第94話:帰還
戦場となった横浜市内に突如として発生した火災旋風。
平均風速は100m/sを超え、その突風だけでも1t以上ある巨大な魔物が吹き飛ばされる程の甚大な被害を齎している。
その上渦を巻きながら立ち昇っている火炎は絶え間ない酸素供給によって1000℃を超える高温に達し、輻射熱だけでも風で巻き上げた生物を焼き殺していく。
亜凰がジャックとの戦闘の場を連合軍から遠ざけたとはいえ、この災害規模の攻撃の前に人々はただ吹き飛ばされないように耐えるしかない。
旋風の中はより高温の火炎とガスが渦巻いており、常人であれば一呼吸しただけで肺を焼かれて窒息死する地獄の業火。
その中に捉えた亜凰が力尽きるのを待っているジャックが、火災旋風の中心で膨れ上がっていく魔力反応を感じ取る。
直後——ドウウウウウウウウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥッッッッッッッ!!!!!!
火災旋風の内側から上空に向かって強烈な斥力波が放たれ、気流ごと吹き飛ばされた突風と火炎の渦が霧散した。
「まさか、この程度で私を閉じ込められるなんて思ってないわよね?」
手櫛で長い黒髪を梳かしつつ、亜凰が今の火災旋風で焼け焦げ抉れた地面を歩いてくる。
既に視力を取り戻しているその両眼はジャックに射抜くような視線を向けていた。
日本の命運を賭けた戦い。負けるわけにはいかないという強い意志が宿っている。
だがジャックもただ黙って見ていた訳ではなく、今の間に新たな3体の魔物を呼び寄せていた。
あらゆる蟲の特性を兼ね備えた皇蟲——カゲロウ。
他者の血を吸って長き時を生き続けてきた吸血鬼の始祖——ヴラド。
最も熱い青色の炎で全身を象る上位精霊——炎凰。
ジャックの配下の中でも特に強力な個体が集結し、ダイナやジャック本人と合わせて5対1で亜凰を包囲した。
兵力の差——これがテイムの本領とでも言うかのようにジャックが笑みを浮かべる。
(全てが精霊かそれに準じる強さ……人型をとれるということは、知能の高い最上位個体ね。ま、逆に私以外にこの戦力が向けられなくて良かったわ)
「数に頼りだすなんて、魔物の王様も底が知れたわね」
吸い込まれそうな美しい瞳で、しかし確かな圧力と凄みを持つ視線を一堂に向けた亜凰は全員まとめて捻り潰そうと一気に5つの引力場を発生させた。
ミ゛リミ゛リッッッという空間の歪みを瞬時に察知したジャック達はすぐさまその場を離れるが——これまでと違ってその引力場は吸引圧縮を終了せず、亜凰の魔力操作で敵の5体それぞれを追尾し始めた。
「引力球」
ビル、大地、空気——軌道上の全てを圧縮して抉り取りながら追尾してくるその引力球を掻い潜りながら、炎凰が亜凰に火炎の咆哮を放つ。
魔力消費を厭わずに再発動した亜凰の斥力場がその炎を押し留めるが、炎凰の緻密な魔力操作で円形の壁に形を成した炎は消えることなく亜凰を取り囲む。
視界を奪われた亜凰はそれでも魔力感知を頼りに引力球を追尾させるが——ギィィイイイイイイイイイイインッッッッッと音響手榴弾が炸裂したような不快な音波が指向性を持って投射され、亜凰は数秒間思考力を奪われてしまった。
その隙にジャック、ダイナ、炎凰、カゲロウ、吸血鬼が一斉に亜凰に襲い掛かる——!
だが亜凰は中枢神経及び三半規管にダメージを負いながらも我武者羅に、全方位に強烈な斥力波を放ってジャック達を吹き飛ばした。
(チッ、これでも攻めきれないのか……)
ジャックが心の中で舌打ちをしながら体勢を立て直す間に音波のダメージから立ち直った亜凰が敵を見回すと、吸血鬼がキィキィッと蝙蝠の鳴き声のような不気味な笑い声を上げる。
今亜凰を襲った音響攻撃はこの吸血鬼の技——超音波増幅砲。
吸血鬼は地球の蝙蝠と似た異界生物から人型に進化した種であり、その進化の過程で強化されてきた声帯は他の生物ではあり得ないほどの超音波を発することが出来る。
吸血鬼の声帯はまさに天然の音響兵器なのだ。
そして音波とは空気の振動。熱や光と同じく斥力では防ぐことが出来ない。
(厄介ね……まずはあの吸血鬼から潰す……ッ!)
