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響とミスコンテスト

作者: 折田高人

 如月市堅洲町に開かれた私立堅洲高等学校。

 開校して半世紀過ぎても新設同然に整えられた校内環境に反し、その評価は悪名高いものだった。

 頻発する怪異。被害を受けて失踪する者は少なくなく、精神を病んで入院する者は更に多い。

 この高校……と言うよりもこの堅洲と言う地に対して違和感を感じ、あるいは不信を覚えて他の高校に去っていく者は幸運とも言えた。

 五体満足で無事卒業できるのは、毎年ほんの一握り。この学校の悪評を軽く見て外から堅洲にやってきた生徒達も、その多くが後悔を覚える事だろう。

 当然ながら良識ある大人達からは閉校した方がいいのではないかと声が上がったりもしたのだが、そもそも教師側に不祥事は全く見られない。幽霊騒ぎが多いから閉校しろ等、常識に縛られた部外者には流石に口に出せるものではなかったようだ。

 悪評を覆そうと、入試を出来るだけ簡単に、そして学費を出来るだけ割安にするといった経営者の苦肉の策も逆効果。

 今やこの堅洲高校は、頭か金に問題のある者しか受験しない学び舎として全国的に有名となっていた。

 そんな先行き真っ暗な堅洲高校だったが、今日は活気に満ち溢れていた。

 しかも、校内に見られるのは堅洲高校の生徒だけではない。

 校庭には他校の生徒が無数にひしめき合い、件の学び舎の噂が本当かどうかを確かめるかのように、校内を練り歩いている。

 私立堅洲高等学校文化祭。今日から三日間、この呪われた学び舎は外部の人間へと解放されるのだ。


「辛気臭いウチの学校もやればできるんだな。殆どホラースポットに考えなしに突撃するバカップルのようなノリだけどさ」

 立ち並ぶ出店を回りながら、宮辺響は感心していた。

 普段はボサボサのまま適当に纏めている髪も整えられている。纏った衣装は学生服ではなく、クールながらも蠱惑的な印象を与えるお洒落なもの。これも、普段の彼女からは考えられないような装いだった。

「今のところ問題は起きてないみたいだね……このまま三日間、何も起こらなければいいけど……」

 不安げな様子が緑色の瞳に現れている、くすんだ金髪の少女、来栖遼。

 ほぼ毎日、怪異とふれ合う生活をしている彼女は、怪異が部外者に害を及ぼさないか気が気でないようだ。

 この高校に入ってから人間としての常識が崩れてしまいそうな経験を何度も味わってきた彼女だが、なんだかんだでこの学び舎にも愛着が沸いていた。多くの人目に触れる機会に、怪異が問題を起こすのは更なる悪評が広まるので勘弁してほしいと言うのが彼女の本音である。

「だいじょーぶだよハルちゃん! せっかくのおまつりだもん! 怪異のみんなだってたのしんでるんだよ!」

 そんな遼の不安もなんのその。舌足らずで能天気な声を上げるのは、加藤環という少女だった。

 その容姿は小学校低学年の女児そのもの。文化祭に紛れ込んだ誰かの親戚かと思いきや、そうではない。

 その証拠に、遼が身に着けている堅洲高校の制服を、彼女もしっかりと着込んでいた。

 どう見ても年下にしか見えないこの同級生の言葉を受けつつも、遼の不安は収まる気配がない。

 見た目の幼さからは想像できないが、環は怪異相手に相当な修羅場をくぐっている。加えて怪異が日常な生粋の堅洲民である。人外への理解度は到底遼の及ぶところではなかった。

 そんな彼女が言うのならば、恐らくは問題ないのであろうが……理解と納得はまた別である。

「環さんの言う通りですわ。祭は祀り……本来は神様の為に行われるものですもの。誠心誠意お招きすれば、怪異の皆様もきっと問題は起こしたりしないはずですわ」

 遼の不安を取り除こうとしてくれたのか。耳に残る美声に、遼は曖昧な笑みで返す。

 透き通るような声のその持ち主は、その容姿も飛びぬけて美しかった。金糸の如く流れる髪に、吸い込まれそうな蒼い瞳。雪の如く白い肉体は、出る所は出ており、引っ込むべき所は引っ込んでいる。

 まるで神話の女神を思わせる彼女の名は滋野妃。滋野財閥の令嬢である彼女は、祖母がフランス人との話であった。

 容姿そのものは普段通りな妃であったが、彼女もまた、響同様に着飾っていた。派手になりすぎないような品のいいドレスを身に纏った彼女は、周囲の視線を独り占めにしている。

 他校生の男子学生達は、天上の美貌に浮かれきっていた。カップルで来たと思しき男ですら、目を奪われている始末。

 そんな色めき立つ彼らを、しかし堅洲高校の生徒達は男女問わず憐れむような瞳で見ていた。

 特に男子は同情にも似た感情を抱いているようだ。

 美貌の彼女は、入学式でも兎に角目立った存在だった。加えて実家も太いのである。彼女と恋仲になろうとした男子は少なくなかったのだが。

 彼女には、一般人が付き合うのには致命的な欠点があった。言ってしまえば、彼女は堅洲町に適合できるタイプの人間だったのだ。

 わずか一代で財を成した元冒険家の祖父を敬愛してやまない彼女は、未知への興味に非常に敏感だった。リスクを承知の上で、好奇心に導かれるまま怪異に頭から突っ込んでいくのである。

