塗煮児
中学生の僕は、人生が退屈で仕方なかった。正直、生きているのもめんどくさいと感じて始めていた。
親や学校の先生からは勉強を強いられるし、趣味と呼べるものや人生の夢みたいなものも持っていない。やることもないので、毎日パソコンを開いて、動画サイトを眺める日々を過ごしていた。
当然それは夏休みになっても変わらない。学校の知り合いたちは部活やら旅行やらに時間を注ぐ中、僕はクーラーの効いた部屋で一日中モニターとにらめっこだった。もちろん、家のことはなんの手伝いもしない。お客様のような待遇だ。
夏休みが始まって十日も経った日の朝。そんな生活を見かねた母が、少し大きめなリュックサックを寝ている僕の上に投げつけてきた。
「あんた、そんな生活をしているくらいだったら、おじいちゃん家に行きなさい」
そんな母の言葉は、僕の寝ぼけた頭にヘッドロックを食らわせたほどの衝撃を与えた。
おじいちゃんの家がある地域は、なにもない田舎だった。あの家にはゲームもパソコンもない。ほかに何かするにしたって、公園だってないのだから、外で遊ぼうって気も起きやしない。
いやだね、あんなところ行くもんか。
なんて反論しようとしたけれど、母の威圧がそれを許してくれなかった。
僕は、しぶしぶそのリュックサックを背負って、おじいちゃん家に行くことにした。
ちなみに、スマホは持たせてくれなかった。これがあったら何も変わらないと、母が許してくれなかった。
おじいちゃん家は、東北地方の内陸にある。山に囲まれたド田舎だ。
新幹線とバスを経由して、炎天下の中、三十分ほど歩かないと、たどり着くことはできない。だから、家に着いた頃はくたくたになっていた。
家に着くと、おじいちゃんが出迎えてくれた。今年齢九十になるが、なぜかいつも元気に満ちている。
そんなおじいちゃんは、一日の終わり、夕飯時になると、決まってあることを聞いてくる。
「今日は楽しかったか?人生楽しく生きてるか?」
幼いころの僕は、「楽しいよ」と答えていたように思う。
だから、今日も「うん。楽しかったよ」と答えた。
もちろん、楽しくなんてない。むしろつまらない。人生に楽しさなんて、しばらく感じていない。
だけど、おじいちゃんはそんなこと知るわけもなくて、その答えを聞くと満足そうにうなずいた。
次の日、僕は家にいるのが苦痛に感じて、逃げるように外へ向かった。
この家にはクーラーがないのだ。一台ある扇風機もおんぼろで弱風しか機能しない。
前述のとおり、外に出たところでなにもすることがないのだが、こんな家ですることもなく寝ているよりはマシだ。
なにか面白いものでも見つからないかと、適当にその辺を歩いていた。
しかし、やはりというか、十分歩いても僕の興味を惹くものは何一つ見つからない。炎々と揺らめく陽炎だけが、少しだけおもしろく感じれた。
つまらない。そう感じていたときだった。
「あー」
背後から声が聞こえた。一瞬ビクリと体が跳ねた後、振り返ってみると、そこにはおじいさんが立っていた。なんだかやけに古臭い服を着た、猫背のおじいさんだ。
「あーあー」
よぼよぼな声で、何かを言っている。しかし、歯がないのか、上手く言葉にできていないようだった。
僕は首をかしげてみる。すると、おじいさんは手をお椀のようにして、差し出してきた。
「あー」
よくわからなったし、しゃべれないおじいさんはどこか不気味だったので、僕は「あの、僕に何か用ですか?」と聞いてみた。
おじいさんはこくり、と首を縦に振り、自分の手をじっと見た。
何かが欲しいのか?と思った僕は「あげれるものなんてないですよ」と言って、逃げるようにその場を後にした。
少し離れた後、背後を振り返ってみると、おじいさんは、そのまま、あの場でただ立ち尽くしていた。この暑い中でただ一人立ち尽くす姿は、なんだか気味が悪かった。
翌日、外を歩いていると、また声をかけられた。昨日とは違うおじいさんだった。
