。息が白い。近所の川沿いを並んで歩く。柵に手を置くと、冷たさが指先にくっきり乗る。
「忙しかったね」
「うん。音のこと考えん日は、やっぱないね」
「ジュネーブの握手、動画で見た。あれ、よかった」
「ありがと。笑いはドアノブ、ってほんとやった」
川の上を風が渡る。少しだけ身体を寄せて、渡りきるまで黙る。近くの小さな神社に寄って、おみくじを引く。
「小吉。——“待て”って書いとる」
「おれ、大吉。——“調子に乗るな”って書いとる」
「ふたり合わせて、ちょうどいい」
帰り際、翼がポケットから小さな箱を出した。
「手、荒れとるやろ。ハンドクリーム。柑橘系」
「最高の実用品。ありがとう」
門の前まで来たところで、光子が少しだけ背筋を伸ばす。
「来年、音大受ける。演奏と作るほう、両方やる」
「知っとる。やる顔しとる」
「支えてくれる?」
「支える。口出しは控えめで」
「それがいちばん助かる」
翼は笑って、手だけ軽く上げた。タッチの代わりの仕草。光子も同じ高さで返す。
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優子 × 拓実
拓実の家は、玄関にしめ縄がかけてあった。チャイムが鳴る前に扉が開いて、拓実がニット帽のまま顔を出した。
「おつかれ。上がる?」
「ちょっとだけ。これ、いぶりがっこチーズのセット。家のみんなで」
「母さん、勝利のつまみ来たって!」
奥から「勝利は言いすぎ」という声。二人で笑う。
外に出て、商店街まで歩く。角のコーヒースタンドでホットを二つ。紙コップを握る手が、やっと溶ける。
「文化祭、何やる?」
「音がまんなか。笑いは短いやつだけ」
「正解。おれ、照明手伝うわ」
「助かる」
横断歩道の手前で、優子が歩幅を合わせる。
「来年、受験。音大。作編もやる」
「うん。知っとる。お前、そういう顔」
「顔、出とる?」
「出とる。疲れた時の眉の角度で分かる」
「観察が細い」
商店街の端で初詣の立て札が立っていた。
「年明け、一緒にお参り行こ」
「行こ。願い事の数、三つまでな」
「多い」
「予備込み」
帰り道、拓実がコンビニで小さなカイロを二つ買って、無言で一つ渡す。
「ありがとう」
「どういたまして」
玄関前まで戻ると、拓実がふと思い出したように言う。
「“おばちゃん”って言いそうになったら、止める役もやる」
「それは美香と春介春海の担当」
「じゃ、予備の予備で」
二人とも笑って、小さく手を振った。
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夜、メッセージがほぼ同時に届く。
翼から——「おつかれ。あったかくして寝ろ」
拓実から——「手、保湿しとけ。音の道具やろ」
返事はそろえて短く。
光子「了解」
優子「了解」
外は、冬の手前の静けさ。家の中は、いつもの温度。
束の間のやすみは、ちゃんと休むためにある。
次に走るための、静かな助走だった。
みんなで過ごすクリスマス
居間のツリーは小さくて、でも電球が元気にまたたいていた。テーブルにはローストチキンとポテトサラダ、母の手作りスープ。端っこには秋田で買ったいぶりがっこ&クリームチーズも皿にちょこん。
玄関が開いて、声が重なる。
父「ただいまー。寒かったばい」
母「手ぇ洗って入りぃよー」
美香「メリークリスマス〜」
アキラ「荷物、ここ置くね」
安三郎じいちゃん「おお、よう飾っとる」
静子ばあちゃん「賑やかでよかねぇ」
春介と春海は、サンタ柄の靴下を履いて、ツリーの前でぴょんぴょん。
