友
この世の中には”妖魔”って呼ばれる化け物が存在する、妖怪でも幽霊でも化け物でも呼び方なんてどうでも良いが、まあ、存在を知る人達が共通させる呼び名だし妖魔で良いな。
その存在と実在を俺が知ったのは五歳の頃、近所の面倒見の良いお姉さんに誘われて通う事になった道場で、そのお姉さんの一撃を受けて気絶した俺の目の前に居たんだよ、気持ちの悪い変な存在が。
一部の指が途中から欠損した人間の手がくっついて体になっている蜘蛛、野球ボール位の大きさの黒い靄の中心にある赤い目玉、歯を全部抜かれて何か分からない呻き声を上げる口が背中に付いた蛙、俺に何かする訳でも無いし、纏わりついても来ずに其処に在るだけ。
でも、怖かった、不気味だった、だから母さんに相談したんだ。
法人類学だとか、その知識を元にした小説だとか、当時の俺には良く分からないけれど、母さんは賢くて凄い人ってのは分かってたからな。
結果、予想以上に大きな反応が返って来た。
「幻覚が見えてるなんて大変よ! 脳に腫瘍があるのかも知れないから病院に行くわよ!」
母さんは忙しい人で、国際結婚して日本に住んではいるけれど、学者として母国のアメリカで過ごす期間も長いし、小説の執筆もやっているから日本に居るからって休みって訳じゃない。
だから相談するのに抵抗があったけれど……うん、あの人に幼い俺が隠し事なんて出来なかったんだ。
直ぐに見抜かれて大慌てで大きな病院に連れて行かれての精密検査の結果は異常無し、小さな子供が妄想や夢と現実をごっちゃにしたんだろうってなったよ。
「あの医者、小さい子供だからってちゃんと話を聞かないなんて! ……ねぇ、大和。お化けが見えるのよね? 幽霊は見える?」
「ううん。小さくて変なのが見えるだけだよ」
異常が無いと分かって安心した反面、これ以上は無駄だから時間が解決すると少し乱雑に話を終えた医者に憤慨した母さんが運転する車に揺られながら俺は外の景色を眺める。
……時々人混みに混じって血塗れになっていたり首が折れ曲がっている人が居て、多分あれが幽霊なんだろうとは小さい俺でも分かっていたんだ。
でもさ、母さんの質問は質問じゃなくて、幽霊は見えていないで欲しいって願いが込められているのも分かっていたから言えなかった。
母さんはちゃんと誤魔化せていたのか、それとも見えない事にしている事を良しとしたのか、それは聞いていないから分からないし、聞いて良いとは思えなかった。
だって、大きくて重い物を抱えている様に見えたから。
「あら、今日は家で遊ぶのね。公園には行かなくて……良いわね。危ない物や貴重な物が多いから作業小屋には入っちゃ駄目よ? まあ、ちゃんと鍵は閉めてるんだけれど」
「……うん」
それから俺の日常に非日常な光景が加わって、母さんに心配を掛けちゃ駄目だって必死に見えない振りをする毎日に俺の精神は磨り減って行く。
当時は理由を知らなかったけれど自宅と隣の神社だけは変な物が居なかったんだけれど、だからって出掛けない訳にもいかないし嫌な物を見続ける毎日。
それが変わったのはある日の事、庭の隅に建てた母さんの作業部屋……趣味で集めた人形の服を作ったり手入れをする場所に忍び込んだでしまった。小説と論文の締め切りが重なった上にアメリカ在住の伯父さんが結婚するからって慌ただしくしている母さんが初めてした鍵のかけ忘れ。
それにつけ込んで勝手に入るなんて普段の俺ならしなかっただろうけれど、当時の俺は悩みを分かってくれない事や忙しくて相手をしてくれない事に不満を持って反抗する気持ちがあったのかも知れない。
「ちょっとだけ。ロケットパンチを一発撃つだけ」
まあ、窓から見える場所にロボットアニメの玩具が初代から全部揃ってたから興味があったんだろうけどな。
母さんが小屋の方を見ていないのを確かめて静かにドアを上げ、窓から見えない様に姿勢を低くして目的の物に近付いた。
そしてロボットに手を伸ばした時、声が聞こえたんだ。
「遅い。我が待っているのだ。それを知らずとも早く来ぬか」
「ふっふっふ。余は別に責めぬぞ。心が広いであろう?」
一人は着物姿の黒髪を伸ばした子で椅子に座って頬杖ヲついて俺を睨んでいる。
もう一人は机の上に立って腰に手を当てて胸を張るウェーブの掛かった金髪の子。
二人とも当時の俺と同じ位の子だったんだけれど見覚えは無かった。
