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昼休み 笑いはおかず

廊下——外の雨で床がしっとり。移動のチャイムが鳴って、人波がぐわっと流れる。


優子「うわっ、すべ——って、すってーん!!」

(ツルン! と綺麗に転がって、スカートがふわっ。が、しっかり黒スパッツ着用。即座に片膝で立て直し、スカートを押さえて姿勢リカバリ)


男子A「お、お…」

光子「見らんでよかーーっ!!(ビシッ)」

さおり「アンタら、今のは“ラッキー”やなか。**“ノーラッキー、ノーのぞき”**たい!」

朱里「視線、前っ! 前見て歩けー!」

樹里「はい男子、三秒黙想! 『反省のポーズ』〜!」


小春(ハンカチを差し出して)「ゆうちゃん、大丈夫やった?」

優子(息を整えつつ)「だいじょぶ…ごめん、ちょっと腰いったけど、スパッツが守ってくれたばい。ありがとう」


そこへ前原先生が通りがかり、床を見て眉を上げる。

前原先生「ここ、だいぶ濡れとるね。保健委員、モップお願い。——男子、“人の尊厳>ネタ”、覚えときなさい」

男子たち「すみません…」


光子「はい、合唱科名物“心の拭き取り”開始ー。『ごめん』は目を見て言うっちゃ!」

男子A「優子さん、ごめんなさい。ケガない?大丈夫?」

優子「うん、謝ってくれてありがとう。次からは“セーフティ&リスペクト”で頼むばい」


さおり「標語作った! 廊下は——濡れとるばい、心は拭いとけ」

朱里「よかやーん。掲示板いこ!」

樹里「追加案——見たいより、支えたい」

小春「採用!」


優子(立ち上がって、腰をポンポン)「よし、教室移動や。みんな、足元気ぃつけてね!」

光子「よーし、“すってーん”は一回で充分。次は“すっとーる(=スムーズ)”でいくばい!」


——チャイムが再び鳴る。

濡れた廊下にはモップの筋が一本、つやっと伸びて、列の先頭で優子が親指を立てる。

優子「安全第一、リスペクト第二! ほんなら、次の授業も笑顔でいくよー!」




教室に落ち着いたあと——優子が机に突っ伏してぼそっとつぶやく。


優子「……あぶなかったぁ。もう少しで、拓実以外の男子にラッキーすけべ見られるとこやったっちゃ。」


光子「ほんっそれ! でもスパッツ様がお守りしてくれたけん、セーフ判定やね。どっちみち“勝手に見るな選手権”は失格ばってん。」


さおり「今日から掲示板に貼るばい——『見えそうでも見らん! 心のブラインド降ろしなさい』。」


朱里「男子は“空見上げ体操”やね。視線は青空へ、良心は胸ポケットへ。」


樹里「優子、ケガはなか? ちょっと腰ストレッチしときんしゃい。」


優子「ありがと。身体は大丈夫ばい。心はちょいザワザワしとるけど……。」


小春「よし、“メンタルにホットココア&ちょいツッコミ療法”いこ。」

(紙コップを渡しながら)

小春「はい一言、『見えるは偶然、見ないは修養』。」


光子「名言出たぁ! それ採用。」


――そこへ、スマホが震える。拓実からメッセ。


拓実メッセ「大丈夫やった? すってーんしたって聞いたけん心配しとった。」

優子メッセ「大丈夫。スパッツ最強。ちょいヒヤッとしたけど。」

拓実メッセ「無事ならよかった。俺は“優子が安全”>“何も見えん”が最優先やけん。無理せんごとね。」

優子メッセ「……やさしかぁ。ありがと。放課後電話するね。」

拓実メッセ「待っとるばい。」


光子(画面を覗いてニヤリ)「拓実、頼れるやーん。はい優子、深呼吸して“切り替えスイッチ・オン”!」


優子「オン! でも念のため言わせて——見えそうでも、見ない勇気、それが紳士の流儀やけん!」


男子A「はいっ、以後気をつけます! すんませんでした!」


さおり「じゃ、対策も決めよ。『濡れ廊下ゾーン』はモップ当番強化、すべらん靴キャンペーン、それと——」


朱里「“ノー・ラッキースケベ宣言”のポスター作る。絵は小春、文案は光子&優子、配布は私らで。」


樹里「さらに“見そうになったら空を見る”スカイライン・ルール導入。」


光子「よっしゃ決まり! 今日は“安全×リスペクト×ユーモア”で締めるばい。優子、最後に一言!」


優子(すっと立って)「うちは拓実の彼女やけん、見せるもんは見せんし、見せんでよかもんは見せん。 でも一番大事は、誰の時でも“見られたくない”を守ること。——以上、“博多リスペクト条約”第1条や!」