 ここ堅洲ではいくら命があっても足りない性質だというのに、彼女は不思議とぴんぴんしたままだ。

 堅洲高校の生徒の大半は、この町での怪異は経験済みではあるものの、あえて再び関わろうとはしないのが普通である。そうでなければ、命に係わりかねないからだ。

 そんな日常を生きるのに必死な彼らにとって、好んで地雷原でタップダンスをするような妃とは、正直関わり合いになりたくないという感想の持ち主が大半を占めていた。

 現に今も、「文化祭を楽しんでいる怪異の方はいらっしゃらないかしら」等と言いながら、視線を見えない何かに合わせようとしている始末。

「私らの知り合いの怪異共はノリがいいからな。人の群れに紛れて楽しんでいそうである……と。ほれ見ろ妃。目の前に怪異発見だ」

「まあ!」

「やっほ~い! ガラシャちゃんたのしんでる~?」

 ブンブンと手を振って、環は遠目で見つけた知り合いに駆け出した。

「おお、お主等。相も変わらず愛らしい様子で安心したぞ」

 見た目で言えば十二歳程か。黒髪の美少女が控えめに手を振り返す。ゴシックロリータな衣装がコスプレとは思えない程に似合っていた。

 月光院ガラシャ。彼女は人ではない。リリスの末裔……リリムと呼ばれる立派な人外である。

 見た目にそぐわない古風な口調。くすくすと笑うガラシャに響は若干呆れた様子で声を掛ける。

「まあ、お前なら来るよな。どうせ午後の部が目的なんだろ?」

「うむ。我が愛しき従業員達が店の宣伝をしてくれると言ってくれての。その晴れ姿を見にな。ついでに、新しい従業員も見繕いたい所……」

 メイド喫茶を経営するガラシャは愛らしい少女に目が無いのであった。

「して響殿に妃殿。随分と着飾っておるようじゃが、お主等も参加するのかの? ミスコンに」

「まあな」

「はい。とっても楽しみです」

「ふむ……眼福眼福……とても良い。やはり妾の目に間違いはなかった。しかし以外じゃの。妃殿はともかくとして、響殿はこういった催しに興味を持たぬように見えるが?」

 嘗め回すようなガラシャの視線。最早慣れてしまった自分に若干悲しさを感じつつ、響は答える。

「ミスコンにゃ賞品が出るんだろ? 勝てれば最高だが、そうでなくても参加賞は貰えるときたもんだ。参加費用も掛からないってんなら、出なきゃ損だろ?」

「むう……参加賞は帳面と鉛筆の数セットだったはずじゃが……己を賭ける価値はあるものなのかの?」

「こちとら苦学生だぞ? そうでなくても魔導書の写本やら何やらで筆記用具は入用なんだ。それが数セットだぜ? なんて太っ腹! なら狙うっきゃねえだろ。出来ればハルとタマにも手伝ってほしかったんだが……」

「ハハハ……」

「ごめんね、ヒビキちゃん……」

 恥ずかしがり屋の遼はこういったイベントには向いていない。

 環は環で、幼馴染の秋水と共にミスコンの実行委員会の手伝いに駆り出されていた。

「てな訳で、やる気もやる気って訳だ。何せ参加賞狙いだからな。ただ出るだけでいいから気が楽と言えば楽だが、あからさまに手を抜くと龍王院のお嬢様に手抜きだ何だとウザ絡みされかねないんでね。しっかりと身なりを整えてきたってこった」

「うむうむ。良いぞ。実に良い。午前の部で腐りかけた眼球が癒えていくのが実感できるのう」

「……そっちにも顔を出していたのか」

 文化祭の午前の部。そこで執り行われていたイベントは、男子ミスコンテストである。ミスターコンテストではない。読んで字のごとく、ミスコンだ。

 悪ふざけで女装した連中が暴れまわる阿鼻叫喚のイベントは、それはそれで見応えがあったが、ガラシャの美的感覚からは致命的にかけ離れているはずだった。

「もしも、という事があるからの。一応は毎年見に来ておるよ。その一応が未だに来ないんじゃがな」

「何だよ、その一応ってのは」

「女装が様になる男子も、妾が愛でる対象じゃ。とは言っても、基準は女子よりもはるかに厳しいがの。童女の如き容姿だけでなく声も重要じゃ。いかに容姿が良くても声変わりが分かるような男子では妾のお眼鏡には敵わん」

「……雅の奴でもスカウトしたらどうだ? あいつならお前の審美眼とやらに当てはまるだろ?」

 童女のような姿の知己の魔王、雅。響は彼の名を出すものの、ガラシャは首を横に振る。

「確かに、魔王殿ならば容姿も声も合格なんじゃが……やはり足りないものがある」

「バイト時間の確保か? 確かにあいつ、何だかんだで忙しそうだが……」

「恥じらいじゃよ。男子が女子の装いをする以上、恥じらう仕草がどうしても欲しいのじゃ。何というか、魔王殿は必要とあれば積極的に女装しかねん。その辺、午前の部の連中と同様に素質に欠けておると言えよう」

「何だよ、女装が必要な状況って」

「あるじゃろ。ほれ、南九州を攻め落とす時とか……」

「あってたまるかそんな状況」

「ともかく、じゃ。確率はゼロに近くとも、愛らしい女装少年をこの目に収める機会がある以上は欠席する訳にはいかんのじゃが……」

 ガラシャは溜息一つ。彼女の望みははたして叶う日が来るのだろうか。

 男子ミスコンは最早女装美人を決める場所というよりも、似合わない女装をしてウケを取る一発芸大会と化していた。そこでは恥じらいを捨て去った者のみが勝者である。

「大体、男は魔女にはなれないんだろ? 本気でお前の店にスカウトする気か?」

「それなんじゃよな……本当ならば声変わり前の愛らしき姿のまま留めておきたいが、男子は魔女にはできなんだ。リリスの血もままならんものよ。男子の賞味期限はどうしてこう短いのか……」

「賞味期限言うな」

「……っと、そろそろ時間じゃの。あまり遅く入ると良い席が取れんからの。お主等も早く会場に向かった方が良いのではないか?」

「タマの仕事もあるだろうし、そうするか」

「うむ。では会場でな。お主等の晴れ舞台もしっかりと記録しておくから、頑張るんじゃぞ?」


「さあさ諸君! 随分とお待たせしたでござるな! 遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ! 我が校自慢の美女達が、色艶やかに咲き乱れる世紀の大イベント! ミス堅洲高校決定戦が始まるでござるよ!」