「……誰? 人の家に勝手に入っちゃ……あれ? 透けてる?」
勝手に他所の子が入ったと思った俺は自分も勝手に入ったのを棚に上げて出て行かせようとして、そして気が付く。
二人の体が透けている事に。
「珍しくもあるまい? 貴様は散々見て来た筈だろうに」
「安堵せよ。余は悪いモノではない。横のも態度は悪いがな」
「……そうなの?」
最初は確かに驚いたんだが、普段から不気味な姿のばかり目にしていたし、危険な奴だと思えるのにも遭遇した事はなかったから見た目は普通の可愛い女の子二人に俺はそんなに警戒していなかった。
まあ、隣の神社に住んでる八雲以外に親しい女の子は親しいのが居なかったってのもあるな。
それに八雲は女の子ってよりも八雲って感じの奴だし。
「さて、貴様に朗報……良い知らせだ」
「余達と主従契約を結ばぬか? 好きに命令が出来るのだ。悪くはあるまい」
「命令が出来る?」
出会ったばかりの相手、それも人間じゃないっぽい二人にそんな事を言われても普通は警戒するんだろうが、当時の俺は五歳だったし変な物は見えていたけれど襲われた事も無い。
寧ろ見えていた事で慣れていたんだろうな、特に警戒はしていなかったよ。
「我等の様な美少女とだ。悩む必要が何処にある?」
「早う契約すると言うのだ。時間が無い」
少し焦った様子で俺に詰め寄った二人の体は更に薄くなって最初の半分程の薄さ、更に目の前で徐々に薄くなっているのを見れば多分少し経てば消え去るってのは小さな俺にも分かった。
俺が返事をしなければ二人は消えてしまうんだって。
「しゅじゅーよりも友達が良いな。一緒に遊んだり互いにお願いを聞いてあげる友達の方が良いなあ」
「むっ!?」
「ぬっ!?」
でも、この頃の俺には子分になるって事だと分かっても二人をそうしたいとは思えなかったし、友達として遊ぶ方が良かったんだ。
二人からすれば意外だったみたいで驚いていたけれど、別に問題は無かったのか二人は一瞬で向こうが透けて見えない状態になった。
只、黒髪の方は俺を睨んで金髪はケラケラ笑って面食らったけどな。
「貴様、見抜いていたのか。何方が主人側とは明言していない事に」
「失敗したな。これで自由に今の世を楽しむ事は出来なくなったが天晴れと褒めてやろう」
「……」
当時は何が起きたのかは分からなかったけれど、二人にとって俺の返答は想定してなかった事で(後で聞いたんだが、自分達みたいな美少女との主従関係をちらつかせれば良いと信じていたとか、馬鹿だろ)、俺を騙して利用する気だってのは分かったんだ。
「……まあ、暫くの間は多少の自由を得たとして満足してやろう。そうだ、友ならば名乗れ。我の名は玉姫……お玉と呼ぶ事を特別に許そうぞ」
「余はドロシー! 姫だ! 存分に敬意を払うが良いぞ!」
「僕は大和。……あっ!」
二人に名乗った所で窓の向こうを見てしまい固まる俺、そして庭から笑顔で手招きする母さんの姿。
「あっ、見つかっちゃった。二人共、一緒に謝って……居ない」
一瞬目を離した隙に二人の姿は消え去って、裏切られた気分になりながらも小さな俺は母さんに怒られに行く。
母さんは変な物を触って怪我をしていないか確かめた後で俺を叱り、俺も素直に謝りつつ二人にはもう会えないんだと思っていたよ。
「待たせるなと言った筈だが?」
「そう責めるな、お玉。大和よ、急に消えて悪かったな」
その日の夜、夢の中に普通に現れたんだけどな。
時代劇に出そうな屋敷と西洋の城に挟まれた花畑で寝転がっていた俺を覗き込む二人、この状況に二人が人間じゃないのは確かだって思い知らされた俺だったんだが、この日から俺の非日常は加速する事になる。
「今日より貴様を鍛えてやる。見え出した異形の存在の名は妖魔。それと戦う術を教えてやろう」
「このままではその内に危ない存在とも出会うであろうからな。拒否権は無いぞ!」
「えぇ……」
俺は嫌がるが二人は手を取って問答無用と連れて行こうとする。
「ぬ?」
「む?」
それぞれ別の方向に……。
「何をやっている。今より我が屋敷で霊力を使った動き方を実践形式で学ばせる筈だろう?」
「いや、余の城で知識から学ぶ筈だが?」
お玉とドロシーは俺を引っ張りながら睨み合い、その光景を眺める小さな俺は思わず呟いた。
「大変な友達が出来たなあ……」