亜凰は待機させていた引力球5つを全てブラドに向けて操作する。
4つの引力球を囮に1つを背後の死角からぶつけて声帯のある頸部から上を抉り取ろうとするが、ブラドは超音波による反響定位で視界外の情報も正確に把握しており、翼を巧みに使った空中機動で躱してみせた。
それでも亜凰が高い魔力操作と先読みでブラドの逃げ場を徐々に奪っていくと、追い込まれたブラドはまた亜凰に向かって血を吸うための牙が生えた不気味な口を開ける。
——ギャ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッッッッッッッ!!!!!
さっきのような周波数の高い超音波ではなく、単純な大音量による攻撃——指向性爆音波。
爆発的な音圧の投射により感音性難聴や音響性外傷を引き起こす音の暴力が文字通りの音速で放たれるが、ブラドの口が開いた瞬間から音波攻撃を読んでいた亜凰は引力による高速移動で回避。より音圧効果を得る為に指向性を高めたことで攻撃範囲が狭まり、逆に避けやすくなってしまったのはブラドの失態だったが、亜凰の回避先にはジャックが先回りして拳を構えている。
直接攻撃でもジャックだけは斥力場を無理やり突破してくる為、亜凰はさらなる引力操作で強引に軌道を曲げてジャックの打撃を躱した。
だが亜凰の意識が逸れた隙にブラドが引力球の包囲網から抜け出し、カゲロウや炎凰とともに再び亜凰を取り囲む。
5体全員の同時包囲攻撃——よりも先に亜凰が斥力弾を全方位に放つ——!
——ズドドドドドドドドドドドドドォォッッッッッ!!!!!
大地や周囲の魔物、遠方のビルにまで無数の穴を開けた斥力弾だが、ジャック達は瞬時に亜凰から距離を取って攻撃を躱していた。
今のような球状や放射状に弾丸を撃つ場合、発射地点から離れれば離れるほど弾子同士の距離が開いて弾幕の密集率が下がり、回避が容易になることを感覚的に理解しているのだろう。
それでも不可視かつ高速の斥力弾を魔力感知のみで躱しきったのは、紛れもない彼らの実力。
「お前の技は全て見切った。もう終わりだ」
これまで見た亜凰の攻撃はどれも必殺必死の威力を誇っていたが、当たらなければそれまで。身体能力、魔力感知、そのどちらも併せ持つ5体の連携で亜凰を殺すのも時間の問題だと確信したジャックがそう言うが——
「あら、じゃあそれは何かしら?」
——ズズッ、ズズズズズズズズズズゥウウウウンンンッッッッッと、ジャックの背後で斜めに切断されたビル3棟が滑るように崩れ落ちていく。
そして——あまりの切れ味と切断速度に気付くのが遅れたジャックの左肩からブシュゥゥゥゥッッッと鮮血が噴き出した。
その肩から先——左腕はジャックの足元……血溜まりの中心にぼとりと落ちている。
さらには空中を飛んでいた吸血鬼、そしてカゲロウの胴体までも真っ二つに両断され、2体がドサッと力なく地に堕ちた。
(——バカなッ! 何だこの攻撃は……ッ!?)
今のは無数の斥力弾に紛れさせて亜凰が放った不可視の刃——斥力斬り。
簡単な物理法則——圧力(Pa)=面を垂直に押す力(N)÷力が働く面積(m²)
斥力が物体に作用する時にかかる圧力などの力の働きは、作用する面積が狭いほど大きくなる。
斥力弾はまさにその原理を利用した技だが、逆に言えば力を大きくしようとするほど作用する面積が狭くなり、不可視とはいえ魔力による現象である以上、魔力感知を使える相手には知覚され、躱されやすくなってしまう。
では面の圧力では押し潰せず、点の攻撃では当たらない相手にはどうするか。
その答えが——斥力斬り。
点と点を繋ぎ合わせた線、その極めて細く薄い範囲で斥力を発生させ、対象を断つ斥力の斬撃だ。
(コイツッ……まだ新しい技を……いや、今編み出したのかッ……だが……ッ!)
「腕一本奪った程度でッ——!」
「——いいえ、終わりよ」
斬られた左肩を押さえるジャックとその配下の周囲に、突如として無数の引力球が出現する。
あらゆる物体を極限まで圧縮し、既に決壊寸前のそれは——これまでジャック達を攻撃してきた引力場や引力球を敢えて崩壊させずに発動を継続させていたもの。
亜凰はこれらをジャック達の視界外かつ戦闘中に意識を向けている魔力感知の範囲外である遥か上空と地下深くに待機させながら魔力を注ぎ込み続けていたのだ。
攻撃範囲は広いがジャックレベルの相手に当てるには発動速度がネックだった圧縮解放による衝撃波。その大技の重複攻撃を確実に喰らわせる好機を自ら作り出した亜凰が、手を翳す。
そして、引力球の崩壊が引き起こす大爆発が——
ドシュッッッッッ!!!
