第9話 お母様
病気で倒れていたお母様は頬がこけ、死んでしまいそうなほどに身体は痩せ細っていた。
けど、今、目の前にいるお母様は病人だったとは思えないほど若々しく、道ゆく人たちが思わず振り返ってしまうくらい美しい。
雪のように白い肌に仕立ててもらったオーダーメイドの漆黒のドレスがよく映えている。
健康だったころと何一つ変わらないお母様がそこにいた。
間違いない。
お母様の病気は完治したのだ。
「迷惑かけたみたいだね。」
「「「お母様!」」」
3人は勢いよく母親の胸に飛び込んだ。
「こらこら、暑苦しいじゃないか。」
「お母様生きててよかったぁぁ。」
「ずっと目を覚さないから、てっきり二度と起きないかと。」
「んっ。」
お母様は少し困ったような顔をしながら泣きじゃくる3人の頭をそっと撫でた。
「あとは、私に任せなさい。悪いようにはしないから。」
「うん。」
お母様は3人をそっと引き剥がし、灰になったお父様に近づいていく。
「随分と無茶なことをしていたみたいだね。ルイス。」
「サ、サラン……。」
「どうしたんだい?死人でも見たような顔して。」
「ど、どうしてここに……?」
「それは、あんたが一番わかっているはずだよ。」
お母様が近づくにつれ、お父様は慌てふためき、額からはつーっと汗が一滴流れる。
その様子を見ていたマーリンは不思議に思った。
普通、自分の妻の病気が治って、目を覚ましたら普通は喜ぶものではないだろうか?
マーリンが疑問に思っていると、お母様がお父様の胸ぐらを掴み引き寄せて耳元で囁いた。
「毒を盛ったんでしょ?私に代わって当主になるために。しかも、万が一にも解毒されないように魔導士でも解毒の難しい世界一危険な毒、王毒を。」
マーリンは絶句した。
自分の娘を政治の道具にするのは納得はできないがまだ理解できる。
けど、一体どこの世界に当主の座を手に入れるために自分の妻に毒を盛って殺そうとする男がいるのだろうか?
そしてそれを行なっていたのが自分の父親であることがマーリンをより一層困惑させた。
「幸いにも毒の耐性は高いから倒れただけで、意識はずっとあったんだけど。魔法がうまく作動しないから解毒に思ったより時間がかかったわ。」
「……っ。」
「あんたの何がなんでも上に行ってやろうっていうその野心気に入っていたんだけどね。残念だよ。」
「うわぁぁぁ。」
マーリンが目の前で起きていることを処理しきれないでいると、お父様が、机の下に貼り付けたナイフを取り出し、お母様の首元に振り下ろした。
「お母様、危ない!」
お母様は、振り下ろされたナイフを触れるスレスレのところで躱すと、ナイフを振り下ろした腕の関節を極め、取り押さえた。
「馬鹿ね。魔術士の私にこんな鈍い攻撃、聞くわけないのに。」
「くっ……。」
お父様も、ようやく観念したのか持っていたナイフを手放した。
「アンジー、外にいる衛兵を呼んできてくれる?」
「わかった。」
お父様はアンジーに呼ばれて来た衛兵達に手錠をかけられてつれて行かれた。
これからお父様は刑務所に連れて行かれ、これから20日間拘留されたあと裁判によってその罪が裁かれる。
殺人未遂は、重罪だ。
有罪になるのは間違い無いだろう。
ラインハルト家はこの国で最も資産を持っているし、お父様の商会も、この国で3本の指に入るほどの商会……。
十分過ぎるほどの成功だ。なのに、お父様はどうしてそこまでして、貴族の権力を欲したのだろうか?
「あの男は権力に溺れたのさ。上ばかり見ていたら、いつの間にかなんのために権力を欲したのかを忘れてしまったんだよ。」
「……私の考えていることがわかったの?」
「ははは!そんなわけないでしょ。」
お母様なら、いずれ他人の考えも読めそうだ。
「本当なら久しぶりに会った娘達とこれからショッピングにでも行きたいところだけど……。あの人が残した仕事が山積みで当分行けそうに無いわね。」
お母様は、机の上に溜まった書類を見て、ため息をこぼした。
「ルイス、あんたにも手伝ってもらうよ。」
「はいっ……!」
お母様の威圧感に部屋の外から、これまでのことを見守っていた弟のルイスの声が思わず裏返る。
「姉さん…。なんか母さん俺にだけ、当たりが強くない?」
お母様から書類の一部を渡されたルイスが小声で尋ねてきた。
「お父様のそばにずっといたんだから当然でしょ。まさかとは思うけど、ルイス、母さんのこと知っていたわけじゃあないわよね?」
「知るわけないだろう!!父さんからは、商会の仕事を少しもらっていただけだったんだから。」
マーリンの問いかけにルイスは必死に弁明する。
その様子を面白がったアンジーが立て続けに問い詰める。
「本当か?あんたは私たちが婚約嫌がってたのを知ってて親父に賛成した前科があるからなぁ。」
「あ、あれは!!」
「ふふ。」
3人で、ルイスを揶揄って遊んでいると、お母様に呼び出された。
「マーリン、アンジー、離縁届を出しなさい。」
マーリンと、アンジーは持っていた離縁届を手渡すと、机の中から取り出した家紋の入った印に朱肉をつけ、勢いよく、判子をおした。
そして、お母様はアクア、マーリン、アンジーの3人に向かって雅に笑った。
「これからは自分の心の赴くままに生きて行きなさい。」