道の真ん中に立っていたその人は、僕を見つけるなり、ゆっくりと近づいてきた。
昨日のこともあって、老人という存在を警戒していた僕は、なるべく目を合わせないように足早に通り過ぎようとした。
「そこの君や。そこの君や。ちょっと待っとくれ」
だが、蚊のような声でそう言われ、このまま無視するのはなんだか後ろめたく思ったので、仕方なくそのおじいさんに近づいた。
けれど、すぐに後悔した。
近づいてみてわかったが、そのおじいさんは、骨のような人だった。
手足はやせ細り、左手は肩からだらんとぶらさがっているかのように見える。まるで骨がないかのようだ。
歯も何本か抜けていて、髪も落ち武者のようにスカスカだ。
極めつけはその服装。江戸時代の農民が着るような、薄手の着物を着ているだけでもおかしいが、それに加えて、その服は引き裂かれたかのようにボロボロだ。
昨日のおじいさんのほうがまだマシに思える。
「おじいさん、誰」
せめて名前だけは聞いておこうと訪ねた。
「宗玄」
それが、名前なのか名字なのかはわからなかったが、それだけしか名乗らないおじいさんを、僕は余計に警戒した。
だが、おじいさんは僕が警戒しているのを気にも留めず、服の内側からごそごそと何かを取り出した。手を抜くときに、白い粉が舞っているのが見えて、気持ちが悪かった。
「これを持っておきなね」
そう言って差し出されたのは、小さな鈴だった。観察してみようと、とりあえず受け取ってみた。
その鈴は、木のようなものでできていて、ふると中でカランコロンとなにかが転がっている。鈴といえば金色のイメージだったので、少し不思議だった。
とはいっても、普通に要らなかったので、おじいさんに返そうと鈴から顔を上げたところ、そのおじいさんの姿はどこにもなかった。
あたりを見渡しても、どこにもいない。地面を見ても、足跡などの人がいた形跡はなかった。
残ったのは手元に残る小さな鈴だけ。
僕は、幽霊か何かだと思った。聞こえてくる蝉の声はずいぶん不気味に感じた。
けれど、その鈴は捨てようと思わなかった。おじいちゃんに見せれば、何かわかるかもしれないと考えたからだ。持っていたくなかったけれど、しかたなく僕はポケットに入れておくことにした。
すぐに家に帰ると、おじいちゃんはいなかった。
机の上に置手紙があって、そこには『お寺に行ってくる。今日は戻らない』と書かれていた。
僕は、おばあちゃんの墓参りかな、と思って、気にせず用意されていた昼食を食べて、その後は、やることもないので横になった。そのまま眠ってしまって、起きたのは次の日の朝だった。
翌朝。家の玄関を開けると、すぐに違和感に気が付いた。
だれかがいる。
こちらを見ている。
四人。道の真ん中で、こちらを見てきている。
その中に一人、見覚えのあるやつがいた。
一昨日のおじいさんだ。
また、こちらに向けて手をお椀にしている。
まるで物乞いのようだ。
他の三人は見たことがなかったが、皆おじいさんのように手をお椀にしていた。
その様子に、僕が固まっていると、彼らは『にぃ』と顔をゆがめた。笑っているようだが、その笑顔が善意で作られたものではないのは一目瞭然だった。
そして、彼らはゆらりと陽炎のように、こちらへ歩き出した。
僕は勢いよく玄関の扉を閉めて、鍵をかける。かちゃん、と鍵が閉まったのを確認したら、すぐに家の中に飛び込み、窓とふすまを全部閉めた。
おじいちゃんはまだ帰ってきていない。明日には帰ると書いてあったが、明日の何時かは書いてなかったのを思い出した。
なにか、なにかないかと考えた末、僕は仏壇のある部屋に閉じこもることにした。
仏壇があるだけの小さな部屋だが、ふすまを閉めれば密室になる。
いつも不気味だと思っていた壁に貼られてあるお札が、今はとても頼もしく思えた。
仏壇の前にある座布団で頭を隠して、いつもはどうでもいい仏様に、一度も会ったことがないおばあちゃんに、必死に祈った。
「あー。あー」