(一拍おいて)


光子「第2条っ! 転ばんために笑いで注意喚起。」


さおり「第3条! 笑いより先に、まず安全。」


クラス「賛成ーー!!」


——窓の外、雨はまだ細く降り続く。

けれど廊下には「すべり注意」の札と、手書きの可愛いポスターが並び、空気は少しだけ軽くなる。

優子は腰に手を当て、ココアを一口。小さくガッツポーズを作った。


優子「……よし、切り替え完了。次の授業、キメるばい。」

光子「行くよ、博多ツインズ。安全第一、笑いは第二、そして音楽は特上!」





体育の鐘が鳴り終わるころ、グラウンドは陽炎でゆらいでいた。

教室に戻る前、女子更衣室のドアが開くと、むわっと熱気が押し寄せる。みんな汗で前髪が頬に張りつき、タオルで顔を押さえながら、手早く着替えに取りかかる。


光子「うわぁ…ここだけ真夏のサウナやん…シャワー浴びたかぁ〜」

優子「先生、ワンタッチだけでよかけん“瞬間シャワー”導入してほしか〜」

さおり「ミストでも助かる〜。扇風機さん、早よ回って〜」

朱里「はいはい、団扇うちわ配布〜。“風の四重奏”いくばい!」

樹里「塩タブレット、いる人〜? 熱中症対策チーム配給します!」


地の文:誰かが窓を全開にし、別の誰かが床用モップで砂ぼこりを取る。その間に光子は素早く着替えを済ませ、保冷剤を首元に当てて深呼吸した。


光子「ふぅ…生き返った! “あんれまんまぁ深呼吸”でクールダウン!」

優子「はいみんな、水分→呼吸→ストレッチの順ね。体育あとルーティン、いくよ〜」

一同「了解〜!」


さおり「ねぇ、“汗だくあるある川柳”しようや? わたしから——

『汗の粒 前髪まとめて 名古屋巻き』」

朱里「負けん!

『体操服 洗濯ネットの 住民票』」

樹里「ほいっ!

『スポドリが 教祖みたいに 崇められ』」

光子「じゃあ〆——

『笑い風 扇ぐうちわで 涼しかね』」

優子「座布団一枚。…いや、クールタオル一枚進呈!」


地の文:笑いが起きると、不思議と空気が軽くなる。優子は顧問に頼まれて持ってきた携帯ミスト扇風機を回し、皆の顔にシュッと一吹き。小さな歓声が上がった。


優子「次の授業、歌うやろ? 体温上がりすぎる前に“声出しゆるストレッチ”、いっとこ」

光子「首・肩・あごの順で解放ね。せーの…にゅ〜っと伸びて、あんれまんまぁ〜」

(全員、にやけながら発声。笑いと一緒に、肩の力も抜けていく)


さおり「はぁ…シャワーなしでも、なんとかリセットできた!」

朱里「“汗かいても上等”って感じやね。部活でも役立つわ」

樹里「今日の名言:“汗と笑いは、だいたい親友”。」


光子「決まり〜。黒板に書いとこ。ついでに“体育あと安全&クールダウン三箇条”貼るばい!」

優子「一、急に座り込まん。二、まず水分。三、笑って整える。…以上っ!」


地の文:チャイムが鳴る。最後にもう一度だけミストを浴びて、みんなでハイタッチ。

汗はまだひかない。でも、気持ちは軽い。次の声楽の教室へ、扇風機みたいな笑顔を引っ提げて駆けだした。






昼休み、笑いはおかず


昼チャイムが鳴ると同時に、教室は弁当の香りと購買袋のカサカサ音で満ちた。窓際の定位置に集まったのは、光子・優子・さおり・朱里・樹里。汗だくの体育を乗り切った達成感が、ふたを開ける手を軽くする。