春介「おかあしゃん‼︎おとうしゃん!」
春海「じーじ、ばーば、きた!」
優子「こらこら、まずごあいさつやろ」
光子「はい、“おねえさん”にもごあいさつ」
春介・春海「おねえしゃん、めりくり〜!」
美香「合格っ」
父「“おば…”まで言いかけたらにこはげ召喚やけんね」
静子ばあちゃん「それはなんね?」
優子「“怖くないナマハゲ”です」
安三郎じいちゃん「ははぁ、にこにこばばけか。わしも入隊してよかか」
春海「にこはげ、すき!」
テーブルを囲んで、温かい湯気に顔がほどける。
母「いただきます、するよー」
全員「いただきます」
アキラ「この燻り、やばいね」
美香「秋田力、強か〜」
父「おれはヨーデ…」
母・光子・優子「領収書!」
父「はいはい、あとで出します」
静子ばあちゃん「ジュネーブはどうやったと?」
光子「みんなが笑ってくれて、音の前に空気が揃うって分かったよ」
優子「最後は静かに待ってくれてね。残響が帰ってくるまで動かんって約束、守れた」
安三郎じいちゃん「よか。笑いも音も、人を立たせる道具やけんな」
食後、ケーキにろうそく。春介と春海が“ふー”の係だが、うまく吹けなくて、全員で扇いで消す。
春介「けーき! いちご!」
春海「いちご、ちゅき!」
プレゼントの時間。ツリーの下から小包が運ばれていく。
父「春介と春海には——木のつみき」
母「角丸で安全。お片づけ箱つき」
春介「つむ! たかい!」
春海「どうーん!」(倒す音)
美香「はい、これは絵本。“ばばけ出ません”保証付き」
アキラ「ページめくると、にこはげが微笑む仕様」
春海「にこー」
春介「にこー」
光子・優子「じいちゃんとばあちゃんへは——写真立て。ジュネーブの一枚」
静子ばあちゃん「まあ…よか顔しとる」
安三郎じいちゃん「この一枚で十分や。続けんしゃい」
父「おれは家族全員へ。加湿器、もう一台」
母「現実的で助かる」
ひと段落して、部屋の灯りを少し落とす。小さく手拍子を合わせて、歌は口ずさむだけで、歌詞は言わない。代わりに安三郎じいちゃんの“昔ばなし”が始まる。冬の朝の井戸の冷たさ、初めて買ったレコードの話、祭り囃子の太鼓の音。
安三郎じいちゃん「音は腹から出すっち言うやろ? でもな、人には腹に入る音っちゅうのもあるとよ。今日のケーキの音は、その音や」
優子「食べ物で例えるのズルい」
光子「でも分かる。帰ってくる音やね」
春介と春海は、つみきを積んでは笑い、倒しては笑い、やがて母の膝でこてんと寝転ぶ。
美香「寝かそうか」
母「お願い。布団あっためとく」
二人が抱き上げられて部屋へ向かう背中を、ツリーがやわらかく照らす。居間には大人の話が少しだけ残り、湯気のような笑いが混じる。
父「年明けの面談、段取りはできとーか?」
光子「ノートにまとめた。短い言葉で見せる」
優子「できる分だけ毎日、にした」
母「それでよか。風邪ひかんごとだけ気をつけて」
帰ってきた美香が、毛布の端を直しながら小声で報告する。
美香「即寝」
アキラ「平和」
最後に全員で温かいお茶を一口。時計が小さく鳴る。
静子ばあちゃん「来年も、よう笑って、よう食べて、よう眠りんしゃい」
安三郎じいちゃん「そしてよう聴きんしゃい。音も、人の声も」
光子「はい」
優子「はい」
ツリーの灯りを一番弱くして、今夜はお開き。外は冷たいけれど、家の中は十分に満ちていた。明日からまた、それぞれの場所で手を動かす。その前に、今夜はよく眠る。メリークリスマス。
