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忘れモノ ⑤

「目覚めよ、惰眠を貪れる程の成長を確かめた記憶は我には存在せぬぞ」


 何だ、もう起きる時間なのかと少しだけ惜しみながら目蓋を開ける。すると其処に在ったのは黒髪の端正な顔。

 僅かにでも身動ぎすれば唇が触れそうな距離に顔を近付けているんだが、当の相手の表情はロマンティックなドキドキとは全く関係の無い不機嫌そうに睨む物……うん、普通に何時ものお玉だな。


「今何時? 八時に迎えが来るんだが」


「七時五十五分」


「!?」



 慌てて飛び上がるが頭がぶつかる様な事にはならない。なってたら絶対に殴られている。

 跳び跳ねた俺の頭の動きに合わせて自分も体を後ろに逸らせて避け、俺の唇が僅かに頬をかすっただけで互いに何ともない。


「やばい!」


 迎えの時間を知らせてくれていたのに寝過ごして遅れたなんて情けないにも程があるだろう。

 それに比べれば相手が気にしていない事を気にして騒ぐのも意味無いからと俺も特に反応せずに制服から動きやすい服に着替える。


 目の前で着替えるのも相手がドロシーだったら変な視線を向けられるんだろうが、お玉なら大丈夫だという信頼があるからな。

 制服は脱いで適当に籠に突っ込み、鏡を見て妙なところがないかを確かめるが、この前みたいに値札が付いたままって事も無いし前後も逆じゃない。

 時計を見れば数分の余裕があるし、便所に行った後で水で何か適当に腹に流し込むとして、先ずはやるべき事を終わらせないとな。



「お玉、有難うな。お陰でスッキリした」


 体の溜まっていた霊力も良い感じに消費していて体が軽い。俺の最大消費量じゃ回復量に負けちまうし、今回みたいに吸い取って貰えると助かるんだよな。


 着替える前に礼を言えって文句言われないよな? 反論の余地が無いんだが。


「気にするな。我とて霊力が漲って満足だ」


 少し恐る恐るお玉の方を見るが不機嫌では無いらしい。

 ホッと胸を撫で下ろし、トイレに向かおうとしたんだが……。




「ああ、それとスッキリしたのは霊力を吸い取っただけではないぞ。ドロシー奴がガチャの爆死がどうの今月の課金予算が残っていないだの呟いて入って来てな。苛立ちを発散させる為に貴様のズボンのチャックを下げて……」


「え? まさか、冗談だよな?」


 背中に向けて投げ掛けられた言葉に俺は動きを止めた。

 振り返っての問い掛けに願った言葉は返らず、只、顔を背けるのみ。


 それは冗談だという願いを否定する行為だ。

 思わず自分の下半身に視線を向けるが、実際にナニをされたのかどうか判断は付かないし、本当に……?



「ドロシーはスッキリ出来ないと言っていたぞ」


「マジか……」


 え? 俺って知らない間にそんな目に? まさか今回が初めてじゃない可能性すら……。

 

 まさか十年以上の付き合いの相手が寝ている時に襲って来ただなんて信じたくはない。

 それは普段の言動を思い出せば当然で、信じるに値する内容が……。





『お主も年頃の男だ。色々と溜まった物を抜く必要が有ろうが、余達が居るから下手に用意も出来まい。下着姿をスマホに送ってやったぞ。先が欲しいのなら懇願すれば生で見せてやろう』