——炸裂する寸前、亜凰の胸から鮮血が散った。
「ああ、終わりだ。お前のな」
ジャックの言葉に反応する余裕もなく、亜凰がゆっくりと振り返ると……
斥力斬りで胴体を真っ二つに切断されたカゲロウの下半分——下半身だけが自律して動き、亜凰の胸に巨大な蠍の尾のような毒針を突き刺していた。
その光景に目を見開いた亜凰が「ゴホッ、ゴホッ……!」と口からも血を吐き出す。
昆虫脳——中枢神経系が頭部に集中している人間と違い、ゴキブリ等の一部の節足動物は体の各部に第二、第三の微小な脳——神経節を備えており、たとえ頭を切り離されてもその微小脳からの神経伝達で翅や脚を動かし続ける。その後の死因は頸部切断そのものではなく、頭を失って捕食・栄養補給が出来ないことによる餓死となる。
カゲロウは特に体の随所に高性能な副脳を備えており、この下半身は腹部神経節からの命令で移動、そして攻撃までをやってのけたのだ。
倒したという油断、加えてトドメの一撃を放つ際の隙を突かれた亜凰は斥力場を張ることが出来ず、刺されてしまった。
それでも亜凰は自爆覚悟で崩壊衝撃波を発動しようとするが——引力球は爆発を起こすことなく静かに消えていく。
「カゲロウは毒と同時に自分の魔力を打ち込む。その拒絶反応で、眩暈や麻痺だけでなく、魔力操作能力の著しい低下まで引き起こすのさ。言っただろ。お前は終わりだと」
カゲロウの毒は神経毒。極めて即効性の強いその猛毒により、亜凰は既に聴覚が鈍く、意識が朦朧としてきている為、ジャックの言葉がどこか遠くから発せられているようにさえ感じている。
他の症状は指先の痺れ、眩暈、頭痛に加え、全身の筋肉が弛緩して徐々に息苦しさも現れ始めた。呼吸筋の麻痺によって呼吸困難に陥っているのだ。
毒性としては青酸カリの千倍以上も強力と言われるテトロドトキシンに近いが、異界生物が有する未知の毒素である以上、当然解毒剤などは存在しない。
「呆気ない幕切れだったな。コイツらを呼ぶまでもなかったが、どうせならさらなる絶望を与え、二度と俺の世界に来る気が起きないようにしてやる」
ジャックがそう言うと、ズズズズズズッッと新たな魔物がゲートを潜り、こっち側へとやって来た。
それは数ヶ月前に同時多発的に発生した大量のゲートから出現し、日本で暴れ回った精霊——氷雪ノ巨狼、天雷ノ魔竜、暴嵐ノ怪鳥。
前回は偶然日本に集結していた総軍級の気配を感じ取って異界に退いた精霊達だったが、その結果3体全てがジャックの配下となって再来し、もはや各個撃破より討伐が困難な状況になってしまっている。
もし亜凰が健在だったとしても手に余る戦力だ。
(はぁ……はぁ……ごめんなさい……みんな……)
胸の傷と猛毒によって薄れゆく意識の中、敗北を悟って振り返った戦場では、あれだけ空間を支配していた亜凰の膨大な魔力反応が急激に弱まったことで兵士達がパニックに陥っていた。
「まさか……躑躅森亜凰が、負けたのか……?」
「新たな精霊クラスの魔物があんなに……!」
「今度こそ、この国は終わりだ……」
「総軍級がやられるなんて……勝てるわけがない……!」
魔物との戦闘中にも関わらず、自衛隊員や管理局の局員達が再び絶望に飲み込まれていく。
それほどまでに総軍級である亜凰の敗北は連合軍にとって暗澹たる事実だった。
この場の誰もが躑躅森亜凰は最強かつ無敵の存在で、どんな相手が来ようが負けることなどあり得ないと信じていたから。
そしてそれは、自衛隊員を率いる指揮官の近衛操華や、一時的とはいえ総軍級と同等の能力を発揮してみせた吉良アンナ等の確かな実力を持つ者達も例外ではない。
「彼女が……本当に敗れたというのですか……!」
「敵側にはまだバカデカい魔力反応がいくつも残ってやがるッ……アタシももう電池切れ……ここまでか……ッ!」
その絶望に追い討ちをかけるように、兵士達全員が体に異常をきたし始めた。
手が震えて銃の狙いを定められない者、魔力が普段通り操作出来ない者、さらには息を上手く吸えず喉を押さえて踠き苦しむ者まで。
気付けば灯真や唯花達がワイバーンを片付けて制圧したはずの上空に、車ほどのサイズもある巨大な蛾が無数に飛び回っている。