光子「はぁ〜開封の儀〜。お母さんの唐揚げ、今日も優勝やん!」

優子「みっちゃん、まず“いただきます”の優勝やろ。順番守らんかい」

さおり「うちのん、卵焼きが“笑”の字になっとる! 先輩んち、芸細か〜!」

朱里「見て見て、のり弁に“フタマン”の海苔切りやし! 誰仕込みね?」

樹里「美鈴ママの遊び心、毎回レベル上がっとると〜」


地の文:ふと、後ろからそっと弁当を差し出す影。入部したての一年・田中健太だった。以前の刺々しさは消え、どこかぎこちない笑顔。


健太「先輩…これ、デザートにどうぞ。プリンっす。…昨日、態度悪かった件の、けじめです」

優子「お〜、健太。よか心がけ。…ただし一言」

健太「はい!」

優子「洗濯機には入れんどってね。」

(机が揺れるほどの爆笑)


光子「プリンさん、今日は“脱水”されんで済むけん、安心しんしゃい〜」

さおり「合掌。南無プリン」

朱里「供養早いわ!」


地の文:そんな中、購買帰りの男子が駆け込む。手に掲げたのはラスト一個のカレーパン。教室の視線が一点に集まった。


男子A「勝利のカレーパン、ただいま帰還!」

樹里「おぉ〜勇者!」

光子「待った、それ四等分審判入ります!」

優子「“公平は腹も満たす”が我が校の校訓やけん(※違う)。はい、定規と糸、持ってきた」

(手際よく四等分→拍手)


さおり「はい、みんな麦茶回すよ。水分補給〜」

朱里「からの“おにぎり早口言葉選手権”しよ。『おにぎりにぎにぎ二限に寝そう』」

光子「『二限に二人で二十人前にぎにぎ』」

優子「すべって転ばんごと噛まずに言え!」

(光子、見事に噛む)

優子「はいツッコミ記録、本日10本目〜」


地の文:和やかに進むランチの輪。そのとき——。


さおり「…あの、光子先輩。前歯に海苔、フタマンの“目”ついとる…」

光子「まじかっ!? それはのりだけにノリノリやん!」

優子「黙っとったら芸術祭出品レベルたい。取れ!」

(ハンカチでふきふき→拍手)


樹里「午後は合唱とオペラの発音練やけん、食べたら軽く発声回そっか」

優子「よかね。腹八分、笑い十分、仕上げにあんれまんまぁで整える」

光子「せーの——“あんれまんまぁ〜”」

(一同、肩の力がふっと抜ける)


健太「先輩…その“あんれまんまぁ”って、マジ効くっすね」

優子「効く。笑いは最強のクールダウンたい」

光子「午後もかましたるばい。声も腹筋も、仕上げていこ〜!」


地の文:ごちそうさまの合図とともに、弁当箱のふたが次々閉じる。笑いで満ちた昼休みは、午後の一音めを明るくする準備体操みたいなものだ。チャイムが鳴る。双子の“了解”の目配せ、皆の“任せろ”の頷き。――教室の扉が、次のステージへ開いた。






窓際の定位置に並ぶのは、光子・優子・さおり・朱里・樹里の5人。体育明けのほてりを残しつつ、ふたを開ける。


光子「開封の儀〜。お母さんの唐揚げ、今日も優勝やん!」

優子「まず“いただきます”が優勝やろ。順番守らんかい」

さおり「見て! 卵焼きに“フタマン”の海苔切り! 美鈴ママ、芸細か〜」

朱里「のりアートで腹筋削られる部活ある?」

樹里「ある。ここ。」


さおり「デザートは私が持ってきたプリンね〜」

光子「おお…洗濯機プリン事件の再来だけは勘弁して」

優子「絶対に脱水は回さん。ここは教室、ここは平和」


(スプーンを構えた瞬間、光子の前歯にちょび海苔)


さおり「みっちゃん…前歯に“フタマンの目”ついとる」

光子「のりだけにノリノリやん!」

優子「そのままやと芸術祭やけん、取れ!」


朱里「午後は合唱とオペラ発音。食べたら軽く発声な」

樹里「腹八分、笑い十分」

優子「仕上げは——“あんれまんまぁ”」

全員「あんれまんまぁ〜」


光子「よっしゃ、午後もかましたるばい。声も腹筋も仕上げていこ〜!」


——チャイム。5人は弁当箱をパタンと閉じ、同じ歩幅で教室を出た。笑いで整えた呼吸が、午後の一音目を明るくする。





昼休み・フタマン参上


蒸し暑い昼。窓を開け放つと、ふわっと風。優子が上着のボタンを二つ外してネクタイをゆるめた瞬間——

制服の襟元から、**でかでかと「フタマン」**の顔面プリントがドーン。


さおり「ちょ、ゆうちゃん…インナーそれ!?」

優子「汗ばむ日は勝負インナーやろ? 吸汗速乾&爆笑保証つき」

光子「よりによって授業前に爆笑仕掛けてくる罠か! ここ教室やけん!」

朱里「プリントの下に小さく書いとる…『脱水プリンが黙っちゃいないぜ』」

樹里「標語で腹筋持っていかれるタイプのやつ…!」


(ちょうど前を通りかかった保健委員の女子も二度見)