『ちょっと寝床に侵入して添い寝しただけで驚くとはウブなやつよのぉ。余の色で今直ぐ染め上げたい』


『所で大和は組み伏せるのと組み伏せられるのと何方が….いや、無駄な問い掛けであったな。余に組み伏せられる快楽をいずれ刻み込むのだから』



 あっ、駄目だ。思い出せば思い出す程にしそうだな、ドロシー。



「ぐっ! 時間さえ有れば今直ぐ問いただすのに」


 悶々としている間も時間は過ぎる。目立つのを防ぐ為に五分前の来るとかが無いのは幸いだが、それでも用意するのにギリギリの時間だ。


 直ぐに食える物を探したが、ウチには食欲の(片方は性欲も追加)の権化が居る。当然、パンとかの気軽に食べられる物は残る訳も無い。

 もう少し起きるのが早けりゃ冷凍食品なり手抜き料理なりしたんだが、無い物ねだりしても意味が無いからリンゴを手にする。


「丸齧りって気分でもねぇし……」


 テーブルに置きっぱなしのマグカップを手に取って中を覗けば僅かに炭酸飲料の香り、使ったら洗えと言ってるのに頻繁に置きっぱなしにしやがって。

 まあ、今回は都合が良かったと左手でリンゴを掴んだまま右手の拳を叩き付ける。

 本来ならリンゴの表面が弾け飛ぶ威力だが変化は無し。但し、一瞬遅れて起きる。

 数秒間の微振動、そして形が崩れた。


 安物のスカスカシオシオじゃない瑞々しい果肉が詰まったリンゴは水風船の様にタプタプと震えている。

 その今にも決壊しそうな状態の皮を爪の先で刺激すれば摺り下ろしたみたいな状態になった果肉がマグカップに流れ込んだ。


「少し失敗か。俺も修行が足りないな」


「あの女は指先だけでスイカをジュースにしたのだったな。貴様もその程度して見せろ。当時の彼奴と同じ年齢だろうに」


「無茶言うなっての。指導受けてた年季が違うし、あの一家を一般人と一緒にするなよ」


 マグカップを軽く揺らせば僅かに粉砕されずに残った果肉の破片。

 爪の先程の大きさだが、完全粉砕を目標にした身としては、って所だ。



「……やっぱ気になるな。え? まさか今までも本番まで行かなくても途中までを何度も知らないうちに経験したんじゃ……」


 リンゴを胃に流し込むが、時間が迫る中、ずっと頭の中を駆け巡るのはお玉からの告発。



 ったく、お玉の奴、余分な霊力を吸い取ってくれていたのは良いけど妙な事を……って、おい!?


 腹に物を入れたからか少し落ち着いて考えてみればおかしな話だ。

 俺がドロシーにはヤラれたって時、お玉が余分な霊力を吸い取ってる真っ最中だったんだから。


「おい、よく考えたら目の前でそんなのを見逃す奴かよ、お前が」


 そうだよ、お玉ならドロシーがそんな事をしようとしたら瞬間に止めるタイプだろ。

 普段からドロシー程じゃないが誘惑する癖に、実際は交際経験すら存在しない。ましてや誰かに体を許した事も無いらしいからかドロシーが行き過ぎると不機嫌そうに止めてくれる。


「時間に追われる焦燥で気付くのが遅れるとはな。当然させる訳がないだろう。あの色狂いにその手の信用が無いのは分かってはいたが、我への信頼で気が付け、愚者めが」


「ぬっ!? 確かにお前なら頼れるって分かっていても気が付かなかったが、ギリギリの時にあんなの言ってきたのはそっちじゃねぇか」


「簡単に心を揺らしては先が思いやられるな。貴様が相手をしている下位には頭が足らぬのが多いが、狡猾な物も存在するというのに。……

パンツに指を掛けた所で止めずに痛い目を見せれば良かったか」


「パンツまで行ったのかよっ!?」


「途中までは見逃したが流石に止めてやった。感謝せよ。ああ、それとも今後誘いを受ける口実が欲しかったか? なら悪かった。謝らん」


 此奴しれっと言いやがったよ。俺がどれだけ慌てたと思っていやがるんだ。


 抗議の目を向けるもふんぞり返って馬鹿にした様な目を向けて来る姿に何か追加で言おうとするも時間が無い。

 悔しいが続きは帰ってからじっくりとさせて貰うしか無いらしいな。




「覚えてろっ!」


「もう忘れたな。ああ、帰りにコンビニでカップの狐うどんを買って来い。忘れるでないぞ」


「……一個だけな」


「二十個だ。足りなければ他の味でも良いが蕎麦等を買って来ようものならば分かっているな?」


 うおっ!? 凄い威圧感。どれだけカップの蕎麦が嫌いなんだよ。



「わ、分かった……」


 帰ったら文句を言おうと思ったが、絶対に勝てる気がしない。

 分かってた、分かってたが……本当に辛いな。





 大和が玄関の戸を開ければ家の前に丁度のタイミングで黒塗りの車が到着する。

 見るからに頑丈そうな車体は随分と金を掛けていそうだが、スモークフィルムが貼られているのか気になる車内の様子は外から見えない。

 その代わりに注意を引くのはその頑丈そうな車体の至る所に存在する修理痕。

 完全に破損の痕跡を消せていないのだが、三本線が斜めに入った傷跡や凝視すれば手形に凹んだ痕跡等と異様な物が多い。


「すいません。お世話になります」


「いえ、此方こそ当日に連絡をしてしまって申し訳ない。昨日も夜の依頼をこなして貰ったばかりなのに」


 長時間家の前に停まっていれば何事かと人の目を集めそうな車に乗り込んだ大和は運転席に座る若いが無骨で真面目そうな男と言葉を交わし、大和がシートベルトを締めると同時に車は住宅街とは違う方向へと走り出す。