バサァッ、バサァッと羽ばたき音が聞こえる程の翅は見るからに毒々しいカラフルさで、赤、青、紫、黄緑といずれかの色が主張しているという個体差がある。
今兵士達の体を蝕んでいるのは、この毒蛾の鱗粉。
色によって毒の効果が変わる、極めて有害な蟲型の魔物だ。
逆にジャックやカゲロウの頭上では発光する綺麗な8枚翅の蝶が1匹飛んでおり、その鱗粉には回復効果があるのか、ジャックの左腕とカゲロウの胴体が徐々にだが繋がっていく。
吸血鬼は実体が定まっているように見えて、炎凰やダイナと同様に特定の形に縛られない精霊の領域にいる魔物。人型時に真っ二つにされた体を無数の蝙蝠のような群体に分裂させ、再び人型へと安定させた。
精霊であれば一度体を引き裂かれた程度のダメージでは致命傷にはならず、魔力が残っている限りは自己補完が可能。生命維持や運動を行うものが臓器や筋肉ではなく、魔力そのものだからだ。
さらに——ズズゥゥウウウウウウウンンンンンンッッッッッと、飛び交う蛾達よりも遥か上空で水竜・天竜と戦闘を繰り広げていたサファイアとローズがボロボロの状態で堕ちてきた。
最早飛行能力も維持出来ていないようだ。
本来サファイアとローズは最強の生物である龍種かつ精霊。異世界の生態系でも頂点に位置する最高位の生命体だ。その辺のドラゴンに遅れをとることなどあり得ない。
だが特性上、地球は彼らが本領を発揮出来る環境ではなく、水竜と天竜はジャックとの魔力共有で大幅に強化されていることもあり、形勢が逆転してしまったのだ。
サファイアとローズが龍の姿で力なく横たわるそこへ、ジャックがやって来る。
「——支配」
ズズズズッッとジャックから強制的に送り込まれた禍々しい魔力がサファイアとローズの体内へと侵入していき——
ゴァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッッッッと巨大な咆哮を上げて起き上がったサファイアとローズは、ジャックの背後に控えるような位置で頭を垂れた。
ジャックに支配され、配下として忠誠を誓わされたということだろう。
「良い子だ。光の龍か……俺の配下に相応しい」
ジャックのテイム能力は、配下にした魔物の状態や魔力特性が自然と伝わってくる。
それによりサファイア達が溜め込んでいた光子エネルギーを先の天竜・火竜との戦いで使い果たしており、ガス欠状態であることを感覚的に理解したジャックは亜凰戦でも目眩しに使った閃煌蟲の魔力を光に変換する発光能力でそれを充填させる。
あらゆる特性の配下を無数に従え、それらの能力を掛け算して有機的に組み合わせる。これこそがジャックの最大の強みであり、個でありながら多様性を持って生態系の頂点に君臨する、王たる所以。
「手始めに——あの女を殺せ」
ジャックの非情な命令にも従い、サファイアが光を失った眼を亜凰に向ける。
ローズも深海での出会いや、あの浜辺で亜凰に頭を撫でてもらったことも忘れてしまったかのように、ガパァァアッッッと大きく開けた口に光子エネルギーを収束させていく。
「じゃあな最強」
ジャックが呟き、軌道上の全てを蒸発させる光の熱線——光子誘導増幅放射が放たれる——
その時。
何か、とてつもなく巨大な魔力の気配……それがこの戦場に近付いて来ることを察知し、サファイアとローズが攻撃を中断して上空を警戒する。
しかし逆に連合軍側の人々はこの膨大な魔力反応にどこか安心感を覚えるとともに、巨大蛾の鱗粉による毒の影響が回復していくのを実感していた。
ゴロゴロゴロォォォッッッと遠雷の音が徐々に近付いてくると、温かく包み込むようなその魔力も濃度を増していく。
そして——
——ッッドォォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッッッッッ!!!!!
眩い稲光りと轟く雷鳴が周囲を襲い、反射的に目や耳を塞いだ人々が雷の落ちた場所にゆっくり視線を向けると——
そこには、異世界に取り残されていたはずの男——中川晃生が立っていた。
美羽蘭、そして手懐けた精霊、麒麟と共に。