玄関のチャイムがまた鳴って、寒気といっしょに声が飛び込んできた。
久留米のじいちゃん「おーい、来たばい!」
久留米のばあちゃん「渋滞がようけでねぇ。間に合うた、間に合うた」
手にはあまおうと、布目のきれいな久留米絣のコースター。ツリーの灯りに布の藍がやわらかく光る。
少し間をおいて、またチャイム。
黒崎じいちゃん(宗像)「おじゃまします」
黒崎ばあちゃん(宗像)「これ、宗像大社のお守り。みんな健康第一やけん」
紙袋からは、磯の匂いのする小さな詰め合わせと、包み紙のきれいなお菓子。居間が一段、賑やかになる。
春介「じーじ、ばーば、たーっち!」
春海「たっちー!」
(ぱちん、ぱちん。全員順番にタッチの列)
静子ばあちゃん(曽祖母)「まあまあ、よう集まったねぇ」
安三郎じいちゃん(曽祖父)「これだけおったら合奏やのう」
父(優馬)「俺が指揮——」
母(美鈴)・光子・優子「まず手ぇ洗え」
父「はいはい」
テーブルは一気に席が増え、箸置きに久留米絣のコースターが新入り。いぶりがっことクリームチーズの皿の横に、黒崎ばあちゃんが持ってきた海のものがちょこんと並ぶ。
久留米のばあちゃん「みっちゃん、ゆーちゃん、ジュネーブはよかったねぇ。テレビみた気分になったばい」
久留米のじいちゃん「このコースター、音も吸うけん、コップ置いても静かぞ」
優子「“無音の一秒”の練習にも効きそう」
光子「コースターでそれ言う?」
黒崎じいちゃん「宗像の海は冬がうまい。海も人もしゃんとする」
黒崎ばあちゃん「ほらほら、子らにサラダとスープ先にね」
春介「いちご!」
春海「いちご、あと!」
美香「はい、順番。スープ→パン→いちご」
アキラ「監督が二人に増えた」
父(優馬)「今年のMVPは——」
母(美鈴)「領収書提出したら聞いたげる」
(親族一同どっと笑う)
食後はプレゼント交換の第二ラウンド。
久留米のじいちゃんばあちゃんからは木の汽車ポッポ、宗像のじいちゃんばあちゃんからは絵合わせカード。春介と春海は交互に「これ!」「それ!」と指さし、安三郎じいちゃんが「順番」と指で数を見せる。
ひと息ついて、写真タイム。人が多すぎてスマホの画角に入りきらず、アキラが台所の踏み台を持ってくる。
アキラ「全員、ちょい右寄って——はい、せーの」
全員「メリークリスマス!」
(カシャ/もう一枚)
灯りを少し落とすと、会話はゆっくりな波になる。久留米のじいちゃんが昔の筑後川の花火の話をし、黒崎じいちゃんが玄界灘の初日の出の話をつなぐ。安三郎じいちゃんは「腹に入る音」の話をもう一度だけして、静子ばあちゃんが「温かいもんは温かいうちに」と茶を配る。
久留米のばあちゃん「来年も、みんなそろってね」
黒崎ばあちゃん「風邪ひかんごと、よう食べて、よう寝んしゃい」
光子「はい」
優子「はい。続けます」
春介と春海は、汽車ポッポと絵合わせカードを抱えたまま、母のひざで舟をこぎ始める。賑やかさはそのままに、家の空気はゆっくりと丸くなっていく。ドアの向こうは冬の冷たさ、居間の中は湯気の温度。親族全員が少しずつ声を落として、夜はほどよい賑やかさのまま進んだ。
ツリーの灯りがちかちかする前で、春介と春海が並んで立つ。
目が合った瞬間——ウィンク。つづけて両手をほっぺに当ててから、投げキッス。「ちゅっ!」
優子「ちょ、かわいか〜〜!」
光子「無理、メロメロなるやつ!」
(ソファから半分ずり落ちる)
美香「はい出た、“必殺ウィンク”」
アキラ「被弾しました」
父「全員、胸に直撃」
母「甘やかし過ぎ注意〜」
春介「ちゅっ!」(もう一発)