 広々としたイベント会場に鳴り響く、テンション高めな男の声。

 初めに会場に姿を現した際、堅洲の外からやってきた観客達は息を飲んだものだった。

 まるで堅気とは思えない、獰猛な鮫を思わせる容姿の青年。

 人の一人二人は殺めていそうな人相の悪さに、何処かの組からのカチコミが来たのかと錯覚する者すらいた。

 しかし、開口一番に放たれた言葉が、その不安を吹き飛ばす。

 容姿にそぐわぬ軽快なトークと、何より美少女にかける情熱が伝わるパフォーマンス。

 彼はまさに、美少女目当てでやってきた観客達と同類なのだ。

 湧き上がる親近感。

 女性の美貌を比べ合うイベントを観戦しに来てなんだと思うが、人は見かけによらないものだと観客達は認識した。

 彼の名は摩周秋水。加藤環の幼馴染である。

「さあて、こんなB級サメ映画が似合いそうな拙者のお喋りなどここまでにして! 早速、かわいこちゃん達の紹介といくでござるよ! ではおいでませい! トップバッターは……シンシア~エノ~モト~!」

 湧き上がる拍手と共に、会場に出てきたのは金髪に青い眼を備えた、何処か内気そうなメイド姿の美少女。

 最前線の席で観戦していたガラシャの応援が耳に入り、初々しくはにかむ姿が愛おしい。

「ん~シア殿、緊張気味でござるかな? 出るのに随分勇気を出したと思うでござるが……」

「はいデス。やっぱりちょっとはずかしい……デモ、おうえんしてくれるみんなのためにがんばるデス!」

 彼女はガラシャが店長を務めるメイド喫茶「マリー&セレスト」の従業員だった。

 新規の客層を開拓する為に、同じく同僚でもある親友の鴫留ルミ、灰堂マリと共に、宣伝目的でこのミスコンに参加したのであった。

 実際、彼女のメイド服は「マリー&セレスト」のものである。ルミとマリも同じ服を選んでいた。普通ならば衣装被りは避けるべきなのだろうが、三度も出ればむしろ印象に残るだろう。

 店の宣伝も忘れるつもりはない。奥手に見えて、意外と強かな面もあるシンシアだった。

「ではでは! 今日はどんなパフォーマンスを見せてくれるでござるか?」

「えとえと……マリー&セレストで人気のソーサクダンスの一つから、『みずどりとみるくさじ』をおどらせてもらうデス」

「おお! 同氏諸君、これは必見ですぞ! 拙者、件のメイド喫茶で実際に見た事があるのでござるが、美しさに参ってしまいそうになりますぞ! ではシア殿、張り切ってどうぞ!」

「はいデス!」

 演技の邪魔にならぬように、舞台裏へと姿を消す秋水。

 耳に心地よい上品な旋律と共に、シンシアの華奢な肢体が滑らかに動き始めた。


 イベント会場から近い場所にある雑木林。二人の少女が楽し気な音楽や沸き上がる歓声が聞こえる方向を忌々しげな表情で睨んでいた。

「やっぱり、許されるべきじゃないわ」

 少女の内の一人が怒りの感情も露わに吐き捨てる。

 ボサボサの髪に包まれた丸顔には、分厚い瓶底眼鏡が鎮座する。制服はヨレヨレで、いつアイロンをかけたとも分からない程。不養生が祟っているのか、油断しきった腰回りである。

 身だしなみを放り投げたとしか思えない容姿の彼女。星野猯子の瞳には、憎悪の炎が燃え盛っていた。

 そんな友人の言葉に、こくりと同意するもう一人。

 細身で容姿はそれなりに整っているが、目つきがとにかく悪く、どこまでもきつい印象が拭えない少女、倉田幸子である。

「ほんと最悪……人を容姿で競わせようなんて馬鹿げてるわ。必要なのは中身よ中身。こんな悪習が有るから、外見で人を判断する馬鹿が蔓延するのよ」

「全くだわ! 私の事をデブとか狸とか言うのはまだいい……でも、ユッキーへの暴言は許せるものではないわ! お局OLだの眼光殺人鬼だの天然見下しフェイスだの……」

「待ってマミ。なにそれ初耳なんだけど」

 どことなく狸と狐を思わせる二人組。小悪党じみたその容姿に相応しく、とある企みを実行しようとしていた。

「とにかく! 開催を許してしまったのは痛手だけど、まだ私達にはやるべき事がある! ミスコンなんて馬鹿げた催しを中止させて、来年の開催の芽を摘むのよ!」

「ええ。でも学園側も強気ね……脅迫状をものともしないなんて……」

 彼女達には幾人もの賛同者が居た。総じて容姿がさえない男子達であり、容姿で判断しないという彼女達は彼らからは姫として崇められているのだった。

 そんな彼らは、ミスコンを……正確には二日目の午後の部で開催される予定のミスターコンを阻止するべく、学園側に脅迫状を送ると言うアイディアを提案、実行役は任せておけと太鼓判を押していたのだが。

「……あ~……脅迫状ね……」

「どうしたのよ、マミ。あからさまに目を逸らせて」

「……ごめんユッキー。脅迫状、送れてない」

「……何で?」

「男って譲れないものがあるらしくってさ……送るべき脅迫状の内容でもめにもめて……やれ文字は血を思わせる赤で書くべきとか、いやいや新聞の切り抜きで作るべきとか……最終的には不気味さマシマシの怪文書派と簡潔に内容を伝える簡文書派で殴り合いの喧嘩になって……結局完成しなかったの。あいつらは今、寮で伸びている真っ最中」

「使えない男共め……」

「まあ、男子共の馬鹿さ加減は想定外だったけど、ミスコンが強行された際の策は出来上がっているわ。任せといて」

「頼りにしてるわよ。あんた、身体はだらしないけど頭だけはいいからね。それにしても……あんた、ミスコンの実行委員会に直談判に行ったんでしょ? 交渉に失敗したとは聞いてたけど、何でそこではうまくいかなかったの?」