声が聞こえてきた。壁にさえぎられるはずの声が、どうしてかここにいても鮮明に聞こえてきた。
「おんぎゃあ。おんぎゃあ」
僕を求めるように発せられる声は、しばらくすると、けたたましい泣き声になった。
少なくとも老人のする泣き方ではない。
これは、赤ん坊の泣き方だ。
老人であるはずの彼らが、赤ん坊のように泣く姿を想像すると、余計に身が震えた。
こんな怖い思いするなら、いっそ楽に死なせてくれ。なんて思ったりした。
そう思った直後、玄関のドアが開いた。
引き戸のドアだから、ガラガラ、という音がするはずなのだが、ガシャンガシャン、となにかがぶつかるような音がした。
そして、あの鳴き声が止んだ。あまりにも急に泣き止んだ。
「あー。あー」
あの声をあげて、家を這う音が聞こえる。今にして思えば、この「あー」という声も、どこか赤ん坊のように聞こえてきて、意味も分からず笑えてくる。
僕は「はぁ」とため息をついた。笑ったからか、もうあきらめたのか、どうにも怖さが薄れてきた。
ふすまを見ると、そこには人の気配があった。四人。そこに立っている。
生まれてくるんじゃなかった。そう口にしようとしたとき。
「どうしたこれは。だいじょうぶか!?」
と怒鳴り声をあげて、おじいちゃんが帰ってきた。
その声を聴いて、僕の中でなにかが弾けた。
涙が止まらなくなり、体は震えて言うことを聞かなかった。
気が付けば、ふすまの奥にあった気配は消えていた。
その日の晩、おじいちゃんに僕の身に起こったことを話した。
一昨日、おかしなおじいさんに会ったこと。
そして今日、そのおじいさんたちが玄関先にいて、家の中まで入ってきたこと。
おじいちゃんは、僕が話していくうちに、呼吸が荒くなっていった。
「そいつらは…そいつらは、赤子のように泣いていた、んだな?」
そして、不思議なことにそのおじいさんたちが赤ん坊のように泣くことを知っていた。
僕がなぜ知っているのか、と聞く前におじいちゃんは僕の手を強く握り、いまにも泣き出しそうな顔をして言った。
「いいか。絶対に、死にたいとか、生まれてこなければよかった、なんて思うな。思えば、やつらは今度こそお前をもっていってしまう」
おじいちゃんは、「いいか。絶対だぞ」と念を押した後、どこかに電話をかけ、すがるような声でなにかをお願いしていた。
五分ほど電話していたか。「では、どうぞよろしくお願いします」と言って受話器を置くと、僕の手を引き、家を飛び出した。その手は強く、跡が残るほど強く握られていて、自分がどんな状況にいるのかを実感させられた。
歩いている最中は、お互いに無言だった。一言もしゃべらず、ただどれだけ足を速く動かせるかに注力した。
やつらが出てこないか、ものすごく心配だったけれど、出てくることはなかった。
ただ、体にまとわりつくような視線だけは感じていた。きっと、どこかで僕をねらっているんだろうな。と、人ごとのように思った。
目的地は大きな寺だった。不自然すぎるほど大きな寺で、荘厳な門の前に、何人もの人が立っていた。
その中の一人、僧のような恰好をした人が、一礼をして前に出てくる。
なにかをおじいちゃんと話した後、その人は僕を哀れむように見てきた。
「今、何人見える?」
一瞬、意味が分からなかったが、とりあえず周りにいる人の数を数えてみる。
「えっと、おじいちゃんを入れて、十八人?ですね」
その答えを聞いて、その人はとても難しい顔をしていた。
そして、おじいちゃんに向けて、
「残念ですが、手遅れでしょう。十六もいる。もう守ってやれるような状況じゃありません」
ああ。どうやら手遅れらしい。ようやく僕も理解した。
つまり、このおじいちゃんとこの人以外は、あいつらと同じなんだ。
とたんに、寒気がした。鳴くひぐらしの声が頭の中によく響く。
彼らはじっと僕を見ている。顔だけを動かして、じぃーっと。
「……やれるだけやってみましょう」
おじいちゃんと話していたその人は、僕に「ついておいで」と言うと、その広い境内の中に入っていった。