保健委員「え、健康面の注意…笑いすぎによる呼吸浅くなるやつね?」

優子「対策しとる。**“あんれまんまぁ呼吸法”**で相殺」


光子「じゃ、合わせて確認——せーの!」

全員「あんれまんまぁ〜(スーッ)」


そこへ前原先生が顔を出す。

前原先生「お、元気やね。…そのTシャツ、校則的には“無地推奨”たい?」

優子「先生、これ心を無地化してくれる“無地級インナー”です」

先生「言い方の妙で押し切ろうとするな(笑)。…でも午後の発声、そのテンションで行こう」


光子「了解! 本日の合言葉は『フタマンで腹式』」

さおり「腹式ふくしき=腹筋式、ね」

朱里「ダジャレで整えてくるのプロ」

樹里「はい、午後も笑ってから歌うよ〜」


— チャイム。優子は上着をキュッと閉じ、親指で胸元のフタマンに合図。

優子(小声)「出番はまた後で。黙っちゃいないぜ」

光子「やかましか!(でも好き)」






吹奏楽部・総仕上げリハ「ロサンゼルス組曲」


午前のロングトーンで空気が整う。前原先生がタクトを上げ、全体通し——

I. 「Takeoff」から、金管のファンファーレ、木管の疾走、低音の地鳴り。15分超の組曲が、もう“曲”ではなく“景色”として立ち上がった。


「そこで一回止めよう。」

前原先生が譜面台にタクトをコツ。メモは短く、指示は的確。

•m.38:テンポ92→96へ自然に持ち上げる。メトロノームは感じだけ、カチカチ追いかけない。

•木管コラール(m.52〜):サックスはビブラート浅め、クラはチャルメラ音域を丸く。フルートは語尾の息を上に抜く。

•低音群(Tuba/Euph/BsBone):デクレッシェンドは中腹で落とし切らず、最後の二拍でスッと消える。

•打楽器:シンバルは薄め+深い角度でロール、バスドラはフェルト大に。トライアングルはpppで芯だけ。


「はい、分解する。金管は階段教室、木管は音楽室、打楽器はステージ上そのまま。20分で戻ってくるよ。」



セクション練


低音(光子リード)


光子「腹、先に満タンにしてから音出して。菜摘(Tuba)、このロングトーン、二拍前に“予備吸い”入れよ。ほら—(デモ)“スッ・ドォーン”。

航平(Euph)は1.5m先の床に音を置くイメージ。縦はわたしに合わせて。」


井上菜摘「(やってみる)…響き増えた!」

黒木航平「腹で押して、喉は通す…ですね。」


木管(小春+朱里サポ)


小春「m.52のコラール、クラは下から上へ色が変わるグラデ作って。藤井さんは低音を“土”に、田中くんはその上に“空気”。樹里(Cl)先輩の息の流し方まんま真似してOK。」

朱里「サックスはサブトーン浅めで“近景”。拓真、そのロング、タンギング“ル”で丸めて。」


金管さおりリード


さおり「高橋(Tp)、上のEは押さない・当てる。ミュートはカップにしよ。ホルン遥は手の角度5度内側、倍音がスッとそろうけん。沙羅(Tb)はスライド7→3の戻り、**“吸って戻す”**感じで。」


打楽器(優子)