「うまくいきそうだったんだよ……途中までは……」

 猯子は悔しさを滲ませた声で俯いた。


「たのもう!」

 荒々しく開け放たれる扉。室内に響き渡る猯子の声。

 すわ何事か、と少女に突き刺さる視線。

 今、このは教室ではミス&ミスター堅洲高等学校実行委員会が文化祭でのイベントの打ち合わせをしている真っ最中であった。

「率直に言わせてもらうわ! ミスコンなんて馬鹿げたイベント、中止しなさい!」

 何とも直球の中止要求に、しかし首を縦に振る者はいなかった。

 このイベントは代々続いてきた伝統のようなもので、楽しみにしている者は大勢いる。

 そんな簡単に中止させる訳にはいかないのだと委員会の面々が説得しても、猯子は全く引かなかった。

「大体容姿で人の価値を図るようなこんな大会、許されるべきじゃないわ! こんな悪習、とっとと止めないと見た目だけで人を判断する馬鹿げた連中が幅を利かす事になるわよ! もしそうなったら、あんた達に責任とれるの?」

 余りの勢いにたじたじになる委員会の面々。

 加えて、猯子は学園で常に成績の上位三位を争う優等生。行き過ぎた正義感から大半の生徒達からは煙たがられているものの、教師からの覚えは良い。

 このまま押し問答をしていても埒があかないと判断すれば、教師達に直談判しかねなかった。

 何とも困った事になったと頭を抱える委員会の面々。その時だった。

「話は聞かせてもらったのだわ! ミスコンの中止を中止してもらうのだわ!」

「何奴!」

 振り返った猯子の視界に飛び込んできたのは、彼女が良く知る人物であった。

 否、この学校で彼女を知らない者の方が少ないのではなかろうか

 艶やかな黒髪を二つに括ったお子様体系のとんでもない美少女だ。

「りゅ、龍王院一華ッ?」

 日本有数の名家にして資産家、龍王院家のお嬢様。

 龍王院一華はいつも通りに二人の侍女を引き連れながら、ズカズカと猯子の前までやってくる。

「ど、どういうつもりなの、龍王院さん?」

「それはこっちの台詞なのだわ狸娘! 何の権限があって私と妃の勝負の場を潰そうとしているのだわ?」

「だ、だって、人の容姿で勝負するなんて、そんなの良くないと……」

「知った事じゃないのだわ! 部外者がズカズカと神聖な決闘の場に土足で踏み込んで来るななのだわ!」

 気圧される猯子だったが、彼女の言わんとしている事を理解して若干の冷静さを取り戻す。

 このお嬢様は滋野財閥の令嬢である滋野妃をライバル視している。そして、何かにつけて勝負を挑んでは破れると言うパターンを繰り返しているのだ。

 今回、彼女はミスコンで新たに勝敗を付けようと息巻いているらしい。

 なら、何とか説得できるかもしれない。ほとんど挑発に等しいが、彼女のプライドを圧し折るより他ない。一か八かの賭けであった。

「そんな事言って、あなた何度も負けてるじゃない。ミスコンなんて特に勝ち目なんて無いでしょ? あの忌々しい滋野のお嬢様が相手なら」

 滋野妃の美しさは最早常人離れしていた。そんじょそこらのトップアイドルですら霞む美貌の持ち主である一華ですら、あの美貌の輝きには決して届かないだろう。

 一華と猯子。月と鼈ともいえる容姿の差だと言うのに、滋野妃はそのはるか先にいる。その事実だけでも、猯子にとっては腸が煮えくり返りそうになる。

 さして交流の無いにも拘らず、容姿の美しさだけで猯子は妃を毛嫌いしていたのだった。

「ねえ、一華さん。そんなのずるいと思わない? 生まれ持った容姿だけで人の価値が決まるなんて、理不尽にも程があるでしょ? ミスコンなんて出場しても、容姿では滋野のお嬢様には勝てっこないじゃない! ほんとあのお嬢様、凄い美人ってだけでチヤホヤされまくって……容姿だけで差別されるような悪習を作らない為にも、あなたもミスコン中止に協力してくれないかしら?」

 猯子は早口でまくし立てる。美貌では妃に太刀打ちできない。残酷ではあるがそれは紛れもない事実。彼女のコンプレックスを刺激して、ミスコンそのものにヘイトを向けさせれば、強力な味方が誕生するはず……。

「……私だって全く勝ち目のない戦いに挑む程、無謀ではないのだわ」

「でしょう、だったら」

「勝ち目が全くなければ、だけれど」

 一華は猯子に蔑むような笑みをぶつけてくる。

「貴女、この学校のミスコンがどういう基準で勝敗を付けるのか、ちゃんと知っているのだわ?」

「え?」

「知らないから『容姿で勝負』なんて言葉が出たんでしょうけど、残念ながらそれが全てではないのだわ。『容姿』と『演戯』、この二つで競うのだわ」

「え、え?」

「まだ飲み込めないのだわ? 妃に容姿で勝てない事なんて、当の昔に理解しているのだわ。でも、勝敗はそれだけでは決まらない。『演戯』の部分で上回れば、十分の勝算があるのだわ。なら、勝負を挑む価値がある。『容姿』分のハンデに臆して勝負を挑まないなんて真似、龍王院家の女としては恥ずかしくて出来やしないのだわ!」

 言葉が出てこない。容姿で全てが決まると思い込んでいた猯子にとって、演戯の評価が存在すると言う事実は初耳であった。

「大方、ミスコンという言葉に踊らされて容姿が全ての大会だなんて早合点したんだろうけど、否定や批判は正しい知識がない者には決して許されるものではないのだわ」

 猯子よりも身長が下の一華。視線こそ猯子の顔を見上げてはいるが、その態度は明らかに猯子を見下していた。

「大体、何で出場も考えていないような貴女がミスコンを否定しようと言うのかしら? 容姿で全てが決まるから? そんな事を言うなら、貴女は自分の容姿をどうにかしようと思わなかったのだわ?」