おじいちゃんと僕と、それから十六人の彼らがそれに続いていく。これがRPGだったら、きっとこの僧の人は僕たちを頼もしく思うのだろう。
しばらく歩くと、おそらく本殿と思われる部屋の前にたどり着いた。いつの間にか、彼らは姿を消していた。
その部屋におじいちゃんと僧の人は入っていく。続いて僕も入ろうとしたけれど、僧の人に止められた。
「いいかい。私はこれから、彼らにお願いをするため、この部屋で経を唱える。君のおじいちゃんもだ。だが、君にはこれから、身を守るために安全な部屋に行ってもらう」
僧の人は、廊下のさらに奥。暗くて、明かりもない道の先を指さした。
「この先にある部屋に入ったら、扉を閉め、ふすまを閉じ、仏様の前に座りなさい。きっと、君を守ってくれる。彼らが君を見失っているうちに、急いで部屋に入りなさい」
それだけ言うと、僧の人は扉を閉じてしまった。締め切る前に見えたその人の顔がとても恐ろしくて、僕は急ぎ足で廊下を歩いて行った。
ずいぶんと長い廊下の先には、重たそうな扉があった。開いてみるとまた扉があり、二枚開けたところでようやく部屋の中に入れた。
部屋は、広めの座敷だった。四方はふすまで囲まれていて、真ん中に大きな仏像が座っている。天井には大量のお札が張られていて、あきらかに異質な空間だった。
僕はしっかり扉を閉め、すべてのふすまが開いていないことを確認すると、言いつけ通り、仏像の前に座った。
なにもしないのは怖かったので、手を合わせて強く祈ることにした。
しばらく、何も起こらなかった。何も起こらないのが不気味だった。
このまま何も起こらなければいいのに、なんて思っていたら、ふすまの奥に人影が立った。
「あー。あー」
彼らだ。彼らが来た。
はじめは一人、続いて二人。四人。八人。十六人。そして、三十二人を最後に、増えなくなった。
彼らは皆、同じ声を出している。かえるの演奏みたいだ。
この部屋は扇風機もクーラーもないが、まったく暑さを感じない。
とても、寒い。冬のような寒さでなく、ひんやりと、水の中のような寒さだ。
「おんぎゃあ。おんぎゃあ」
やがて、彼らの一人が耐え切れなくなったのか、泣き出した。
あの、赤ん坊のような泣き方だ。
がたがたと、ふすまを揺すっている。
また、誰かが泣き出した。
別のところでもふすまが揺れる。
気が付けば、四方すべてのふすまが揺れていた。
がたがた がたがた
揺れと鳴き声は収まらない。
僕の精神は徐々に疲弊していき、耐えきれなくなった僕は、子供が親に抱き着くように仏像に抱き着いていた。
どうか、どうかお助けください。
殺すにしたって、せめて楽に殺してください。
そう思ったとき、まずい、と感じた。
おじいちゃんが言ったことを、恐怖からか忘れてしまっていたのだ。
がたん
部屋の隅から音がした。
それが何の音なのか、すぐに頭で理解したが、どうしても疑いたかった。確かめたかった。
だから、恐る恐る音のした方へ眼をやってみた。
ふすまが、倒れていた。
夕暮れの日差しが、彼らを照らす。
逆光でよく見えないけれど、少なくとも彼らはもう、人の形をしていなかった。
まるで、泥のようだ。
「キャッキャッ」
彼らは、赤ん坊が笑うような声を発して、やはり這うように部屋へ入ってきた。
「来るな。こっちへ来るな!」と、何度も叫んだけれど、彼らは言うことを聞かない。
攻撃しようと投げるものを探したけれど、あたりに投げれるものは何もない。
せめて本殿まで逃げようと、立ち上がろうとしたその時、
からんころん、と音がした。
僕のポケットの中で鳴っているそれは、小さな鈴だった。
そうだ。これがあったじゃないか。と思い、これが彼らの気を引いている間に逃げようと、それを一番近くまで来ていた一人に投げた。
鈴が宙を舞うのと同時、僕は入口に向かって一目散に走り始めた。
途中こけたりもしたが、なんとか部屋の扉の前までたどり着いた僕は、彼らの様子をうかがうため、背後を振り返った。