「……行ったか」


 その様子を家の中から横目で見ていたお玉だが、車が見えなくなると不意に指先で艶のある黒髪を弄りながら俯いた。



「パンツを見られた事で随分と慌てていたが、我の前では平気で着替えていたな。……一応力を温存しておくとしよう。余計なチャチャを入れられては困る」


 不機嫌そうな顔から一瞬だけ乙女の顔を見せ、即座に普段の不機嫌そうな表情へと戻す。

 その視線は大音量で流れるゲームのBGMが漏れているドロシーの部屋、本来は客間の一つだったのを趣味の品を持ち込んで私室にした場所だ。


「帰る前に絞め落とせば良いか。湯浴みで身も清めるべきか? だが、其処迄準備を整えるのも我が望んでいた様で不愉快だ。うーむ」

 

 そのまま彼女が瞳を閉じて背凭れに体重を預ければその姿は消え、最初からその場に居なかったかの様に痕跡一つ残っていない。

 同時刻、彼女が消えたタイミングで庭の作業小屋の棚に先程まで存在しなかった市松人形が鎮座していた。

 年代を感じさせるも手入れがされた品であり、その表情は何処か不機嫌そうにも見える。

 生き人形とまでは行かずとも今直ぐにでも動き出しそうだ。


 隣にはもう一つ分だけのスペース、同じ大きさの人形を飾れるスペースが残っていた。






「何時も思うんですけれど、この車って明らかに不審車ですよね。確か霊力が一定以下の相手には普通に見えるんでしたっけ」


 市街地から離れるこの車、中が見えないのはフィルムが市販されているが傷の多さと形が異常だし、普通ならお巡りさんに呼び止められそうな感じだが今までそんな目に遭った事は無い。


「ああ、霊力持ち自体が少ないし、襲われた時に妖魔の霊力を浴びてしまったら一時的には見えるが基本は普通さ。……まぁ、気づく人は気づくんだけど」

 

 例えば前に君を補導しそうになった例のお巡りさん、と苦笑いをする運転手の倉持さん。

 俺も話題に出た人に“最近この辺りは妙な感じがする”って抽象的な事を言われたが、多分見えなくても感じる程度には霊力が有るんだろう。


 妖魔の不気味な見た目を考えれば見えるだけの人よりもマシだよな。俺も随分と困ったし。


「伏柄支部長も職務質問されたらしいよ。買ったばかりのバイクを馬鹿力で壊しちゃって、放置も出来ないから担いで走ってたら止められたって」


「俺も見たけれど止められますよね」


「一応俺の方は公安だって証明したら終わったけど、あの人は証明しようがどうにもならない状況だったから……」


 そう、この倉持さんは公安部の一員で、支部長と呼ばれた通りに勇さんもその一員。

 って言うかこの辺りの地域担当の責任者、警視庁キャリア組の筈が見えるせいで出世コースから外れた人だ。


「本当に、本っ当に! 大変だったよ。支部長のハンコ待ちの書類が山積みになって居るのに。ククルルなんて十日振りに帰宅予定の徹夜明けだったんだけれど……」


 倉持さんは其処で言葉を濁して黙り込む。バックミラーに映った彼の目には色濃い疲労が感じられた。


「運転大丈夫ですか? 昨晩も送って貰いましたけれど」


「大丈夫。支部に戻って背凭れに体重を預けたら正午だったから睡眠はバッチリさ」


「全然大丈夫じゃないですよね」


「うーん。座席に座った状態だから体がバキバキだけれど、寝ていない仲間に恨まれたし、確かに大丈夫じゃないか」


 零課は妖魔の存在の露見による混乱を防止する役目も担っていて、その権限も予算も多い。

 常識外の相手には非常識で対抗するんだよぉ!! って感じに時に超法規的措置すら許可される零課だが……人員不足だけはどうにもならなかった。




「さてと、言い忘れたけれど少し寄り道をするよ。情報提供者と合流ついでに支部に案内する予定だからね」


 車が普段の道から少し外れて向かったのは個人経営のスーパーだかコンビニだか分からない小さな店。

 その駐車場に誰かが居るみたいだが暗くてよく見えない。


 ただ、随分と小さく見えるし老人なのか? 下手すりゃ小学生高学年の高い方だろ。



「あの人が協力者ですか?」


「うん。彼女が情報提供者で、もしかしたら今後は君と同じ協力者になってくれるかも知れない子だよ」


「子? じゃあ……」


 相手は若いのかと問い掛けようとした俺は言葉を失う。




「おや? 君は今朝の……」


 俺の失恋相手が目の前に現れ、少し驚いた様子で俺の方を見ていた。













「今からあの子をラブホに連れて行くのかあ……」


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