「そ、そんなの関係ないじゃない! 世の中成績が全てなのよ! いくら容姿を磨いた所で、老いれば全部パーじゃない。そんなの、人生にとって無駄よ、無駄!」

「容姿を磨く事を無駄と決めつけていたのだわ? 自分の興味のない分野に限って、そこで成される努力ってものに気付けないものだけど……例え生まれ持った容姿が優れていたとしても、それを維持するのは大変な事なのだわ。ましてや磨き上げるとなると……分かるのだわ? いや、分からないからそんな口が利けるのだわ。試験で優秀な成績を収めるのには勉強という努力が必要なように、優れた美貌を手に入れるのにもそれ相応の努力ってものが必要なのだわ」

 一華は猯子に人差し指を突き付ける。

「勉学だけが人生ではないのだわ! 成績を犠牲にしてスポーツや美貌に力を入れる生徒だっているのだわ! ならばそれらを披露する場も平等に用意されるべき! 容姿を磨く努力すら放棄した部外者がとやかく言う資格なんて無いのだわ!」

「成績を犠牲にって……学生なんだから勉強くらいはちゃんとしなさいよ……」

 割と真っ当な猯子の反論だったが、一華の言葉に同意した委員会の面々の拍手によって掻き消される。

「大体、容姿が全てじゃないっていう割には、妃に対して随分と当たりが強かったじゃない。長い間競い合ってるから分かるけど、妃なんて自分の容姿にはてんで無頓着なのだわ。精々他人を不快にさせないように清潔な衣装を身に着けるだけ。私から勝負に誘わなかったら、たぶんミスコンにも出場しなかったのだわ。容姿で差別しないって言いたいんなら、美人に対するそのやっかみは差別じゃないとでもいうのかしら?」

 猯子は何も言えなかった。自分の行動が美人への嫉妬心から出ているものだと断言されたも同然だった。

 普段の彼女ならば、例え相手の反論で言葉に詰まってもまだ手があった。

 成績優秀な優等生である自分なら、教師達を味方に付けられる。事実、中学まではそうやって自分の意見を押し通して来た猯子だった。

 しかし、このお嬢様には通用しないのが目に見えていた。

 猯子がこの学び舎での首位を争っている相手というのが、正しくこの一華だったのだ。ちなみにもう一人は妃である。

 ケアレスミスで若干の変動があるとはいえ、座学試験では常に全教科満点の三人の少女。

 一見すると互角に見える学力だが、実際にその実力には大きな開きがあった。

 一華は響と全国模試での勝負も挑んでいるらしく、そこでのこの二人の成績は猯子のはるか上に位置している。

 実際の所、本当の学力では足元にも及ばない猯子であった。

 加えて、家柄の格も完敗していた。

 一華は日本古来から続いてきた名門の家柄であり、今でも日本有数の資産家として名を馳せている。

 妃はと言えば、歴史的には新参者とはいえ、世界有数の大財閥の御令嬢。

 経済的な理由が原因で、悪名高き堅洲高校に入学せざるを得なかった貧乏家庭の小娘では逆立ちしたって勝ち目がない。

 猯子は頭を抱えるた。ミスコン開催を強行しようとする目の前の一華も困るが、この場にいない妃の存在も割と最悪であった。

 あのお嬢様は好奇心旺盛で、色んな事に首を突っ込みたがる質である。

 勝敗なんぞに興味なく、友人との思い出作りとしか思っていないだろうが、間違いなくミスコンを楽しみにしている事だろう。

 成績も家柄も太刀打ちできない怪物どもが揃って開催を支持しているとなると、最早普通の方法でミスコンを中止させる事など出来はしない。

 今の猯子にとれる手段はただ一つ、戦略的撤退のみであった。

「お、憶えてろ~ッ! マナイタツインテール~ッ!」

 捨て台詞を一つ残して走り去っていく猯子を、委員会の面々が冷ややかな瞳で見つめていた。


「大体、何だって金も頭も有り余ってる連中がウチの高校に入学してるのよ! もっと上を目指しなさいよ! できるでしょ、あんたらなら!」

「たぶん、龍王院さんは滋野のお嬢様を追って来たんじゃないの? 滋野さんが異常な程オカルト好きなのはもう学校中に知れ渡ってるし、あのお嬢様なら好奇心で怪異塗れのウチの学校を選んでも不思議じゃないから」

「ストーカーじゃない、あのマナイタ! 犯罪よ犯罪!」

 屈辱の記憶に打ち震える友人を視界の端に映しつつ、幸子はこの件を安請け合いした事を後悔していた。

 猯子が容姿差別主義者にしてやられたと喚きたてるから、てっきり非はあちら側にあると思っていたのだが、どうにも思ってたのと違うようだ。

 そして一華の言葉。妃と勝負したいと言ういつもの発作から来たものだと言う事を抜きにすれば、彼女の言い分はもっともなのではないか。

 これまで浮ついたクラスメイトが、やれ洋服だの、やれ化粧品だの、やれファッション誌だの……就職にはなんら影響を持たないであろうそれらに熱中する姿を、冷ややかな目で見ていた幸子であったが、成程。考えてみれば、これらも美を磨くという意味では立派な努力に当たるだろう。

 勉学に勤しむ学生の為に試験があるように、スポーツに青春をかけている学生の為に大会があるように、美を追求する者にだって平等にそれを披露する機会が与えられてもいいのではないか。

 容姿を磨くという行為を無駄と断じていた自分の狭量を恥じる幸子。

 だが、今更ミスコンの邪魔をするのは止めようとは言えそうにもない位に猯子はヒートアップしてしまっている。

 猯子の話をろくに聞かず、美人憎しの気持ちで協力を安請け合いした非は自分にある。

 後は野となれ山となれ。容姿に優れた同性に対する嫉妬心の赴くがままに、盛大に邪魔をしてやろうではないか。

 倉田幸子、覚悟完了。

「で、マミ。どうやってミスコンの邪魔をしてやる気なの? プラカードなら用意してきたけど、観客席から声を上げてデモ? それとも会場に乱入してマイクパフォーマンスでもする?」