優子「海斗、タンバリンは親指ロール練習。手首でなく指で震わせる。

シンバルは**“合わせる”じゃなく“溶かす”。ロールの山一個分だけ先生のタクトの前に置く。

グロッケンは硬いマレット禁止**、ミディアムで子音だけ光らせる。」



細部の磨き

•ピアノ(小春):m.74〜のオスティナートはハーフペダルで濁りを避け、和声の切り替えで一瞬フル→すぐ戻す。

•光子(Tuba):最終楽章のペダルトーンは舌奥で母音“オ”固定、倍音が揃いホールで立つ。

•優子(Perc.):チャイムは重心低めに一打、残響管理はミュート位置固定。合図の肩スナップが全体の息を合わせるスイッチになっている。



最終通し


再集合。前原先生「じゃ、本番テンポ−1で。流れだけ止めない。」


I. Takeoff—加速が“息”で統一され、景色が前へ。

II. Sunset on Fairfax—木管の光がやわらかく滲む。

III. Night Drive—低音が路面を作り、スネアのブラシが都会のノイズを描く。

IV. Hope—金管の合唱に、客席のない練習場なのに鳥肌が立つ。


最後の和音が空気へ消え、1秒、2秒——静寂。

前原先生、ゆっくりと笑う。「ほぼ完成。あとはホールで**“鳴らし方”**を身体に刻むだけやね。よくここまで来た。」


「お疲れー!」


博多弁が弾ける。

さおり「やれたばい!」

朱里「ゾクッとしたー」

樹里「低音、床から湧いとった」

優子「腹式とフタマンの合わせ技やけん」

光子「そこは黙っちゃ…言わんでよか!(全員爆笑)」


最後に確認事項だけ。

•本番ホールでの残響想定ダイナミクス表を全員配布

•テンポマップ(+2/−3の幅)をパート譜に赤で追記

•明日は金管×木管のハーモニー合わせ→その後全体で一回だけ通し

•練習後は肩甲骨&前腕のストレッチを5分


夕方の風がカーテンを揺らす。譜面に書き込まれた赤い鉛筆の線は、そのまま彼らの足跡だった。次はホールの空気で、仕上げの一歩だ。




夕焼けが校舎の窓を朱く染めるころ、ケースを肩にかけた三人が坂道を下りはじめた。夏の名残の空気がふわりと甘く、アスファルトの熱気だけが一日を引き止めている。


「はぁ〜今日もみっちりやったね」優子が背伸び。

「でも仕上がっとったね、ロス組曲」拓実がにやりと親指を立てる。

「それがさ——」光子がくるりと振り返り、満面のドヤ顔。「春介と春海から、やっと“お姉ちゃん”って呼ばれだしたっちゃん!」

「長い“オバチャン期”に終止符かいな!」優子が両手を天に。

拓実は大げさに胸を押さえた。「称号はく奪式やね。ここで執り行います!」


道端のポールを“式典用マイク”に見立てて、拓実が朗々と読み上げる。

「えー、これにより——“オバチャン”の称号を返納し、新たに“お姉ちゃん”の称号を授与します。有効期限:春介と春海の気分次第」

「期限ついとるんかい!」光子と優子の同時ツッコミ。通りすがりの小学生がクスクス笑った。


角のコンビニで小休止。ガラスに映る汗ばんだ顔がちょっと誇らしい。

「アイス食べよ。お姉ちゃん就任記念やけん」

「賛成〜」三人でガリッとかじると——

「キーンッ!」光子が頭を押さえ、しゃがみ込む。

「脳みそフリーズ選手権・博多予選、優勝おめでとう」拓実が拍手。

「祝うなぁ!」優子のツッコミが澄んだ夕方に気持ちよく響いた。


会計をすませて外へ出ると、ランドセルの低学年が二人、こちらを見上げる。

「ねぇねぇ、テレビのひとやろ?サイン…」

「いまは“お姉ちゃん就任パレード中”やけん、また今度ね〜」光子がウィンク。

「オバ——」言いかけた男の子を相棒が肘で小突く。「おねえちゃんって言うと!」

「……おねえちゃん!」

「よくできました!」三人でハイタッチ。拓実が小声で「あぶなかったね、初日から剥奪されるとこやった」。


踏切が下り、ソニックの通過風がシャツを揺らした。構内スピーカーから、例の**“うにゃ”アナウンスが遠くに聞こえる。

「……あれ、今日の担当、優馬さんの特別版やろ?」

「『まもなく脱水プリンが通過いたします』のやつ?**」

「やめんねそれ!」三人、腹を抱える。


信号待ちでスマホが震えた。美香からのメッセ。

《さっきの二人、また“お姉ちゃん”で通ってるよ。今日は機嫌よかみたい》

「公式発表きた!」