すると、彼らはいなくなっていた。跡形もなく。
疑問に思った僕は、倒されたふすまに向かって歩いてみた。
恐怖から解放されたという実感が、いまだ湧かなかったからだ。
ふすまの奥には、外が広がっていた。
夕暮れ時の、美しい空。橙色のやさしい光。
どこにも、あの泥のような彼らは、いなかった。
あの鈴のおかげなのか。そう思った僕は、鈴を探してみた。
力加減的に落ちていそうなところを、隅から隅まで探してみた。
しかし、鈴はどこにも見当たらなかった。
やがて、僧の人とおじいちゃんが駆けつけてきた。
おじいちゃんは泣いていたし、僧の人は唖然としていた。
しばらくした後、僧の人が僕の身に起こったことを説明するために、ある部屋に連れて行ってくれた。
そこには、慰霊碑があった。
墓のように置かれた石の前には、それぞれ木のような素材で作られた、小さな鈴が置いてある。
僧の人とおじいちゃんが手を合わせたのを見て、僕も手を合わせる。
「ずいぶん昔、ここらへんの集落で、奇病が流行った」
その奇病は、患った人を死に追いやるとか、そういったものではなかった。
ある意味、それよりも恐ろしいものだった。
その奇病にかかった人が作った子供を溶かしてしまうものだという。
母親の胎内にいる赤ん坊は、生まれてくる前に、泥のように溶けてしまう。
母から出てくるのは、赤ん坊だった泥なのだ。
びしゃびしゃと、あふれてくるらしい。
結局その病は、患った人たち全員を処分することで、事なきを得たという。
今ではその話を知っているのも、この寺の住職と、この辺に住む老人たちだけだという。
あまりにも現実味のないその話を聞いて、僕はただ、この僧の人は住職だったんだ。と、どうでもいいことを考えていた。
「私たちは、泥として生まれてしまった赤子を、埿煮児と呼び、この慰霊碑の前で年に一度、彼らを追悼しています。生きていることに感謝をし、彼らの代わりに楽しく生きているということを伝えるのです」
だから、この辺に住む人たちは、日々を楽しいと思って生きなくてはいけないのだという。
埿煮児たちは、それを見て、自分たちも楽しんだ気になれる。自分が生まれなかったという事実を忘れられるのだと。
「けれど、彼らは、君がつまらなそうにしていると思えたらしいね」
なら、その人生を、代わりによこせ。
そう、彼らに羨まれ、欲される。
今回僕が襲われたのは、そういうことらしい。
ちなみに、あのまま襲われても、彼らが生を得ることはないらしい。
どこか人にはわからない場所で、肉と骨を奪われ続ける日々を、彼らがあきらめるまで過ごすらしい。
「なぜ君が彼らに見逃されたのかは、私にもわからない。会った時点で、君は逃げられるわけがなかった。前だって……」
「とにかく、お前が無事でよかった。おばあちゃんのおかげかもしれないな…」
おじいちゃんは、また泣いて、僕を抱きしめてくれた。
最後、部屋を出るとき、僕はその小さな墓のような石に、ひとつひとつ頭を下げた。
申し訳ないことをした、と。
知らない名前ばかりだったが、すべての墓標に名字と名前があったのを見て、彼らがちゃんと実在していた人間だったのだと実感した。
ただ、ひとつ疑問に残ることがある。
『宗玄』という文字は、見当たらなかった。
見逃したか、と思ってもう一度見てみたけれど、名字にも名前にも『宗玄』なんてものはない。
きっと、ここに乗らなかった人たちもいるのだろうな、と、一人合点した。
おじいちゃんは、すぐに両親のもとに帰るよう勧めてくれた。
母のこともうまく説得してくれたらしい。
帰り際に、しばらくこっちには来るな。と言われた。
「人生を楽しめるようになったら、また来なさい」
そうして、ひと夏の奇妙な体験は終わった。
帰ってからは、いろいろなことを頑張ろうと思った。まずは、家事の手伝いでもしようかな。
大人になってから思い返して、彼らにまた狙われないように、人生を楽しく生きる努力をしようと思った。