「いや、デモとか乱入とかじゃ無理」

「なんでよ」

「きっとクソ馬鹿ツインテールの入知恵ね。ダゴン秘密教団ってあるでしょ、この町」

「ああ、あの河川敷やら海辺やらでボランティア活動してる磯臭い連中ね」

「この町では結構影響力のある団体らしくってさ。今、司会の声聞こえてきたでしょ。あいつ、あそこの代表の孫なのよ」

「……ああ、成程」

「他にも、星の智慧教会って言う堅洲町の御意見番の娘が委員会を手伝ってるらしいし、姿をさらして反抗にでれば町中のオカルト組織に狙われかねないわ」

「……触手とかに襲われたらやだなあ……エロい目じゃなくてグロい目に遭いそう……」

「だから、私は考えたのよ。自分達の姿が見られないでもすむ方法をね!」

「へえ、どんな?」

「簡単よ。これをこの場に残してとんずらするの」

 猯子の手には一片の紙。そこには新聞紙から切り抜かれた文字で『もし君達がこれ以上この愚かしい容姿差別的なイベントを続けるつもりならば、次にこうなるのは君達の学び舎となるだろう』と記されていた。

「……? 『次にこうなるのは』ってどういう事?」

「ふっふっふ」

 瓶底眼鏡の垂れ目が得意げな笑みを浮かべている。

 猯子の鞄の中からガサゴソと取り出されたのは、得体のしれない物体であった。

「……何これ?」

「爆弾よ、ば・く・だ・ん! 私お手製の時限爆弾!」

「……は?」

 呆気にとられる幸子を余所に、猯子は早口でまくしたて始める。

「こいつをここにセットして、私達はアリバイ作りの為に離れた場所で人目につくの! あとは時間が来ればドカンと一発! 爆音に驚いた連中が駆け付けた先には、この脅迫状だけが残されているって寸法よ! 流石私! 天才ね!」