春海「ちゅちゅっ!」(連射)
優子「連射は反則ばい!」
光子「降参〜、ぎゅーさせて!」
(ふたり同時に抱きしめる)
黒崎ばあちゃん「よかよか、愛は多めで」
久留米のばあちゃん「でも、いちごは一人ひとつね」
春介・春海「はーい!」
優子(耳元で)「“おねえさん”ってもう一回言って」
春介「おねえしゃん、だいちゅき」
光子「はい、完全勝利」
優子「メロメロ確定」
家じゅうが笑って、ツリーの灯りが少しだけ明るく見えた。甘さも騒ぎも、今日は特別多めでいい。
第一幕「つみきタワー24(ツーフォー)」
光子(MC)「本日の挑戦者は——春介建築士と春海デザイナー!」
優子(効果音係)「ドドン! テテテン!」
春介が木のつみきを黙々と積む。春海は横で「ここ、ぺた」と指示。
十段、十一段……カタ。全員が息を止める。
光子「いけるか——」
春海「どうーん!」
指一本で崩壊。つみきがさらさら流れて、床一面に“拍手みたいな音”。
全員「あはははは!」
優子「本日の教訓:作品は撮ってから崩しましょう!」
⸻
第二幕「ニコハゲ速報」
(“怖くない”ナマハゲ=にこはげお面を装着)
優子「速報! 台所付近でいちご緊急入荷を確認!」
光子(記者)「現場の春海さーん!」
春海「いちご、ありまちた。あかい。ぴかぴか」
春介「おいち」
優子「以上、甘いは正義でした〜」
美香(観客)「拍手〜!」
アキラ(観客)「ブラボー!」
⸻
第三幕「まねっこ選手権」
光子「お題:おねえさんの顔真似」
春介「(きりっ)」→光子も同じ顔
春海「(ほっぺぷくー)」→優子も同じ
二人とも耐えきれず、ぷっと吹き出す。
優子「お題チェンジ:おねえさんの“困った顔”」
春介・春海「(眉くいっ)」→そっくり
全員「あははは!」
⸻
第四幕「スローモーション鬼ごっこ」
光子(実況)「ただいまより“超スロー鬼ごっこ”を開始します!」
優子「動きはコアラ速度まで。走ったら反則!」
春介の「にっ」とした笑いがスローモーション、春海の一歩がコト…コト…。
光子「おっと春介選手、ヨチで追い詰めた!」
優子「春海選手、くるりとターン!」
最後は全員同時にストップ。三秒の無音——からの、どや顔。
全員「やったーー!」(大爆笑)
⸻
第五幕「ばばけ退散ダンス・アンコール」
優子「ラスト! ばいばい、ばばけダンス〜」
光子「手はバイバイ、足はトントン、口は**“ばいばい、ばばけ〜”**」
春介・春海「ばいばい、ばばけ〜!」(投げキッス連射つき)
祖父母ズまで参戦。居間が小さなフェスになる。
父「お父さんも——ばいばい、領収書〜」
母「退散させんでよろしい!」
全員「あはははは!」
⸻
最後は全員でソファにどてっと座り込み。
優子「腹筋、崩壊」
光子「笑い皺、増産」
春介「おねえしゃん、だいちゅき」
春海「だいちゅき」
光子・優子「はい、完全ノックアウト」
居間にはまだ笑いの温度が残っている。ツリーの灯りがいつもより大きく見えた。今日はこれでおしまい。最高の“ドタバタ”だった。
脱衣所の電気がついて、タオルが二枚、ふわっと肩にのる。
「春介〜、春海〜。お姉ちゃんたちと一緒にお風呂入ろうか」
「入る〜!」
「いこいこ〜!」
小さな足音がぺたぺた続いて、扉の向こうから湯気がもれる。湯は少しぬるめ。洗面器にお湯をくんで——
「はい、目つぶってね。せーの——1、2、3」
「つめたくなーい!」
「きもちー!」
まずは頭をしゃかしゃか。泡でおひげを作ると、春介が胸を張ってドヤ顔、春海はほっぺに泡ほくろ。