拓実が素早くメモアプリを開いて、さらさらっと打つ。『オバチャン返納証・第0001号』。

「発行者:拓実。備考:雨天・空腹時は失効の可能性あり」

「条件多かぁ!」


自転車を押して商店街へ。八百屋の軒先で柴犬がごろり。

「お、朝のわんこボクシングの主役やん」

「判定どうなったっけ?」

「“かわいさ勝ち”で引き分け」

くだらない実況でまた笑いがこぼれる。


風鈴の音といっしょに家の匂いが近づいてきた。玄関を開けると、台所から美鈴の声。

「おかえりー。今日は“お姉ちゃん”で通っとるって聞いたよ」

「はい!本日ただいまをもちまして、返納いたしました!」光子がぴしっと敬礼。

居間のソファから優馬が身を乗り出す。脱水プリンTシャツで。

「それはめでたい。祝・お姉ちゃん就任セールでもやるか」

「セールって何ば売ると!」「まずはそのTシャツ回収からね」二人の高速ツッコミで家がまた明るくなる。


食卓に座ると、拓実がさりげなく水を配り、箸を並べる。

「今日の合奏、ほんと良かった。息、合っとった」

優子がちょい照れで笑う。「うちら、ボケとツッコミで“無意識の指揮”しよるっちゃろね」

「本番、またさらに上げるばい」光子がグータッチを差し出す。三つの拳が軽く当たる。


その瞬間、LINEに新着。《春介:みーちゅー おねーちゃん ちゅき》《春海:ゆーちゅー おねーちゃん ちゅき》

「公式二通目。よし、これは“日次更新制”やね」拓実が真顔で頷く。

「いつ“オバチャン”に戻るかわからんけんね」優子が肩をすくめ、

光子はぷっと吹き出した。「でもさ、どっちに転んでも、笑えるけん勝ちやん?」


窓の外で、今日最後の風がカーテンを揺らした。

“お姉ちゃん”という呼び名は、たしかに嬉しい。でも——“オバチャン”と呼ばれて全力でツッコむ日常も、ちょっとだけ恋しい。二人はそんなことを同時に思って、同時に笑った。

夜のはじまり。明日もまた、練習と、帰り道と、ちょっとしたドタバタが待っている。





ベランダに夜風が通り抜け、街の灯りがぽつぽつと滲む。遠くでソニックの走行音が薄く響き、洗い立てのタオルみたいな涼しさが肌に心地いい。


「ねぇ、ゆうちゃん。うちら、生まれてからずっと“光子”と“優子”で生きてきたやん? もし別の名前やったら、どげんがよかと思う?」

「ほぉ〜急にロマンチックなテーマ持ってくるやん。そうやねぇ……みっちゃんやったら“あかり”とか似合うっちゃない?みんなに灯り分ける感じ」

「あ、それ好き。じゃあゆうちゃんは“ゆい”。人と人を結ぶツッコミの糸」

「糸って言うなや。けど悪くなかね。舞台名でもいけそう」


二人は手すりにもたれ、名前を投げ合って遊ぶ。


「音楽しよるうちら的には、“かなで”とか“うた”もありやね」

「みっちゃんは“笑音えね”。笑いの“エネルギー”も掛かっとる」

「ゆうちゃんは“澄音すみね”。音がスパーンて澄み切っとるし、ツッコミもキレッキレ」

「ほら出た、キレッキレ。じゃあ国際展開用に“Mitsu & Yu”は?」

「短っ!ガムみたいやん」

「じゃあ“AKARI & YUI”」

「急におしゃれ」


しばらく黙って、風鈴がひとつ鳴る。


「けどさ、結局“光子”と“優子”って、ようできとるよね」

「うん。“光”で照らして、“優”しさで包む。うちらのやりよう、そのまんまやもん」

「名前って、衣装みたいやね。替えらるっちゃ替えらるけど、一番しっくり来るのは着慣れたやつ」

「それな。じゃあ結論:別名義はサブクレジットで遊ぶ。メインは今まで通り」

「賛成。ライブのMCで“本日の別名義はAKARI & YUIでした〜”って言いよこ」

「観客『誰?』てなるやろ!」


ふたりで吹き出す。遠くの交差点の信号が青に変わる度、風の匂いがわずかに入れ替わる。


「ね、ゆうちゃん」

「ん?」

「明日もさ、誰かの夜をちょっとだけ明るくできたらよかね」

「できるよ。みっちゃんおるけん。——いや、“燈”がここにおるけん」

「ほらまたそうやって締めてくる〜。——ありがと、“結”さん」


月が雲間に顔を出し、二人の影がベランダに寄り添って伸びた。

名前が変わっても、笑いと音楽で照らして結ぶ――その核は、ずっと同じ。今夜はそれを確かめ合うのに、ちょうどいい風だった。


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