「いやいやいや、何言ってんのマミ? 不味いでしょ! どう考えても不味いでしょ!」

「大丈夫大丈夫! ここには誰も来ないし、爆発の規模も大きくないから怪我人なんて出ないから!」

「そうじゃなくって……大体、お手製って何? そんなやばいものどうやって作ったのよ?」

「ふふん。フリマで買った本に作り方が書いてあったのよ! 『腹腹時計』って言う本にね!」

 何とも得意げな猯子に、幸子は開いた口が塞がらない。

 確かに覚悟は完了していた。声を上げてデモもしよう。必要とあればヘイトスピーチだってやって見せよう。しかしさすがにこれは看過できない。

「だめダメ駄目! 流石にそれは一線超えてるって! 容姿差別を訴える正義の使者の私達が取っていい手段じゃないってそれ!」

「大丈夫! 正義は我に有り! それを認めない連中に恐怖と罰を与えるのもまた正義!」

「テロリストに正義があるものか~ッ!」

 何とか暴走行為を止めようと、幸子は猯子に飛び掛かった。

 もみくちゃのまま言い争う二人の少女。壮絶な仲間割れの果て、猯子の手からお手製の時限爆弾がポロリと落ちて……。

 鈍い金属音がその場に響き渡った。

 何事かと足元を見る二人の少女。その顔が青ざめる。

 足元にあるのは真っ二つになった時限爆弾。爆発しなかったのは幸いだったが、それ以上にその場に突き刺さっている物の凶悪さに背筋が凍る。

 それは大ぶりの鉈だった。よく手入れされているのか、錆一つない。この武骨な凶器こそが、爆弾を金属部品ごと両断してのけた物の正体だった。

 気が付けば、周囲に闇が広がっていた。まだ昼のはず何のも拘わらず、先程まで確かに届いていたはずの太陽の光が急に失われていた。

 魂を凍えさせるような肌寒さが猯子達を襲う。

 少女二人を包み込む暗闇の中、白い何かが浮かび上がる。

 白い顔がそこにはあった。おおよそ表情というものを感じ取れない、無機質な白い顔。

 能面だ。能面を被った誰かがそこにいる……否。

「「ヒッ……」」

 二人の少女の悲鳴が重なる。

 能面の下には身体が無い。能面を身に着ける為に必要な頭すら見当たらない。ただ、作られた顔だけが暗闇の中に浮かんでいた。

 ギイギイと不快な金属音。そちらに視線を移すと、地に突き刺さった鉈がゆっくりと宙へと持ち上がる。

 鉈の後ろには、憤怒の形相があった。般若の面だ。

 暗闇の中に白い顔が次々と浮かび上がっていく。

 真蛇、生成、癋見に飛出……異形の面が猯子達を取り囲んでいた。

「……ス……」

 老若男女いかようにも取れるような不快な囁きが聞こえる。

 闇の中、静寂に痛くなった耳の中、その囁きは次第に音量を上げていく。

「……コ……ス……」

「……コ……ロス……!」

「……コロス……コロス……コロスコロスコロス!」

 明確な殺意を持って睨みつけてくる無数の面。

 絶叫をあげて逃げ出す幸子。

 後方で何かが地に落ちる音が聞こえた。

 構わずに逃げ続ける。逃げて、逃げて、逃げて……。

 刹那が永劫にも感じられる程に駆け抜けた幸子。

 途端、太陽と喧騒が彼女を包み込んだ。

「え……あ……」

 振り返ると、闇が一塊になって蹲っている。

 じりじりと後退りする幸子は、そこで漸く気が付いた。

 猯子がいない。

 逃げる途中で転んだりでもしたのだろうか。猯子はおそらく、今だに闇の中……。

 彼女を助けようと、もう一度闇の中に飛び込もうとした幸子だったが、そんな彼女の脳裏によぎったのは猯子の言葉。

『姿をさらして反抗にでれば町中のオカルト組織に狙われかねないわ』

 そうだ。彼らならばこの怪奇現象に対する力を持っているかもしれない。

 闇の塊に背を向けて、幸子はミスコン会場へと駆け出した。


 喧騒が止んでいた。

 上天の美貌。鮮やかな蒼いドレス。繊細な白い指が弦を操る度、観客の耳に届く至高の音色。

 滋野妃の演奏するバイオリンの旋律が、ミスコン会場を支配していた。

 古典音楽に馴染みのない若い観客ですら、この調が素晴らしいものだと魂の奥で理解できていた。

 そんな優雅な演奏会と化しているイベント会場のその脇で、龍王院一華は悔しげな、その一方で誇らしげな……何とも複雑そうな表情で会場を覗き込んでいた。

 いつものツインテールはストレートに下ろしており、品の良い和服の装いに良く似合っている。

「流石は我が生涯の好敵手なのだわ……」

「でも、お嬢も負けてなかったっすよ。お嬢の琴の演奏、滋野のお嬢の演奏と同じくらいに観客を魅了してたっす」

「……天女の調……天帝の玉座の如く」

 一華の横で妃の演奏を眺めていた獅堂二葉と蔵馬三樹が感想を述べる。

 それは世辞でも何でもない本心からの言葉であったが、一方の一華は浮かない顔だ。

「……正直実感ないのだわ。琴の演奏に集中していて、観客の反応にまで気が回らなかったのだわ」

「まあ、集中してたから無理もないっすね。今の滋野のお嬢みたく、観客が演奏に聞き入っていて静かだったっすから」

「むう……まあ、全力でぶつかる事は出来たのだわ。勝敗は観客に委ねるとするのだわ。ところで、二人ともちゃんと練習とかしてきたのだわ? まさかぶっつけ本番でどうこうしようなんて考えてないでしょうね?」

「当然、参加を決めたからにはしっかり練習したっす! お嬢、私達も負けないっすよ! これは真剣勝負っす! お嬢相手だからって手加減なしっす!」

「……反逆のレジスタンス」

「その意気や良し! それでこそ私の侍女達なのだわ!」


 和気藹々と闘志を燃やし合う龍王院一行を生暖かい瞳で眺めつつ、宮辺響は迫る自分の番に向けて備えて息を整えていた。

 裏方で忙しそうにチョコマカ動き回っている環が時折視界に入ってくるが、響の集中力は途切れる事も無い。

「……堂々としてるなあ響ちゃん……私には絶対に出来ないよ……」

 感心した様子で響に話掛けてきたのは来栖遼だった。

 部外者である彼女がどうしてこの場所にいるのか。

 聞いてみると、機材に何らかのトラブルがあったらしく、環に頼まれて修理をしに来たらしい。

 仕事は既に済んでいたが、他の機材にもトラブルが起きたら困るとスタッフ達に頼み込まれ、結局委員会を手伝う事になったようだ。

 相も変わらず人がいい。垢抜けない雰囲気の友人を見て、響は苦笑する。

 さて、そろそろ自分の出番。すぐに舞台に出れるように移動でもしよう。そう、響が考えたその時だった。

 飛び込んできた人影一つ。慌ただしく舞台裏に乱入するや否や、近場の壁に手をついて全身で呼吸をする少女。倉田幸子であった。

 突然の闖入者にスタッフ達は何事かと詰め寄るが、錯乱状態の為か、幸子の話はどうにも要領を得ない。

 ただ、幸子が友人と怪異に巻き込まれた事、オカルト絡みの事件に詳しそうな人物が実行委員会にいると聞いて助けを求めてきた事だけは響にも理解できた。

 顔を見合わせ困惑するスタッフ達を退け、響は幸子に駆け寄った。

「……要するに怪異から友人を救う手助けが欲しいって事だろ?」

 落ち着いた口調の響に対し、全力疾走で汗をダクダクかきながらも、幸子は必死に首を縦に振る。

「仕方ない。ハル!」

「な、何? 響ちゃん?」

「悪いが急用ができたんで次の私の出番は飛ばしていいって伝えといてくれ」

「う、うん」

「よし。じゃあ細目の。とっとと現場に案内しろ」


「さあさ皆さん! 百花繚乱のこの宴はまだまだ続くでござるぞ! 次なる美女はヒビ~キ~ミヤベ~!」

 会場に朗々と響き渡る秋水の声。それに答えて出てきたのは、くすんだ金髪の少女であった。

 今まで色とりどりの衣装を目にしてきた観客達は困惑する。此度の少女、垢抜けない雰囲気ではあるが、確かに美少女。だが、身に纏っているのは堅洲高校の制服である。ミスコンには不釣り合いな衣装であった。

 そんな少女の姿を見て、秋水も目を丸くする。

「……遼殿? どうしたでござるか? 響殿は?」

「えっと、響ちゃん急用ができて出られなくなったって。それを伝える為に出てきたんだけど……」

「む、そうでござったか。しかし困ったでござるな。次の出場者の出番までまだ時間があるでござるし……そうだ! こうやって会場に来てくれた事でござるし、折角だから遼殿も何か演戯をしていかぬでござるか?」

「え、え、えええ?」

「顔見知りを助けると思って、これこの通り」

 手を合わせて頼み込む秋水。

 観客席も、唐突な乱入者である遼のおどおどとした小動物的な態度に対して親しみを覚えたのだろうか、「頑張れ~」等と笑顔で声援を送ってくる。

 少し悩んだ結果、遼は意を決したようだった。

「そ、それじゃあ、下手の横好きに過ぎないけど……」

「おお! やってくれるでござるか! 感謝感謝でござる! して、どんな演戯を?」

「ヒューマンビートボックス? の真似事、いきます!」

 湧き上がる拍手の中、遼は大きく一つ、深呼吸。そして……。

 彼女の声が発せられると同時に、会場が一気に静まり返った。


 闇が囁く。

 無機質な無数の顔が冷たい敵意を向けてくる。

 声が出ない。

 逃げたくても逃げ出せない。

 腰が抜けた。

 唇は震えてまともな言葉すら出てこない。

 蒼白の面が徐々に距離を詰めてくる。

 殺意を口にしながらも一切手だししてこないのは、果たして自分を弄んでいるのだろうか?