「だれやろ〜? にこはげ隊長です!」
「にこはげ副隊長です!」
「敬礼!」
「(ぷはっ)あははは!」
ゴムのアヒル隊が出動。
「隊長、右へ〜」
「副隊長、左へ〜」
アヒルが“ぷかー”と別れて、浴槽の端で合流。ぱしゃっと小さな波。
「次は“ばいばい、ばばけ〜(お風呂バージョン)”いくよ」
「ばいばい、ばばけ〜!」(手をちいさくふりふり)
「足はトン・トン、すべらんごとね」
「トン・トン!」
耳のうしろ、首のうしろも泡を流して、仕上げは肩にお湯を一杯ずつ。
「上がる前に、からだポカポカチェック——ほっぺ触ってみて」
「あったかい!」
「ぽかぽか〜」
バスタオルで「ぎゅっ」と包むと、二人は同時にくすくす笑い。湯上がりのほっぺがりんご色。
「髪、タオルで“ぎゅっぎゅ”してからドライヤーね」
「ぎゅっぎゅー!」
「(ドライヤー)ぶおー… ぬくーい!」
外の廊下では家族の会話がいったん止まり、浴室からの笑い声に釣られて笑いが広がる。
「賑やかやねぇ」
「よう笑いよんしゃー」
パジャマに着替えたら、湯上がりの白湯を一口。
「こぼさんごと、ちょんちょん飲みね」
「ちょんちょん!」
最後に「おやすみのハイタッチ」。
「今日もいちにち、よくできました——ぱちん!」
「ぱちん!」
「もう一回!」
「ぱちん!(全員笑)」
廊下を歩く足音は軽く、居間に戻ると湯気の匂いがまだ少しだけついている。お風呂場のほうから、遅れてくすっと笑い声が一つ。今夜はよく眠れそうだ。
湯気の匂いが廊下からかすかに流れてきて、居間は湯のみの温度で穏やかに満ちていた。浴室からは、ときどき弾ける笑い声。大人たちは手を止め、耳を澄ます。
「あのふたり、よう気が回るねぇ」と静子ばあちゃん。
「段取りも優しかし、叱る時も短うて柔らか」と母・美鈴が頷く。
安三郎じいちゃんは湯のみを置いて、「笑わせて、安心させて、最後にちゃんと片付ける——あれが家庭の基本たい」。
久留米のばあちゃんが目を細める。
「手がよう動く人は、心もよう動くと。あの子ら、よか母さんになるばい」
久留米のじいちゃんも「気遣いが先に立つけん、よか嫁さんにもなるっちゃろ」と穏やかに続けた。
宗像のじいちゃんは、少し考えてから言葉を置く。
「潮目の読み方が上手か。引く時は引く、遊ぶ時は遊ぶ。家も船も、それが要る」
黒崎のばあちゃんが笑う。
「子の声も、人の気配も、ちゃんと聴いとる。よう育つよ」
父・優馬は、照れ隠しみたいに咳払いした。
「まぁ、まずは健康第一やけどな。あの調子なら、ええ母ちゃんにも、ええ奥さんにもなれる。…けど、急がんでよか」
母・美鈴が言葉を足す。
「そうそう。今は音の道ば、まっすぐ。縁は慌てて呼ばんでも、来る時に来るけん」
美香が微笑む。
「ルール作って守らせるのに、怖さを使わんのがいい。“にこ”で回すの、家でもありがたい」
アキラが肩をすくめる。
「安全と楽しさ、両立しとる。現場力、強か」
また、浴室のほうから小さく「ぱちん」とハイタッチの音がして、続いてくすくす笑い。みんなの視線が自然とそちらへ向く。ツリーの灯りが、湯のみの中で揺れた。
「あれなら大丈夫やね」と静子ばあちゃん。
「将来は任せらるる」と安三郎じいちゃん。
父と母は顔を見合わせ、少しだけ笑う。
「よか母さんに、よか奥さんに——それは“ついで”でよか」
「まずは、よか人であり続けることやね」
湯気と笑い声が、家の天井のあたりで静かに混じり合う。誰も急かさない。未来は、今の丁寧さの先に自然と形になる——そう思える夜だった。