尚、二人に睨まれた。
時々水がチョロチョロ流れる音に続いてカポーンって変な音も聞こえてくるんだけれど、俺が案内された部屋は障子を閉めきっているから外の様子は見えない。
俺は幼馴染みの家では見るけれど自分の家にはない畳に少し落ち着かない感覚を覚えながらも目の前の相手の話を聞こうと前を向いていた。
「それでは貴様が気にしているであろう異形の者達について教えてやろう。あれは妖魔と呼ばれる人の負の念を元に生まれ落ちる存在だ。無論、何事にも例外は有るがな」
実践形式か座学か、お玉とドロシーの方針の違いに対する話し合いの結果、お玉が連れていこうとした武家屋敷の大広間での座学をするという事になった
「所でドロシーは? 屋敷の前までは一緒だったけど……」
「前に平べったいだの何だのと我の屋敷を馬鹿にしたので入れぬようにした。それよりもこれを見よ」
座布団を出して貰って座る俺の前に立つお玉が紙に筆で描いて見せたのは俺を悩ませていた化け物の絵。
「えっと、個性的な絵だね」
そのクオリティはまあ……うん。
「……黙れ。もう一度説明するぞ。貴様が目にする化け物は負の念で産み出された存在だ」
「ふのねん?」
「……其処からか。要するに怖いとか腹が立つとか悲しい悔しい、そんな感情だ。そして、その妖魔だが普通は目にする事も触る事も不可能だ。霊力という力を一定以上持っていなければ、の話ではあるが。因みに霊力を使って妖魔を倒す者を退魔士と呼ぶのだ」
「その霊力を持ってたから見えたんだ。……嫌だなあ」
良く分からない何かの正体も、それを自分だけが見える事の理由は分かった、それだけで二人に会えて良かったと思える事なんだが、そもそもお化けなんて見えるからって喜ぶ五歳は居ないだろう?
当時の俺も当然迷惑なだけって考えだったんだが、どうもそれはお玉からすれば不満な事だったらしい。
「諦めろ。血縁だろうが宿命だろうが力だろうが、生まれ持った物ならば受け入れろ。嫌だ嫌だと駄々を捏ねてもどうにもならん。……それに今のままでは貴様は……いや、これでは無理か。戦国の世の血気盛んな武家の出でもあるまいしな」
冷酷で真剣な声で俺に待っているであろう事を告げようとしたお玉だが、不意に何かに思い当たったのか顎に手を当てて少しの間考え込んで、そして……。
「練習すればテレビのヒーローみたいに動けるぞ。人に隠れて討つべき敵もいるしな。練習するか?」
「する!」
考えた結果、出した言葉は五歳児には効果が抜群だった。
これが俺の退魔士としての始まりであり、二人との出会い。
その関係は十年以上経った今でも続いている……。
「にしても罰ゲームとはいえお玉が恭しく……恭しく? 出迎えてくれるとは……ぶふっ!」
「黙れっ! 貴様とドロシーめが共謀して四を止めなければ前回の七並べは我の圧勝の筈だったのだ」
まあ、最初の出会いは向こうが俺を騙そうとして来たりと今思えば悪い方だったけれど、十年以上の付き合いとなれば良い思い出にもなって来る。
今じゃ最下位の奴に罰ゲーム有りでトランプをする程度の仲にはなってるんだ。
尚、最初の選択で主従関係を選んでいた場合、二人が好き勝手に動き回るのに付き合わされる下僕になっていたとか。
それが友達を選んだから俺の家と夢の中で自由に動けるんだから妖魔との会話には気を付けろって事だな。
「良いじゃねぇか。罰ゲームを決めるくじで最初に出た裸エプロンで新妻ごっこは流石に勘弁してやっただろ」
空き箱に三人それぞれが自由に書いた罰ゲームを引くんだが、普段は嫌々でも従うお玉もあの罰ゲームは流石に無理だったか。
……俺が引いたら無理にでもさせて笑うだろうによ。
「おのれドロシーの奴め。あの様な内容を入れるとは。次こそ自分で当てて慌てるが良い! いや、ノリノリでするか……」
「取り合えず俺はさっさと汗流して寝るわ」
俺も言葉にはしないが、俺を出迎えた時のお玉を物陰から撮影していたドロシーなら平気な顔で裸エプロンの新妻ごっこをするだろうってのが分かる程度には二人を理解しているつもりだ。
……二人が例外的な妖魔なのは知っているが、それがどんな風になのかは知らないんだけどな。
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次回も十二時 絵もあります