 恐怖に支配され動けない猯子を嬲るが如く、仮面達は彼女の周りを浮遊する。

「マミ!」

 闇の中に響き渡る友人の声。

 聞こえてきた方向から、きつい眼をした幸子が汗に塗れて走ってくる。

 その後ろに見知らぬ少女……否、猯子は彼女を知っていた。確か名前は宮辺響。忌々しい滋野妃といつも一緒に居る少女だ。

 響はこの暗闇も、取り囲む仮面にも全く怯む様子がない。それどころか、浮遊する白い顔達を認めるや否や怒りの感情を露わにし……。

 メキャ!

 異様な音をたててその拳が面の一つにめり込んだ。

 途端、闇が弾けた。

 霧散した闇が一ヵ所に集まっていく。

 無数の仮面が闇の収束に巻き込まれて消えて行く中、ただ一つ残った顔……ホッケーマスクを中心として小柄な人影が姿を現した。

「うおおお……グーパン……グーパンって……洒落になってないよ響!」

「やかましい! 早苗……とうとう学校にまで姿を現す様になったかこの変態が!」

「だ、だって……今日はお姉さまの晴れ舞台なんでしょ? だったらイクしかないじゃない!」

 響は呆れ顔を隠そうともせず、蹲るホッケーマスクの幼女を冷ややかな目で見下していた。

「……知り合い?」

 響と怪異の狎れ合いに、呆然とした様子の幸子はようやっとそれだけ口に出す事が出来た。

「……認めたくはないがな。妃のストーカーやってんだよ、この色情霊は」

「ストーカーじゃない! 純愛よ!」

「ストーカーは皆そう言うんだよ! ましてや他人に迷惑かけて何がしたかったんだお前は!」

「だってこいつら、お姉さまの晴れ舞台を潰そうと画策してやがりましたのよ? それを阻止するついでにきついお灸を添えてただけじゃない!」

「……何だって?」

 幸子に視線を向けると、あからさまに目を逸らされた。走って搔いたのとは違う種類の汗が幸子の顔を伝っていく。

「ほーら! やましい事があるからそんな態度をとるんでしょ? 正義は我に有り!」

「ストーカーが偉そうにしてんじゃねえ!」

 自分のやった事に間違いはないのだとばかりに平らな胸を天に逸らす和香鳥早苗、享年九歳。

 そんな彼女に頭を抱えつつも、響は幸子に事情を聴いた。

 ミスコン憎しの感情だけで爆弾まで自作してのけた猯子の行動力に響は軽くドン引きする。爆発物は既に無力化されており、危険性がないのは幸いであった。

 元凶の猯子は闇から解放された後は放心しっぱなし。

 この暴走狸にちゃんと首輪を付けとけと幸子に言い聞かせ、身内の引き起こした怪異事件をなかった事にする響であった。


「おかえり、響ちゃん!」

 お騒がせ者二人と別れ、ミスコン会場に戻ってきた響。

 コンテストは閉会式を迎えているようで、舞台裏に見知った顔は迎えに来た環以外には居なかった。

「あっ! サナちゃんもきてたんだ! キサキちゃんの演奏、すごかったよね!」

「うう……それが……お姉さまの晴れ舞台を邪魔しようとしていた悪党を成敗するのに夢中で間に合わなかったのよ……」

 がっくりと肩を落とすホッケーマスク。白いワンピースが力なく揺れる。

「そーなんだねー。でもだいじょーぶ! 委員会のみんながちゃんとえーぞーに残してくれたから!」

「ほんと! ありがとータマ!」

 目を輝かせる早苗。

 余程嬉しかったのだろう、環の手を取って踊り出す。

 やがて、がやがやと声を上げて参加者達が舞台裏に戻ってきた。

「まあ、早苗さん。応援に来てくれたのですね?」

「お姉さま! 結果はどうでした? もちろん優勝できたんですよね?」

 屈託のない笑顔で聞いてくる自分のストーカーに、妃は苦笑する。

「残念ながら……」

「そんな! お姉さまが優勝できなかったなんて!」

「ん~……妃が優勝を逃したって事は、まさか……」

 響の視線の先。龍王院一華が立っている。

「まさかとはどういう意味なのだわ?」

「他意はない」

「こいつ……はあ、残念だけど優勝したのは私でもないのだわ」

「ほ~ん? じゃあ、誰が優勝したんだ?」

 一華は答えず、代わりに視線で優勝者を指し示した。

 そこにいたのは、代り映えのしないこの高校の制服を着た、くすんだ金髪の少女。

「……ハル?」

「あ……あはは……」

 裏方の手伝いをしていたはずの来栖遼が、優勝トロフィーを抱えて困ったような笑みを浮かべていた。

「ちょっ……どーゆー事なのハル! なんでハルが優勝トロフィーを?」

「え、えっと……」

「いやあ、凄かったでござるなあ。遼殿のパフォーマンス。正規の参加者じゃないのに、満場一致で優勝決定でござったよ」

 秋水の言葉に妃も……一華でさえ頷く。

「遼さん、私の演奏を何の楽器もなしに再現してみせたんです! 本当に凄かったんですよ!」

「私の琴の旋律さえ真似て見せたのだわ……あれは流石に負けを認めざるを得ないのだわ」

「私らの演戯、ハルハルの熱演の後って事もあって全然受けなかったっすね……結構自信あったんすけど……」

「……無念」

「無理もないのだわ……二人とも見事な演技だったのだわ……ただ、相手が悪すぎただけで」

「人間の声帯って極めればあんな音が出せるんすね……」

「生命の神秘……」

 落ち込む侍女達を一華は気の毒そうに慰める。

 何でも、遼は声だけで無数の楽器の演奏を模倣して見せたらしい。

 あまりにも圧倒的なその超絶技巧は、観客達の心を大いに打ち震えさせた。

 結果、今回のミスコンは本来参加者でもない遼がミス堅洲高校に選ばれるという前代未聞の事態で幕を下ろしたのであった。


 余談だが。

 此度のミスコンによって、遼が演戯次第では容姿の評価をひっくり返せる事を示した結果、次の年度のミスコンからは容姿よりも演戯を競い合う、さながら一発芸大会の様相を呈するようになるのだが、それはまた別の話である。

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